サウダージ

百済

第1話 go back in time


「えぇっ?!」

 自動ドアの横の貼り紙が目に止まり、私は思わず声をあげた。

 同時に店の自動ドアが開く。近くにいたアルバイトらしき女の子が気まずそうに頭を下げる。見ない顔だった。仕方がない。ずいぶん来ていなかったから。

 私も若干の恥ずかしさを覚えつつ、会釈した。

 棚を見回りながらも、先程の貼り紙のことが頭から離れなかった。

 それは閉店のお知らせだった。今からおよそひと月後に、ここは店じまいをするという。

 困ったな、と私は思う。レンタルビデオに通うのも、これで最後になるかもしれない。


 会社から1週間の有給消化を命じられていた。休日にはお気に入りの映画のDVDなどを見て過ごすのだが、久しぶりに新しいものを見たくなり、近所のレンタル店に足を運んだ。そこで残念なお知らせを知った、というわけだ。

 私の中でモヤモヤしたものが広がっていく。遂に直面すべき問題にぶつかったという感じだ。例えるなら、傷んだ靴や服を新調するような、そんな時が来たのだ。

 今、映画を見ようと思えば選択肢は幾つもある。劇場に行けばいいし、動画配信サービスのサブスクリプションに加入すれば見放題だし、CDや DVDを販売している店こそ減ったが、今は何でもネットで買える。

 ただ、新しい文化に疎い私にサブスクは早いと思っていたし、映画は好きでもコレクター気質はない。

 手元に置くなら厳選したものにしたかった。そのためのふるいにかける場がレンタル店だった。もっとも、この店にもずいぶん来ていなかったのだが。

 結局、物思いに耽ってしまい、何も借りずに店を出た。自動ドアの前で振り返り、もう一度閉店の貼り紙を見た。あと何度この店に来れるだろう。それとも、もう来ないか。

 トボトボと歩きながらあの店は私にとって何だったのだろう、と考えた。

 そもそも、この街には転勤でやって来た。二年ほど前のことだ。生まれ育った街に比較的近かったのもあり、承諾したのだ。

 越して来て初めて、規模が小さいとはいえ、全国チェーンのレンタルビデオ店があることに気付いた。

 レンタル店は減っていたから、私にとってはありがたかった。仕事をしつつも、あの店へ毎週通おうと思ったことを覚えている。

 ただ、実際にはカードこそ作ったものの、通ったのは数えるほどだ。近所だというのに、休日になると出掛けるのが面倒だった。そもそも、ほとんど休日などなかったのだが。

 思えば、私はすっかり仕事人間になってしまった。若い頃は、劇場にもレンタル店にも足繁く通って映画漬けの日々だったが、今や有給の申請もしないほどの勤め人となった。

 家庭を持っていないのだから、全ての力が仕事に向かっても仕方ないだろう。

 今は空しい気持ちでいっぱいだった。趣味に没頭して、仕事を疎かにするわけにはいかないが、その逆も然りだったのではないか。

 すぐ帰る気にならず、回り道をしてコンビニに寄った。雑誌でも買おうと思ったが、これまた欲しくなるようなものはない。色んな雑誌をめくってみるが、どうも興味をそそられない。

 自分には仕事以外に何もないのか、と天を仰いでいると肩を叩かれた。

 頭二つ分ほど低い位置に、ごま塩頭があった。耳にはサングラスが乗っている。

「ケンコーさん」

 私が声を掛けると老人は「久しいな」と笑みを見せた。

「どうしたね?」首を傾げている老人に私は苦笑してみせた。

「自分はつまらん人間だと痛感しているところです」

 老人は私を見返すと、少し間を置いてから、窓の向こうを指差した。外で話そう、という意味だ。私はうなずいた。


「すっかり秋よの」

「ええ」

 店の外のゴミ箱の脇、他の客の邪魔にならない位置で私とケンコー老人は並んで車道を眺めていた。道路を挟んだ向こうの道は並木道になっていて、黄金色の銀杏の木の葉が風に揺れている。

