家族試験

護武 倫太郎

家族試験

 ―――私はずっと試験を受けている。母にとって素晴らしい娘であるかどうか、よくできた人間なのかどうか。常に試され測られている。だから……。



「どうしてまた約束をやぶるの?」


 いつもの母の小言が始まった。キーキーとした金切声が、私の胸をざわつかせる。

 母は私にとっては試験官で、家は息が詰まるような試験会場だ。試験の内容は、私が母にとって素晴らしい娘であるかどうか。試験の日程は、毎日。


「ねえ、次はテストで満点取るって。約束、したよね?なのに、どうして満点じゃないのよ」


「……そっ、そんなこと、言ったって……。私はお母さんの言いつけ通り、毎日2時まで勉強して、がんばったんだよ……」


「がんばったって、結果が出ないと意味ないでしょ?どうしてあなたはそうなの?」


「そっ……」


 声が喉の奥につぶされる。言葉がでない。


「お向かいの佐々木さんの息子さんは、今年の春から東大生だっていつも自慢してくるのに……。あなたがそんなんじゃ、また私がバカにされるじゃない……」


 母がバカにされるとか、私の知ったことではない。そう、言い返してやりたいのにどうしても言えない。どうしても母に抵抗ができないことにも、腹が立つ。

 母はずっと私のことを試験している。良い娘であるかどうかを推し量っている。合格をしたら私のことを愛してくれるのだろうか。

 今年の春に高校受験を控えた私への試験内容は、目下のところ学力であった。期末テストで満点すら取れない娘は、母にとっては落第対象なのだろう。

 まだこれからも試験を受ける権利があるのだろうか。毎日が不安でたまらない。


「次の試験では満点取れるんでしょうね?」


「が、がんばるよ……。今回はケアレスミスが多くて満点はとれなかったけど、でも学年では3位だから……」


 褒めてほしい。

 学年で成績が3位だったことを、凄いね、がんばったねって、認めてほしい。

 母からの合格が欲しい。


「学年で3位って……それじゃ何の意味もないじゃない。1位じゃないとっ。3位なんかで、佐々木さんにどんな顔して会えば良いのよっ」


「でっ、でも……この成績ならどこの高校にだって入れるって……」


「あんたの……、公立のバカ中学の先生の言うことに何の意味があるっていうの?くだらないっ。私立の中学に入れなかった時点で、あんたの価値は地の底まで落ちてんだっ。そんな言い訳してる暇があったら、黙って満点取れってんだよ」


「まあまあ、ちょっと落ち着きなよママ。あの子だってがんばってるじゃないか」


「パパは黙ってて。今は私とあの子の話をしているの」


「でも、実際がんばってると思うよ。本当だったら彼氏との時間だってとりたいだろうに……」


「パパそれは……」


 母に、それだけは知られたくなかった……。吸いこんだ空気が冷たくなっていくのを感じる。


「ねえ、彼氏ってなに?」


「あれ?もしかして、ママには話していなかったのか?」


 パパの穏やかでズレた声に、わずかな動揺が走る。


「パパは彼氏のことを知っていたの?知っていて私に黙っていたの?」


「黙っていたというか……、俺から話すのも変かなって。まさか言ってなかったとは思わなかったし……」


 言えるわけがない。言ったら、別れさせられてしまうことは分かりきっていたから。テストで満点すら取れない私には、彼氏を作る権利なんてないってことは私にも自覚があった。


「ふーん……。そうやって、みんなで私をだまして笑ってたんだ。最低……」


「違っ……、お母さんをだまそうなんて思ってない。ただ、偶然二人で歩いているところをパパに見つかったから……」


 それは本当だ。だまそうだなんて、これっぽっちも思っていなかった。彼氏といるところをパパに見られさえしなければ。

 どうすることもできない過去への後悔だけが募っていく。

 動悸が収まらない。


「その男に価値なんてないのだから、別れなさい」


「……え?」


「どうせ、ろくでもない男でしょ?別れなさい」


 何を言っているのか、さすがに理解ができなかった。無理やり別れさせられるのだろうことは分かっていた。本当に嫌だけれど、予想はできていた。


 しかし、これはない……。

 彼のことを知りもしない母から、なぜそんなことを言われなくてはならないのだろうか。


 思うように学力が上がらず悩んでいた私を、やさしく励ましてくれたことも知らないくせに。

 母から認められていないと胸の内を吐露した私を、ぎゅっと抱きしめて慰めてくれたことも知らないくせに。

 彼が学年で一番頭が良い事も知らないくせに。


「……に」


「何か言いたいことでもあるわけ?」


「……くせに」


「ママ、さすがに言っていいことと悪いことが……」


「彼のことを何も知らないくせにっ」


「知らないわよ。別に、知りたくもないわ」


「なんで、そんな……」


「はあ……、どうしてこうなのかしら、あなたって。私の娘として不合格ね」


 ……え?


 今、母は何と言ったのだろうか。

 不合格、なんて言ってないよね。

 私は、ただ母の合格が欲しくて、ずっとがんばってきたというのに。

 私の聞き間違いだよね?


「……ママ、今なんて言ったの?」


「不合格よ、不合格。そうよ、あなたは私の娘として不合格。落第。失格。どうしてあなたみたいなのが生まれてしまったのかしら。バカの集まりの公立中学ですら満点が取れない、できそこない。それどころか、性欲に爛れた淫乱女だなんて目も当てられない。娘としてだけじゃなく、人間としても失格ね」


 娘、失格?

 私の中の何かが、プツリと切れた。


「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


 それからのことはよく覚えていない。甲高い絶叫が鼓膜をずっと震わせていたことだけは覚えている。私は無我夢中で台所から包丁を持ってくると、その切っ先を母に向かって突き立てた。


 真っ赤な血だまりに私は浮かんでいる。



「ニュースをお伝えします。警視庁によりますと、昨日午後7時ころ、八王子市の民家で110、駆けつけた警察官によって、刃物で刺された30代の夫と娘が発見されました。遺体のそばで母親が刃物を所持して立っていたとのことで、警察が詳しく事情を聴いているとのことです」



 私はずっと試験を受けている。母にとって素晴らしい娘であるかどうか、よくできた人間なのかどうか。常に試され測られている。だから、必死に良い娘を演じた。成績が良く器量も良い、母親にとって誇らしい存在であろうと努めた。私はきっと合格だったのだろう。

 勉学に励み国立大に進んだ私を、母はいつも自慢していた。


 そんな私も今や母親だ。私も母親になったからには試験をしなくてはならなかった。娘が私にとって素晴らしい娘かどうか。


 何度も色んな試験をしてきたが、結果はいつも芳しくなかった。中学受験に失敗するし、公立の中学ですら満点をとれない。挙句の果てに勝手に彼氏を作って遊蕩するなんておぞましい。

 試験の結果はいうまでもなく不合格だ。


 だから、試験の結果を発表した。すると、あろうことかこの母に向かって反抗してきたではないか。

 その瞬間、私は娘を捨てることに決めた。ついでに旦那として不合格な男も切り捨ててしまおう。私は旦那の首筋を力いっぱい引っ張り、盾にする。娘の包丁が旦那に突き刺さった。


 血にまみれ呆然としている娘に、私は旦那の腹から抜き取った真っ赤な包丁を突き立てる。


「あなたみたいなのは、いらないわ」


 水面に顔を出した金魚のように口をパクつかせ、血泡を吹いている娘を片目に、私は次の試験について考える。試験官は警察官になるのだろうか。


「はあ、これは当然正当防衛よね。私から通報すれば、合格率は上がるのかしら」


 


 

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