第3話 アトラスの記憶

 ストラトス領の特産物には数種類の果物がある。

 特産物というより、果樹園以外でもあちこちその辺に生っているようなもので、領民にとっては水替わりに食するような安価で手軽な食べ物だ。

 あまりにも身近で領民にとっては珍しくもなく、そしてそれは日持ちがしないため、今まであまり領外に出されることがなかったが、アルティミシアのアイデアで、それをシロップ漬けやジャムの瓶詰、ドライフルーツにすることで、長期保存と長距離の搬送を可能にした。

 最初はそれでも近隣で売るだけだったが、兄ソールと仲のいい行商の商人が、「これなら王都に出せる」と言い、彼自身も、買い占める勢いで商品を買って次の地へ旅立った。


 ソールは明るく人当たりがよく誠実な人柄で、人脈が広い。学院時代の伝手を頼って、大通りではないもののまあそこそこ人通りのある、少し路地を入ったところにある店を確保した。物件の相場など詳しくないアルティミシアでも、驚くほど破格の条件だった。

「なに、借りを返しただけだよ」

 アルティミシアが初めて物件の内見に行った時に兄が紹介してくれた「友達」は、そう言って笑った。

 王都の空き店舗を破格の値段で融通するほどの「借り」とは。

 アルティミシアは兄に少し恐怖を覚えたが、それがなんだったのか、聞いても二人とも笑って教えてくれなかったので、忘れることにした。知らない方が幸せなこともある。


 その店舗の準備が進み、数か月後、開店した。

 すると開店直後から、なぜか品切れ状態が続出した。店に品がないというのに、王都のケーキ屋から「製菓材料として卸したい」と申し出もあった。

 領民が事態を重く受け止め、普段市場で出回っているものを加工用にまわしてくれたこともあり、ありがたいことに果物そのものが在庫切れになることはなく、製造停止になる事態には陥らなかったが、それでもぎりぎりの状態だった。

 いくつか果実に種類があるため収穫期がずれる。年間を通してどれかは商品としてある状態にはなるが、特定の種類の果実の人気が偏れば一定の供給が難しくなる。


 これが常態化するのか。それとも一時的な流行か。


 それまで工場の製造確保や定期的な流通手段の確保など裏方で奔走し、なるべく表に出ないようにしていたアルティミシアは、それを見極めるために仕方なく王都の店舗に足を運んだ。

 結果としては、一時的な流行だと判断した。

 最初に「これなら王都に出せる」と言って爆買いしたあの行商人が、情報を流して仕掛けていたらしい。

 王都の人間は新しいもの好きで飽きっぽい。

 今の「出せば即売れ」な状態は、熱が冷めれば落ち着くだろう。

 だがストラトス領の特産物としての知名度は上がり、リピーターも定着しつつあるという。

 流行としての爆売れが引いても、おそらく閑古鳥が鳴くまでの引きにはならない。

 あの行商人が今度領に来たら、おもてなしをしなければならない。


 さらに、ソールは王都のケーキ屋と、製菓材料として卸す定期契約を交わしていた。

 この分だと、この波が去ったとしても、領民に果実がまわらなくなるかもしれない。

 領民にとってはそこにあって当たり前のなじみの果実。領民に行き渡らなくなる事態は避けたい。

 果実そのものの生産体制を見直さなければならないかもしれない、などと考えながら一人店舗から宿泊している宿屋にぽてぽてと歩いている時に、アルティミシアは声をかけられた。


「お嬢さん」


 真後ろとも言える、近い距離からの声。

 一応伯爵令嬢ではあるが、商業目的で来ていることもあり、護衛もいないし安全のためには飾り立てる必要もない。商家のお嬢さんと言った簡素な格好で歩いていたので、その言葉のチョイスは間違っていなかった。たぶん自分のことだな、と思い振り向いた。

「私のことでしょうか」

 振り向いた先にいるのは、二人の青年。アルティミシアは小さく首をかしげた。

 服装から察するに、王都の巡回中の警備兵だろう。警備兵が、なぜ。

(えっまさかの職質?)

 そんな怪しい行動はとっていないはず。

 後ろめたいことなどないはずなのに、小心者のアルティミシアはうろたえた。

「おいこれ・・」

「ああ。間違いない」

 警備兵がささやき合う声が聞こえる。

 (間違いない?)

