パンデミック 崩れる日常の中で

深見

第1話

──いつまでも続くと思っている日常ほど時には簡単に壊れてしまう。

 

 当時、世間では突然生まれる殺人鬼による事件が多発していた。この殺人鬼には通常の犯罪者とは違う特質がある。発作のように起こる突発的な殺人衝動と理性の喪失、その上身体能力が異常に発達しており、痛みを感じない。政府はこの突発的に人間が殺人鬼になってしまう現象を一種のパンデミックとして声明を出し、その殺人鬼を無力化するための特殊部隊を編成および育成することを当面の対処とした。


 僕はその殺人病患者に両親を殺された。何度あの時のことを思い返しても当時の無力な自分と助けるどころか、その様子を撮影する者達に腹が立つ。


「東野くん、大丈夫?」


 過去の事を思い返してぼんやりとしていた僕に目の前の女の子は首を傾けて心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。艶やかな黒く長い髪に大きな瞳、よく通った鼻筋に桃色の薄い唇、人形のように整っている顔とすらりとした身体は美しさと繊細さの両方を醸し出していた。


「ああ、ごめん。少し物思いにふけってた」


「東野くんは普段から頻繁にそんな感じになるよね」


 この女の子は深瀬美雪。僕の通う特殊な高校で出会った大切な人だ。僕たちは高校の帰り道、駅前のカフェでお茶をしていた。ガラス張りの壁際の席に僕と彼女は向かい合ってコーヒーを飲んでいた。店内はジャズのおしゃれなメロディーとお客さんの話し声で満たされていた。


 彼女は深いため息を一つついて、言った。


「私たちが高校を卒業してから、日々相手にするのは人間の姿をした鬼なの、その恐ろしさは東野くんも分かってるでしょ」


 僕たちが通う高校は数年前に国が設立した対殺人病特殊部隊の隊員を育成する高校だ。この学校では素質のある者を鍛え上げ、卒業後には隊員として日々出現する殺人鬼を相手にする毎日を送ることになる。


 僕たちはその高校の一年生だ。お互いに大切な人を奪われている過去を持っている。


「分かってるよ、ただ過ぎ去った過去でも思い出さずにはいられないのは僕みたいな人間の癖みたいなものなんだ」


 彼女はそれを聞いて、僕の頬に手のひらを当てる。彼女の手の感触は暖かくて優しい。


「それでも、私は東野くんになるべく今を生きて欲しい。いつ死ぬか分からないからこそ一瞬一瞬を大切に生きて欲しいの」


 今の社会では殺人鬼がいつ現れ、人生を終えることになるか分からない。そんな現実を目の当たりにして、彼女は僕と違って過去を振り返らず、前に進もうとしていた。


「それに、私は東野くんの生きる力にはなれてないのかなって自信なくしちゃう」


 彼女はそう言って悲しみを忍ばせた微笑みを浮かべた。


「ごめん、美雪が僕を大切に思ってくれてることはよく伝わっているし、僕も大切に思ってるよ」


「本当に?」


「うん、それにそんな風に今を大切に生きる美雪に僕は惹かれたんだ」


 僕らは入学してから現在までの半年間ずっと戦闘訓練ではトップクラスの成績を収めてきた。次第に授業やテストの模擬戦闘では同じくらいの成績である美雪と何度も手合わせすることになる。すると、嫌でも伝わってくる。彼女の一瞬一瞬に掛ける力の強さと精神力の高さは僕や他の生徒とは違う。


 ──私も、死ぬのは怖いし、自分が殺人鬼なるのはもっと怖い。でもそんな弱さも忘れられるくらい、今を全力で生きることにしてる。そうすれば次はきっと救える命があるかもしれないから。


 ある日の手合わせの後に彼女に死ぬのは怖くないのか?と聞いた時に返って来た言葉だ。


「美雪のその精神はきっと多くの命や怯える人達を救う素質なんだ」


 そう褒めると彼女は頬を赤らめて気恥ずかしそうに言った。


「そこまで言われると恥ずかしいね、でも東野くんも私にはない強さがあるよ」


 なんだろう、僕はいつまでも過去に執着しているだけだ。当時の無力な自分への怒り、その時の周囲や殺人鬼への憎悪とかそういうのを糧に鍛錬している。


「私は東野くんほど過去に味わった感情を糧に戦えない。東野くんと手合わせしていると分かるの。きっと自分や周囲の間違いに向き合って後悔して力に変える。それが私には出来ない」


 美雪は過去を忘れて今を生きようとしている。僕は過去を忘れないようにその過去に受けた感情や間違いに支配されながら生きている。互いが欠けている強さや生き方に僕らは惹かれ合ったのかもしれない。


