第41話 名前で呼びなさい


毎晩のように後宮に通うゲオルグ様。それは、フォルシア伯爵邸に来ても同じだった。おかげで、今朝も一緒に目覚めていた。


グリューネワルト王国の冬は一際寒い。アルドウィン王国ではまだ降らない雪。でも、グリューネワルト王国のフォルシア伯爵邸ではすでに降っていた。


「雪が……」


通りで寒いものだと思いながら起き上がった。すると、ゲオルグ様が私をベッドから出さないように、後ろから抱き寄せてくる。


「ゲ、ゲオルグ様っ……」

「どうした? 朝からどこへ行く?」

「雪が降っているので、少し見ようかと……」

「ああ、アルドウィン王国では、まだ降らないのだろうな……珍しいか」

「すごくキレイですから……」

「フォルシア伯爵領は、グリューネワルト王国でも山に近い。王都よりも寒いから、雪も少し早めに降り始めるのだ」

「そうだったのですか……」


まだまだ、グリューネワルト王国で知らないことがたくさんあるなぁと思うと、ゲオルグ様が私を抱き上げて、窓辺へと連れて行った。


窓ごしから庭を見ると、混じりけのない雪は清廉で煌めいていた。


「すごくキレイです……」


感動して雪に見とれると、ゲオルグ様が愛おしそうに抱いている手に力を入れて顔を寄せてくる。


「一緒に見られてよかった」

「はい」


ロマンチックだ。いい雰囲気で見ていると、雪の中から、スライムのルキアがもぞりと顔を覗かせた。そして、突然雪をぱくぱくと食べながら動き始めた。思わず、ぎょっとする。


「雰囲気が一瞬でなくなりました……」


ルキアの登場に一瞬でロマンチックな雰囲気が消えた。


「なかなか面白いことをするな」

「雪がおいしいのでしょうか?」

「スライムの嗜好など知らん」


はぁーーとため息交じりでゲオルグ様と目が合えば、くすりと笑みが零れた。


「雪が好きなら、今度二人で見に行くか」

「お忙しいのでは?」

「リヒャルトがすぐに迎えに来るからな」


そう言ったそばから、部屋のノック音がした。ゲオルグ様が不機嫌そうに舌打ちをする。


「ゲオルグ様! お時間ですよ!」

「今行く。そこで待ってろ」


至極嫌そうにゲオルグ様が言う。抱き上げられていた私を下して、ゲオルグ様が支度を始めた。


「ゲオルグ様。朝食が……」

「ああ、もういらん。腹が減ったのなら、ミュリエルはゆっくりと食べなさい」


部屋に置かれた朝食を見ると、ゲオルグ様がサンドイッチを少しだけ齧って出発する。玄関まで見送れば、ゲオルグ様が愛おしそうに私を抱き寄せて頬に口づけをしてきた。


「では、行ってくる。何かあれば、ホークを飛ばせ」

「はい。お気を付けてください」


雪国用のもこもこのファーが着いたマントを身につけてゲオルグ様が飛竜に乗って飛び立っていた。


「朝から、食事もとらせずに魔物討伐に行かせるとは……」


ゲオルグ様が見えなくなると、後ろから王太后様の声がした。


「あの……おはようございます。王太后様」

「おはよう。朝からずいぶんと仲がよろしいことで」

「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」


ペコリと頭を下げる。王太后様を見れば、ゲオルグ様と同じでにこりともしない表情で立っていた。口元を隠している扇子が威圧感を増している。


「ミュリエル。私をことは名前でお呼びなさい」

「よろしいのでしょうか?」

「私が言うのですから、誰が異を唱えますか」

「では、ミルヴァ様とお呼びさせていただきます」


そっとお辞儀をすると、ミルヴァ様がジッと見下ろしている。雰囲気が恐ろしい。ゲオルグ様に似た威圧感がある。


すると、セレスさんとレスリー様がちょうどやって来た。険悪な雰囲気は時々あるが、レスリー様はセレスさんとの諍い禁止という決まり事も何とか守っている。


王太后様に二人が挨拶をすると、今日の予定を私に聞いてくる。


「ミュリエル様。今夜のドレスを選びますか? それとも、部屋を片付けている間は庭の散策でもいたしますか?」

「そうですね……ゲオルグ様から頂いた本を読みたいので庭にでも行きましょうか? でも、庭師がいないことを確認しないと……」

「では、すぐに確認してきますね」


セレスさんが笑顔で応えた。


「そんな必要はないわ。ミュリエル。あなたは私のお手伝いをしてもらえるかしら?」

「は、はい!」


お手伝いを? 

そう思うが、この威圧感に聞き返すこともできずに返事をした。


「では、こちらに来なさい」

「はい。ミルヴァ様」


扇子片手に歩き出したミルヴァ様について行くと、残ったセレスさんとレスリー様は呆然と見ていた。



「すごい威圧感だわ」

「王太后様は、話しかけにくい雰囲気で有名ですわ」

「そうなの?」

「知らないの? これだから、没落令嬢は……はぁーー」

「すみませんね! 貧乏な没落令嬢で!」


見下したようなレスリー様にセレスが力いっぱい言う。


「私を娼館に売ったのは、高貴なあなたの兄上様よ!」

「それはもう解決しましたわ。そもそも、ネイサン兄上とは異母兄弟で、あまり一緒に育ってないのですわ。貧乏貴族とは違いますの。それよりも、王太后様ですわ。機嫌を損ねないほうが賢明ですわよ。気難しい方だと有名ですわ」

「そんな方とミュリエル様は一緒に行って大丈夫かしら? 私もついて行こうかしら?」

「止めといたほうが良いですわよ」

「どうしてよ!?」

「あなたは誘われてないもの。王太后様がお呼びしたのはミュリエル様だけだったわ……余計なことはしないほうが身のためよ」

「心配じゃないの?」

「気にはなるけど……」

「薄情だわ……そんなことしても、陛下はレスリーには振り向かないわよ」

「嫌なことを言わないでちょうだい!」


セレスが言うと、レスリーが力いっぱい言う。


「だって本当のことよ」

「没落令嬢は黙っていてちょうだい」

「没落、没落と……」

「悔しいのでしたら、さっさとどこかの貴族の養女にでもなるのね。ミュリエル様は、妃になるのよ。その女官や侍女が没落令嬢では、妃の名に傷がつきますわ。ミュリエル様は、気にしないみたいですけど……あなたではないと無理な時もあるのですわよ? 私はメイドの真似事はできませんし……しっかりとしてちょうだい」


堂々とレスリーが言う。セレスのように遺物持ちでもなく、アニータのようにメイドの仕事ができないレスリーは主に後宮の管理をしていた。その彼女がぽつりと呟いた。


「……でも、ミュリエル様は王太后様を名前で呼んでいたわね」




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