ユキ

沼神英司

ユキ(全話)


俺の名は三太。

兄弟がいる訳でもないのに、名に三が付いているのは納得いかない。

どうせ数字を付けるなら、三じゃなくて一にして欲しかった。

まあ、一太より三太の方が言いやすいのは確かだがな。

生まれたばかりの俺を見て、なんとなく、

おふくろが三ちゃんと口走ったのが、そのまま名前になっちまった。

三太って言ったら、その頃、近所にあった

トンカツ屋の名前じゃねえか。

俺を産む時、つわりが酷くて、おふくろは

レモンだけ口にして俺を捻り出した。

産んだ後の開放感で、まず、おふくろの頭に

飛び込んで来たのが、脂っこいトンカツで、

近所のトンカツ屋の名が思わず出ちまったんだろ。


可愛い名前でしょ。


ガキの頃、何かにつけて、おふくろが俺に言ったもんだ。


トンカツ屋の倅でもねえのに同じ名前だなんて、この名前のせいで俺は散々いじめられた。

トンカツ屋は繁盛していたが、そこの親父が

女好きで、しょっちゅうトラブルを起こしていやがった。

だから、おふくろがトンカツ屋の女で、俺が隠し子だって言うんだ。

大人からガキまで、そんな根も葉もない噂を信じ切った目で俺を見る。

それに加えて、トンカツ屋の倅が俺と同い年ってのもいけなかった。

名前は忘れちまったがギューちゃんとか言われてたかな。

メガトン級のデブで、豚を二足歩行させたようなやつだ。

トンカツ屋の倅で、仕入れたばかりの大豚みたいなガキが、ギュー(牛)ちゃんとは笑える。

こいつが二匹の手下を使って俺をいじめるんだ。

手下の事なんて覚えちゃいないが、トンカツ屋を真逆にしたノッポとチビだったかな。

こいつらのやる事なす事陰険で、俺の物を

隠したり、机や椅子に落書きしたり、

気に食わなきゃ直接喧嘩を売りゃあいいのに、遠巻きに嫌がらせして楽しんでいやがる。

俺もひねたガキだったから、こんな豚どもに何されたって気にしやしない。

三匹の蝿がブンブン鬱陶しかっただけさ。


ある日、誰だったかの筆箱がなくなって大騒ぎになった。

やった奴は明白だ。

トンカツ屋と二匹の手下に決まってる。

それが奴ら、事もあろうに、この俺様を犯人に仕立て上げやがった。

筆箱隠された子は大泣きしてるし、他の子も

トンカツ屋の口車に乗って俺を色眼鏡で見やがる。

これには参ったね。

誰もが何となくトンカツ屋の仕業だって、薄々気づいていたはずだ。

おまけに先公まで「隠した物を出しなさい」だってよ。


めちゃくちゃ腹が立った。


薄ら笑い浮かべてるトンカツ屋のバカ三匹

より、何でもいいから犯人を仕立て上げたいと思ってるガキどもより、ろくに話も聞かないで証拠もないのに俺を泥棒って決めつけた先公にだ。

俺は買ってもらったばかりの彫刻刀セットから一本抜いて、先公に突っかかった。

本気で殺してやろうと思ったさ。

殺せないなら、何も見えてない両目をグチャグチャに潰してやろうと思った。


…けど、ガキにかなう訳がない。

こっちの目がまともに開かなくなるまで、

グーで無茶苦茶ブン殴られた。

理由はどうあれ、今だったらこんな先公、

間違いなくクビだろうよ。

そん時は、言う事聞かない子供を殴る蹴るは当たり前。

当時の学校は教育って葵の御紋を盾に、

ガキどころか親まで先公にひれ伏していたんだ。

何十年か前に、中学の卒業と同時に気に食わない先公を半殺しにする御礼参りってのが流行ったけど、自業自得って訳さ。

自分のして来た教育の結果なんだから、

半殺しにされるのを甘んじて受けるってのが教育者の筋ってもんだろ。


「どうもすみませんでした。」


おふくろが言った。

おふくろは泣いていた。

言いながら、俺の頭を押して無理に下げさせた。

顔が倍になる程、俺をブン殴った先公相手に母子そろって頭を下げたんだ。


なんで謝る。

何に謝る。

やってもいない盗みを認めるって事か…?

