オカルティストのオッサン異世界で魔術を極める

負雷パン

プロローグ 三流の人間

 私、菩破山ぼわざんらいはしがない会社員だ。田舎にある中小の建設会社で営業を勤めている。

 営業と言っても足で稼ぐような事は最近じゃめっきりなくなっていた。昔からの付き合いで契約してくれている会社との接待くらいはするが、がむしゃらに朝駆けの様な真似をすることはない。

 もちろん給料が歩合制なのでそこそこに仕事はこなすが、出世欲も全くなくなってしまい今では全力で仕事をするなんて思うことすら無くなっている。

 妻には数年前に逃げられた。私の甲斐性が足りなかったせいだ。長年の不妊に悩んでいた妻に寄り添ってやることが出来なかった。私は子供がいなくても幸せだと伝えていたが、今思うと子を熱望していた妻にとっては気休めどころか苛立ちを募らせる行為でしかなかったのだろう。

 まさに私の人生は四十間近にして色褪せ、灰色となっていた。妻子を持たず、かと言って散財する様なタチでもない。ただ貯金のみが貯まるばかりで、何かが確実にすり減る日々。


 最近は学生時代のことばかりを思い出す。


 あの頃は本当に楽しかった。家は裕福ではなかったが勉強は出来たので特待生として中堅より少し上の私立大学に入学した。勉強も嫌いではなかったし、それ以上に気の合う仲間と毎日遊び歩いて夜通し夢を語り合い大言壮語を飲み屋で吐くのは最高に楽しかった。他にも趣味に没頭しサークルを立ち上げたりなんかもしたものだ。

 恋愛だってそうだ。あの頃は友人とクラブに繰り出してナンパなんかをして、時には好きな女とのメール一つで一喜一憂なんてした。

 人間はいつだって無いものねだりをする生物だ。そんな事は分かってる。だけどもあの頃に戻れるのなら、そんなことばかり最近は考えてしまうのだ。


 ふと、現実に目をやる。一人で住むには大きな家で、机の上に散乱したビールの空き缶。電球を変えるのも億劫で、リビングの灯りのうち半分は暗いままになっている。


「こんな、こんなもんに俺はなりたかったわけじゃ無いんだけどなぁ」


 暖房で温くなったビールを手に取り一気に流し込む。不味い、だがその不快感すら気にならないほどにここ最近の気分はずっと沈みきっていた。何も楽しく無い、ひたすらに虚無感が襲ってくる。もはや自分の孤独は酒なんかじゃ忘れられないのだろう。

 あぁ、昔は飲み比べなんてしたものだ。無駄に酒に強い私は毎度無茶な飲み方をした友人を介抱していた。あれも今思えば楽しかった。


「辛いねぇ、生きる意味を見いだせないってのは」


 酒を飲んでも、パチンコを打っても、女を抱いても、ずっと、ずっと胸の内には寂寥感が巣食っている。もはや自分でも何をしたら満たされるのかこれっぽっちも分からない。

 生きる意味はないが、死ぬ意味もない。ただ家畜の様にいずれ来るその日を待つだけの肉袋、それが私なのだ。


「ふぅ、もう全部辞めちまおうか。はは、酔ってるな、こりゃ…?」


 空き缶を捨てようとおぼつかない足取りで立ち上がる。すると、何か雑誌の様なものがつま先に触れた。

 拾い上げてよく見てみるも表紙には何も書かれておらず、開いても中には何も書かれていない。


「なんだこれ、ノート?いや、違うな、これは確か」


 学生時代、私が立ち上げたサークルに神智研究同好会と言うものがある。オカルトに熱を上げていた私は神智学的観点から魔術や錬金術の再現をしようと躍起になっていた。

 そんな時に私が作ったものの中に読めない魔術書と言うものがあった。読めないと言ってもある方法を使えば文字が浮かび上がってくるのだ。これはオカルト関係なくただの化学だが、それでも作っている時は楽しかったものだ。


「えぇと、ライターは何処やったかな。あ、あったあった」


 ページをライターで炙ってゆくと、徐々に文字が浮かび上がってくる。いわゆる炙り出しという奴だ。しかし、こんなにも長く効力が続くものだったか?

