ラグナロク ー世界最後の日ー

速水静香

ラグナロク ー世界最後の日ー

 月や星々が見える何の変哲もない夜空。

 その夜空は、突然、神秘的な光に包まれた。


 幻想的なオーロラが空を覆ったのだ。

 緑や紫、青の波紋が天空を覆い、まるで天界への道が開いたかのような幻想的な光景だった。


 その美しさは、地上で続いている緊迫した国際情勢とは対照的であった。


 そのオーロラの中心から、一筋の光が地上へと降り注ぐ。

 やがて、光の中から一人の女性の姿が浮かび上がった。

 翼を広げ、黄金の槍を手にしたその姿は、まさに伝説の戦乙女、ヴァルキリーそのものだった。

 出現したヴァルキリー、シグルンは、オーロラの光に包まれながらゆっくりと降下していく。


 高度およそ30キロメートル、成層圏のその過酷な環境の中、シグルンは翼を広げ、駆けるかのように飛行を始める。

 シグルンにとって、この極寒の大気は何の影響も及ぼさない。

 有史以来、近年まで神秘に満ち溢れていた空は、かつて神話に生きた彼女のみの領域であるはず、だった。


 しかし、その空でシグルンの鋭敏な感覚が何かを察知した。


 現代の空では、彼女を捕捉する鋭い目が存在しているのだった。

 彼女の姿は、地上の防空システムに電子的に捕捉されていた。

 車両内に設置された防空指揮所。

 この緊迫した国際情勢下において、即応体制を維持するため、24時間体制でオペレーターたちがコンソールに向かっていた。


「トラック、アルファ・ワン・シックス。方位050、仰角75、距離150キロ。」

「確認、未識別飛行体。IFF応答なし。」

「RCSが異常に小さい。ステルス機の可能性あり。」


 防空指揮官が状況を判断した。


「対空警戒態勢、レッドに引き上げ。S−400システム、起動せよ。」


 隣接する車両では、防空システムを担当するオペレータたちがコンソールを操作する。


「92N6E、目標捕捉。」

「捕捉完了。火器管制レーダー、ロックオン。」


 防空指揮官が再び声を上げる。


「40N6E、装填準備。」


 TELのミサイル発射機が徐々に起立し、オーロラに照らされた夜空に向けて構えられる。


「40N6E、装填完了。発射準備、オール・グリーン。」


 指揮官は、機械的に命令を下す。


「40N6E、発射許可。エンゲージ。」

「了解、エンゲージ。」


 発射ボタンが押される。

 轟音と共に、40N6E超長距離ミサイルがTELから飛び出した。

 ミサイルは急速に加速し、超音速となってシグルンへと向かっていく。


 シグルンは危機を察知し、急降下を開始する。

 しかし、アクティブレーダーホーミング方式を採用したミサイルは、シグルンの動きを正確に追尾し続ける。


 この時、シグルンの手に握られた神代の槍グングニルが、まるで主の意志を感じ取ったかのように輝き始めた。


 全長約2メートル、黄金と白銀が織りなす螺旋模様に覆われたその槍は、単なる武器ではない。

 オーディンの神器、世界樹の枝から作られたという伝説の武具だ。

 グングニルの柄には、古代ノルド語のルーン文字が刻まれている。


 『決して的を外さず』『常に手元に戻る』という2つの呪文が、かすかに青白い光を放っていた。

 シグルンはその槍を構え、神代の言葉で詠唱を始める。


「我が槍よ、神の意志となりて敵を討て。」


 言葉と共に、グングニルは一層強く輝きを増した。