「お嬢さん、幼い女の子がこんなところで一人何をしているんだい?」

 警備兵はアルティミシアを取り囲むように近づいた。


 アルティミシアに言っているというよりは、通りを歩く周りの人に言い聞かせているようなふしもある。事実、足を止めてこちらを見ていた人たちは「なんだ、事件じゃないのか」とまた歩き始めている。

「何を、というか。宿に帰るところです。それに私は来年で成人です。幼いと言われるような年齢では・・」

「家出してきたんじゃないか? おうちの方から捜索願が出ているんだよ」

「は?」

 アルティミシアの言葉にかぶせるように、もう一人の警備兵がわけのわからないことをまくしたてたので、思わずアルティミシアは令嬢らしからぬ声を出してしまった。

「ちょっと待ってください、人違いです」

 アルティミシアは逃げようとしたが、警備兵の一人に腕をつかまれた。

「みんなそう言って逃れようとするんだよ。話は詰め所で聞こうか」

「詰め所って。ちょっ・・困ります!」

 アルティミシアは二人に両腕をつかまれて持ち上げられていた。足が浮いていて、走ることもできない。物理的に運ばれている。


 助けを求めて周りを見渡すと、「家出娘かー。警備兵も大変だな」とこちらをちらりとは向くものの、関わり合いになりたくないと、ふい、と目をそらして歩き出してしまう。

(噓でしょう)

 王都で家出はよくあることなのだろうか。こんな強引に、拉致同然に連れていかれても周りが不審に思わないほどに?

 この分だと大声を出しても誰も助けてはくれないだろう。家出娘が反抗しているだけにしか見えない。

 詰め所がどこにあるのか知らないが、そこに連れていかれた後、兄ソールを呼び出してもらうしかない、か。

 アルティミシアが宙吊りにされたまま、ゆらゆら運ばれながら考えていると。


「もうどこ行ってたんだ! 探したぞー? すみません警備兵さん、妹が世話をかけたみたいで」


 声のした方向にアルティミシアは振り向いた。兄ソールではないことは確かだった。

 ソールの声ではなかったし、そんなしゃべり方をしているのも聞いたことがない。

 助けてもらえるのか、新手のあやしい人か。

 何て怖ろしい所だろう、王都。

 アルティミシアにできた新しい兄は、黒髪に青い瞳をした、人のよさそうな青年だった。

「適当なことを言ってると、お前も連れて行くぞ。この子と兄妹だと証明するものはあるのか」

 警備兵たちは立ち止まった。周りの目もあるし、無視していくこともできなかったのだろう。

(どうする)

 警備兵につけば詰め所連行だが、この青年についていけばもしかしたら免れるかもしれない。

 でもこの青年はどう考えてもアルティミシアにとって初対面だった。信用できるのか。

「証明って言ったって。お貴族様でもあるまいし。庶民なんで家紋もない。なあ?」

 青年がアルティミシアに振ってきた。


 選べ。


 笑いながら、そう言われている気がした。

「そうですね。証明できるものは何もありません。でも早く帰らないと私を内緒で連れ出してくれた兄さんが、父さんに叱られてしまうんです。はぐれてしまってごめんなさい、兄さん。探したでしょう?」

