第10話 よくある話ですよ
「ウォーターハンマー現象、ですね」
秋葉はいけ好かないつり目を少しも動かすことなく淡々と言い放った。
――駅で捕まえた秋葉は最初こそ驚いたものの、軽く事情を話しただけでなぜ事務所ではなく駅で声をかけられたのかを察したらしい。奴は改札を通りながら「俺にも出勤時間がありますので。道すがらで良ければお話を聞きますがいかがですか?」と提案してきた。今回はいくら秋葉が本物の心霊案件と判断しようと、恵比寿さんには依頼できない。俺はその後ろめたさもあって、すごすごと恵比寿さんの事務所の最寄り駅までついて来る事となった。
秋葉は電車を降りた後で歩みも止めず、本当の道すがらに俺の話を聞いた。そして職場で作る夕飯の買い出しなんかもしながら真顔で答えをぶつけてきたのだ。今回は俺に質問すらしなかった。聞いてすぐ。まさしく即答だった。
「ウォーター……ハンマー?」
間抜けに聞き返す俺の横で、八百屋に並ぶ小ぶりな白菜の葉を機械点検のように調べている秋葉は、こちらに目も向けないまま答え合わせを始めた。
「
「まあ……原理はなんとなくわかるけどよ……。でも『急に水止める』なんて話が出たか?」
俺の不満気な反論にも秋葉は表情を変えないまま淡々と打ち返してくる。
「トイレですよ芦原さん。彼女は東氏の配信の後でトイレへ行ったと言っていたんでしょう? 入居者全員が東氏のファンならば、おそらく他の入居者も計らずして同じ行動をとったのでしょう」
あのアパートに入居した女性たちは同好の士を求めて転居する程のファンだ。そうとなればネットの配信をリアルタイム視聴するのも当然だろう。
このさらっと言ってくる感じがムカつくが、やはり秋葉の言う事には筋が通っていた。
「蛇口の水なんかは人力ですので急に止めると言っても限度がありますが、トイレの水は流し終われば自動的にバルブが閉められますので水撃作用が起きやすいんです。それがほぼすべての部屋で、ともなれば全員が聞いて覚えているような大きい音もするでしょうね」
「マジかよ……」
そう呟くと、秋葉は持っていた白菜をカゴへ入れながら鋭いつり目をこちらへ向けた。今回はそこまで面白いと感じていないらしく、あの夢に出そうな汚い笑みは浮かべていない。眼鏡の奥のつり目は感情を推し量る事の出来ない獣のような目のままだった。
「ウォーターハンマー現象は、ポルターガイスト事例の原因としてあげられる事も多いので本当によくある話ですよ。暇つぶしにもならないくらいに。ああ、放っておくと水道管を痛めて水漏れの原因なんかにもなりますのでお気を付けください。お話してくださった方にもお伝えくださいね」
「どうやって伝えろってんだよ……。なんかめっちゃ楽しみにしてたぞ"推し"が来るのを」
「下心につられて安請け合いする芦原さんが悪いと思いますがね」
う。
秋葉め、淡々と痛いところを突いてきやがった。
彼女から話を聞いたときはハズレだなんて思わなかったんだから仕方ないじゃねえかと言い訳したいが、「ポルターガイスト事例のよくある原因」等と言われてしまうと一応オカルト誌の編集に身を置いているライターとして考えものなのかもしれない等と思ってしまった。
言い返そうにも何も浮かばずにいると、秋葉が珍しく少し困った様子でちらちらとこちらを見て口篭っている事に気づいた。
「……なんだよ」
「いえ。あまりによくある話すぎてなんというか……。何と言えばいいんですかこの感情は……」
秋葉は柚子を手に持ち色艶を確認しながら説明を追加したが、その口調はいつものようにハキハキとはしておらず小さく聞き取りにくい声だった。
