私を切り捨てた王子様、もう遅いですよ?

昼から山猫

第01話:見捨てられる前夜

 私の名はセリア・シュトラール、伯爵家の令嬢でございます。


 幼い頃より「将来は王太子ライナー様の花嫁」と周囲に囁かれ、私は彼の理想に合う淑女になろうと努めてまいりました。


 王城内には、煌びやかなシャンデリアが照らす大広間が広がっております。


 その夜も、王家主催の舞踏会が開かれ、貴族たちは優美なドレスやタキシードに身を包み、楽しげな笑い声を響かせておりました。


「セリア、少し邪魔だ。もう少し向こうへ行ってくれ」


 ライナー様は私にそう仰いました。


「申し訳ございませんわ、ライナー様。すぐに下がります」


 私が丁寧に礼をして、彼から少し離れた柱の陰へ移動すると、背後で女官たちがくすくすと笑う声が聞こえました。


「おや、セリア嬢、今宵はいつもより地味ではなくて?」


 向こうから、派手な紅色のドレスに身を包んだ令嬢が笑みを浮かべて近づいてまいります。


「いいえ、これでも精一杯おめかししたつもりでございます。ブルーのドレスはライナー様がかつてお好みと仰ったもので……」


「まあ、ライナー様がそんな昔の趣味をまだ覚えているとお思い? 最近はもっと華々しい魔力をお持ちの令嬢が流行りよ」


 その女性——確か侯爵家の娘で、名はマリベルだったでしょうか——はそう嘲るように微笑みました。


「そうですの……。私も、魔法訓練は怠っておりませんが、華やかとは程遠いかもしれませんわね」


「ふふ、あなたの土壌改良魔法だったかしら? 作物を育てるための地味なものを、王子様がお気になさるかしら」


「……」


 胸が苦しくなります。


 確かに私の得意な魔法は目立ちません。


 光の矢を放つことも、炎の壁を生み出すこともできず、せいぜい痩せた土壌にわずかな力を与える程度。


「セリア、今宵も派手な見せ場はないのかい?」


 再びライナー様が声をかけてくださいましたが、その口調には期待も喜びも感じられず、ただ退屈そうな響きがありました。


「申し訳ございません。私には、あまり大きな魔力はございませんので……」


「ふむ、それならば仕方ないな」


「ライナー様、せめて、お側でお話を……」


「今はいい、私は他の令嬢方とも知り合っておかねばならない」


 ライナー様は私を振り払い、鮮やかな緑色のドレスを纏った名家出身の令嬢の元へ足を運びます。


「ライナー様、今宵は新しい魔法をお披露目できますの。私、空中に花びらを浮かべて美しい光を散らしてみせますわ」


「ほう、それは素晴らしいな、ぜひ見せてくれ」


 周囲がぱっと明るくなり、羨望混じりの視線が彼女に集まります。


 私は静かにライナー様を見つめながら、ただ指先を震わせておりました。


「セリア嬢、あなたは相変わらずね」


 先ほどのマリベルが私を見下ろすような目を向けてきます。


「まあ、ライナー様が求めるのは大輪の花。地味な苗木は用無しってことじゃない?」


「……」


 何も言い返せません。


 私だって必死に努力してきましたのに。


「セリア、そろそろお部屋に戻ったらどうだ。君は疲れた顔をしている」


 ライナー様がお優しい言葉をかけてくださった……かと思えば、その声にはどこか突き放す響きが混じっていました。


「いえ、私はまだライナー様のお側にいたく……」


「そうか。だが、君がここにいても、特に見るべきものはないのだろう?」


 胸が軋みました。


「……失礼いたしますわ」


 私は浅く礼をして、踵を返します。


 大広間を出て、長い回廊を進むと、夜風が涼やかに吹き込むテラスがあります。


 そこで私は石柱に凭れ、そっと瞳を閉じました。


「どうして……私はあの方に愛されないのでしょう」


 声に出せば、虚空へ溶けていく儚い問い。


「セリアお嬢様、こんな所にいらっしゃったのですね」


 振り向けば、シュトラール伯爵家で私に仕えている侍女フローラが心配そうな面持ちで立っております。


