第7話 思い違いの行方

 アルティミシアが目を覚ますと、やはり薄闇の部屋だった。

 天蓋付きの大きなベッドに横たわっていることも変わらない。

 今度はちゃんと、記憶の整理ができている。

 前世アトラスのことも、大丈夫。自分が自分アルティミシアだと今は認識できている。

 一度目覚めて、ソールに伝言をお願いした。そしてミハイルに促されるままにもう一度眠って、今だ。

 大丈夫。もう混乱はしていない。 

 頭の痛みも胸の痛みも、もう感じない。


 今度は部屋に誰もいなかったが、まるで見計らったかのようにノックの音がして、応えるとミハイルと黒髪の青年が入って来た。

 部屋の扉は少し開けられたまま。淑女対応ということだろう。

 公爵家だし、これからおかしなことをされるとしてもそれこそ今さらの話だが、それでもきちんと対応してもらえていることに安心する。

 黒髪の青年が窓際まで行ってカーテンを開けると、部屋に明るい光が入り込んだ。

「よかった。目が覚めていたようだね。気分は?」

 ミハイルがベッド脇に立ったまま言った。今度は椅子には座らないようだ。

「もう大丈夫です。見ず知らずの私にここまでしていただいて、お礼のしようもございません」

 アルティミシアが起き上がろうとするのを、ミハイルが「そのままで」と片手をかざして制した。

 仕草はゆっくりで、気遣いが感じられる。

 目が合った。でも、もう記憶の混濁は起きない。大丈夫。

 もう言葉では言ってしまったため、改めて感謝の気持ちを込めて微笑んで目礼すると、ミハイルは驚いたように目を見開いた。

 貴族同士は、親しくなければあまり目も合わせないし、感情のこもった表情を見せることもない。

 少しなれなれしすぎただろうか。田舎の伯爵家だから、失礼があってもお目こぼしいただきたい。

「そもそも連れてきたのはこっちだからね。回復してよかったよ。俺傷一つつけないって約束しちゃってたからさ」

 ミハイルに並んだ黒髪の青年がにっと人の好さそうな笑みを浮かべる。

 つられるようにして、アルティミシアも笑みを返した。

「倒れたのは私の事情です。お約束通り傷一つ、ついておりません。私はアルティミシア・ストラトスと申します。お仕事なので警備兵の方たちを責めることはできませんが、私を家出した子供だと信じて疑わず、まったく話が通じなかったので、困っておりました。助けていただき、ありがとうございました」

 ここは公爵邸で、この黒髪の青年はミハイルの隣にいるということはおそらく側近。だとすれば、もう今後会うこともない。ならばその前にお礼を。そう思って、名乗った。

 ミハイルが目を細めたような気がしたが、まばたき一つの間に元の穏やかな表情に戻っていたので、光の加減でそう見えただけかもしれない。

 黒髪の青年は仰々しく片手を胸に置いた。正式な、きれいな礼の形だった。

「ご丁寧にどうも。本当のお兄さんには俺からお嬢さんの無事を知らせておいた」

 その言い方に、アルティミシアは思わずのようにふふっと笑みをこぼした。この青年はアルティミシアを助けてくれた嘘の「兄さん」だ。

「重ねてありがとうございます。・・・兄はその、大丈夫でした?」

「うーん、まあ、何とか」

 黒髪の青年は苦笑した。やっぱり。アルティミシアも苦笑を返した。

 あの兄のことだ、大変に食い下がったことだろう。

「そういえば、私がここに来た理由というのは、結局何だったのでしょう? あの、あな・・たは」

「エレン。エレン・ウィーバー」

 黒髪の青年はアルティミシアが言いよどむのを察して名乗った。これで会うのが最後かもしれないのに、丁寧な人だ。

「ウィーバー様は、『会わせたい人がいる』とおっしゃって、私をメルクーリ様のお部屋に」

「エレンでいいよ。・・・うーん、お嬢さんをここに連れてきた理由というか、用件は実はもう済んでるんだよねえ。ちょっと公爵家で捜査している案件があったんだけど、それはもう解決した。なあ、ミハイル」

