第44話 名前で呼ばせて
翌朝。早朝から、昨日の続きをしていた。書斎机を見れば、ミルヴァ様が孤児院への寄付のリストが置いてある。
「こんなにたくさん……」
知らない土地の名前ばかりだった。グリューネワルト王国の土地の名前すらまだ覚えてない。私では、まだミルヴァ様の代わりなどできなかった。
「ミュリエル。こんな朝早くからここにいたのか?」
「ゲオルグ様……もうお出かけになりますか?」
「朝食に誘いに来ただけだ」
「私は……」
食堂で食事ができない。お断りをしようとすると、ゲオルグ様が愛おしそうに私の頬に両手を添えた。
「『魔眼』のことなら気にしなくていい。もう、元に戻っている」
「本当ですか?」
「夜には戻っていたし、朝まで顕現しなかったぞ」
「……時々見てましたか……」
「よく眠っていて、ぜんぜん気づかなかったみたいだな」
まさか、寝ている間に見られているとは気づかなかった。
「母上のことも気にするな。ほら、おいで。食事が遅くなれば、俺も困る」
「は、はい!」
そうは言っても気になるものは気になる。おそるおそる食堂を覗くと、老執事たちがいつでも給仕できるようにしていた。ヘッドドレスのベールを押さえたままでゲオルグ様と一緒に食堂へ入れば、ゲオルグ様は気にしないで食事の席についている。
「給仕はいい。お前たちは下がれ」
ゲオルグ様が下がるように手で合図をすると、老執事たちが一斉に下がった。
「これで、ゆっくりとできるな」
「いいのでしょうか? 人様のお邸ですのに……」
しかも、ゲオルグ様のお母様のお邸だ。
「気にするな。顔も出してくれるか? ミュリエルの顔を見ながら食事をしたい」
ほのかに口元が上がったゲオルグ様に照れてしまう。
「ゲオルグ様は、執事の方とも顔見知りですか?」
「昔、ここに住んでいたこともある」
「ここにですか?」
「短い期間だがな……母上のように長いこと住んでいるわけではない」
「ミルヴァ様は、こちらが長いのですか?」
「そうだな……父上と喧嘩して出ていって、それからずっとだ。必要時以外は城に拠りつかなくなった」
「お仕事はされてましたか……」
「今は、俺が陛下になったから、ずいぶんと楽にはなったみたいだが……」
奉仕活動に励んでいるぐらいだから、責任感も意欲もあるのだろうとは思える。
「でも、どうして城を出ていったのですか?」
「父上が妾を召したからだ」
「妾……もしかして、妾がお嫌いなのですか?」
「不仲の原因はそれだ」
それで、妾の立場だった私が嫌いなのだ。
「何か言われたか?」
「……多分、私が妾だったのが気に食わないのかと……」
思い出せば『妾ごとき』だと言っていた。すごく嫌そうな表情で、だ。
「そうなのか? おかしいな……」
「そうですよね。妾がいきなりゲオルグ様のお母様にお会いすれば、びっくりしますよね……お土産も自分で選べませんでしたし……」
「自分で選ぶ妃などいないだろう」
ふむ、と食事をしながら考えるゲオルグ様。私の食事の手も止まる。
「それよりも、フォルシア伯爵領の帰りはどこかへ寄るか? フォルシア伯爵領の街に行ってもいい。別荘もあるから、そこでゆっくりとしてもいい。一日ぐらいなら、何とか時間をとれそうだ。珍しい雪うさぎも見られるかもしれん」
「雪うさぎ?」
「……うさぎパイも有名だが……もしかして、贈った本を読んでないのか?」
「す、すみません……まだ、途中でして……」
一日中ミルヴァ様のお手伝いをしていたから、本を読む暇などなかった。せっかくゲオルグ様が、グリューネワルト王国についての本を贈ってくださったのに……落ちこんでしまう。
「ミュリエル……一応聞くが、いつから母上の仕事を手伝っているのだ?」
「昨日からです」
「それは、わかっている。聞いているのは、時間だ……まさか、食事も満足に摂ってないのではないだろうな?」
「だ、大丈夫です!」
確かに、軽食だけだけど一人の時はそんなことはよくあることだったし、問題はない。
しかしながら、ゲオルグ様が怪しんでいるのもわかる。
「そ、それよりも、ミルヴァ様に、お食事をお持ちしましょうか?」
「侍女がすでに持って言っていると思うが……」
「そうですか……お詫びに何かしたかったのですが……」
「本当に気にしなくていい。ミュリエルが遺物持ちだとは母上は知っていたのだ。そのうえで起こった出来事だ。何かあれば、いつでも言いなさい」
それではダメだと思う。だけど、近づくことさえできない私に何ができると言うのか。
悩みながらも朝食は進み、終わればゲオルグ様は昨日の続きの魔物討伐へと行ってしまった。
そして、私は今日も一日中ミルヴァ様の書斎でお手伝いという仕事をしていた。
♢
__竜槍ブリューナグ。
父上はブリューナグに選ばれはしなかった。だけど、予言があった。
母上との間に竜槍ブリューナグは継ぐ王子が産まれるのだと。それを知らずに母上は結婚して、本当に王子である自分が産まれた。そして、予言通りに竜槍ブリューナグに選ばれて遺物を身体に宿した。
思惑のある政略結婚だった。でも、母上は予言を知らずに結婚していた。それでも、父上を慕っていたのだろうか。それなのに、自分が産まれれば父上は妾を召すようになり、夫婦仲は険悪だった気がする。そして、気がつけば城を去っていた。
「しかし、ミュリエルは邸で何をしているのだろうな……」
「魔物討伐が終わった早々に気になりますか?」
「早く終われば、ミュリエルとの時間が取れるだろう……城では忙しくて、夜しか過ごせない」
竜槍を片手に膝を立てて座り込んでいると、リヒャルトが話しかけてきた。
「そのために急いで終わらせるなんて、ゲオルグ様だけですよ」
「早く終わるなら、それに越したことはないだろう。不満はないはずだ」
「そうですけど……確かに、ミュリエル様は気にしたほうがいいかもしれませんね」
「何かあるのか?」
「嫁いびりだと、ちらりと聞きました」
「母上が? ミュリエルを気に入っていたのだと思ったが……」
「そんな様子ありましたか? 昨夜は寝込んでいましたし……フォルシア伯爵邸の空気はすっごく重かったですよ?」
「だが、母上は怒ってなかったぞ。いつも通りだった」
「それは、『魔眼』のせいでは? いつもゲオルグ様と同じように感情がないではないですか。今朝もお姿が見えませんでしたけど……」
「だが、ミュリエルに名前で呼ばせていた」
「……あの、王太后様が!?」
リヒャルトが目を見開いて驚いていた。
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