〝見える〟クラスメイトと私

七草葵

〝見える〟クラスメイトと私

1.

 気分が悪い。

 胃の辺りがむかむかする。

 原因は分かっている。耳を塞いでも聞こえてくる、甲高い話し声のせいだ。

「や待って、つばめちゃんのチカラはガチだから!」

「この前出かけた時もつばめちゃんが『見える』って言い出して。その場所ネットで調べたら、そこで殺人事件があったって記事が出てきたの!」

「じゃあつばめちゃんなら、この学校に昔からある怪談がほんとかどうか分かる? ほら、4時44分になると晴れの日でも雨音が聞こえてきて怨霊が現れるって」

 男女グループの視線が、その中心人物へと注がれる。

「その噂は、私も聞いたことあるよ」

 男女グループがわっと沸く。

「つばめちゃんでもまだ見たことはないんだね!?」

「じゃあ今度検証してみない? みんなで教室に残ってさぁ!」

 ああ、うるさい。

 うんざりだ。

 中学1年生にもなって、幽霊話で盛り上がるクラスメイトたちも。

 中学1年生にもなって、霊感少女気取りで幽霊を騙るクラスメイトも。


 早蕨つばめは霊感少女として、早くも春咲中学校の有名人になっていた。

 小学生の時からそうだった。

 図書室に行けば「何かいる」と言い、体育館に行けば「ほら、あそこ!」などと言い、運動会の日は「屋上から幽霊が見てる!」などと叫ぶ。

 早蕨つばめが語る幽霊話は真実味があった。彼女が語る幽霊話を基に調べると、それらしい事件やいわくが明らかになったりするからだ。

 おまけに彼女は見た目がいい。髪の毛はつやつやで、肌は白くて、小顔のくせに目だけがやたら大きい。

 だからやたらともてはやされる。可愛い女の子がちょっと不思議な言動をするなんて、なんだか物語の始まりみたいじゃないか。信じたくもなるのが人心というものだ。

 そういう人の心理を巧みに利用しているのが、早蕨つばめだ――と、思っているのはこの学校でも私くらいのものだろう。

 幽霊なんているわけない。

 学校の七不思議だの、都市伝説だの、怪談だのにきゃあきゃあはしゃぐなんてすごく幼稚だ。ばかばかしい。

 早蕨つばめを囲んで騒いでいるクラスメイト達だって、みんな低レベルだ。

 私は大きなため息をついて、お気に入りのペンケースを撫でた。

 白くてふわふわで可愛い。机の上でうさぎが眠っているみたいに見えるフォルム。最近買ったばかりの、お気に入りのペンケース。

 私の趣味は、可愛い文房具集め。

 不思議ちゃんを気取るより、こういう実用的で実践的な趣味の方が学生生活の上で便利だし理にかなっているに決まっている。

 それなのに……。

「つばめちゃん、今度放課後肝試ししてみない?」

「でも、そういうことをするのは危ないよ。霊を刺激しちゃうもん」

「へー! なるほどね。さすがつばめちゃん!」

……早蕨つばめの周りには、いつも人がいる。

 いつも教室の隅で文房具を愛でている私と彼女の差は、一体なんなのだろう。


 今日は掃除当番だった。最後に一番面倒なゴミ捨てを終えて教室に戻ると、もう日が傾き始めている。

 時計を見れば、ちょうど4時44分。やっぱり怪談なんて嘘だ。ばかばかしい。

 へとへとになりながら昇降口を出る。今日も一日つまらなかったな、なんて思いながらグラウンドを横切る。

 不意に、目の前にサッカーボールが転がり込んできた。

 右から左へ通り過ぎ、フェンスに当たって跳ね返って左から右へ、再び私の前に来る。

 なんとなく拾い上げた。サッカーボールは土まみれで汚れている。なんで拾っちゃったんだろう、と後悔しかける。

「おーい、そこのキミー!」

 びくりとする。声の方へ顔を向けると、サッカー部のゼッケンをつけた男がこちらへ駆けてくるところだった。

 色素の薄い髪が夕日に当たってキラキラしている。頬を流れる汗が爽やかだ。

 この人、知ってる。女子にいつも騒がれているサッカー部の2年、西野先輩だ。

 サッカー部に入部した直後からめきめき頭角をあらわして、夏の大会でチームを優勝に導いた……とかなんとか、女子が騒いでいるのを聞いたことがある。

「ボール拾ってくれてありがとう」

「あ……いえ」

 差し出された手に促されるままボールを渡す。

「助かったよ」

 そして。

 西野先輩は小脇にサッカーボールを抱え、片手で私の頭を撫でた。

 温かくて大きな手だった。

「じゃあね」

 戸惑っているうちに、西野先輩はサッカーコートへと戻ってしまう。

 私はなんだか恥ずかしくなって、足早にその場を立ち去った。

 校門を出ても歩調は緩まない。むしろどんどん早足になっている。

 まさか、あの西野先輩に頭を撫でられるなんて!