「『決まった時間に起きるウォーターハンマー現象をポルターガイストと誤認』等というのは、もしオカルトの教科書があったとしたらそのまま載っているような事例なんですよ。それをなんで俺がオカルト部門の編集であるはずの貴方に説明しなければいけないのですか。貴方の話を聞いて水撃作用の説明をするのすら憚られましたよ……」
「…………つまり、よくある事すぎて秋葉にとっては”言わせんな恥ずかしい”っていう話な訳か?」
俺の言葉を聞いた秋葉は自分の中でスッキリと解決したらしく、珍しいことに見て解るくらい感情の出た笑顔を浮かべて嬉しそうにつり目を見開いた。
「そうです! その言葉がとてもしっくりきます! やはり、腐ってもライターですね。そういう訳なので芦原さん、少しは自分で調べてください。説明するのも恥ずかしいので」
「そうかよ……」
秋葉は初めて見るような真っ当に嬉しそうな表情で俺に豪速球の皮肉をぶつけてきた。その球に直撃して呼吸困難に陥った俺はそれ以上言葉を吐きだせないまま、またもやアルバイト事務員に敗北してしまったのだった。
◇
「先ほど俺は『暇つぶしにもならない』と言いましたがそれはウォーターハンマー現象の話に限って、という意味です」
八百屋で一通りの野菜を揃えたらしい秋葉が会計を済ませて店を出ると、項垂れる俺の方へ向き直った。――が、俺の方はというと今は岡本さんにどう言い訳をし宥めるかで悩み始めていた為、秋葉への返事はなんだか投げやり気味になってしまった。
「他になんか興味のある事でもあったか? あ、もしかして髪の長い女ってやつ? なんで幽霊ってみんな髪長いんだろうな」
「芦原さん……貴方幽霊見えないでしょう?」
あまりに上の空だったからか、秋葉に思い切りため息を吐かれてしまった。
秋葉が『暇つぶし足りうる』と思える事にロクな事は無い気がするが、俺は一応耳を傾けた。
「髪の長い女もそうなんですが、俺が言いたいのは深夜の衝撃音から後は少し考えた方が良いかもしれないと言う事です」
「何を考えるんだよ。別に夜だろうと水道管は鳴るんだろ?」
「ええ。しかし、お話をしてくれた女性は"目が覚めるほど大きな音"と言っていたのでしょう? 少なくともその女性は水を使っていません。深夜であれば他の入居者が一斉に水道を使ったとも考え辛い」
立ち止まっていた秋葉は再び歩き出しながら、少しばかり早口で結論に向かった。
「元々音が観測できていた朝と夕方は時間も時間なので、複数人が水道を利用したと考えられます。そちらはウォーターハンマーの音だったのでしょうけど、その後の心霊現象は全て人為的なものだったのでは?」
つまり秋葉は深夜の衝撃音やその他のポルターガイスト現象は入居者による『ヤラセ』だったのではないかと言っているのだ。
「岡本さん、あんまり嘘ついてる感じなかったけどな〜」
「その女性は嘘をついていないのかもしれませんよ?」
俺の軽い呟きに対し軽く打ち返してきた秋葉の言葉は、またしてもそのまま俺にぶつかった。
岡本さんは本当の事を言っているのに『人為的なポルターガイスト』が起きるというのは、まあ……そういう事だ。
眉を顰めた俺に構わず秋葉は淡々と話し続けているが、本人が言った通り最初の衝撃音の答え合わせよりも少しは楽しそうに続けた。
「自分たちはポルターガイスト被害に見舞われているかもしれないという話になったとき、入居者たちの頭には同時に『東颯人氏に除霊を頼めばいい』という考えが浮かんだのでしょう。加えて、相談者の女性の『たまに注意したりもするけどみんな素直に聞いてくれる』という発言。大丈夫でしょうか? 彼女らは本当に”仲良く”暮らしているのでしょうか?」
岡本さんは例の古アパートを『代表して買った』と言っていた。巨額を投じて同好の士と趣味に打ち込もうとしていた彼女は、他の入居者にどう思われているんだろうか。
