第2話 子どもたちが見た空襲の夜
1945年6月22日の夜、姫路の空は真っ赤に染まり、家々が次々と燃え落ちていった。その光景を目撃したのは、大人たちだけではなかった。防空壕の中、家族と震える子どもたちや、必死に逃げ惑う中で家族とはぐれてしまった子どもたちもいた。
「逃げろ!」という叫び声とともに、焼夷弾が次々と降り注ぐ中、人々は街の外へ向かって走った。子どもたちは恐怖で泣き叫びながらも、大人の後について必死に足を動かしたという。瓦礫と炎の中を駆け抜けたその光景は、彼らの心に深い傷を刻んだ。
紗和が読んだ証言の中に、当時10歳だった少年の言葉があった。
「空が真っ赤だった。家も学校も全部が燃えてた。熱風が押し寄せてきて、息ができないくらいだった」
この少年は、防空壕に隠れる途中で両親とはぐれたまま、二度と会うことができなかった。彼が覚えているのは、母が最後に「必ず逃げなさい」と叫んだ声だけだったという。
紗和は、当時の子どもたちが感じた恐怖を想像してみた。家族と離ればなれになった不安、自分の街が燃えていく光景、そして自分が何もできない無力感。そのすべてが一瞬で襲いかかる夜だったに違いない。
もう一つ、紗和の心に残った証言がある。
「炎が近づいてくる中、赤ちゃんを抱えたお母さんが『この子だけでも』と私に差し出してきた。でも、自分も逃げるので精一杯で受け取ることができなかった。それが今でも夢に出てくる」
戦争は、こうした過酷な選択を子どもたちにも強いた。
姫路大空襲は、ただの爆撃ではなく、人々の生活そのものを奪う出来事だった。大人も子どもも等しく被害を受けたが、子どもたちはその幼い心に深い恐怖と喪失感を抱え込むことになった。空襲後、多くの子どもたちは家族を失い、親戚や施設に預けられることになったが、その記憶は決して消えることがなかった。
紗和は思った。
「今の私たちは、こんな経験を想像すらできない。それが平和な時代に生きているということなんだ。でも、だからこそ忘れてはいけない」
次回は、姫路大空襲の中で奇跡的に守られた姫路城について考えていく。あの白鷺城が燃えずに残った背景には、人々の努力や歴史の重みがあったのかもしれない。
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