第8話への応援コメント
応援コメントをメモに下書きしてから送っています。下手なことを書くと傷つけそうだし。そうでなくても僕は人の痛みに鈍感なので。
大切な人を次々に亡くされている、蜜柑桜さんに感じる影はそういうところにあったのかなーと。
ただ、まぁ、残された人間は生きていくしかありません。どんなに苦しくても時間は待ってくれませんしね。でも傷を癒すのも同様に時間なわけで、時間くんはそんなに悪い奴でもないです。
おそらく蜜柑桜さん自身は、これだけ大事な人を亡くした悲しみと、この思い出を失くしたくない気持ちとから否定なさるかなとは思うのですが、この傷もいつか癒えます。一区切りつく。それは五年後か十年後かもしれないし、明日か、もうすぐそこまで来ている来年かもしれない。
あれこれ書いて何が言いたいか分からなくなりそうだな。傷つけるかもしれませんが本題を言いましょう。
執着しているように見えます。多分、蜜柑桜さんが抱えている苦しみもそこから来ているように見えます。
執着はその気持ちに縋り付いているようにも見えるし、過程に対する結果を求めているからのようにも見えるし、あの時できなかったことへの後悔を自傷気味にじっと眺めているようにも見える。
まぁ、僕はカウンセラーにはならない選択をしたので人の気持ちなんか分かりませんが、傍から観測している蜜柑桜さんの印象は知り合った時から「仄暗いな」です。今日このエッセイを読んで「やっぱりな」と思いました。
この「やっぱりな」はニュアンス的には「僕と同類か」です。僕も高校時代に大切な家族を亡くしている。
ただ、まぁ、そんな僕も今ではだいぶ馬鹿になれました。悲しみなんて忘れたし、忘れたけれど、死んだ家族の想いや気持ちはずっと胸にある。「ああいう風になりたい」と思ってその家族のことを思い出せる。
繰り返しますが、残された人間は生きていくしかないです。時間は待ってくれない。でも時間が癒してくれる。
これも本題。時の流れに任せて執着を捨てるか、それでも流れに逆らって執着を通す覚悟を決めるか、どちらかした方がいいと思います。
僕の経験上、捨てた方が楽です。自由です。何かを失った? 得たものもあります。ただ、まぁ、根無草ですがね。
通すのは、死ぬまで通し抜いたら気持ちいいでしょうね。死ぬ瞬間のその報酬を当てに貫き通すのもありです。自分の芯もしっかり持てる。
捨てる側をやった人間なので、少しコツをお教えすると、完全に捨て切らないことです。悲しみや、気持ち、想いを心の小さな箱に入れて、小ささ故に日常的に存在は忘れるけども、たまに思い出して箱を開けて。全部捨てると片腕失くした気分になりますからね。まぁ、そういう気持ちを固めて捨てている人も見かけますが。
結果だけを見ない方が、求めない方がいいと思います。「父の最期に尽力できなかった」という結果よりも「父のように人に尽くそう」と思えれば(あるいは他の何かしらで父の生きた痕跡を残せれば)蜜柑桜さんも多少人生が楽になるのかな、なんて思いました。
まぁ、「父の痕跡」なんてのは子供がただ生きてりゃ残りますからそんなに気負わなくてもいいのですけれどね。僕は「父の痕跡」を選択的に消したい人間だから自分を刈り込まないといけない。これが辛い。
ま、僕のことはさておき。
蜜柑桜さんは頑固そうなので(というと逆張りしますか?)、多分執着を、結果を求めることを貫き通すのかなぁ、なんて、僕は予想します。大した付き合いもなかったのですけれど。茨の道ですね。頑張って。
これだけの告白、大変だったと思います。結果として、これを読んだ僕は今みたいな余計なお世話を焼きたくなりましたし、そういう意味では「結果」はあったのかなと思います。
あなたのお父さんの痕跡が僕の中にも残った。それだけでも、書いて良かったエッセイなのではないでしょうか。
末筆ですが、亡くなられた皆様のご冥福を。
そして蜜柑桜さんの魂が何かしらの束縛から(この束縛は誰にもありますけどね)救われることを。
作者からの返信
飯田太朗さま
とても真摯で心のこもったコメントをありがとうございます。
まず初めに、飯田さんの文の中で私が憤慨したり気を悪くした点は皆無であり、全体を噛み締めて読みました。
ありがとうございます。
そして飯田さんもご家族を亡くされたとのこと、言葉にするのは難しい想いをされたと拝察します。故人にも飯田さんにも、安寧を祈ります。
私がすでにここに書けた時点でだいぶ癒やされている状況だと思います。前は無理でした。まだ自分に対して怒りは完全に消えてないです。しかし渡航したおかげで代え難いものを得たのは確かであり、それを無為にしては本当に駄目だと思っています。
執着、その通りかもしれません。未練というより、それで戒めているのかな。それによって過去の自分の償いとしたいのかもわかりません。でもそれは自己本位で父の本意ではない気もします。
私もぐちゃぐちゃ上手い言葉が選べないので、迂闊な返答になっていたらすみません。しかし飯田さんは普段から、とても人のことを慮る方だと思っていますので、冒頭のようにお気遣いいただき心から恐縮致します。
そしていただいたコメントで、私が息をつけているのも本当です。
何だかうまく言えなくて、でも感謝を伝えたくて書いています。ありがとうございます。
第8話への応援コメント
たまに、本当にごくごくまれに蜜柑さんに対して同族嫌悪的な気持ちになることがあって、なんでだろうと長年不思議だったんですが、このエッセイを拝読してなんとなくわかったような気がします。
確かに思うこともいいたいこともありますけれど、それはわたしのいいたいことであって、現在の蜜柑さんには毒になってしまうかもしれないとも思うので、とりあえずそれは横に置いておきます。
ただ、いつか蜜柑さんがご自身を心からゆるしたいと思えるようになったとき、なにかしらお力になれたらいいなと思っています。どうぞ、ご自愛くださいね。
作者からの返信
野森ちえこさま
コメントしにくいだろうなぁというものにコメントをありがとうございます。読者様には昔の私だけでなく今の私も呆れられるだろうと思います。
自分の中には責める思いと許されたい思いが共在していると感じます。責めることで許されたいという甘えがあるとも。
不快にさせたらごめんなさい。
読んでいただき、星もコメントも、ありがとうございました。