第6話 今度こそ

 エレンが出て行って、ミハイルもあわただしく準備を始めた。

 エレンにはメルクーリ家の家紋が入ったカフスを持たせた。彼ならうまくやってくれるだろう。

 ミハイルは謝りつつもダリルをたたき起こし、厩番には伝言を頼んで、愛馬とダリルが乗る馬を勝手に厩舎から出した。ちなみにダリルは一番若いメルクーリ家の護衛騎士だ。

 歳が近いためエレンにいいように使われているが、実力はそこそこある、らしい。

 ミハイルは自分が守られる事態に陥ったことがないからわからない。

 エレンはしゃれにならないくらい強い。たいていミハイルにはエレンがついているから、命の危険は感じたことがない。

(あの頃は、命の危険しかなかったな)

 ダリルと二人、馬を走らせながら思う。


 魔王討伐の旅。それは国の命令ではなく、女神の願いだった。ゆえに特定の国から援助資金が出るわけでもなく、ただひたすら小銭稼ぎの依頼を受けながらの安宿と野宿を繰り返す、つねに安全面、衛生面、空腹状態において不安を抱えながらの旅だった。

 今は魔族もおらず、人間同士も国をまたがるような大きな戦争は起こっていない。

 千年も経てば、こんなことにもなるんだな。なんとなく他人事のように思う。


 ミハイルは王都の本邸に向かっていた。

 王都には、領邸とは別にメルクーリ家の本邸と別邸がある。

 来年から学院に通うことになっているミハイルは、爵位を継いだ後住む予定の別邸で暮らし始めていたが、両親と弟は今王都の本邸に滞在している。

 社交シーズン中でよかった。でなければ、父は王宮勤めだから王都の本邸にいるが、母(と弟)は領に帰っていただろう。

 王都の本邸と別邸は馬なら15分ほどの距離だが、領までとなると、最速で3時間。

 往復すると6時間、細かい移動、滞在を考えるともっとだ。

 それでは間に合わない、かもしれない。

 母の了承を得ずに話を進めることは、法律上は可能でも、事実上不可能だ。

 次期公爵夫人の一番の後ろ盾は、現公爵夫人である母でならなければならない。

 正直今のミハイルにとって、落とすべくは父ではなく母。母から、婚約誓約書の署名をもぎ取らなければならない。

「ミハイル様ー」

 並んで走る馬上からダリルから声をかけられた。

「何だ」

「お顔が怖いことになってますよー」

「残念ながら生まれつきだ」

 ミハイルは自分が騒がれる容姿の持ち主だと知っている。イオエルの時から知っている。

 そしてこの顔が真顔になると、なぜか人は恐怖を感じるらしいことも、認識している。

「交渉する時の一番の敵は自分、らしいですよー」

 明日の天気は晴れみたいですよ、みたいな、そんな軽い口調で。

 余裕を持て、と。

 ダリルなりに、励ましてくれているらしい。

 たたき起こして連れてはきたが、今何のために本邸に向かっているのか、ダリルは知らない。

 知らないのに。

 ミハイルは前を向いたまま口の端に笑みを浮かべた。

「ありがとう。助かった」

「いいえー。形にしてもらえると嬉しいですー」

 憎めないそのおねだりに、ミハイルは小さくふっと吹き出した。

「早朝報酬に少し乗せるよ」

「やったー」

 おかげさまで変な力が抜けた。

 思いつめても仕方がない。何が何でも押し通す。それだけだ。

 ダリルを連れて行けと言ったエレンにも心の中で感謝しておく。

 それにしても。

(何で)

 ミハイルは、今こうなっている原因について考えた。



 なぜ、アトラスは、女性アルティミシアとして転生したのか。

 あの時、アトラスも女神と会っていたはずだ。アトラスの方がイオエルよりも先に死んだ。

 だからむしろ、アトラスの方が先に女神に会っていたはずだ。

 アトラスは、女神に次の転生で女性として生まれることを願ったのだろうか。

 これは、いつかアルティミシアに聞けたらわかることではあるが。

 アルティミシアは、ミハイルに初めて会った時アトラスの記憶を取り戻した。

 自分がイオエルの記憶を取り戻した時も、似たような症状に陥った。だから、わかる。

 アルティミシアは、取り戻すはずのなかった記憶を、あの時取り戻してしまった。

 ミハイルは、このこと自体も想定していなかった。

 命は循環する。死んだ命が転生する際、本来は新しく生まれ変わる。

 記憶を持って生まれることはない。

 ミハイルの場合は、イオエルが女神に願った祝福ギフトが関係していたため早いうちにイオエルの記憶を取り戻すことになったが、アトラスは、アトラスの魂を持っただけの新しい命として転生しているはずだった。

ミハイルは、アトラスの魂を持つ転生者を見つける必要があった。

 だから、探した。

 ミハイルは、自分の容姿がイオエルにそっくりなことを知っていた。

 新しく生まれ変わっても、記憶はなくとも、魂は引き継がれる。

 それならば、アトラスと同じ、銀の髪、金の瞳を持つ人を探して、それが何人目になるかわからないが、会えばこの人だとわかる、と確信していた。

 アトラスの記憶を持っていなくともよかった。年齢差があってもよかった。

 イオエルの願いを女神がかなえてくれているのであれば、多少の誤差はあれ、同じ世界、同じ時間を生きているはずだった。

『銀の髪、金の瞳を持った男性』と言ってしまうと、幼かったり老齢だったりした場合に捜索対象からはずしてしまうかもしれない、そう思って、男性とせずに『銀の髪、金の瞳を持った人物』、としたのだ。

 女性かもしれないと、想定してのことではなかった。考えもしなかった。



 アトラスが願った祝福ギフトは何だったのか。

 それを聞いてから女神はイオエルと話していたはずだ。

 イオエルの願った祝福ギフトを聞いた時に、言ってくれてもよさそうなものを。

(無理か)

 女神は女神だ。

 思いやるとか忖度するなど、ありえない。

(予想外なことばっかりだな)

 ミハイルと直接何かがあったわけでもないのに、王太子マリクが勝手に変な対抗意識を抱いていることも、シメオンが周りに植え付けられた劣等感をこじらせていることも。

 二人がミハイル抜きで作り上げた「ミハイルきらい」の共通認識でつながっていたことも。

 アルティミシアが女性だったことも。アトラスの記憶を取り戻してしまったことも。

 どれも予想外で、ままならない。

(けど)

 見つけた。やっと見つけた。

 マリクもシメオンも、国も家も、知ったことじゃない。

 関係ない。誰にも邪魔はさせない。

 女性に生まれてくれてむしろありがとうだ。

 エレンにはああ言ったが、婚約解消届なんて出させない。

 そうならないように、全身全霊で努力をしよう。


 今度こそ、護ってみせる。

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