単に大人で教師だってだけで、無実の俺を泥棒に仕立て上げた挙句、ボコボコに俺を殴り倒したこの人でなしに詫びろって事なのか…?


悔しくて悔しくて悲しかったけど、おふくろがめちゃ泣いていたんで我慢した。


筆箱は、その日の内に出て来たよ。

彫刻刀で先公に突っかかった俺を見て、

トンカツ屋の奴ビビったんだろう。

殴られた顔は何日も腫れが引かず、

俺を泥棒に仕立て上げ、おふくろを泣かせた先公を腫れ上がった目蓋の奥から睨みつけてやると「何か文句があんのか」と俺の髪を鷲掴みにして奴が言いやがった。

だから言ってやったんだ。


「いつまでも俺がガキでいると思うなよ。

忘れないからな。

彫刻刀どころか、もっと確実な得物でテメエを必ず仕留めてやる。」


本気で殺そうと思った。

子供でも四六時中殺気を漂わせているのは怖いものなんだろう。

先公は俺と目を合わさなくなった。

トンカツ屋達は嫌がらせをやめた。

他のガキどもも、極力俺に関わるのを避けた。


ただ、納得がいかないのはおふくろだ。


息子を信じられなかったのか?

仮に俺がやったとしても子供のいたずらだ。

学校の中じゃ先公が絶対の時代であったとしても、大人が子供相手に目が腫れ上がるほど

殴りゃあ、さすがにタダで済む訳がない。

警察に行ってやると何故言ってくれなかったのだろう。

俺は何となく、おふくろが聞かれたくないだろう事を口にした。


「父さんは?」


おふくろは何も答えずに悲しそうに笑って、

俺の手に何か握らせた。

それは陶器製の安っぽい笛だった。

これには見覚えがある。

いつかのお祭りに行った折、夜店で見つけて散々駄々をこねたが、買ってもらえず仕舞いだった物だ。

俺はこの時、初めて諦めるってのを覚えたんだ。


「吹いてごらん。」


おふくろが言った。

おふくろは俺に内緒で買っていてくれていた。

今になるまでなぜ、与えてくれなかったのかはわからない。

今はもう、こんな物に興味はない。

俺は力一杯息を吹き込んだ。


ピーロロロロロッピー、ピーロロロロロッピー。


どんなに力一杯吹いても同じ音で笛は鳴く。


ピーロロロロロッピー、ピーロロロロロッピー。


悲しい音だ。

おふくろはもういない。

あれだけ殺そうとしていた先公の顔が思い出せない。

俺と同じ名前のトンカツ屋はまだあるのだろうか。

案外、大豚のギュー(牛)が後を継いで上手くやってるのかも知れない。


ピーロロロロロッピー、ピーロロロロロッピー。


俺はだいぶ歳を取り過ぎた。

昔を思い出して独り言を言うようになっちゃ、お仕舞いだ。

今夜も寒い。

懐も木枯が吹いていやがる。


仕事に出張るとするか。


ピーロロロロロッピー


壊れちまって、もう音なんか出やしない。

けど、笛は肌身離さず持っている。

内ポケットとか、なるべく心臓に近い所に納めるようにしてるんだ。


ピーロロロロロッピー、ピーロロロロロッピー。


寒さに抗いながら仕事場に向かっていると

悲しい音がする。

風の音だった。



今夜は月がない。

ツイテル。

最高の夜だ。

俺は夜に愛されている。

予め狙いをつけていた家の前に立って俺は手を合わせる。


「いただきます。」


今夜の獲物は大きい。

やたらデカイ家だが、ここ何日も人が居ないって事は折り紙つきだ。



俺にはもう一つ名前がある。

人生の大部分はこっちの名だ。

かと言って、呼ばれて返事をした事はないがね。


"煙"