 胸がずっとドキドキしている。

 身体が地面から数センチ浮いている感じがする。

 平凡で変わり映えのしない最悪の1日が、西野先輩に頭を撫でられた瞬間から最高の1日に変わった。

 これって――もしかして、恋ってやつ?

 私は完全に浮かれていた。

 その瞬間、私の思考はけたたましいクラクションの音に邪魔され、かき混ぜられ、そして――暗転。


2.

 目が覚めたら異世界にいるはずだった。

 物語の冒頭で突然トラックに轢かれたら、それは異世界転生の合図……のはずだ。

 けれど私には、そんな夢のような出来事は訪れてくれなかった。

 代わりに今私はクラスメイトやお坊さんや親せき家族の頭上をふわふわと浮遊しながら自分の通夜に参加している。

 家族や親せきはまだしも、クラスメイトには友だちなんてひとりもいない。彼らは担任教諭に引率されてむりやり参加させられているのだ。

 よく知りもしないクラスメイトに関してなんの感情も沸くはずがない。ほら、今あくびしている男子を見つけた。そっちも退屈だろうけど、私だって別に親しくもない人間に死を悼まれたくはない。お互い様だ。

 参列者の中には、もちろん早蕨つばめもいた。

 少し顔を伏せてじっと読経を聞いている。青白い横顔が、黒髪の間から透けて見える。

 なぁんだ、と思った。私は幽霊になったというのに、早蕨つばめは全然こっちに気付いていない。やっぱり霊感があるなんて嘘だったのだ。まあ私も幽霊なんていないと思っていたのに実際自分がなってしまったので、ここは引き分けってことにしておくか。


 焼香が終わると、クラスメイト達はぞろぞろと外に出た。通夜ぶるまいには親類のみが出席するみたいだ。

 会場の外で担任が点呼を取り、労をねぎらい、解散。なんだか社会科見学に自分の通夜を利用されたようで釈然としない。

 解散になったらみんなすぐ帰るのかと思えばそうでもない。クラスメイトの通夜に参加するという非日常に、みんな興奮しているらしい。

 鯨幕の前で自撮りしている女子たちまでいる。通夜をバックに盛れるとは到底思えない。一体どんな写真を撮っているのだろう。気になって、ふよふよとスマホの画面をのぞき込む。