 シグルンは槍を投げ放った。

 グングニルは一瞬宙に浮いた後、まるで意思を持つかのように急加速し、ミサイルへと向かっていく。


 現代の最新鋭ミサイルとグングニルが、夜空で交錯する。


 槍は、ミサイルを正確に捉えていた。

 次の瞬間、轟音とともに、夜空に閃光が走る。

 槍がミサイルを貫いたのだ。

 ミサイルの破片が周辺へ四散した。

 大量の燃料と炸薬を積んだミサイルは、決して的を外すことがない槍の突進には無力だった。

 そして、魔力の糸で繋がれた槍は、優雅な魔力の弧を描きながらシグルンの手元へと戻ってくる。


 しかし、安堵する暇はない。


 防空システムからは、新たに9M96E2中距離ミサイルが発射されていた。

 超音速をはるかに超え、高機動性を誇るこのミサイルは、シグルンの予想を超える動きで接近してくる。


 シグルンは再びグングニルを構える。

 槍は主の手に戻るや否や、再び輝きを放ち始めた。

 今度は、槍を投げるのではなく、シグルンは槍を盾のように前に掲げる。

 グングニルから放たれた光が、シグルンの周囲に球状のバリアを形成する。


 ミサイルがその光の球体に激突し、爆発する。

 しかし、グングニルの守りは完璧だった。

 爆風も破片も、シグルンには届かない。


 シグルンは超音速での急旋回を繰り返し、次々と襲いかかるミサイルを、時にグングニルで打ち落とし、時にバリアで防ぎながら、高度を下げていく。

 グングニルは、投擲武器としても、防御の盾としても、完璧にその役割を果たしていた。


 高度10キロメートルを切ったところで、新たな脅威が現れた。

 低空での防空を担うシステム、2K22ツングースカ自走対空砲が稼働を開始したのだ。


 このシステムは、低空を飛行するシグルンにとって大きな脅威となる。

 9M311地対空ミサイルが発射され、シグルンに向かって飛来する。

 続いて、30mm機関砲からの砲弾の雨がシグルンへ襲い掛かった。

 グングニルに付加されたオーディンの加護による神秘的なバリアがシグルンを包み込むが、激しい砲撃の衝撃で、周囲の空気が振動し、シグルンの体が揺さぶられる。


 シグルンは瞬時に判断を下した。

 グングニルを掲げ、古代の言葉で呪文を唱える。


「我が槍よ、雷霆となりて敵を討て!」


 グングニルが青白い光を放ち、シグルンの手を離れる。

 槍は稲妻のように疾走し、地対空ミサイルを貫いた。

 そしてそのまま、槍はツングースカの装甲を貫通する。

 轟音と共に、自走対空砲システムが沈黙する。

 シグルンの周囲への脅威は去った。


 その後も、彼女は飛行を続けていた。


 地上まであと3キロメートル。

 そこでは、無数の小型の飛行物体が、シグルンを取り囲むように接近してきたのだ。


 それらは最新型の自爆ドローンだった。

 全長約1メートル、数十キロメートルの航続距離を持ち、数キロの弾頭を搭載したこの兵器は、シグルンにとって厄介な代物だった。


 地上の指令所では、熟練したドローンオペレーター達がドローンを操縦していた。

 モニターには、シグルンの姿が映し出されている。


「何だ?これは?」


オペレーターは、目の前の現実に対処できていなかった。


「人?だが、翼がある?」

「何かのトリックだ。」


 指令所では、ちょっとしたパニックが起こっていた。


 あれはなんなのか?

 敵か?味方か?

 その目的は?