誰がつけたか知らないが、同業者や警察の中じゃ名前だけが独り歩きしてやがる。

自慢じゃないが、今の今まで警察に捕まるようなヘマはしちゃいない。


そう、俺の仕事は泥棒さ。

泥棒呼ばわりされて人殺しまでしようとしたガキが今じゃ立派な泥棒様よ。

笑えるだろ。

もう何十年も人様の金や金目の物を奪って生きて来たんだ。

還暦過ぎたジジイだけど、一度もまともに働いた事がない。

それが自慢ちゃあ自慢かな。

泥棒が悪い事だってのは勿論知ってる。

けど、捕まった事なんてないし"煙"なんて

言われてんだから仕事って言っても構わないだろ。

近頃じゃ素人が荒っぽい仕事をして世間を賑わしてるようだがプロはそんな仕事はしない。

プロは取っても取られた奴に、

どれだけ長く取られた事を自覚させないかが腕の見せ所なんだ。

取られた事に気づかなきゃそれも良し。

取り過ぎちゃいけない。

セコイ商売だなんて言いたい奴がいりゃあ

言わせて置きゃあいい。

子供が親の財布から小遣をくすねるくらいでいいのさ。



久しぶりの大仕事に震える。

寒さってのもあるが武者震いだ。

どんな家だって俺様の手に掛かりゃ潜り込むなんざ訳ないぜ。

油断は禁物。

こう言うデカイ家は潜入するよりお宝のありかを探す方が骨が折れるんだ。

まあ、金目の物のありかなんて俺様に掛かりゃ朝飯前だがね。


潜り込んだ所には何もない。

家のデットスペースって所か。

こう言う所から入るのは潜入の基本だ。

慎重にドアを開ける。

長い廊下だ。

暗いせいで先が見えない。

廊下を挟んで部屋が向かい合わせに並んでいる。

デカイ家だと思ったが、ここまでデカイとは思わなかった。

人の気配はない。

手始めに近い部屋のドアを開けてみる。

六畳くらいの広さにベッドが一つと引き出しのついた木製のラックが一つ。

使っていた形跡はない。

引き出しを漁ってみたが案の定空っぽだ。

向かいの部屋に入ってみたが、まったく同じ。

他の部屋も片っ端から入ってみたが同じで、

物の位置がちょっと違うくらいだった。

馬鹿馬鹿しくなって部屋に入るのをやめる。


これじゃ病院だ。

豪勢な家だと思ってたのに、休業中の病院に入っちまったみてえだ。

ヤキが回ったな。

歳は取りたくないもんだ。


期待がデカかったのと、こんなヘマした事が

なかったもんだから、不貞腐れて廊下の床を蹴るように音を立て引き返した。


「あたしには、あげられる物はないよ。」


声がした。

女の声だ。

声は廊下の奥からだ。

警戒と緊張で息苦しくなる。


人がいるじゃねえか。

まったく、なんてツイてねえ夜だ。

泥棒働きを見られたとしたら泥棒"煙"の名が廃る。


廊下の奥を覗き込む。

嫌な薬品の臭いがして、一瞬だけ目の前が真っ白になった。

本当に一瞬だけなんだが、白い景色の中、

身体中管だらけで機械に取り囲まれたベッドに寝てる男だか女だかわからない枯木のような人の姿が見えた…気がした…

気がした…?