 彼女はコーヒーを一口飲んで言った。


「私が殺人鬼になったら、東野くんが倒してね」

「いきなり物騒なこと言うね、でもその気持ちは僕も同じだよ」


 殺人病はいつ誰が発症するか分からない。だけど、僕らや現役の隊員達の持つ対殺人病素質は発症リスクを高めるという説もある。


 彼女はまあと言って、両手を叩くとスクールバックからポッキーを取り出してこちらに渡してくる。


「ちょっと辛気臭くなっちゃったから、恋人らしくポッキーゲームでもする?」


 たしか一本のポッキーを二人で食べ進めるゲームで最終的にどちらかが口を離さない限り口づけをするというやつだったけ。


「しないよ、周りにお客さん居るし」


 彼女は意地悪く聞いてくる。


「居なかったらしてくれるんだ」


「するかもしれないね、でもポッキーは好きだから一本貰うね」


 彼女は僕の意外と素直な返答に少し照れたように顔を伏せた。僕はポッキーを一本取って食べる。彼女は小さく呟いた。


「そっか、意外と否定しないんだ」


 それから僕らは他愛のない話をして、穏やかな時間を過ごした。気づいた時にはカフェの照明が店内を照らしていて、外は夕日が沈み、空は暗くなっていて、駅前の建物の明かりや行き交う車のライトが際立っている。僕は会話が一区切りついたところで、制服のポケットからスマホを取り出して時刻を確認すると、もうすぐ午後七時になるところだった。夕飯の買い出しもしないといけないことを考えると、そろそろカフェを後にしないと帰りが遅くなる。


「美雪、そろそろカフェを出ないと夕飯の買い出しもあるし、寮の門限にも間に合わない」


 それを聞くと彼女は肩を少し落とし、口を尖らせて言った。


「寮生活の嫌なところだよね、九時までに帰らないといけないなんてさ。しかもご飯は各自で用意しなきゃいけないし」


 うちの高校は全寮制で、卒業まで親が居る居ない関係なく国が用意した大きな集合住宅のような場所で暮らす。家賃は無料だけど、食事は自腹で親が居る生徒は仕送りで賄い、僕や彼女のような親が居ない生徒には国から手当てのお金が支給されるのでそれで賄っている。


「それでも、僕らみたいな保護者が居ない生徒にとっては家賃無料で手当て付きは良い待遇なんだよ。それにご飯は美雪が作った料理が食べられる」


「最初の頃は東野くんカップラーメンばかり食べてたもんね」


 美雪と出会う前は、食事なんて生命活動維持のための義務みたいなものだと思っていた。家庭的な食事の暖かさなんて両親を亡くしてから味わう機会もなかった。


「家事が出来る恋人が出来て嬉しいよ、それに美雪の料理を食べると生きた心地がする」


 僕らは夕飯の買い出しに向かうためにカフェを後にして、街中を歩く。今は十二月の半ばで、雪が少しずつ降り始めている。外は全身が一気に震えるほど気温が低く、髪を少し揺らすくらいの強さの向かい風でもその寒さをより強くする。僕は少し先の交差点を見る。あの場所で両親は殺された。今と同じ寒い季節の時だ。


「大丈夫? やっぱりあの場所を通るのは良い心地しないよね・・・・」


「仕方ないよ、スーパーも寮もあの交差点を経由しないと行けないから」


 交差点に差し掛かった時、彼女は僕の手を握って肩を寄せる。これは僕の過去の事件を知った彼女が現場を通る時に安心させようと恥ずかしがりながらもやり始めたことだ。僕らが恋人になってからまだ浅い。


 だからこういうスキンシップはお互い積極的に行えなかった。


「いつもありがとう美雪」


 今日は素直に感謝を言葉にしてみた。彼女は最初、ハッと目を少し大きく開けてから伏せ、柔らかに微笑んで言った。


「うん、東野くんの力になれてるなら嬉しい」


 交差点を渡った後も僕らは手を離さなかった。ふと街灯に照らされた彼女の横顔を見る。暖色の光に包まれた彼女の柔らかで少し照れているような表情は見ている僕に彼女の異性としての魅力を感じさせるものだった。


「どうしたの、私の顔じっと見て」


「あ、いや今日の夕飯はなにを作ってくれるのかなって」


 流石に視線を彼女に長く向けすぎて、気付かれてしまった。間違っても魅力的過ぎて見つめていたなんて言えず、咄嗟に夕飯の話題を出して誤魔化そうとしたけど、苦しいか・・・・。


 彼女は僕の方を訝し気に眺めていたけど、丁度スーパーの近くに差し掛かっていて、そこで彼女は納得したように小さく頷いて視線を前方に戻す。


「今日は東野くんの好きなカレーにしようと思ってるよ」


「それは楽しみだな、カレーは何度食べても飽きないから、もっと頻繁に作ってくれてもいいんだけどね」


 昔から母がよくカレーを作ってくれた。それを仕事から帰った父と僕が好んで食べながら、家族の時間を過ごす。両親を亡くし、高校に入ってからもしばらく冷めていた心を暖めてくれた美雪の初めての手料理もカレーだった。