 前半は警備兵に、後半は新しい兄に向けてアルティミシアは言葉を発した。ソールに対しては「お兄様」だが、庶民設定ということなので、言葉も少し崩した。

 さっきの警備兵のやり方を真似して、周りの人に聞こえるように、少し大きな声で、はきはきと。

 これは警備兵の勘違いですよー、と、知らしめるために。

 警備兵たちは明らかに動揺していた。アルティミシアは選択が間違っていなかったと確信した。


 警備兵たちは、なぜかわからないがアルティミシアを強引に連れ去ろうとしている。

 もし本当に捜索願がでている家出した少女(幼女?)を保護する目的だったのなら、「なんだ、ほんとに人違いだったのか。気を付けて帰れよ」で終わるはずだ。

「ほんとだよ。めちゃくちゃ探したよ。まさかこんなことになってるなんてな。見つからないわけだよ。そういうわけで、ちゃんと家に帰ります」

 初対面の「兄」は、そう言って自然な仕草で警備兵たちの腕をはずしてアルティミシアを地上に降ろした。

「お探しの人じゃなくてすみません、警備兵さん。兄さんに会えるまで保護していただいて、ありがとうございました」

 アルティミシアはにこりと笑ってぺこりと頭を下げた。

「帰るぞー」

 言って、兄の青年は元来た方向に歩き出した。

 警備兵たちは引き止めたそうではあったが、アルティミシアは背を向けて歩いていく「兄」を追いかけていった。



「助かりました。お礼を言いたいところですが、私はこのまま帰してもらっていいのでしょうか?」

 警備兵から遠ざかって、一つ向こうの通りまで歩いたところで、アルティミシアは立ち止まった。

 そのまま走って逃げる手もあったが、アルティミシアはここの地理にも詳しくないし、運動能力もさほどではない。逃げ切れるとは思えなかった。

 黒髪の青年はにっといたずらそうな笑顔を見せた。

「とても落ち着いてるね? しかも状況判断も的確。でもごめんね、まだ帰してあげられない。危害を加えるつもりは絶対にないから、すまないけどついてきてほしいところがあるんだ。会わせたい人がいる。そしたら、すぐ解放するから。ってか送るよ。俺が責任を持って」

 責任を持って堂々と誘拐するというのもおかしな話だが、この青年は誰かの指示で動いていることはわかった。

 初対面だが、先ほどの警備兵よりはなぜか信用できた。

 アルティミシアは、たぶん自分と関係のない何かに巻き込まれているのだと判断した。

 警備兵の様子がおかしかったからだ。

 アルティミシアは誘拐されたところで身代金もろくに用意できない貧乏貴族。

 何かの陰謀にストラトス家が関わっていることも考えられない。

 だから何だかわからないが、今巻き込まれていることに自分は無関係なのだと嫌疑が腫れて、知ってはいけないことさえ知らないでいられれば、消されることなく帰してもらえるだろう。たぶん。

 逃げようとして捕まって、痛くもない腹を探られることの方が怖かった。

「送っていただかなくてもけっこうです。確実に傷なしで帰していただけるのであれば、かまいません」

 送ってもらって泊っている宿が知られるのは怖かった。まだもう数泊する予定なのだ。

「かすり傷一つつけないと約束する。ほんとに肝の据わったお嬢さんだなあ」

 感心したように黒髪の青年が言う。

「ほめてませんね?」

「いやほめてるほめてる」

 そんなゆるい会話をしながらついていった誘拐先は、メルクーリ公爵家の王都にある別邸タウンハウスだった。



 大きな屋敷だとは思ったが、その時まだアルティミシアはそこがメルクーリ公爵家別邸だとは知らなかった。正門ではなく、裏の使用人出入口のような扉の鍵を開け、その先にいる護衛に黒髪の青年は顔パスで通り、長い廊下を抜けて、目的地らしい部屋の前で止まった。

 黒髪の青年がノックして、ドアに向かって告げる。

「俺だ。今時間いいか。条件がぴったりの子を連れてきた。半ば誘拐だから」

 ドアの向こうでがたがたんと大きな音がした。

「顔だけ確認してもらったらすぐに家に送・・」

 青年がかまわず言葉を続けていたところ、すぐに扉が開いた。

「お前誘拐は犯罪だとあれほど・・」

 出てきた少年と、アルティミシアの目が合った。


 アルティミシアの心臓がどくん、と音を立ててきしんだ。無意識に胸に手をやる。

 少年が目を見開いたのは見えたが、アルティミシアの視界はすぐに下がっていった。

「えっ」

 黒髪の青年の焦ったような声がやけに遠く聞こえた。

 意識が遠くなる。体の力が抜けてくずおれそうになっていたところを誰かに支えられる。

 頭が痛い。割れるように痛い。何か高い金属音のような音が頭の中で鳴り響いている。

 痛い。あまりの痛みにきつく目を閉じる。

「息を止めるな。ゆっくり、息をして」

 言い含めるような声に反応してうっすらと目を開けると、初対面のはずの、顔がそこにあった。


「イオエル・・・?」


 それは、無意識の言葉。吐息のようにささやいたその声は、抱き留めていた少年にしか聞こえない、小さな響き。

 少年、ミハイルに抱きしめられた時には、アルティミシアは意識を手放していた。



***



 それは、魔王と相討ちになった後。

 体中を苛んでいた痛みから解放されて、勇者アトラスはふかふかの場所で横たわっていた。

(あれ、俺死んだんじゃ)

