クリスマスはクルシミマス
仲瀬 充
クリスマスはクルシミマス
今後のことについてあれこれの用件を片付けて今帰宅したところだ。
街なかはクリスマスイブで大賑わいだった。
皆が皆キリスト教徒じゃあるまいし何がそんなに楽しいのかねえ。
「クリスマスはクルシミマス」
古くさいダジャレを呟きながら一人寂しく帰って来たよ。
昨日は家財道具を処分するついでにアルバムの写真も全部シュレッダーにかけた。
1枚1枚に宿る思い出を噛みしめながらだったから時間がかかった。
そのへんのことをスマホに書き込んで君に送信しようと思う。
あまり時間がないんで整った文章にはならないだろうが一読してみてくれ。
君を一番の友だちだと思っているのが僕の一方的な思い込みなら迷惑なことだろうけど。
それに富沢からのメールによれば君もバタバタしている最中だろうからなおさら済まない。
昔のアルバムをめくりながら意外に思ったことがあった。
かつては家族3人で笑って写真に収まった日々もあったんだって。
ただしそんな写真は多くはなかったけどね。
後悔先に立たずだ、もう取り返しはつかない。
家族を養うために
そんなひねこびた思い上がりが結局は家族の歯車を
専業主婦と言ったって家事と子育てだけだから簡単だろう。
息子にしても学校に行ってただ授業を受けるだけじゃないか。
妻と子供のことはそんな程度にしか考えてなかった。
妻が産後すぐのまだ産院にいた頃のことだった。
僕は仕事帰りに寄って話をしたり赤ん坊を抱いたりした。
そんなある日、赤ん坊を寝かせに看護師が新生児室に連れて行ったのを機に僕も立ち上がった。
帰って食事、洗濯、入浴をしなければならない。
「もう帰るの?」
妻がベッドに横たわったまま言った。
「うん」
君、僕は何のためらいもなくそう返事したんだ。
古びた個人病院の薄暗い部屋で一人長い夜を過ごす妻を思いやることができなかった。
何事にも控えめな妻が引き留めたがるからにはよほど寂しかったに違いないのに。
悔やまれることは妻が退院してからもあったよ。
産まれた息子は
ある日の深夜、息子の泣き声で目が覚めた僕は背を向けて毛布をかぶった。
すると妻が息子に乳を含ませながら言ったんだ。
「私、明日からこの子と隣りの部屋で寝るようにしようか?」
僕はまたしても自分の都合しか考えなかった。
「そうしてくれれば助かる」
会社から転勤を命じられたのは息子が中学2年生になる春だった。
息子が転校しないですむよう単身赴任することにした。
一人暮らしは不便だったけど家に帰る週末の方が気が重かった。
と言うのは、待ってましたとばかりに妻が1週間分の出来事を話すんだ。
話の内容には愚痴や不満も多かったからなおさらだった。
「それはこう考えてみたら?」
「それはこうすればいいさ」
僕は途中途中で口をはさんで解決策を示した。
その方が話も早くすむだろうから一石二鳥のはずだった。
ところが妻はそんな介入を喜ばなかった。
君が側にいたら女心の分からない奴だと僕をつついただろうね。
「奥さんは問題を解決してもらいたいんじゃなくて話をただ聞いて欲しいだけなんだよ」と。
アルバムの息子の写真は中学生になると学年を追って笑顔が見られなくなった。
当時は思春期のせいかと思っていたんだけれども違っていたようだ。
3年生になると妻の週末の報告はいじめ話に絞られた。
息子は親の僕から見ても空気の読めない子でね。
他の生徒たちに異分子扱いされてからかわれるのは無理もない気がした。
だから僕は妻の相談を聞き流したんだけどそれが大きな間違いだった。
今にして思えば息子に非があるはずはなかったんだ。
空気が読めれば周囲に迎合したり逆に反発したり、いろんな対応が可能だろう。
しかしなぜ理不尽な目に遭うのか理解できない息子はどう対処のしようもなかったんだと思う。
2学期終盤になると学校に行かなくなった。
僕はむしろ妻が心配だった。
息子以上にふさぎ込んで家事もおろそかになっていったんでね。
僕が週末に帰っても出迎えに出て来ずぼうっとしていることが多くなった。
そしてクリスマスの日にああいう死に方をしたのは君も知ってのとおりだ。