「あっ」

 小さな声が、やたら耳に強く響いた。

 声の方を見る。

 早蕨つばめが立っていた。

 目が、合った。

 それはもう、しっかりと。

「どした、つばめちゃん?」

「もしかして今、なんか見えてる?」

 自撮りしていた女子たちが、わっと早蕨つばめに駆け寄る。

「ううん、なんにも。ちょっと転びそうになって声がでちゃっただけ。……でも一応、こういうところで自撮りとかはしない方がいいかも」

「そう? まあ、つばめちゃんが言うならやめておこっか」

 彼女らが素直にスマホをしまうのを見届けて、早蕨つばめはそそくさとその場を立ち去ろうとする。

 いやいや、ちょっと待て。

「早蕨さん」

 私が声をかけても、彼女は足を止めない。

「ねえ、早蕨さんってば」

 霞のように頼りない身体を全力で移動させ、彼女の前に滑り込む。

「早蕨さん、私のこと見えてるよね?」

 彼女は悔しそうに顔を歪める。

 ぎぎぎと軋む音が聞こえそうなほどぎこちなく一度、頷いた。

「うわっ、本当に?」

「質問しておいて、その反応って失礼だよ」

 早蕨つばめは周囲を気にしながら、小さく抗議してくる。

「言っておくけど、私は何もしてあげられないよ。ただ〝見える〟だけだから」

 冷ややかに言いきる。

 意外とはっきりものを言うんだな、と思う。直接話したことがないから、知らなかった。

「何かしてほしいなんて思ってないよ。でも、少しだけ話せない?」

「……しょうがないなぁ。でも、どこで?」

「早蕨さんの家でもいい?」

「急に図々しくない?」

「だって、親が悲しんでるとこ見るの結構しんどくてさ」

「……すんごい断りづらいこと言うね。しょうがないなぁ」

 早蕨さんは深々とため息をついて歩きだす。

 家に行っていい?――なんて。私、幽霊になってからずいぶん大胆になったみたいだ。


 早蕨家は、通夜会場からバスで15分ほどの距離にあった。

 青い屋根とクリーム色の壁。小さな庭にはよく手入れされた花が咲いている。早蕨つばめが住む家のイメージそのままの可憐な家だった。

 早蕨つばめが家族と夕食をとっている間、私は彼女の自室をうろうろしていた。

 まさか死んでからこんな機会が訪れるとは思わなかった。

 勉強机や本棚をじっくり眺める。特に変な本はない。「魔界大全」とか「ネクロノミコン」とか怪し気な本がたくさんあるのかと思っていたけれど、意外と普通だ。参考書とファッション雑誌ばっかり。

 ベッドの下には何かあったりして。

 幽霊なのでどんなに狭い隙間だって関係ない。床すれすれまで近づいて、ベッドの影を覗き込む。

「ちょっと、何してるの?」

 呆れた声が頭上から降ってきた。

「松原さんって意外と変な人だったんだね」

「意外とって?」

「すごく真面目な人だと思ってたんだもん。それがまさか、人の家に来たとたんベッドの下をのぞくようなタイプだったなんてね」

 弁解の余地もない。

「……真面目だと思ってたの、私のこと」

「うん」

「私のこと、知ってたんだ」

「何言ってるの? 私たち、小学校でも何回か同じクラスになったじゃない」

「や、それはそうだけど……早蕨さんは別世界の人だし」

「なにそれ。幽霊が見えるだけで別世界の住民なわけないでしょ」

 そういう意味じゃない。

 早蕨さんは美少女で、人気者で、大人からもクラスメイトたちからも一目置かれていて。

 私とは、全然違う。

「それで、話したいことって何?」

 早蕨さんは勉強机に腰を下ろして、ため息まじりに言った。

「えっ」

「まさか話は口実で、ベッドの下をのぞきに来たわけじゃないよね?」

 じとーっとした目にたじろぐ。美少女の目には迫力がある。

 早蕨つばめを前にして、舞い上がっていたのは事実だ。本当に幽霊が見えるのかと驚いたし、今まで疑っていたことがちょっと後ろめたかった。だからといって、彼女と何か話したいことがあるかというとあまり思いつかない。

 いや、待って。そういえば。

「成仏の仕方がよく分からないんだけど、どうすればいい?」

「そんなの知らないよ。言ったでしょ、私は〝見える〟だけ。なんにもしてあげられないの」

「それ見えてる意味あるの?」

「ないよ。でも、物心ついた時からこうなんだもん。仕方ないでしょ」

 早蕨さんはぷくっと頬を膨らませる。

「マンガとか映画だと、未練があるから成仏できないっていうけど……松原さん、心当たりある?」

「未練ねぇ……」

 そう言われても、強い未練なんて思い浮かばない。

 欲しい文房具はあったし、どうせならお年玉貯金もぱーっと使いたかったけど成仏できないほどの未練っていうわけじゃない。

「そういえば、死ぬ直前に……」

「うん」

「……やっぱ言わない」

「え、なんで?」

「だって、恥ずかしいし……」

「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ」

「それはそうなんだけど……」

 早蕨つばめって、結構さばさばした性格なんだ。小動物的な容姿とのギャップが大きい。

「ほら、話して。私しか聞いてないんだから」

「秘密にしてくれる?」

「うん」

 真剣な顔で頷く。ここは彼女を信じるしかなさそうだ。

「私、死ぬ直前に西野先輩と話したんだ」

「西野先輩って、サッカー部の?」

「そう。それで結構ときめいちゃって、好きかもって……」

「考えてたら、轢かれちゃったの?」

「うん……」

「何それ! 理由可愛すぎない!?」

「えっ、そうかな……?」

 予想外の反応だった。絶対馬鹿にされると思ったのに。

「西野先輩、罪作りだね」

「だよね。私もそう思う」

「じゃあ、西野先輩への告白が未練なのかな?」

「そこまで好きになってないよ。自分の気持ちを確かめる前に死んじゃったから……」

「じゃあ、本当に西野先輩を好きになったのか知りたいとか?」

「うん。そうかも」

「それなら、明日学校に行って西野先輩に会ってみよう。そしたら分かるよ」

「……明日も付き合ってくれる?」

「いいよ。乗りかかった船だもん」

 胸がドキドキしていた。

 西野先輩に会うからじゃない。

 生まれて初めて恋の話をしたからだ。

 それも、あの早蕨つばめと。


3.