 オペレータ達は、シグルンを攻撃するのか戸惑っていた。

 その時だった。


「…どちらにしても、大型のドローンといえるな。」


 冷淡な司令官は、淀みなく迷いのない口調で、その事実を指摘した。


「少なくとも、あれが我が軍の所有兵器でないことは確かだ。」


 司令官は、異常な状況を簡潔にそう結論づけた。

 その冷静な対応に、周囲にいたオペレータの兵士も、徐々に冷静さを取り戻していく。


「あれの詳細や目的は不明だが、あの規模の大型ドローンを放置することは危険だ。我々は目標を攻撃する。命令を繰り返せ。」


 続いて司令官より、オペレータ達へ命令が下った。


「目標を攻撃する。」


 ドローンのオペレータ達は冷静にそう言った。


 瞬時に、ドローンは統制を取り戻した。

 そして、ドローンの群れがシグルンに向かって襲いかかる。

 シグルンは急制動をかけ、ドローンの群れを回避しようとする。

 とはいえ、熟練したオペレーターたちの操縦するドローンの動きは、シグルンの予想を遥かに超えていた。

 一機のドローンがシグルンに激突しようとした瞬間、彼女の手元にあるグングニルが輝きを放つ。


「我が槍よ、風となりて敵を払え!」


 シグルンがグングニルを大きく振り回すと、魔力の風が渦を巻いて広がる。

 ドローンの群れは、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、次々と爆発していく。


 しかし、ドローンの数は想像以上に多く、完全に払いのけることはできない。

 一機のドローンがシグルンの防御をすり抜け、彼女に激突して爆発する。

 ルーン魔法の防御は、この予想外の攻撃に対しても有効だったが、その衝撃は確実にシグルンの体に伝わっていた。


 ようやくドローンを駆逐した彼女は、周囲を確認した。

 彼女の持つ、神話級に高精度な視覚や聴覚、そして嗅覚によって、それは確認できた。


 血と硝煙の香り。

 響き渡る轟音。


 シグルンは使命を果たすべく、その激戦地へと赴くために飛行を続ける。


 これまでの経験によりシグルンは、防空ミサイル網を突破できるよう、超低空飛行を選択していた。

 遠くに見えるドローン群を回避し、超低空飛行を続ける。


 そして彼女は、ようやく戦闘の真っ最中の地上へと降り立った。

 彼女の周りでは、壮絶な戦火の嵐が吹き荒れていた。


 遥か彼方まで続くかのような塹壕が蜘蛛の巣のように広がり、その中に身を潜める兵士たちの姿が見えた。

 彼らの主な任務は、次々と降り注ぐ砲弾から身を守ることだった。


 主力戦車を中心とした戦闘車両群が、まるで巨大な鉄の獣のように地を這っている。

 戦車に搭載された滑空砲や戦闘車両に搭載された機関銃が火を噴き、遠く離れた敵陣地を攻撃している。


 そして、ときおり地平線の彼方から轟音が響き渡る。

 シグルンは、その方向に視覚を向けた。


 それは人の目では決して見ることが出来ない距離だった。

 そこには、巨大な大砲の群れが展開していた。

 自走できる榴弾砲。

 すぐに展開できるように、車両と砲が一体となったものだ。

 そこに搭載された、152mm口径の砲身が一斉に火を噴く。


「砲撃だ!伏せろ!」


 誰かが絶叫する。


 次の瞬間、空気を引き裂くような咆哮と共に、無数の榴弾が放たれる。

 遠く離れた場所から、砲撃される榴弾は高く弧を描き、まるで死の雨のように戦場全体に降り注ぐ。

 着弾と同時に、大地が激しく震動し、巨大な爆炎が立ち上る。

 砂塵と破片が舞い、視界が一瞬にして奪われる。


 榴弾の破壊力は凄まじかった。

 塹壕さえも、着弾すれば、その威力の前には脆くも崩れ去ってしまう。

 一発の着弾で、塹壕とそこに身を潜めていた兵士たちが、跡形もなく消し飛ばされていった。


 砲撃が鳴りやみこともなく、シグルンの耳には、砲撃とは別の何か甲高い音が届いた。

 彼女が見上げると、小型の飛行物体が高速で接近してくるのが見えた。


「自爆ドローンだ!」


 誰かの叫び声が響く。兵士たちは慌てふためいて塹壕に身を潜める。

 だが、ドローンの動きは予測不能だった。