 くくっとエレンはおかしそうに笑って、ミハイルに目線を流した。

 エレンはミハイルと随分仲がいいらしい。口調もくだけているし、公爵子息のことを名前で呼び捨てにしている。

 話を振られたミハイルは、反応せずにアルティミシアを見て固まっていた。気に留めていなかったが、エレンと話していた間、ずっと見られていたようだ。

「メルクーリ様?」

 アルティミシアがわずかに首をかしげるようにしてミハイルを見上げると、ミハイルは何かを小さくつぶやいた。

「・・・い」

「はい?」

 アルティミシアは聞き取れずに聞き返した。

「よければ、俺もミハイルと呼んでほしい」

「!?」

 アルティミシアが硬直していると、エレンがぶっと吹き出す音が聞こえた。

(どういうこと)

 アルティミシアは混乱した。

 ミハイルは、イオエルの魂が転生した人物だ。それは間違いない。


 この姿は間違いなくイオエルで、彼と目が合ったことが鍵となって、アルティミシアはなぜか前世アトラスの記憶を思い出した。

 でもミハイルは?

 アルティミシアと目が合っても何の変化もなかったようだ。

 頭痛も起こしていないし、倒れてもいなかったと思われる。

 とすれば、前世の記憶を思い出したのは、おそらくアルティミシアだけなのだ。

 ミハイルは、イオエルの魂を持って転生しただけの、新しい命。

 ミハイルに、イオエルの記憶はない。はずだ。

 命の循環とは、転生とは、そういうものだから。


 どうしてアルティミシアに前世の記憶が戻ったのかはわからないが、普通人は前世の記憶を持たずに一生を過ごす。

 ミハイルも、そのはずだ。

 今回たまたま「捜査」の兼ね合いで出会うことになったが、本来は弱小伯爵家と公爵家が交流を持つことなどない。メルクーリ公爵家とはこの後もう関わることはないはず。

 住む世界が違うというやつだ。

 アルティミシアが出会ったイオエルの魂は、メルクーリ公爵家嫡子として今の人生を生きている。

 それがわかっているのはアルティミシアだけで、ミハイルはそんなことは知らない。はずだ。

(なのに、名前で呼んでほしい、なんて)

 次、もう会う機会もないであろう人に、言う言葉ではない。

 そもそも、よほど親しい仲にならないと、名前で呼びあうことはない。ましてや、異性。

(ほぼほぼ初対面なのに)

 ミハイルにもイオエル前世の記憶がある、ということか?

 頭の中がぐるぐるまわっているアルティミシアも、自分を見つめるミハイルから目を離せないでいる。

 こんな風に見つめられる意味もわからない。ミハイルは無意識に、アルティミシアにアトラスを見ているのだろうか。いやそんなはずはない。でもだったら何で。


 何で。


 固まりあう二人を見かねて、エレンがぽり、と頭をかいた。

「駄目だなこりゃ。お嬢さん、約束通り宿まで送るよ。お兄さん、めちゃくちゃ待ってるから」

 ああ、そうですよね、とアルティミシアが返す前にミハイルが言葉を割り込ませた。

「ちょっと待てエレン」

「いやもうお前無理だって。至急の要件があるだろうが。そっち行け」

 エレンはミハイルに向かってひらひらと手を振った。公爵家嫡男がずいぶんぞんざいな扱いを受けているが、ミハイルはそこを気にした様子はなかった。

「~~~~! ・・・わかった。頼んだ」

「了解」

 しぶしぶ言うミハイルに、エレンは苦笑してうなずいた。

 アルティミシアは、自分のために忙しい公爵家嫡男の時間をとらせてしまっていたことに、今さらながら気付いて恐縮した。


「申し訳ありませんメルクーリ様、お急ぎの用があるのにお手を煩わせてしまいました。私のことはお気になさらず行ってください。この体勢のまま失礼いたしますが、改めて感謝申し上げます。お世話になりました」

 後でお礼状を出さなければ、と思いながらアルティミシアが目礼をして、目線を戻すと、ミハイルは何とも言えない顔をしていた。

 何かまずいことを言ってしまっただろうか。

 礼に失する発言をしてしまったかと助けを求めるようにエレンに目をやると、なぜかエレンはどこか遠くを見ていた。見間違いでなければ、笑いをかみつぶしているようだった。

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