遠い国の運び手

 天の館に出入りをゆるされてから二度目の春がきた。

 秘術によって築かれた『扉』は、荒れ野の片隅からはるか天の高みまで一瞬のうちに商人を運ぶ。

 商人の肩先が『扉』を描き出す紋様をかすめて微かにその秩序を乱したことを、扉番の女は目ざとく見咎めた。

「みだりに触れぬようお気をつけなさいませ。空の下に暮らす人々の身体に、その輝きは毒となりましょうから」

 季節は廻れど天人たちの時はまるで止まったままだ。相も変わらず女の語り口には薄らと嘲りの色が滲んでいた。かつて天空を支配した神鳥の末裔であるとされるかれらは、地上に暮らす土踏みどもを対等な存在とはみなしてはいない。

 館の女主人は、碧空をめぐる回廊の奥にいた。幾重にも重ねられた薄衣が長い髪を覆い、背にまで落ちかかっている。まるでやわらかに畳まれた翼のような――光を透かして、冷たいそよ風にはらりと揺れた。

 商人の荷は側仕えの者たちに素早くあらためられたのち、あるじに捧げられた。

 それは天の国には珍しい染料であったり、鉱物であったり、ときには小さく愛らしい生き物であったが、まぶたに細く紅を引いた高貴な女は、どれに対しても特別な感慨を抱いた様子はなかった。

 特に所望であった香木の塊をくるくると手の中でもてあそびながら、女主人は商人に近況を語らせる。

 つまらぬことをいくつでも聞きたがった。例えば、溶けた雪の下から冬に失くした工具が出てきたとかいうような。

 納めた物品のことは少々。地上の情勢にはあまり興味がないようだった。

 いつしか、商人は尋ねたことがあった。自らの商いは、あるじの求めに足りているのかどうかと。季節が一つ巡った頃のことだ。

「それは、もちろん。そなたの働きには満足しているとも。そうでなくては、いつまでも館に出入りすることを許したりはしない」

 商人は平伏したままであったので、その表情を見ることはかなわなかったが、女主人の声は明快であった。

 扉番や側仕えの天人たちが商人に対して持つ侮りを、頂に立つこの女だけは一切表に見せることがない。かつてもそうであったし、いまも変わらず。

 この度もすべての品物は買い取られ、商人には十分な対価が与えられた。良い品物が手に入ればまた訪れることもあるだろう。


 会見を終えた部屋で女主人は静かな微笑みをたたえて、女たちがそこかしこに薄紫の花弁を振り撒くのを眺めた。

 たちこめる甘く清潔な花の香が、残された彼方の国の気配をかき消してゆく。

 ぬるくまとわりつく風、乾いた砂のにおい。時が凍り付いたがごとき天の館には存在しないもの。大地を踏み締めて生きるあの男だけがもたらすことのできる、かたちあるものなきものすべてが彼女の望むものだった。

 天の館の女主人は夢見る娘のような瞳に、遠く見知らぬ風景の幻影を映して、再び神秘の交易路が開かれる日が訪れるのを待っている。


あきさんへのお題は

【鳥たちの女王】、【触ってはいけない交易路】、【撒く】です!

予備:【妻】


#ファンタジックお題 #shindanmaker

https://shindanmaker.com/1194887

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