 翌朝、死んでから初めて学校に行った。

 自分の席はまだあった。菊の花が供えられている。

 その席に座ってぼんやりと授業を聞いた。ノートを取らなくていいし、当てられる心配もない。クラスメイトたちをじろじろ観察しても怒られない。つい早蕨つばめを観察していたら、目で怒られてしまった。

 休み時間には早蕨つばめの机の周りに集まる男女に混ざった。

 彼らは相変わらずくだらない話をしていた。

 一応、早蕨つばめが西野先輩についてさりげなく調査してくれた。

 彼には今のところ恋人はいないらしい。いたら絶対噂になるから、というのがその情報の根拠らしかった。

「まさかつばめ、西野先輩が気になるの?」

「違うよ。ただほら、うちの学校の有名人だから」

「校内の有名人ならつばめちゃんだってそうじゃん」

 男女グループがどっと沸く。笑いどころがよく分からなくて困っていると、早蕨つばめがチラッと目配せしてきた。

 彼女も困り顔をしている。どちらからともなく苦笑いした。

 秘密を共有しているのが、なんだか楽しい。

 死んでからの方が楽しいなんて、おかしいだろうか?


 放課後、早蕨つばめと一緒にグランドへ行った。

 もちろん西野先輩を観察するためだ。

「結構見物人がいるんだね」と私が気おくれしても、早蕨つばめはずんずん歩いていく。「今日は部内対抗試合があるんだって」なんて言いながら。

 サッカー部から少し離れた場所に、ずらりと横一列に並んでいる女子の集団があった。早蕨つばめと一緒にその列に紛れて立つ。3年生から1年生まで、みんな一様に西野先輩を目で追っていた。

 ホイッスルが鳴って、試合が始まる。

 女子たちは西野先輩の一挙一動にいちいち盛大な感性をあげた。

 サッカーのルールは知らないけれど、西野先輩が活躍しているのはよく分かる。一番ボールに触っていて、一番ゴールを決めているからだ。

「どう? かっこいい?」

 早蕨つばめが小さな声で訊ねてくる。

「分かんない。スポーツができたらかっこいいっていう価値観、私にはないから」

「うそでしょ。じゃあなんで好きかもって思ったの?」

「……だって、男の人に頭撫でられたの初めてだったし」」

「ちょろすぎるよ、松尾さん。もっと相手をよく見なきゃ」

「だから観察しに来てるんでしょ! 本当に好きかどうか確かめるために」

 言い合っているうちに試合が終わった。どうやら西野先輩のチームが勝ったようだ。周りの女子たちの悲鳴のような歓声が空に響きわたる。

 対戦チーム同士でお辞儀し合ったあと、西野先輩がこちらに駆けてきた。二、三人のチームメイトがまとわりつき、先輩をからかっている。

「みんな、応援ありがとう」

 先輩は爽やかな笑顔を女子たちに向ける。

 たったそれだけで、女子たちが蕩けたため息を漏らした。

 先輩を取り巻いているサッカー部の人たちは「こいつぅ」なんて口々に言って先輩の人気ぶりをからかっている。

「あれ? 君は……」

 先輩はふと、早蕨つばめに目を向けた。

「応援に来てくれたの、初めてのはずだよね? でも俺、君を知ってる気がする」

 ベタなナンパみたいなことを言いつつ首を傾げる西野先輩。

「あぁ、思い出した。君が入学してきたとき結構噂になってたんだよ。霊感美少女ってさ」

 西野先輩が美少女なんて言ったから、大変な騒ぎになった。周りの女の子たちが一斉に刺すような目を早蕨つばめに向ける。

「霊感なんてキャラ作りに決まってるよ、西野くん」

「中学校でも不思議ちゃん続けてるとかキモくない?」

「変なこと言って目立とうとするの痛いって」

 女子たちに便乗して、西野先輩やチームメイトたちもニヤニヤ笑い出す。からかうのを楽しんでいる顔だ。

 好奇心と好意。かわいい女の子をちょっといじめて、反応を見てやろうとする嫌な下心。

 ばかばかしくて最低だ。

「早蕨さんの霊感は本物だ! キモくて痛いのはアンタたちのほうだろ!」

 気付けば叫んでいた。肉体なんてもうないのに、全身がぞわぞわ総毛立つ感覚。

「すみません、お邪魔しました。人だかりが気になって、ちょっと寄っただけなんです」

 早蕨つばめはにっこり笑ってお辞儀して、その場を立ち去る。

 私は怒気を慌てて引っ込め、彼女の後を追った。


4.