…いや…気がした…だけだ…


相手が誰であれ見られたとしたら逃げるに限る。

"煙"のようにね。

なのに、よせばいいのに声の主を確かめたくなっちまった。

俺の仕事を見たとして「あげれる物はないよ」とはどう言う意味だ。

人の物を掠め取ったとしても、恵んでもらった事などない。

俺は乞食じゃない。


長く続くと思った廊下は、すぐ突き当たりになってドアが見えた。

部屋がある。

いくら夜目が効くからと言って、窓のない廊下を簡単に移動できるもんじゃない。

突き当たりの部屋の前で派手にスッ転んじまった。


「早く連れてって、楽になりたいの。」


ドアは少しだけ開いていた。

声はここからだ。


「待ってたわ。はじめまして死神さん。

随分遅かったじゃない。」


覗き込んだ。

何も見えない。

入ろうとした。


「あなた誰⁉︎」


奥から声がした。

俺には何も見えやしないが声の主からは見えるらしい。


言わんこっちゃない、とっとと逃げ出しゃあよかったんだ。

見られたからには泥棒業の看板を下ろして仕事変えをするしかない。

投げやりになって言ってやった。


「俺は人様のお宝を奪っても命を奪った覚えはない。

誰だか知らねえが、俺を死神呼ばわりとはふざけた奴だ。

まだ何も取っちゃいないが通報したけりゃすればいい。」


こんな所に用はない。戻ろうとした。


「待って。」


部屋から声がした。


「謝るわ、泥棒さん。

話を聞いて。

お願い、お願いだから。」


女にお願いなんて言われちまったら、むげに出来ないだろ。

歳は取りたくないもんだ。

俺って、お人好しだったか…


「明日も来て。

来てくれるならお金を払うわ。

勘違いしないでね、これは仕事。

仕事の前払い。」


「通報しといて、ノコノコ来た所を御用って魂胆だろ。その手に乗るかよ。」


「そんな事しないわ。

だいたい、何も取ってないじゃない。」


「何で明日なんだ。

今だっていいじゃないか。」


「ダメ、明日。

明日来てくれたら、またお金払うから。」


「俺は泥棒しか、した事ねえんだ。

今さらバイトなんかできるかい。」


女が黙り込む。

けど、諦めた様子はない。


「弟子にして。」


「はあ〜?」


「あたし泥棒になりたいの。」


こいつ泥棒をなめてやがる。

だいたいツラも見せないで言いたい放題。

弟子になりたい奴の師匠に対する態度かい。

どんな奴か確かめてやる。

再び部屋に入ろうとした。


「ダメ。

カメラに映るわよ。

明日なら切っておくから。」


カメラと聞いて無視する訳にもいけない。

つんのめるように立ち止まった。


「泥棒さん、お腹すいているわよね。

こんな寒い夜に公園の水道でお腹一杯にするなんて、よした方がいいわ。」


こいつ見所がある。

瞬時に俺の考えを盗みやがった。


「明日来てくれたら、立派な泥棒になってみせるわ。

あなたから大事な物を一つ盗んであげる。」


「何か盗むって?俺様から?」


忍び込んでいるのも忘れて大声で笑った。


「やれるもんならやってみろ。

俺様から盗めたら、お前の欲しい物をくれてやる。」


笑いが止まらない。


「お金は払ったわよ。

ポケットを探ってみて。」


ジャンパーのポケットが膨れている。

探った。

紙の感触。

出した所で、この暗さじゃ見えない。


…いつの間に…


姿を見せず、こんな早業、熟練したスリだってできるもんじゃない。

それも泥棒になりたがっている素人の女にだ。


「お前は狸か?

それとも狐か?

