小雪のあとさき

いすみ 静江

雪が降るのは私のしるし

 「真白ましろ小雪こゆき」さん、ペンネーム変えるの?

 そんな書き込みがあったときにはもう変わっていました。

 「いすみ 静江しずえ」です。

 すみませんが、これからはこちらでお願いいたします。


 *


 そもそも「雪」の文字を入れたかったから付けた名前だったのです。

 ただ、後で調べたところ、「小雪」も「真白」もセクシーなお名前だったので、下げたくなったのです。

 嫌いではありませんでしたが、気になりまして。


 *


 両親は私が産まれたことを喜んでくれなくて、寂しかったんです。

 せめての私自身が私に応援しているからねと「雪」の字を贈りました。


 *


 母にお産の想い出を聞くと、『浣腸したのにトイレの数が足りなくて辛かった』って寂しいお答えが。

 続けてお産の後は、『父親に手足の指が揃っているか確認してくれ』とか聞いたんだと息巻いていました。

 だったら私に奇形があったら受け入れられないんですか。

 私は子に手術の必要がある所があってもがんばって寄り添ってきましたよ。


 *


 私は1900グラムで出生したので一か月入院していました。

 父は子どもを作っただけの人でしたし、病院で皆に「優しい旦那様」と呼ばれたくて、いいかっこしいだから、それで私のお見舞いという名目で通っていたんだよね。

 母をはじめ皆そう言っていましたよ。

 数年後には弟が産まれ、静江なんかは放置されました。


 *


 やっと私が孫を産んで、それも二人とも大きく育ってからです。


 ――静江が産まれた日には、三月だというのに「雪」が降ったんだ。


 なんだ、父も普通の話もできる。

 だったら、どうして今まで冷たくしたの……。

 余計なことを言えば、一瞬の綺麗さが覆されるので黙していた。

 宇都宮での「雪」は珍しかったようです。

 私の名前は「静江」で「雪」と被るところがありませんが、随分と印象深かったようでした。

 母が国立こくりつ病院へ歩いていき、後から母方の祖母と一緒に父がきたそうです。

 歩き難い「雪」の中をせっせせっせと。

 自慢の長靴を履いていたのでしょうか。


 *


 それから、私がアラフィフもギリギリになってから、孫娘に祖父は急に言ったんです。


 ――お母さんは絵が上手いね。


 そんなこと、六歳から絵を習って美大へ行ってとずっとずっと続けてきたことなのに、実力が付かず困っていた悩み事だったのに、ついぞ聞いたことがない言葉です。

 私が父の好んだ車の絵を描いたからですか?

 そればかりは欲しがっていましたね。


 *


 もう母も亡くなり、父ひとり。

 狭くて散らかった家で、父ひとり。

 愛犬チビも寿命で亡くなってしまい、生き物の気配がない家でツタがしぶとく取れません。

 それでガラクタ整理をすると言っては再び散らかしている父に無限のループが蔓延っています。


 *


 居間でごろごろしていた息子に動物ならどんなのが好きか、犬とか猫とか聞いてみた。


 ――僕はチビちゃんが好き。


 一言がぐさっと刺さりました。

 優しいですね。

 天国へ急に旅立った叔父の忘れ物がチビちゃんでした。

 叔父の拾った犬のようで、病気もあって、毛玉もあって、クリーム色の中型犬という以外特徴がありませんが、性格は大人しくていい子でした。

 私の実家で引き取ったようです。

 私はその頃苦しい思いをして「雪国」に暮らしておりました。

 嫁ぎ先の家に馴染めず、入院してしまった間に凄まじい災害に巻き込まれて、強引に退院した次第です。

 しかし、心の痛みは増すばかりで、飲食不可能な程になってしまい、通院もできませんでした。


 *


 震災後の私の写真を母に携帯電話で送ると父が迎えにきました。

 東北は「根雪」も痛い。

 私が数点の衣類だけ持って帰るとき、もう生理用品は自分で買うんだよと夫が心配してくれました。

 車が出ます。

 高速道路まではずっと遠い山奥からです。

 私が振り向くと夫がいて、夫の父母も作業をしていました。


 あの日も「雪」が降っていたのでしょうか――?

 様々な記憶は「雪」で真っ白にも真っ赤にも染まれるというものです。


          【了】

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