 炙ってみたページには魔法陣とそれに対応した呪文が書いてある。私が欧州巡りをした時に蚤の市で見つけた魔術本、グリモワールの呪文だったはずだ。


「なんて読むんだったか。ラテン語、じゃないよな。うぅん、分からん。明日持ってってみるか」


 明日は休みだし丁度いい。私がこんな草臥れたサラリーマンとなってからも、実は趣味として魔術の研究は続けている。一度オカルトに魅入られた人間はなかなか手放せないものだ。    

 とは言え、学内サークルは大学生のものなので社会人になってからは『生命樹の円環会』と言う魔術結社に参加していた。馬鹿みたいな名前だが現代でも割と秘密結社や魔術結社なんてものは結構存在する。実情としてはオカルト同好会的なもので、本当に魔術が使える訳ではない。

 有名どころだとフリーメイソンという奴があったはずだ。


「一応誰かに連絡を取っておくかね。この年でサバトの会場選びなんて面倒な事はしたくないものだし」


 毎月新月の夜に生命樹の円環会はサバトを開く、となっているが実際は会員の休みが重なった日に行われる。会員は私含め7名しかいないので、案外すんなりと毎月決まる。

 それ以外にも自由な日に本拠地の建物に集まってもいいし、本来サバトも本拠地で行われることが多いのだが発起人がいる突発的なサバトは違う。

 会場を選定し、派手に歓待を行うという伝統があるのだ。皆面倒なので毎度焼肉屋が恒例となっているが仮にも会長である私がそんなありきたりな場所を選ぶわけにはいかず、毎度それっぽい場所を探す必要性がでてくる。だが、何事にも抜け道というものがある。この場合、他の団員にサバトを決起してもらう事によって会場選びを避ける裏技が代々会長には受け継がれているのだ。


「誰だったら快く引き受けてくれるだろうか、若い会員とは交流がさほど無いしなぁ」


 LINEの友達欄から丁度良さそう人選を考える。無難に1番交流のある副会長にしておこうか。トーク画面を開き適当な挨拶に金を出す事を伝え、集まれる人だけで良いからと添えてLINEを送った。

 数分後既読が付く、予定があるので他の人に頼んでくれと言う旨の内容だった。


「そうか、あいつは少し前に子供が出来たんだったか…」


 醜い嫉妬心が心の底から湧き上がってくる、何で俺だけ、皆幸せそうで。長年の友人に対してそんな事を思ってしまう自分には酷く嫌気がさす。

 そこではたと気がついた。この呪文の読み方を纏めた冊子も何処かにあったはず。とは言え十年は昔のものだ、見つからないだろう。


「物置を少し探してみようか、無かったらそれはそれで踏ん切りがつくしな」


 立ちあがろうとして手を床に突くと、またしても何かが指に触れた。

 先ほど見た様な、何も書かれていない小冊子。これだ、これも炙り出しになっていてこの中に書かれているはずだ。

 しかし、おかしい。こんな場所に置いた記憶はないのだが、疑問に思ったが酔った頭では碌に思考が回らない。

 取り敢えず見つかったのだからよしとしよう。先ほど使ったライターでページを炙った。


「えぇと、文字が汚いな…ぐわんぬらばだんるくしありてさばらいもげらるびすたりかぐわんぬまさしでぃいるぇは」


 同じ呪文を三度唱える、そう書いてあった。しかしこれは一体なんの魔法だろう、悪魔との交信とかだろうか。これの元になった魔術書は恐らくだが19世紀初頭に書かれたものだった。その時主流だったのは黄金の夜明け団の前身となった組織で、主に占星術や儀式魔術を研究していた。だからこんな呪文を唱えるようなものは違和感があるのだが、どうでもいいか。


「んっ、なんだ?目が、飲みすぎたかな」


 視界に極彩色の光がちらつく。健康診断は問題なかったし、目の病気ではないと思いたいが何だこれは。

 何度か光が明滅して、急に気分が悪くなる。猛烈な吐き気だ、耐え難いそれに今まで味わったことがない種類の。

 耐えられない、トイレに駆け込むことすら出来そうにない。

 気持ち悪い、視界がぐらつく。なんだ、なんなんだ。

 意識が薄くなって、もう数秒と起きていられないだろう。

 あぁ、私はこんなところで死ぬのか…





 …



 目が覚めると、私は森の中に倒れていた。

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