妻の自死に責任を感じたのかどうか、息子は年が明けたら登校すると言い出した。
中学修了まで2か月たらずだけれども息子に一人暮らしは無理だ。
僕の赴任先のアパートに息子を呼び寄せた。
それに高校生活も新しい土地でスタートさせる方がよかろうと思った。
「どうだ、高校は楽しいか?」
「友だちはできたか?」
息子の返事ははきはきとは返ってこなかった。
それでも僕は毎日学校に行ってくれれば安心だった。
夏休みになると息子は自分から洗濯と掃除と炊飯をやり出した。
おかげで僕は仕事帰りに2人分の総菜を買って帰るだけでいい。
アパートは曲がりくねった上り坂の突き当りにあった。
最後のカーブを曲がるとアパートが見える。
ベランダの物干し竿に通した洗濯物が夕風に揺れている。
息子はいつもベランダの手すりに肘をのせて外を見ていたよ。
ひょっとしたら僕が帰るのを待っていたのかな。
時には手すりに置いた腕に顔を横たえて居眠りしていることもあった。
できるならあの頃に戻りたいと思う。
夏休みが終わって2学期に入ると息子のようすがおかしくなっていった。
学校もぽつぽつと休みだした。
去年の2学期と同じ経過をたどるんじゃないかと僕は不安になった。
妻が暗い表情でうつむきがちだったのも分かる気がした。
「高校でもいじめられているのか?」
息子はそうだとも違うとも言わなかった。
中学生の時の経験で僕に相談しても無駄だと思ったのだろう。
「ぼく、学校やめて働こうかな」
ある時息子が晩御飯を食べながら独り言のように言った。
「今の世の中、高校くらいちゃんと出なきゃ食っていくのは難しいぞ」
君、書きながら自分が嫌になるよ、どうして僕はこうなんだろうか。
僕のありきたりの返事に息子は「そうだね」と言ったきりだった。
息子の欠席は増え続けて北風が吹く頃にはとうとう家から出なくなった。
12月も半ばを過ぎたある日、息子が壁に掛かったカレンダーを見上げて言った。
「もうすぐ1年になるね。お母さん、首を吊って一人で
こいつは何を言い出すのか、お前の不登校で気を病んでいたのにまるで他人事みたいに。
口にはしなかったけど腹が立ったよ、自分が家庭を顧みなかったことは棚に上げてね。
さらに言えば僕は二重に愚かだった。
息子の身になって思いを巡らせば察知できたかもしれなかったのに。
息子は妻の後を追うつもりなのではないかと。
それから1週間ほど経った12月24日、妻の
夕食前に晩酌をしていると息子が珍しく話しかけてきた。
「お父さん、ぼくもビール飲もうかな」
何を言うんだ、学校にも行かずにいるくせに。
君、そんなふうにしか思えなかった僕を憐れんでくれ。
「未成年が酒を飲んじゃだめだろう」
息子は「そうだよね」と言ってご飯を食べ始めた。
息子が命を絶ったのはその翌日のことだった。
妻の命日で死に方まで同じだった。
明日25日で息子が逝ってちょうど1年。
明日と言っても今午後11時50分だからもうすぐか。
クリスマスはキリストの誕生日だけど僕にとっては妻と息子の命日だ。
クリスマスはクルシミマス
言い古されたダジャレが身に沁みるよ。
そろそろ終わりにしよう、君に送信したらこのデータは削除する。
読み終えたら君もそうしてくれ。
愚か者の
あんな奴もいたなと時折り思い出してくれればそれで十分だ。
「お父さん、ぼくもビール飲もうかな」
あれは僕との別れの
一緒に酒を飲んで酔えば別の展開がありえただろうか。
「そうだよね」……僕に拒絶された息子の最後の声がずっと耳に残っている。
詫びたら許してくれるだろうか。
日付けが変わった。
最後まで読んでくれてありがとう。
息子と妻に会いに行く
12月25日
桶谷健二くんへ
今泉康孝より
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「
インターホンの画像を見ると俺とそう変わらないくらいの年ごろのおっさんだ。
ドアを半開きにして顔を突き出した。
「桶谷ですが、何か?」
「私、NHKの地域スタッフなんですが」
驚いた、引っ越して2日目なのにどうやってかぎつけた?