 教室には誰もいなかった。

 もうすでに日が傾き始めて、夕焼けが机や黒板をオレンジ色に染めている。

「西野先輩のこと、好きかどうか分かった?」

 今まで黙っていた早蕨つばめが口を開いた。

「好きじゃないって分かった。あんな幼稚なやつ、最低だよ」

 吐き捨てるように言うと、早蕨つばめがぷっと噴き出す。

「何?」

「松原さんだって、私のこと信じてなかったでしょ? だからあんな風に怒ってくれるの、意外だったの」

「な、なんでそんな」

 幽霊なのに、胃がぎゅうっと痛んだ気がした。

 声が震えている。

 死ぬまで知らなかった。私、嘘がすごく下手だ。

「だって松原さん、いつも私のこと睨んでたでしょ。お前の嘘なんかに騙されないぞ、私は絶対見破ってやるぞって、顔に書いてあったもん」

 早蕨つばめはなんでもないことのように言う。

 そんな視線には慣れっこだって、私をフォローするように。

 その優しさが痛い。

 肉体なんてもうないのに、痛い。

「それにしても、松原さんが成仏できない理由は西野先輩じゃなかったみたいだね」

「えっ?」

「だってそうでしょ? 西野先輩を本当に好きになったのか分からないまま死んだのが未練だって言ってたじゃない。また他の作戦を考えないとね」

 早蕨つばめは鞄に教科書は筆箱を詰め終え、席を立とうとする。

「それじゃあ、帰ろっか」

「ちょっと待って」

「えっ?」

「もう少しだけ、ここで話さない?」

「家の方が、人に見られる危険が無くていいと思うんだけど……」

 渋る早蕨つばめの眼前に両手を合わせる。

「お願いお願い。ね、だめ?」

 必死な私を見て、彼女は困ったように笑った。

「しょうがないなぁ」

「ありがとう!」

 私は彼女の目の前の席に座った。といっても、実際に座れるわけがないから座るフリだけど。

「やっぱり教室が名残惜しい?」

「ううん、全然」

「じゃあなんでここで話したいなんて言ったの……」

 自分でも彼女を引き留めた理由が分からなかった。

 私が早蕨つばめの霊感を信じていないことがバレていたのはかなり堪えた。

 正直気まずいし、生前の私なら、間違いなくこの場から逃げいていたはずなのに。


 ポツ、と音がした。

 小さな音はどんどん増え、やがて外を薄い銀糸で覆っていく。

 窓外に雨が降っていた。

 さっきまで快晴だったのに。

 まるで一瞬にして世界が変わってしまったかのように、窓の外は雨の夜空に変わっていた。

 空模様が変わるほど話し込んだだろうかと時計を見れば、ぴったり4時44分。

「これって、まさか……」

 生きている時に聞いた話が蘇る。

――4時44分になると晴れの日でも雨音が聞こえてきて怨霊が現れるって。

「あぁ、もうこんな時間か」

 早蕨つばめはぽつりと言った。

 霊のこっちが戸惑うくらい、平然としている。

「昨日、私は〝見る〟ことしかできないって言ったでしょ? 幽霊を成仏させることも、除霊することもできないし……人間が好き勝手に流す噂を、訂正することもできない」

 早蕨つばめは自嘲気味に笑った。

「雨の幽霊は、たぶん怨霊じゃないよ。時々、この町に降った時のことを思い出すみたいに、優しく雨音を鳴らすだけ」

「……それならどうして、怨霊なんて噂になったの?」

「分からないけど……もしかしたら作り話が大勢の生徒に語り継がれたおかげで、雨の幽霊が生まれたのかも」

 雨はしとしと降り続ける。

 静かで穏やかな時間が流れている。

 こんな体験ができるなら霊感があるのも悪くなさそうだ、なんて思う。

「私、この雨の音が好きなんだ。他の人には〝見え〟ないから、誰にも言ったことがないけど」

 早蕨つばめはそう言って、少し気恥ずかしそうに笑った。

「一緒にこの音を聴いてくれる人がいて、嬉しい」

 胸がいっぱいになる。

 半透明の頼りない身体が、じんわりと温かくなる。

「うん。私も、早蕨さんと一緒に聴けて嬉しい」