真実はわからない。あのとき聞いた以上の話を俺は聞いていないからだ。しかし俺の頭には漠然としたイメージが沸いてしまっていた。
岡本さんは巨額を投じて手に入れた趣味のアパートを運営しようとするも入居者に家賃を滞納され、異音がすると苦情を言われ、『
入居者は岡本さんの言う事を『素直に聞いている』のではなく『適当に流している』んじゃないのか。
『みんなで仲良く問題なく暮らしている』と思っているのは彼女だけで、本当は他の入居者たちに都合良く利用されているだけなのかもしれない。
もしアパートに幽霊などいないという話になり、推しである東颯人に無駄足を踏ませたという事になってしまっても、それは”代表して”相談した岡本さんの責任になるんだろう。
入居者たちは結局幽霊が居ようと居まいと、目当ての男が自分たちの下へやってくればそれでいいんだ。だから騒ぎを大きくして『推し』が来やすいように罠を張っているんだろう。
嫌な結論に辿り着いてしまい言葉を失った俺の横で、秋葉は次の店へ向かいながらクスりと笑ってみせた。
「なんか、蜘蛛の巣みたいですねえ」
◇
秋葉への相談をひと段落させた俺はポケットから財布を引っ張り出し、つり目に向かって1000円札を突きつけた。
「おや。世間話程度でしたので相談料はいりませんよ? 俺もまだ出勤前ですから」
「いい。受け取れ。年下のしかも男に仕事で奢られるのなんかまっぴらゴメンだ。賭け事以外で俺に奢ってサービスしていいのは年上のお姉さまだけだからな」
「……ちなみにそのような女性に会ったことあります?」
「いまその話関係ねえだろ」
俺に奢ってくれるお姉さまの有無を誤魔化された秋葉は片眉をあげて軽く首を傾げた後で、事務所用と思しき財布から300円を取り出したが、俺はそれを手で制止した。
「それもいい。安いけどとっとけ」
釣りを遠慮された秋葉は少し驚いた様子でつり目を見開いた。
「……今日は随分羽振りが良いですね。…………芦原さん、確かにあなたの仕事への態度はどうかと思いますが自ら命を絶つほどではありません。これから巻き返せますよ」
「死なねえわ! どうやって断るか悩んでるから釣り受け取りたい気分じゃねえんだよ。このままじゃ東颯人を呼んでも案件空振りにさせちまうし、なによりそんな初歩的な話ならそもそも
「そうですねえ……。では、頂いた三〇〇円分としてこちらをお渡ししますね。こちらは今回だけの特別料金です」
秋葉は自分の鞄を開けると、中から小さめのクリアファイルを取り出し更にその中から縦長の半紙を取り出した。
その半紙には素人目には何を表しているのか分からないような紋様や文字が書かれている。見覚えのある
「相談者の方にこれをお渡しして『東氏は多忙の為来られないが、話をしたらとても心配していたらしくこのお札を送ってくれた』と言ってください。もちろん、最初の音はウォーターハンマー現象だろうというお話込みで」
「恵比寿さんの札じゃねえか。相手は程度は解らんがマニアだぞ。バレるんじゃねえの?」
「いえ。絶対にバレません。安心してください」
秋葉が即答で断言する。どうしてそこまでの自信があるのか俺には分からない。オカルトマニア独特のものなんだろうか。
札を二枚ほど俺に渡した秋葉はクリアファイルを鞄に仕舞い込んでいる。コイツはいつも札を持ち歩いているんだろうか。嫌だな……。
「それでも心霊現象が絶えないと言われたら今度は『東氏本人ではなく、知り合いの霊媒師を派遣してくれることになった。料金も格安にしてくれるから、全員で折半すれば楽に払えるだろう』と提案してみてください。そこで心霊現象は止む筈です」
「おお……秋葉、お前頭良いな」