銀行が顧客の死亡を知って口座を凍結するよりもすばやい。
「受信料なら引き落としで払ってますよ」
「はい、それはもうありがとうございます」
「じゃ、そういうことで」
俺はドアを閉めようとしたのだが。
「今回は地上契約から衛星契約への切り替えの件なんです」
「けっこうです」
「そういうわけには」
「だって衛星放送は見ないから」
「見る見ないは関係ないんです。こちらのマンションは衛星放送の視聴が可能な共同アンテナなんで」
俺は頭に血が上ってきた。
「分かりました。じゃこれからあなたの目の前でテレビを叩き壊しましょう」
「へ?」
「訪問員の態度に気分を害したので地上契約も解約したいとNHKに連絡します」
だからあんたの名前を教えろと言うとおっさんは慌てふためいて退散した。
ざまをみろと
今の俺は節約できる出費は節約しなければならない状況なのだ。
あれは1週間近く前の風の強い朝だった。
いつもは気にならないコンタクトレンズにも違和感を覚えながら地下鉄の駅へ向かった。
風が急に吹き付けてきて砂粒が目に入りきつく目をつぶった瞬間だった。
右目のレンズが外れて路上に落ちた。
乱視を矯正する加工を施したハードレンズだから片目でも2万円。
慌ててしゃがんで足元をさがすが見つからない。
出勤途中なので時間をかけるわけにいかずあきらめて電車に乗った。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と言うが俺の場合は「風が吹けば桶谷が損する」だ。
ところが損をするどころではなかった。
混んだ電車の中で俺はしきりに右目をしばたたいた。
砂粒が入った傷みと流行り目のせいで涙がにじむ。
遅刻の言いわけを考えていると電車がガタンと大きく揺れた。
揺れが収まると右隣りに立っている女が俺をにらんだ。
ビジネスバッグを提げている手の甲が女の尻に当たったのかもしれない。
きつい化粧に派手めの服、バッグは黒地に白い知恵の輪みたいなマークが入っているブランドもの。
首に狐の襟巻きを巻いているが顔も襟巻きの先っぽの狐に似ている。
「今、触りましたよね?」
この一言で女の横のちょびひげのおやじまで俺をにらんできた。
周りを見回すと左隣りに立っている女はすごい美人だった。
バッグを左手で提げていればよかったと見とれていると狐女の声がきつくなった。
「なに無視してるのよ! 何とか言いなさいよ!」
触るなら相手を選ぶと言いたかったがさすがに自制した。
「うぬぼれるな、電車が揺れたせいだよ」
しかしこれでも女を怒らせるには十分だったようだ。
「駅員室に行くわよ」
狐女は俺の手首をつかんで次の駅で降りた。
こういうケースでは
ホームに降り立つと俺は女を振り切って駆け出した。
改札口を抜けてやれ安心と思ったとき肩をつかまれた。
女の足で追いつけるはずはない、驚いて振り向くとちょびひげのおやじだった。
狐女が後から悠然と追いついてきたところを見るとどうやら二人は連れだったようだ。
俺は二人に強引に駅員室に連れていかれた。
駅員からの連絡でやってきた警察官に俺は無実を訴えた。
しかし女はもちろん目撃者のちょびひげも俺を非難した。
「こいつは触る前から彼女に色目をつかってやがった」
それはウインクとかじゃなく流行り目の結膜炎のせいだと反論したが逃げ出した以上、説得力はなかった。
あくまで訴えると言うので警察官が手続きを説明し始めると狐女とちょびひげは急にあたふたしだした。
起訴ということになれば目撃者のちょびひげの身元も明かされることになるがそれが困るらしい。
どうやら二人は愛人関係のようで俺は示談ということで釈放されることになった。
ただし職場に連絡がいって身元引受人として係長が呼ばれた。
職場に着くと皆の視線が冷たい。
警察からの連絡を受けた係長の口から桶谷が痴漢を働いたらしいという噂が既に広まっているらしい。
同期で学生時代からの友人でもある富沢が駆け寄って来た。
「おい、いったいどうしたんだ?」
「ぬれぎぬなんだよ」
俺は皆にも聞こえるように大きめの声で言ったがすぐに係長に呼ばれた。
「桶谷くん、ちょっと会議室に」
会議室では課長が既に待機していた。
「まあ座りたまえ。困ったことをしてくれたね」
俺はコンタクトレンズを落としたところから必死でことのなりゆきを説明した。
それでも課長のしかめっ面はほどけなかった。
「まあ君を信じたいのは山々だが今日のことは明日の新聞に載るそうだ。小さな記事だろうが我々の銀行という商売は信用が第一なのは君も分かるだろう?」
解雇処分もありうるがという前置きで退職金を支給できる自主退職を勧められると俺はそれをのむしかなかった。
自宅のマンションは銀行の借り上げ社宅なので退職となると退去しなければならない。
マンション内でも俺に関する情報が回るのは速かった。
「ご近所に顔向けできない」
「恥ずかしくて学校に行けない」
職場と同じで女房と娘も俺が無実かどうかより体面がすべてなのだ。
結局、女房は離婚前提で娘を連れてそそくさと実家へ移った。
俺はなるべく安い賃貸マンションをさがして移ったがそれが二日前のことだ。
それなのに今日さっそくNHKがかぎつけてきた。
自己都合退職だから2、3か月は失業手当も受給できない。
最寄りのハローワークの場所を確認しようと俺はスマホを開いた。
ん? メールの着信が6件もある。
富沢 有田 桶谷 宮本 北野 武富
そろいもそろって大学時代のバスケ部の同学年全員からだ。
会社の同僚でもあった富沢のメールをクリックした。
「大変だったな。相談があればのるから連絡してくれ。会社のロッカーのお前の私物も俺が預かっているし」
次に有田のメールを開いた。
「富沢から聞いたが同情するよ。俺にできることがあれば言ってくれ。力を落とさず頑張れ」
ははあ、富沢が全員に連絡を回したのか、余計なことを。
どうせ残りの4人もおざなりな慰めだろう。
俺はフォルダごと削除した。
こっちはそれどころじゃない、さっそく明日から職探しだ。
まったく今日は12月の25日で世間はクリスマスだというのに俺はクルシミマスだ。
クリスマスはクルシミマス 仲瀬 充 @imutake73
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