僕は小鳥の受験生

沼津平成

第1話

「エス大を受けるって? え、今お前なんて言った?」

 数学の時間、ある一人の受講生が嘲笑に晒されていた。名前は吉田よしだ。数学のセンセイである美原みはらという中年の大柄の男は笑いながら、「お前、前回のテスト何点だったよ?」と聞いた。

 吉田はゆっくり答えた。「はい。——八十点であります」

 美原は鼻で笑った。「八十?十の位が8、たったの……!」途中から声のトーンが変わっていた。「お前な! エス大を舐めてるんじゃいかんぞ。エス大はな、……難関なんだよ!」

 それくらい吉田も知っていた。エス大はこの県屈指の難関大だ。しかしだからこそ有名人も多い。席を立ちながら吉田は俯いていた。しかしその握り拳には力が入っていた。


(俺は絶対やってやるんだ。……そうだ、絶対だ!)


 数学の授業が終わる時、美原がいった。


「みんな帰れ。——だが、吉田。お前だけ残っておけ」


 クラスが笑った。きっと怒られるぞ——と見物する野次馬まで現れたが、それは美原に一喝された。いよいよ全員がいなくなり、教室には二人しかいなくなった。

 美原がとつぜん切り出した。


「みんなの前では恥ずかしくてああ言ってしまったけれど、俺はお前を応援してるぞ」

「本当ですか……!?」吉田が顔を上げた。

「ああ。授業に取り組むお前の態度、見てて感心したよ。俺はお前を信じてる」

 

 美原は数学室の電気をつけた。放課後が始まる。


「このあと時間あるか」美原が言った。

「あります」吉田が即答した。吉田はいつでも暇だ。

「それならば、この数学を集中して解くといい。いつでも待ってるぞ」


 美原はそう言って笑った。




「……という話も、昔あったな」

 

 吉田は墓の前に立っていた。後ろには誰もいない。吉田は教師の道を進んだ。今日は春、その平日だが、小学校を吉田は休んでいた。「家庭の事情」で休んでいた。

 家庭の事情だったが、自分の事情だ。

 吉田は一つの墓標に彫られている名前に、懐かしさに顔が綻んだ。

 

「お久しぶりです。エス大には受かりました。ありがとうございました」


 吉田はそう言って墓に頭を下げた。


「もう会えませんか……?」


 その時、小さく地震が起きた。吉田は空を見上げた。相変わらず、空は雲ひとつない晴れだ。

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