 それは迷うことなく、塹壕に向かって急降下し、轟音と共に炎上する。


 砲撃の合間を縫うかのように、次々と自爆ドローンが飛来する。

 それらは時に兵士を、時に戦車を、時には他の塹壕を標的として突撃していく。


 爆発で吹き飛ばされる兵士や戦闘車両の姿に、誰も振り返る者はいない。


「人間よ、我はヴァルキリー、シグルン。汝らの魂を見定めるために来たり。」


 シグルンの声が戦場に響き渡る。

 神界からの使いであるシグルンの神聖なる声。

 声というよりも、人々の脳裏へと直接働きかけるはずの啓示。


 その神聖なはずの啓示は、砲撃音と爆発音の前にかき消され、この戦場にいる誰にも届かない。

 情け容赦ない激しい戦闘が、止まることなく続いていた。


「偵察ドローンだ!あのデカい人型ドローンを撃破しろ!絶対に墜とせ!」


 冷たく機械的な命令が無線を通じて響いていた。

 命令を遂行するべく、小銃がシグルンへ向けられる。

 もはや個人の判断や感情を排除した、純粋に命令を実行するだけの機械的な動作だった。


 無数の銃弾がシグルンに向かって飛んでくる。

 シグルンはグングニルを盾のように構え、弾丸を弾き返す。

 弾かれた弾丸が周囲の兵士たちを襲うが、誰も気にする様子はない。

 彼らはただ、与えられた任務を遂行するだけの歯車と化していた。


 彼女の周りでは、観測ドローンや自爆ドローンが蜂の群れのように飛び交い、地上では兵士たちが機械的に任務を遂行していく。


 榴弾砲の轟音、主力戦車の砲撃、そして自爆ドローンの爆発音が絶え間なく響く戦場。

 混沌とした、しかし奇妙なほど秩序立った殺戮が行われていた。


 シグルンは、この想像を絶する光景に呆然とした。

 彼女が知る戦争とは、あまりにもかけ離れていた。

 ここには勇気も、名誉も、栄光もない。

 個々の戦士の勇気や覚悟を見出す余地はなく、ただ冷酷な機械と化した軍隊が、殺し合っているだけだった。


 突如、シグルンの鋭敏な感覚が異変を察知する。

 彼女は空を見上げた。


 夜空には、一筋の光が、大量に並んでいた。

 大陸間弾道ミサイルの再突入体だった。

 それは流れ星の群れのようでありながら、あまりにも直線的で人工的だった。


 それら光の群れは、地上へと向かっている。

 その速度は、人知を超えている。


「あれは…。」


 シグルンの言葉が終わる前に、世界が変容した。


 まばゆい光が大地を覆い、次の瞬間、轟音と共に巨大な衝撃波が押し寄せる。

 シグルンは、グングニルを掲げて身を守るが、その威力は神器の力さえも凌駕していた。

 大地が揺れ、風が吹き荒れる。そして、ゆっくりと、おぞましくも美しい形が空に立ち上る。


 巨大なキノコ雲。


 その姿は、まるで冥界の門が開いたかのようだった。

 雲の中心から放射される光は、この世のものとは思えないほどの輝きを放っている。

 戦場は一瞬にして地獄と化した。

 兵士も、戦車も、ドローンも、すべてが塵となって消え去っていく。

 シグルンは、絶望的な光景を前に言葉を失う。彼女の瞳に、キノコ雲が焼き付いていく。


「これが人間の戦争。」


 彼女の声は、核爆発の余波にかき消されていった。

 グングニルを握る手に力が入る。

 しかし、この状況となっては、その神器でさえも無力だった。

 シグルンは、人類が生み出した究極の破壊の前に、ただ立ち尽くすしかなかった。

 キノコ雲は、さらに大きく膨れ上がっていく。

 その姿は、世界の破滅を象徴しているかのようだった。


 シグルンの使命は、勇敢な魂を見定めること。

 だが、この光景の前では、その使命さえも意味を失っていた。

 彼女は、現代の戦争が個人の勇気や魂の輝きを完全に否定するものだということを、身をもって知ることとなった。


 戦場は炎と灰に覆われ、生命の気配は消え失せていく。

 シグルンは、静かに目を閉じた。

 彼女の心の中で、かつての戦士たちの勇気ある魂の記憶が、核の炎に焼き尽くされていくのを感じていた。

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