「ええ、少し疲れましたので……」


「お気持ちはお察ししますが、これからライナー様がお呼びだそうです。お部屋の方へ来て欲しいと」


「ライナー様が、私を? ……わかりました、すぐに伺いますわ」


 先ほどは邪険にされましたが、今度は呼ばれる。


 胸がざわつきます。


「フローラ、どう思います? もしかしたら、ライナー様は私の努力を認めてくださるのでしょうか」


「お嬢様、その……あまり過度な期待はなさらない方が……」


「そう……ですわね。けれど、これまで頑張って参りましたもの。信じたい気持ちは止められません」


「お嬢様がお決めになることです。私たちはただ、傍でお支えするだけ……」


 フローラの言葉を聞きながら、私は再び王子の私室へ向かう廊下を進みます。


 冷たい石床を踏むたびに、心音が早まりました。


「セリア、よく来たね」


 部屋に入ると、ライナー様は窓辺に立って外を見ておられます。


「はい、お呼びだと伺いまして」


「……君にはずいぶん付き合わせてきたと思う」


「はい、私はこれまでライナー様の花嫁として相応しい女性になるため、全身全霊を尽くして参りました」


「そうだな、君は努力家だ。だが、悪いが……」


 ライナー様の声はいつになく低く、重く響きました。


「君はあまりにも地味で、つまらない。私にはもっと輝く女性が必要だ」


「……!」


 思わず息が止まりました。


「今宵を境に、君との婚約を解消することにする」


 頭が真っ白になります。


「ま、待ってくださいませ、ライナー様……私がどれだけあなたのために……」


「確かに感謝はしているよ。でも、私が王となる以上、人々を圧倒する華が必要だ。君にはそれがない」


「そんな……私の魔力は地味でも、必ずお役に立てますわ! 国の土地を豊かに……」


「もういい、出て行ってくれ」


「ライナー様……」


 ライナー様は私を振り返らず、手で払いのけるような仕草をなさいました。


「護衛の者、セリア嬢をお送りしろ。もう、必要ない」


「……っ」


 唇を噛み、言葉も出ず、私はその場を立ち去りました。


 廊下を歩き、王城を出るまでの道のり、記憶が曖昧です。


 ただ、冷たい夜風が頬を打ち、目頭が熱くなる感覚だけは鮮明でした。


 それほどまでに執着していた婚約は、あっけなく捨てられたのです。


 涙で目が霞む中、馬車に乗り込み、私の家へと帰っていく道すがら、侍女のフローラがずっと背中をさすってくれました。


「お嬢様……つらかったですね」


「ええ、でも……これが現実なのですわね」


 馬車が伯爵家の門をくぐると、父が出迎えてくれましたが、その面持ちは憂いに満ちておりました。


「セリア……すまない。お前には本当に苦労をかけた」


「いえ、お父様、私こそ、何の魅力もお見せできず……」


「そんなことはない。お前は十分頑張った。ただ、あの男にはわからなかっただけだ」


 父の言葉は優しくも悲痛で、私はこらえきれず嗚咽を漏らしてしまいます。


「お嬢様、とりあえず今宵はお休みになりましょう。明日からのことは、また明日考えましょう」


「……そうですわね、フローラ。ありがとうございます」


 自室のベッドに倒れ込み、涙が枯れるまで泣きました。


 これから私が歩む未来は、何のために続いていくのでしょう。


 王子の花嫁となる夢は崩れ去り、私の存在価値まで否定されたような痛みが心を締めつけます。


 けれど、このままでは終われない。


 明日から、私はどこへ行くべきなのか。


 王城では必要とされなかった力が、誰かの役に立つかもしれない。


 そんな微かな希望を胸に、泣き疲れた瞼を閉じる夜でした。


 けれど、その決断が、私の運命を大きく動かすことになるとは、この時はまだ知る由もないのです。

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