外に出るとポッケの金が葉っぱに変わっちまって、この家も原っぱになっちまったりしてな。」


「あたしはこの病院の娘よ。

取られる才能だったら誰にも負けないわ。

与える事なんて朝飯前よ。」


「馬鹿馬鹿しい。

取られ上手が泥棒希望かい。

何言ってやがる。」


「明日待ってるわ、泥棒さん。」


「俺は月の出る夜は仕事しねえんだ。」


「前払いしたわよね、泥棒さん。

明日は雨よ、月は出ないわ。」


「ばっくれるかも知んねえぜ。」


「そんな事しないでしょ泥棒さん。」


「泥棒、泥棒、うるせえんだよ。

俺には三太って名があるんだ。」


「…サンタ…さん…」


勝手な想像なのかも知れねえが、見えない部屋の奥で幸せそうに微笑む女を見たような気がした。


相手が狸だろうが狐だろうが声だけのおかしな女だろうが、金さえ頂けりゃいつまでもこんな所にいる事はない。

俺は廊下を戻り始める。


「雨じゃなくて雪ならいいのに…

明日はクリスマスイブよ。

待ってるからね。サンタさん。」


戻る背中で女の声がした。



俺は三太であってサンタじゃない。


同じジジイでも、大きな袋を担いでプレゼントを配るジジイと、大きな袋一杯にお宝を詰め込んで担いで逃げるジジイとじゃ大違いだ。

もっとも、大きな袋をお宝で一杯にした事なんてないがね。

クリスマスなんてもんに浮かれる連中を見ると無性に仕事(泥棒)をしたくなる。

サンタ(三太)だからね。

それが、今年はアルバイトと来たもんだ。

ポッケの中身は葉っぱじゃなくて諭吉が何枚も入っていた。

シカトしちまおうかと思ったが、妙に気が引けちまった。月が出てりゃやめるつもりだったんだが、女の言う通り雨になっていやがる。

捕まる心配もあったが、人生、初のバイトをしに、ノコノコ出て来ちまったって訳だ。


あんなに今夜来いって言ってた割には、どこもかしこも鍵が掛かっていやがる。

昨日の今日だ、潜り込むのはわけはない。

難なく入り込んで廊下に出るドアに手を掛けた。


廊下に出た途端、トンデモなく夜目が効いて、昼間みてえに見えるようになった。

一体全体どう言う事だ。

猫になっちまったみてえだ。


「あ、サンタさんだ。」


パジャマ姿のちっこいガキが廊下を走って来やがる。


「お前、ひとりか?」


ガキに言った。


「そうだよ。」


何故か嬉しそうにガキが言う。


「メリークリスマス、サンタさん。」


俺は三太だ。

けど、こんなちっこいのにとっちゃどうでもいいんだろうよ。


「メリークリスマス。

…急いでた…もんだから…手ぶらで来ちまった。ゴメンな。」


サンタ(三太)には違いないが、俺は何を言ってやがる。

ガキは苦手だ。

特にちっこいガキは…

…まったく…泥棒泣かせだぜ…

…それにしても…昨日の女はどうしたんだ。

弟子になりたいなんて言って置きながら、イブの夜に子守しろってのか…


「部屋に行こうよ。」


ピンクのパジャマを着てるって事は女の子か?

ちっこいガキなんて、男か女かなんてわかりゃしねえ。

まあ、どっちでもいいがね。

ガキがちっこい手で、俺の小指を握るなりパタパタと駆け出した。


昨日入れなかった部屋に入る。

瞬間、誰かの視線を感じた。

伊達に泥棒稼業をしてる訳じゃない。

この手の嗅覚には長けている。

そうだ、カメラだ。


「カメラは切ってあるんだろうな。」


ガキあいてに狼狽えて、情けない声を上げちまった。


「カメラはね。

パパがあたしを見るのにあるんだよ。

切ってもらったから大丈夫。

他の機械も全部止めてもらったの。」


部屋は結構広くて、真ん中にベッドが一つ、それを大小得体の知れない機械が取り囲んでいる。

カメラは六つ天井につけてあるが、ガキの言う通り、どれもがベッドを向いている。

南側には大きな窓があって陽当たりは良さそうだ。

窓から外を覗くように、車椅子が置いてあるが、だいぶ使ってないのだろう。

かなり埃が積もっていた。


これを…見た覚えが…ある…気がした…


「お前、かなりヤバイ病気なんじゃないか?