 二人とも缶コーヒーを手にしている。老人が「寒い」というので、ホットを買った。その割に、アロハシャツに短パンという謎の出で立ちだった。

「涼しく……いや寒くなって、寂しさが身に染みるようじゃ」

 今年は残暑が長かった。そのせいか、外気の涼しさに体が中々慣れない。

「そんな季節じゃ。気分が落ち込んだり、塞いでも仕方なかろう」

 私を横目で見ながら老人が言う。何となく同意したくなくて、私は反応しなかった。代わりに問いかける。

「ケンコーさんは、ずっと好きでいられるものって、ありますか?」

「何じゃ、やぶから棒に」老人は怪訝な顔をする。

 ううむ、と唸った後、「酒と博打かのぅ」と言った。

「賭け事はやらないけど、酒は私もかな」

 儲かりまっか、と言うと、ぼちぼちでんな、と返ってきた。

 私はほっと息を吐いている自分に気付いた。少し接近し過ぎてしまったかな、と思ったのだ。

 この老人とはよく遭遇するのでたまに会話をする仲だが、住まいは知らないし、お互いに深いところまでは探り合わない。それが暗黙の了解になっていた。ケンコーというのも通り名のようなものらしい。

「私はね、映画が好きだったんですよ」

 コーヒーをひと口飲んでから、私は言った。

「過去形なのかえ?」

「最近、あまり見れてなくて」私は苦笑する。

「自分で言うのも何ですが、すっかり仕事人間になってしまってね」

 近所のレンタル店が閉まることを話した。老人もうなずきながら、残念そうな顔をしている。

「ワシもビデオ屋にはよく通ったわ。もっとも最近は億劫になっての。こっちのお世話になりっぱなしじゃ」

 言いながら、スマホを掲げてみせる。聞くと、老人は幾つかサブスクに入っているという。私はがく然とした。謎の敗北感がこみ上げてくる。

「私よりデジタルに対応してますね」

「じゃが、味気ないのも事実での」

 サブスクは便利だが、偶然店で何かを発見する、というような出会いがないという。私は深くうなずいた。

「そうそう。店で妙なビデオを見つけた時とか、楽しかったですね」

「じゃろ?」

 私達は盛り上がったが、結局それはノスタルジーだ。今後レンタル店が復活する見込みはない。

「サブスク、私も導入するべきですかね?」

 ケンコーはうなずいた。その通りだったが、私は踏ん切りがつかなかった。

「時代の流れとはいえ、好きなことが出来なくなるのは辛いですね」

「そんなもん、ワシにもいっぱいあったぞ」

 しみったれたことを言ってしまっただろうか。老人の声から少し怒気を感じた。ただし、それが私に向けられたものか、『時代』に向けられたものなのかは分からない。

「他にはないのかね」

「何がです?」

「好きなこと」

 問われて私は考えた。映画が好きなのだから、フィクション全般が好きだ。ただし、私は飽きっぽいところがあり、話数の多いコンテンツは苦手だった。アニメもドラマも昔はよく見たが、社会人になってから完走したのは数えるほどだ。

 本も読むが、時間がかかるので今は月に一冊程度になってしまっている。

「ずっと、って言えるのは、やっぱり映画になっちゃいますね。コスパがいいですから」

「若者みたいなこと、言っとるのう」

 私は頭をかいた。ただ、映画がコストパフォーマンスが良いのは事実だ。話数の多いコンテンツや読むのに時間のかかる本に比べ、一時間半から二時間で一本見れてしまうのは大きい。

 別にコスパを意識して映画を見ている訳ではない。だが、社会人になると必然的に時間がなくなるので、そういう観点でモノを考えるようになる。それは仕方ない。若い頃にあった、「無駄な時間」を味わう余地がないのだから──

「あっ!」

「んぶぶ!!」

 私が突然声を上げたからか、コーヒーを飲んでいた老人が驚いて、むせていた。

「これも過去形ですが」と前置きし、「当てもなく、自転車で出掛けるのも好きでしたね」と言った。

「ほう」

 老人は意外そうな声を出す。

「確かに、バイクや車に乗る前のティーンの味方と言えばチャリじゃのう」

「そう。これがあれば、どこへでも行けるって思ってましたよ」

 実際、中高生の頃は家から十キロ、二十キロ先の街に繰り出したりしていた。そう話すと老人には若干引かれた。でも、学生時代に日本一周する奴もいるのだから、それに比べたら可愛いものだろう。

「ビデオ屋に通ってた頃も、その道中も含めて好きだったんです」

 中高生の頃、通っていたレンタル店の名前をあげた。家からは少し距離があったが、近隣のどの店舗よりも品揃えが良かったのだ。

「スピナッチ?」店名を聞いた老人が声をあげた。

「知っとるぞ。ワシも行っとった」

「本当ですか?」

「店員が緑のトレーナー着てる店じゃろ」

 その通りだった。というより、ケンコーの言葉によって、通っていた頃の店の風景が記憶の中から浮かびあがった。そう、あの店では店員一同がお揃いのトレーナーを着ていた。

 棚には店員オススメ作品の独特な手作りポップが添えられていた。大手ではなかったからこその工夫だろう。店舗は広いのに何処か不恰好な店で、そんな空気も合わせて私は好きだった。

