石段の先に

からし

石段の先に


深い森に囲まれた小さな村。

その村には古くから伝わる神社があり、山道を登った先にひっそりと佇んでいる。

その神社に続くのは、誰もが恐れる「石段」と呼ばれる長い階段だった。

誰もが言う、この石段はただの道ではなく、ある「試練」のために存在しているのだと。


村人たちの間では、この石段には「山の神」が住んでいると言い伝えられており、特に夜になると誰もその道を歩こうとしなかった。誰もがその階段に足を踏み入れた者を見たことがない。しかし、好奇心からか、あるいは過去の伝説を忘れかけていたからか、大学生の清水悠介は、この石段を登ることを決意してしまった。


悠介は都会から引っ越してきたばかりで、村の古い風習にはあまり詳しくなかった。ある晩、友人たちと飲み明かした後、何となくその話題が出た。

地元の子たちは「夜に石段を登るなんて死んでも無理だ」と口々に言っていたが、悠介は冗談だろうと思っていた。


「だってさ、普通の石段だろ?」と、友人に笑いながら言ったが、その言葉が村の人々にとっては大きな挑戦に聞こえたらしい。

翌朝、酔いが醒めた悠介は、「まあ、行ってみるか」と自分でも驚くほど簡単に思い立ち、石段を登る決心をした。


その日、村を出てからもうすぐ日が沈みそうな時刻だった。日暮れ時の薄暗い空気が辺りを包み、風が冷たく吹き抜ける。石段は予想以上に急で、古びた石がひび割れていた。足元には苔が生えており、まるで何百年も昔から誰かが歩いていたかのような気配を感じる。


悠介はふと、その道の先にある神社の存在が気になり、少しだけ立ち止まった。霧のようなものが石段の先に立ち込めている。その霧が、まるで彼を引き寄せるかのように、薄く見え隠れしていた。


「あれ?」悠介は首を傾げた。その霧の中に、誰かの足音が聞こえたような気がした。


しかし、その足音がどこから聞こえてきたのか、はっきりとわからなかった。悠介は少し不安になったが、それでも一歩足を踏み出す。気づけば、霧の中に足を踏み入れていた。



悠介は何度も後ろを振り返りながら、ゆっくりと石段を登り続けた。やがて、霧はますます濃くなり、視界がぼやけてきた。心なしか、周囲の空気が重く感じられ、周りの音がどこか遠くから響くようになった。足音も消え、代わりに静寂が支配する。


石段を登り始めてから何分か経った頃、急に「カシャン」と足元から音がした。悠介は足元を見たが、何もない。だが、その瞬間、背後から強い圧迫感を感じた。振り返ると、霧の中に誰かが立っているのがわかった。


「誰だ…?」


声をかけたが、相手は何も答えなかった。ただ立ち尽くしている。その姿は、見覚えがあるような、ないような奇妙な感じだ。服装が古びており、髪の毛はぼさぼさに乱れている。しかし、顔はしっかりと見えない。なぜなら、その人物の顔が…全くなかったからだ。


悠介は思わず後ろに一歩下がった。その瞬間、石段が軋む音と共に、再び「カシャン」と音が鳴った。


「えっ?」


振り返ると、誰もいない。再び、周囲には静寂が広がっていた。しかし、どこからともなく声が聞こえた。


「行ってはいけない…」


その声は低く、まるで土の中から響いてくるような声だった。悠介はその声に驚き、後ろを振り返ると、目の前に立っていた「人影」が消えていた。だが、その足元に何かが残されているのが見えた。


それは、小さな石だった。しかし、その石には奇妙な模様が刻まれていた。悠介は手に取ってみたが、その感触は冷たく、まるで死者の手のひらを感じるような気がした。


その瞬間、石段が急に揺れ始め、悠介はその場に立ち尽くした。何かが彼を引き寄せようとしている。足元が不安定で、霧が濃くなり、視界が真っ白になった。



悠介は震える足でさらに上へと進み続けた。やがて、石段の先に見える小さな神社が見えてきた。だが、その神社に近づくにつれ、彼は不安を感じた。


神社の中に何かがいる。目に見えない何かが、彼を待っているような気配を感じた。


そのとき、背後から足音が近づいてきた。振り返ると、あの顔のない人物が再び立っていた。その姿は、先ほどよりもさらに近づいており、悠介に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。


「行ってはいけない…」その人物は再び呟いた。


「なんだよ…お前は…」悠介は震えながら叫んだ。


その瞬間、人物が一歩前に出た。彼の顔は相変わらず見えないが、確かにその空気の中に彼の存在を感じた。そして、声を荒げて言った。


「あなたもまた、ここに来てしまったのですね…」


その言葉に、悠介はハッとした。それは彼がまるで聞いたことのある言葉だった。彼は思い出した。数年前、村に住む祖母が語っていたことを。


「石段を登る者は、必ずその先に試練が待っている。」祖母は言っていた。

「そして、その試練を乗り越えられなければ、二度と戻ることはできない。」


悠介はその意味をようやく理解した。彼は戻れないのだ。

もう、石段の先に待つ運命から逃れられない。


その瞬間、再び足元が崩れ、悠介は何も見えない闇の中に飲み込まれていった。



次の日、村の人々は悠介の姿を見かけなくなったことに気づいた。

あの晩以来、石段の先に足を踏み入れた者は一人も戻らなかったという。


そして、石段は今もなお、霧の中に消えた悠介を待っている。

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石段の先に からし @KARSHI

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