こんな夜中に起きてて大丈夫なのか?」


「もういいの。イブだよ。

遊んでサンタさん。」


視線を感じる。

カメラなんかじゃない。

生身の人の視線だ。

見られてるってのは気分のいいもんじゃない。

…けど…

何となく…放っといてやろうって気になった。

視線からは、とことん底抜けに優しくて、とことん底抜けに悲しいのが伝わって来たからさ。


「追いかけっこしよう。」


ガキが部屋を飛び出した。


何をやらせるんだ俺は泥棒"煙"様だぞ。

金ももらっちまってるし、付き合うしかないか…

部屋を出た。


ガキは長い廊下を行ったり来たり、ちょこまかとすばしっこく動きやがる。

暗黙の了解で俺が鬼らしい。

ガキの遊びとは言え、かなり骨が折れる。

歳は取りたくねえもんだ。


息が上がっちまって苦しそうにしていると、ガキが近寄って来た。


「サンタさん大丈夫?」


すかさず、とっ捕まえた。


「どんなんでも、鬼に近寄るなんて、捕まえて下さいって言ってるようなもんだ。

追いかけっこしようって言ったのはお前の方だぜ。

お前が飽きるか俺が根をあげるまで逃げなきゃダメじゃねえか。

俺様はまだ参ったとは言ってねえぜ。」


息切らして、ガキ相手にムキになっちまった。

ガキはちょっと頬を膨らませながら、

俺の息が整うのを待っている。

そんなガキを眺めながら、違和感を感じた。


「…お前…デカくなってねえか?」


捕まえるのに夢中で気づかなかったが、

わずか数分の間で明らかに育ってやがる。

肩の位置、髪の長さ、ほんのり胸も膨れているような…

男か女かわからないようなチンチクリンのガキが、追いかけっこしているうちにガキはガキでも中学くらいまで育ってやがった。

不思議なのは、ガキの成長に合わせてパジャマも大きくなってるって事だ。

泥棒の俺様の目を盗んで着替えたか、誰かが着替えさせたか。


「お前、そんな格好で寒くないのか?」


暖房なんて入っていやしない。

俺は数日前に家賃払えず安アパートを追い出されたが、段ボール一枚でも寝れるようにとかなり着込んでいる。

雨のせいかも知れないが、そんな俺が根をあげる程、今夜は寒い。


「サンタさん逃げて、今度はあたしが鬼よ。」


昨日の声だ。

ガキはもう、女になっていた。

女からは寒さなんて伝わらない。


「年寄りを、また走らせるつもりかい?

泥棒になりたいんだろ。

弟子のくせに師匠に何をさせやがる。」


言いながら目のやり場に困った。

パジャマ姿の女なんて、いくらジジイの俺でも目の毒だ。


言われるがまま走った。

走ったが、すぐに息があがる。

泥棒だぜ。

捕まるのはしゃくだ。

向かい合ってる部屋の中から適当に選んで素早く入り込み、ドアを閉めた。


「これなら捕まえられないよな。」


「ズルイ。」


女が開けようとする。

いくらジジイの俺だって、女にこじ開けられる程、非力じゃない。


「ズルイもんかい。

かくれんぼじゃないんだぜ。

逃げきりゃあいいんだ。

警察でも捕まえられない筋金入りのこの泥棒様を、お前みたいな何でも持っていそうな病院の娘が捕まえられる訳ねえじゃねえか。」


女は開けるのを諦めた。


「取るって、どんな気持ち?」


ドア越しに女が言う。


「知らねえなあ。

盗みはするが、取った覚えはない。」


「同じじゃない。」


「同じなもんか、盗むってのは悟られずにやるもんだ。

取るってのは怒りや怨みを買う。

たまにしくじって、こんないらねえもんまで引き受けちまう時もあるがね。

お前、取られ上手って言ってたが、逆に聞きてえよ。

取られてどんな気持ちだ。」


「忘れたわ。

取られるものなんて、なくなっちゃったもの。」


「何処のどいつだい、お前から取って行くのは。

そうだ、お前が俺様から一つでも盗めたら、

お前が取られたもんを、そいつからブン取ってやるよ。」


女が笑った。

嬉しそうなんて一言で片付けるには勿体ないような声だ。

顔が見たくなってドアを開ける。

いなかった。

俺は奥の部屋に向かう。


女はいた。


埃だらけの車椅子に座って外を見ている。


「追いかけっこは?