 カレーは人間や現実の冷たさばかりを思い出す癖がある僕にとって愛情という暖かさの記憶も呼び起こしてくれる。そんな特別な食べ物なのだ。


「栄養が偏らないように考えてるんだから、それにお楽しみが頻繫になったら、それはそれでなんか特別感ないじゃん?」


「確かに、そうかもしれないね」


 僕たちは繋いだ手をほどいて、スーパーに入って買い物をする。食材の選択や食費の管理は彼女に任せきりだから、僕は隣で見ているだけだけど。買い物をしている彼女の姿すら、母と重ねてしまう自分には毎回嫌気が差す。僕の意識はいつでも過去に向いてしまうんだ──。


 買い物を終え、ギリギリで門限前に寮のエントランスに着き、管理人さんから僕らの部屋の鍵を貰う。この部屋は、僕と彼女が恋人になったきっかけである一年の夏に起きた事件の解決による報酬として、二人で住む権利と部屋をお願いして、先月に与えられた特別室だ。


 部屋に入るなり、美雪はエプロンをして、カレーの調理を始めた。玄関からすぐにある大きなスペースはキッチンとリビングが一つになっている。ここには、二人用のソファーやテレビ、キッチンの近くにはテーブルと椅子がある。その他に寝室があり、二つベッドが設置されている。


「東野くん、今日は会心の出来かもしれない」


 彼女は僕に背を向けたまま、鼻歌交じりにカレーの鍋をかき混ぜている。


 彼女は料理が上手くいくと上機嫌になる。そういう姿を見れるようになったのは恋人になって一緒にご飯を食べるようになってからで、学校での明るい彼女とはまた少し違う、僕だけが知る微笑ましい家庭的な一面だ。


 僕は、ソファーに座り、彼女の料理をする姿を見るのが好きだった。


 世の中はいつ誰が殺人病になって殺人鬼に殺されるか分からない恐怖に満ちていて、うちの高校では戦闘訓練や殺人病についての座学が行われている。


 そんな世界で生きる僕にとって彼女の存在や過ごす時間が日常の暖かさを思い出させてくれる。彼女にとってもそうだと良いんだけど。


「よし、東野くん出来たよ、こっちに来て」


 彼女は丸い皿に白米とカレーを盛りつけて、食事用のテーブルに並べる。僕はそのテーブルの椅子に座ると、早々にカレーを口に運ぶ。スパイスの効いた辛さと香ばしさ、ジャガイモはほろりと口の中で溶ける。


「美味しい、やっぱり定期的に美雪のカレーを食べないと生きていけない身体なのかもしれない」


 僕はそんなことを口にしながら頬をほころばせる。身体と心の芯まで染み渡る味だ。彼女はそんな僕を見て「ちょっと食べ始めるの早いよ」と苦笑しながら、向かい側の席に座って自分のカレーを食べて同じように頬をほころばせていた。


「ん~美味しい。そうだ今日の歌番組に私の好きなバンド出るんだ」


 たしか、クローズブルーという四人組のポップロック系の音楽で若年層に人気を博しているバンドだった気がする。僕はあまり音楽を聴かないけど、塾の広告でたまに流れているのを耳にしたことはある。


「えー緊急ニュース特番になってるって・・・・ねえ東野くんこのニュース見て」


 なんだろう、芸能人が亡くなったとかそんなのかなと、カレーを食べる手を止めて視線をテレビに移す。テレビの中継映像の大部分はモザイクがかけられているけど、叫び声と共に銃声が聞こえる。もう、なんの映像なのか分かってしまった。


「殺人病患者・・・・しかも僕たちの街からそう遠くない」


 ニュースキャスターが状況説明を始める。その中でも最も引っかかった部分。


 ──なお今回の殺人病患者は現役の対殺人病部隊の隊員と見られており、事件前に殺人病患者警戒アラートは鳴らず死者重症者は多数・・・・。


「東野くん、殺人病警戒アラートが作動しないことなんてあるの・・・・?」


「ある、僕の両親の事件の時もそうだった。だけど昔に比べて精度は上がっているはず・・・・」


 殺人病警戒アラートは殺人病事件が起きる可能性が極めて高い場所をコンピューターが瞬時に発見し避難警報を出すシステムだ。昔は誤作動なんかも見られたが、ここ数年で技術は進歩し発見率はほぼ百パーセントだった。


「東野くん、もしもの時を私たちも想定しておかないとね」


「ああ、出来れば来てほしくないけどね」


 どうやらこの世界は僕らに平穏な日常を送らせる気はないらしいとこの時強く再認識した。

 

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