 目頭が熱い。

 おかしい。

 私は死んでて、幽霊で、涙なんて出るはずないのに。

「ごめんね」

 気付けば私はそう言っていた。

「どうしたの、急に?」

「急じゃないよ。私……本当はずっと、謝りたかったんだ」

「謝ることなんて……」

「あるよ。だって私はずっと、早蕨さんの霊感を信じてなかった」

「信じてない人なんて、いくらでもいるよ」

 彼女は苦笑した。

 今日一日側にいて分かった。

 私はずっと、私だけが早蕨つばめの霊感を信じていない〝まとも〟な人間だと思っていた。

 でも違ったんだ。

 本当は、早蕨つばめの話を面白半分に聞いている人の方が多い。彼女をからかったり馬鹿にするために、大げさに信じるふりをする人だっている。

 サッカー部での出来事で、それを思い知った。

 私はなんて視野が狭かったんだろう。

 教室の隅で、一歩離れた場所から全体を俯瞰して見ている気になって。

 死んで初めて、周りをちゃんとみれるようになるなんて大馬鹿だ。

「私の日常がつまらないのも、私が教室の片隅にいなきゃいけないのも、みんな霊感少女をちやほやするせいだって思ってた。可愛いからって、その子の言うことなんでも信じる周りはバカだって、ずっと思ってた。バカを取り巻きにしている早蕨さんは詐欺師だとさえ思ってた」

「そこまで思われてたのはさすがに知らなかったな」

「ご、ごめん……」

「いいよ。はっきり言ってもらった方がすっきりするもん」

 早蕨さんは意外と強い。

 美少女で、小動物で、ちやほや守られている女の子だと思っていたのに。

 早蕨さんは私の言動をいちいち意外だって言うけど、彼女だってたいがいだ。私のイメージからことごとく外れていく。

 でもそれが、嫌じゃない。

 それどころか、ますます惹かれていく。

「私はずっと早蕨さんを妬んでた。嘘で人を惹きつける早蕨さんのせいで、〝まとも〟な私は教室の片隅でじっとしてなきゃいけないって思ってた。私の毎日がつまらないのは私の問題で、早蕨さんには何の関係もないことだったのに」

 私は窓の外を見た。

 雨が静かに降り続けている。

 まるで私たちを守ってくれるような雨だ。

「早蕨さんが見ている世界は、こういう世界だったんだね。死ぬ前に、それが知れてよかった。早蕨さんはずっと本当のことを言っていたんだって、分かって良かった」

 彼女を教室に引き留めた理由が分かった。

 心の奥底では、本当の未練がなんなのか分かっていたからだ。

 私はずっと、こんな放課後を過ごしてみたかった。

 他の誰でもない、早蕨つばめと。

「最後に一緒の世界が見れて良かった。ありがとう、早蕨さん」

 彼女は眩しいものを見る目で私を見た。

「名前で呼んでいいよ」

「えっ?」

「家にお泊りして、恋バナして、一日一緒にいたんだもん。もう私たち、友だちでしょ。私も名前で呼ぶから。ね、都由」

「……つ、つばめ……?」

「ふふ。なんだか照れるね」

「うん」

「本当は私もね、都由にずっと言いたいことがあったんだ」

「……いちいち睨むな、とか?」

「違うよぉ」

 つばめはけらけら笑った。

「都由って小学生の時からいつも可愛い文房具使ってたでしょ。どこで買ったか、聞いてみたかったの」

「それなら、おすすめのお店がいっぱいあるから案内を――って、どうして未練が増えるようなこと言うの」

「だって、せっかく友達になれたんだもん。もう少し話していたいじゃない」

「……そうだね」

 優しい雨は少しずつ弱まってきている。

 ゆるやかに動いていた秒針が、少しずつ頂点に近づきつつあった。

 もうすぐ4時45分。

 雨が上がるまで、あと少し。

 私たちは、時計を見て見ぬふりをして。

 今まで話せなかったことをめいっぱい話して、笑い合った。


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