第13話
黄緑色の草原を、何かを追いかけて走っている。
草の背が高くて、前も横も見えない。
あるのは、私の前を誰かが走っているという確信だけ。
ふと、草の間から、誰かの頭部が見える。
その瞬間、さーっと霧を払ったように、周りから草がなくなった。
見覚えのある後ろ姿が、何もない地面に現れる。
ゆっくりと目の前に立つ人物が振り返って、目が合った瞬間、それが小学校低学年の頃のリョウちゃんだと思い出した。
子どもの姿のリョウちゃんは、優しく微笑んでいた。
「リョウちゃん?」
「ルカ。こっちに来ちゃ駄目だよ」
「……え?」
さっきまで何もなかったのに、いつの間にかリョウちゃんの後ろには、縄のの橋が出来ていた。公園の遊具にあるやつ。
縄の橋の下には水が流れている。水色じゃなくて、濁った茶色い水。そのうちに、濁流のように激しく流れる川になる。でも、何故か音は聞こえない。
リョウちゃんが、躊躇う造作もなく縄の橋を渡っていく。先はどこに繋がっているのか分からない。
この光景に見覚えがあると感じた。
小さい頃、私は怖がりで、公園の縄の橋が怖かった。
リョウちゃんが先に行って、見本を見せてくれたんだったと思い出す。それは小学校よりももっと小さい頃だと記憶しているけれど。
でも、今は――――。
「行けるよ。私も」
橋に足を掛けようとして、先を行くリョウちゃんが叫ぶ。
「危ない!!」
突然、足を置いたはずの縄が消えて、私は川に落ちそうになる。
リョウちゃんが、寸でで私の腕を掴んで、引っ張り上げてくれる。
いつの間にか、私はまた元の地面に戻っていて、リョウちゃんは橋の上にいた。私たちの間には、途方もない距離があるように思えた――――。
「じゃあね、ルカ。俺は行くよ」
「リョウちゃん。嫌だ。置いていかないでよ」
「ごめん」
泣き叫ぶ私を置いて、悲しそうな表情を残したリョウちゃんは、再び前を向き縄の橋を渡っていく。
「やだよ、リョウちゃん! ずっと一緒にいたいよ! 私、私リョウちゃんのことが――――っ」
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ぱっと目が開いて、寝室の天井が見える。
(……夢?)
ドキドキと鳴る心臓と、細く目尻を伝う涙。
夢であっても、妙に現実味があるように感じた。
リョウちゃんが、私の前からいなくなってしまう悲しい夢……。
リョウちゃんが、サヤカさんたちのグループから助けてくれた日から、もう三日が経つ。
リョウちゃんからの連絡はない。
私も、何と言ったらいいのか分からなくて、結局連絡することが出来なかった。
あの日、帰りの遅かった私を両親が心配して、高校の最寄り駅まで毎日車で送り迎えをしてくれるようになった。
遅くなった理由については、部活で先生に用事を頼まれて、連絡するのを忘れてしまったと言い張った。正直に言った方がいいのは分かっていたけど、余計な心配をかけたくないし、リョウちゃんのことを疑われたくなかったから。
言えば間違いなく警察沙汰になる。
間違ってリョウちゃんが捕まる事態になるのは、絶対に嫌だった。
バス停で私たちを目撃している人は、何人もいるのだから。
――――でも、何となく両親は怪しんでいると思う。
首の傷も、家に入る前に自分で絆創膏を貼って、部活での怪我だと言った。幸い薄皮を切っただけで、大した傷じゃなかったから、すぐに治るだろう。
両親が送迎してくれるようになって、必然的に通学時にリョウちゃんに会うことはなくなった。
引っ越しも検討しているとお父さんが言っていた。
持ち家だし、長くこの場所に住んでいるから離れがたかったみたいだけど、最近の治安は目に余ると思っているらしい。
「リョウさんとの結婚は、前途多難だね」
綾音の言葉が心臓にぐさりと来る。
最初は元気のない私を慰めてくれていたけど、日に日に遠慮がなくなってきてる。
サヤカさんのグループに連れ去られたことを、綾音は怒っていた。もちろん、サヤカさんに。
そしてそれはリョウちゃんにも飛び火して、『女の趣味が悪すぎる』と断じていた。
警察に言うと言った綾音に、警察沙汰にしてリョウちゃんに迷惑をかけたくないと必死に頼んだら、しぶしぶ納得して黙っていてくれると言った。