鬼が飽きちまってどうする。」


女は俺の小指に細い小指を絡めて指切りする。


「あたしの勝ちね。

鬼に近寄っちゃダメじゃない。」


指切りを振って女が微笑む。


「捕まった訳じゃないぜ。

自首したんだ。」


女は外を見詰めている。


「サンタさん、雪にしてよ。」


外は雨が降っている。


「俺はサンタじゃなくて、三太だ。」


窓に息を吹きかけて、三太と書く。


「初めて見て、最後になっちゃったんだ…

触ってみたかったな。

雪…

サンタさんでもダメか…」


雪以外の天気を盗めってのか、いくらなんでも天気は変えれない。


「最初に取られたのはママ。

パパとママと三人で幼稚園に行くの楽しみにしてたんだけどママだけ車の下敷きになっちゃった。

次に取られたのは脚。

幼稚園に行けなくなっちゃった。

次は腕かな…

色々取られちゃって順番なんて忘れちゃったよ。

取られるたびに機械が増えていくの。

悲しいパパの顔と一緒に。

目を取られて見えなくなるちょっと前に雪が降ってね。

パパがベッドを窓に向けてくれたわ。

あれから何年経つんだろ。

今は声と口の動きしか残ってないの。

神様なんて意地悪ね。」


指切りを伝って女の思いが流れ込んで来る。

神様だか悪魔だか知らないが、

こいつを目の敵にしてるとしか思えない。

神様もイジメや嫌がらせが好きなんだ。


指が離れる。


「あたしも立派な泥棒ね。」


いつの間にか女は笛を持っていた。

おふくろからもらった壊れた笛だ。


「俺様から盗むなんて大した奴だ。

それはお前にくれてやる。」


「これは三太さんの思い出でしょ。

もらえないよ。」


「盗んだもんはお前のもんだ。

クソみてえな思い出だが、お前の記憶よりマシってもんだ。

いいから取っとけって。

音は出ないが吹いてみなよ。」


女は穏やかに笑うと、ちょっとだけ申し訳なさそうに笛をくわえる。


「約束だから、お前の取られたもんを取り返してやりたいが、いくら俺が泥棒でも相手が神様じゃ部が悪い。

ポンコツで、いつ消えちまってもおかしくないくたびれた命だが、欲しけりゃくれてやってもいいんだぜ。

今夜はクリスマスだ。」


女は鳴らない笛を何度も吹く。


「もう、もらったよ。

取るって事、教えてもらったもの。」


雨が降ってる。

俺は窓を開けて飛び出した。


「雪にしろ!雪にするんだ!

こいつから根こそぎ持って行ったんだから、

クリスマスくらい気の利いたプレゼントをくれたっていいじゃねえか!

雪にしろ!」


空に向かって叫んだ。

冷たい雨が俺を濡らす。


ピーロロロロロッピー


笛が鳴った。


驚いて部屋に戻る。

女はいない。

猫なみだった夜目が効かなくなり、目隠しされた見たいに何も見えなくなる。

闇が俺を黒く塗り潰して行く。

意識が絡め取られて行った。




「サンタさん、サンタさん。」


声がした。

男の声だ。

明るさで目がくらむ。

明かりが点いていた。

見知らぬ男が立っている。

俺より10くらい若いか…

男の眼差しには覚えがある。

とことん底抜けに優しくて、とことん底抜けに悲しい視線。


「娘は行ってしまいました。

少しづつ身体の機能が失って行く病気で、医者の私でも食い止める事が出来なかった。

真綿で締められるような毎日だったと思います。

最後に娘が言ったんです。

あしたのクリスマスイブにはサンタさんが来るから、これを渡してって。」


俺はゆっくり立ち上がる。

男は泣いていた。

差し出す男の手には鳴らない笛とクリスマスカードのつもりなのか、葉書くらいの紙が添えてあった。


それを受け取る。


紙には力ない細い線で、かろうじて"ありがとう"と読めた。

口は動くと言っていたから、ペンをくわえて時間をかけながら書いたのだろう。


「小さい時に発症してからずっと寝たままでした。

親の私でも見ていられないような姿になってしまって。

女の子ですよ。

見られるのが辛いだろうと思って病院を閉めました。

最後の娘の言葉を信じてよかった。

サンタさん、あなたは娘が育つ姿を見せてくれました。

最高のプレゼントです。」


外はまだ暗い。

雨は止んだようだ。


「こいつは、あんたが持っているべきだ。」


俺は紙切れを男に握らせると笛だけ持って窓から外に出た。

ジャンバーのポケットが膨れている。


「律儀な奴だ。

ちゃんと約束を守ってやがる。」


久しぶりに笛を吹いてみた。

鳴る訳がない。

そんな俺の周りを、よく見ないとわからないくらい小さな白い粒が、付かず離れず舞い始める。


雪だ。


神様ってのはとことん意地が悪いらしい。

どうせなら、あの女に見せてやりたかった。

雪は極端に粒が小さいからなのか、かざした手に乗った姿を決して見せない。

冷たさだけで手を濡らして行く。


「娘さんは、何て名だい。」


言いかけてやめる。


「メリークリスマス。」


男に叫ぶと、そのままその場を離れた。


雪。

あの女はユキだ。

ユキでいいじゃないか。

この雪は積もらないだろう。

だとしても、クリスマスに雪が降るなんてタイミングは、俺の生きているうちじゃ最初で最後になるはずだ。

俺は鳴らない笛を内ポケットに突っ込んだ。

心臓に近い所。


ピーロロロロロッピー、ピーロロロロロッピー、ピーロロロロロッピー


風が泣いてる。


"メリークリスマス、三太さん"


ユキに言われたような気がした。


イブを回って、街は赤や青や緑や金や銀の原色で浮かれている。

粒が小さ過ぎて今、雪が降っているなんて気づく奴はいないだろう。

俺も見失った。

なるべく黒い夜空を見上げてユキを探す。

朝になったら、一面白くなっているのを

思いながら。

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