「妙な偶然もあるものじゃな」

「ええ」

 実家の場所を伝えると、老人は驚いたようだった。スピナッチまでは十五、六キロかかるので、無理もないかもしれない。

 この街は私の実家の隣町で、スピナッチのある町はさらに隣に位置していた。自転車ならばキツいが、車なら楽に行けるだろう。

 ケンコーはこの町にずっと暮らしているのかもしれない。流行りも廃りもその目に焼き付けてきたのだろう。

 私たちはしばし、スピナッチの思い出を語り合った。

 店舗は二階まであるのだが、その階段の端にも棚が置かれてあり、つんのめった客が突っ込んでDVDを吹っ飛ばす姿を目撃した、とか。

 二階にはノレンの向こうにアダルトコーナーがあり、掘り出し物が多かった、とか。

 トイレの場所が分からないのか、中年ぐらいの女性がノレンの向こうに突入して悲鳴を聞いた、とか。

 私は進学を機に都内で一人暮らしを始めたので、スピナッチがその後どうなったのかは知らない。

 老人の話ではおよそ十年ほど前に閉まったらしい。最後は客足が遠のき、カードショップみたいなことを始め、子供たちの溜まり場になっていたらしい。何とも悲しい話だった。

「好きだったことが、思い出の中にしかないのは寂しいですね」

「それが人生じゃ」

 老人は冗談のように明るく言ったが、不思議と説得力を感じた。

 楽しい思い出に浸る。愉快なことだが、それだけでは味気ない。でも、この先体が不自由になったりしたら、恐らくそんなことしか出来ないのではないか。そんな自分の姿が簡単に想像できてしまって、怖くなる。

 人生八十年という。私はもう、その半ばを少し過ぎている。まだまだ若いつもりでいたが、自分もすっかり中年の仲間入りをしているのだ。

 だいぶ話し込んでいた。そろそろ切り上げ時かと思っていると、老人が口を開いた。

「今は時間があるんじゃろ?」

「ええ」

「ならば行ってみたらどうじゃ? 昔、通った道を」

「スピナッチへ、ですか?」

 ケンコーはうなずいた。

 私は笑ってしまう。冗談だと思ったのだ。

「店はもう閉まったって、言ったじゃないですか」

「それは関係ない」老人の声は真面目だった。

「自身で自分の足跡を辿り、思い出に浸るが良かろう」

 私は考えてしまう。「もしかして、二人でって意味ですか?」

 お誘いなのかと思ったのだが、ケンコーは首を振った。

「お主の思い出に、ワシは余計じゃ」

「でも、今は車がないから」

 私はこっちへ転勤してから自動車通勤をやめた。会社がすぐ近所というのが理由のひとつだ。

「じゃから、こそよ」

 そういえば、老人は私の今の主な足が自転車だということを知っていた。今日は歩きたい気分だったので徒歩だが、自転車で移動中に遭遇したこともあったのだ。

「まさか……チャリで行けって言うんですか?」

 老人はにやりと笑った。やっと分かったか、とでも言いたげな顔だった。私は困惑した。

「いや、でもここからだと三十キロ以上ありますよ」

「昔のお主なら迷わんかったじゃろ」

 私は絶句した。確かにその通りだ。

 言葉を返せずにいると、老人は「体が冷えた」と言い、手をあげて去ろうとした。私はその背中に呼びかける。

「良かったんですか?」

「何がじゃ?」ケンコーは首だけ振り返って私を見た。

「今日は、随分話し込んじゃいましたけど」

 私たちは探り合わない仲じゃなかったのか、と伝えたかった。ケンコーは不思議そうに私を見たが、すぐにうんうんとうなずき、顔をほころばせた。

「どんなものでも変わるのさ。それは避けられんし、悪いことでもない。ただ、ずっと変わらずにいるものもある。そんなものがあったら、大事にせんとな」

 意味深な言葉を残し、老人は今度こそ去った。

 私はそのまま考え込んだ。目的地が潰れていると分かった上での遠征。徒労としか思えない旅だ。だが、一蹴できない自分がいた。

 もしかしたら、転勤したのも、車ではなく自転車に乗るようになったのも、この機会のためだったのかもしれない。巡り合わせ、という言葉が頭に浮かんだ。

 気付くと、私はスマホを操作していた。地図アプリでスピナッチのあった地点へのナビを出す。今の自宅からは約三十五キロ。行けない距離じゃない。



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