でもなるべく早く、両親の言うように引っ越した方がいいと言っていた。
同中のクラスメイトに不良事情に詳しい子がいて、その子の話では、今回の騒動はサヤカさん率いる“ブライツ”が、リョウちゃん率いる“ブライツ”と同一視されて、他の不良グループから襲撃されたことによるものだったらしい。
だから、サヤカさんはあんなに怒っていたのかと思う。
「サヤカさんとリョウちゃんは、今でも両想いなんじゃないかな。立場上争うしかない、悲劇的な恋、みたいな……」
半ばヤケになったように私が言うと、綾音はうーんと顎に手を持っていく。
「私は違うと思うなぁ。実際見てないから何ともだけど、聞いた感じリョウさんはサヤカさんとは相容れないと思ってるんじゃない? だからこそ、グループが分裂するまでに至ったんでしょ。付き合うまでは良いと思ってても、付き合ってみたらケンカばっかりってカップルも結構いるし」
……いつも思うけど、綾音は男女のことに詳しすぎる。
知識量では太刀打ち出来ないとしても、私なりに思うことを言ってみる。
「でも、さ、サヤカさんと別れた後のリョウちゃん、なんからしくなかったんだよね。相当傷ついてたんじゃないかなと思うんだけど」
綺麗好きなのに部屋を散らかしたり、倒れるほど食べなかったり。
明らかにおかしかった。
綾音は再びうーんと考えて言う。
「そりゃあその時はそうだったのかもしれないけど、瑠夏と再会して、気持ちがちょっと変わったのかもしれないよ?」
「え?」
「ほら、ちょうどそこからリョウさんとの接触が増えたじゃん。連絡先の交換までして、拒否してるってよりは、リョウさんも結構積極的に瑠夏に近付いて来てたような気がするし。失恋を忘れるには新しい恋、ってね」
「……」
綾音は私の反応を見ながら、校舎裏の階段にゆっくりと腰掛ける。
最近はかなり肌寒くなってきて、もう少ししたら、しばらくここで話すのは控えた方が良いかもしれない。
周りに誰もいないのはちょうど都合良いんだけど。
「リョウさんにとって、安心出来るのはどっちかと言われたら、何て答えるかな? 私は迷わず瑠夏って答えると思うけど。だって、サヤカさんよりももっともっとずっと前からリョウさんを知ってるじゃない。大事な思い出もたくさんあって、リョウさんにとって大切な存在なんだと思うよ、瑠夏は。だから何度も助けてくれたんじゃん。自信持ちなよ」
私は綾音の言葉に救われるような気がして、また泣きそうになりながらも、だからこそ、気になっていることを全部ぶちまけたいと思って、少し重く口を開く。
「ありがと。……私もそう思いたい。でもどうしても、リョウちゃんとの間の壁が分厚くて、リョウちゃんの気持ちを理解しきれなくて、サヤカさんに嫉妬しちゃってるの。リョウちゃんは明らかに私を部外者扱いしてるし、実際そうだし、きっと、本当の本音は言ってくれない。繕った綺麗な姿だけ見せてくれるの。私はそれがすごく嫌なんだと思う」
何故か綾音はニヤニヤしながら、頬杖をついてこちらを見てくる。
「なるほどね〜。瑠夏は、リョウさんがサヤカさんに見せるような姿を、自分にも見せて欲しいんだ」
「……うん」
「めちゃめちゃ嫉妬してるじゃん」
「……うん」
綾音はちょっとだけ間をあけて、いきなりがばりと抱きついてきた。
「瑠夏、かわいい〜!」
きゅうっと抱き締められて、思わず顔が赤くなってしまった。思いっきり抱き締められることなんて、なかなかないから。
「強欲な瑠夏、好き〜」
「ご、強欲!?」
「だってそうじゃーん? サヤカさんが向けられてない好意も、サヤカさんに向く感情も、ぜーんぶ自分が手に入れたいってことでしょ? リョウさんの全てを♡」
カーッと顔が熱くなる。
自分の奥底の本音を綾音に鋭く言い当てられたようで、ぐうの音も出ない。
そっか。
私は強欲なんだ……。
一度自覚してしまうと、開き直りたくなってくる。
だってリョウちゃんのことが好きなんだから、仕方ないじゃない。
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