 最期の記憶は鮮明にある。ちゃんと、魔王を斃したのを確認してから逝った。

 アトラスは立ち上がる。

 そこは真っ白な世界。天と地との境界線すらわからないほどの、見渡す限り真っ白な世界。


「よくやりました」


 柔らかい女性の声。声のした方を上向くと、真っ白な布の服をまとった女性が空中に浮いている。光り輝くその女性が、女神だということは教えられなくともわかった。

 すうっと、アトラスの目線が合うところまで女神は降りてくる。あんまり身長変わらないんだな、とどうでもいいことが頭をよぎるが、単に話しやすいように変化してくれているだけかもしれない。

「あなたのためではありませんけどね」

 アトラスは少し愚痴りたくなって、そう言った。

 やるべきことはやった。

 うっかり聖剣が抜けてしまったばっかりに、勇者であることを、魔王をたおすことを、押し付けられて。

 命を犠牲にして、やり遂げた。

 でもそれは、女神のためではなかった。人類を救うためでもなかった。

 生きていてほしい人が、いたからだ。

 その願いをかなえることができる力を与えてもらったことにだけは、女神に感謝してもいい。

 女神はアトラスの愚痴に、苦笑した。その表情に、やけに人間くさい女神だな、と思う。

「私の願いをかなえたあなたの、願いをかなえましょう。願いは何ですか?」

 歌うように女神が言う。

 アトラスは即答した。他に思いつかなかった。

「あいつの、イオエルのこれからの人生を、幸福なものにしてほしい」

 勇者となってしまった羊飼いで幼馴染のアトラスに、「しょうがねえな」と悪態をつきながらついてきてくれた青年。

 なぜか聖武具のメイスを魔法より殴打に使用する方が多かった気がする、武闘派僧侶。

 後衛どころか前衛のアトラスに並んで治癒魔法・防御魔法や補助魔法を駆使し、近接の敵は自分で殴打して排除する、オールラウンダーだった。

 魔王と対峙した時も、寄ってくる雑魚は戦士アレスと魔導師ベラに任せて、イオエルはアトラスについてくれた。

『さっさと倒して帰ろうぜ』

 そう言って。

 アトラスにとって、イオエルこそが自分にとっての勇者で、親友で、唯一だった。


 アトラスは魔王が事切れるの見届けて、薄れゆく意識の中で、自分の名前を呼ぶイオエルを見ていた。それが、アトラスの最期の景色だった。

 イオエルは、生き残れた。そのことが、アトラスは嬉しかった。

 魔王がいなくなったからといって、すぐに世界が平和になるわけではない。魔王がいなくなっても、魔族はまだ存在する。

 でも絶望的な脅威は去っているはず。

 その世界で、イオエルには生きていてほしい。幸せになってほしい。

 望むことは、それだけだった。

 だが、女神は困ったように微笑んだ。

「それは、自分に対する望みではありません。その望みも考慮はしますが、私が聞きたいのは、この後転生する魂に望む祝福ギフト

 そういうことか。アトラスは納得した。

 魂は循環する。

 死んだアトラスは記憶を失い、その魂はまた新しい人格を得て、世界のどこかで新しい生を受ける。

 その時に、この魂に少し祝福ギフトをくれるということだろう。魔王を討った、そのご褒美に。


 できればイオエルと同じ時間を生きたい。でもイオエルは今も生きていて、これからも生きていく。

 今この瞬間生まれ直せたとしても、自分は赤ん坊。何より、アトラスとしての記憶は失われている。

 次に生まれるのは、魂を同じくした別人格。きっと、イオエルと人生は交わらない。

 それなら。

「そうだな。じゃあ・・・戦わなくていい人生を」

 何も負わされず、穏やかで、自分の行く先を自分で決められる、そんな人生。

 戦うのは、もう疲れた。

 次に生まれてくる、この魂に宿る人格には、どうか戦わなくてもいい人生を。

「わかりました。かなえましょう」

 微笑む女神の言葉とともに真っ白な世界は光に包まれて、アトラスの意識も閉じた。

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