アパートの怪奇現象はほぼ偽物だろうという真相が見え隠れしてしまっている今、岡本さんの要望である『東颯人をあのアパートに呼ぶ』事はできないが、例の衝撃音の正体と住人たちのキナ臭さについてきちんと説明すれば彼女はきっと解ってくれるだろう。
住人たちがどう言うかまではわからない。しかし少なくとも岡本さんは推しに無駄足を踏ませた責任を負わずに済むし、衝撃音に関しても設備屋に連絡して見てもらえば簡単に解決できるかもしれない。
なんとなく先行きが明るくなってきた俺に、秋葉はいつも通り感情の見えない穏やかな笑みを向けた。
「それでも『霊媒師を呼んでくれ』と言われたらそれはもう本物でしょうから。その時はまた東颯人氏に連絡してもいいですし、ダメならうちに持ってきて下さっても構いません。所長に話を通しましょう」
「解った。じゃあそうさせてもらうわ。今回はマジで助かった」
困っている女の子への言い訳アドバイスを貰った俺は珍しくきちんと頭を下げた。答え合わせだけならまだしもアフターフォローまで入ってもらったのならばそれは礼を言うべきだろう。
「いえ。報酬も頂いてますので」
何の事もなく返事をした秋葉はそのまま魚屋へ入り、捌かれていないアジを選び始めた。
「秋葉お前魚も捌けるの!?」
「はい。最近習得しました。料理を習得する条件で雇用されてしまったので覚える事が多くて楽しいですよ」
さらっと言ってのけているが、先程駅で会ったときに聞いてみたら秋葉は国立大の医学部に在籍しているらしい。調理師になるために進学したんじゃないだろうにコイツは一体どんな時間の使い方をしてるんだ……。
「……が、柄にもなく惚れた女に尽くすタイプなのか……?」
思わず出た俺の呟きを聞き逃さなかった秋葉は、気に食わない様子で片眉を上げながらこちらを軽く睨みつけてきた。
「貴方は年甲斐もなくそういったからかい方をするタイプなんでしょうね」
「怒んなよ秋葉~」
「呆れているんですよ」
アジの会計を済ませた秋葉は魚屋を出ていく。俺は話も済んでいるというのにそのまま奴についていった。
「お前だって下心が無いとは言わねえだろ?」
秋葉は柄にも無く自分の上司に片想いしていて、職場で飯まで作る気合いの入り様だ。それで下心など無いと言ったら流石に嘘だろう。しれっとスカした秋葉にだって意中の相手に好かれたいという気持ちも、それに追従する下心もある筈だ。
自分の事だというのに心霊現象の可否を決める時と違って慎重に考え込んだ秋葉は、まるで難しい文章を噛み砕くようにゆっくりと正確に返答した。
「俺も下心が無いとは言いませんが、あなた方のように下心を原動力にしたりはしませんので。あまり一緒にされると心外です」
「……まあ……今回は確かにあんまり反論できねえなあ……」
俺は今回の一件を思い返す。
下心が悪い訳じゃない。こんなにスカした秋葉にだってあるんだ。人間であれば誰しもが持ちうるものだろう。ただ、自分の下心をきちんとコントロールしないで突っ走るとロクな事にならない。
今回だって、最初の衝撃音だけだったなら住人と岡本さんの間で「心霊じゃなくてよかったね」で済んだだろうに、下手な事をしてしまった所為で岡本さんはともかく住人同士の互いの印象は悪化したんじゃないだろうか。東颯人が来ないとなったあのアパートはこの後一体どうなって行くんだろう。俺が心配しても仕方のない事だが、せめて岡本さんと入居者の関係にヒビが入らない事を祈るしかない。
買い物を終えた秋葉と別れた俺は自販機でブラックコーヒーを買い、自分のなかに芽生えた”出世”という下心を一気に飲み下した。
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