八百万神鏡

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第一章:神社最後の夜

深い山々に囲まれた八坂村は、昼間こそ穏やかな自然の風景が広がるものの、夜になるとまるで別の顔を見せる村だった。

日が沈むと、村全体を黒い影が包み込む。木々の間を吹き抜ける風が低い音を立て、虫たちの鳴き声も次第に遠ざかる。夜空に浮かぶ月は、地面を淡い青白い光で照らしているが、それでも村の中心にある神社だけは、異様なほど暗闇に溶け込んでいた。

「……静かすぎる。」

優真(やさか ゆうま)は掃除を終えた境内で、ふと立ち止まり、あたりを見渡した。いつもなら何も感じないはずの夜の神社だが、今日はどこか違っていた。空気が冷たく、木々の影がまるで生き物のように揺れている。

「母さん、今日はもう家に戻らないか?」

境内の奥で祠を見つめていた母、美紀(みき)は、優真の声に振り向きもせず短く答えた。

「……少し待って。今日は祠の様子を確認しておかないといけない。」

祠――それは八坂家が代々守り続けてきた神社の奥にある小さな石造りの建物だ。古びた扉には鍵がかけられており、誰も中を見ることは許されていない。その場所は、村の中でも特別な意味を持つ神聖な空間とされていた。

「様子って……何があるって言うんだよ。」

優真がそう言いかけた瞬間、祠の奥から低い音が響いた。それは地鳴りのような重い音で、地面を震わせ、優真の足元まで伝わってきた。

「……!?」

優真は驚いて母の方を見た。美紀の表情は険しく、目は祠の扉を鋭く睨みつけていた。

「嫌な予感がする……優真、ここにいなさい!」

そう言い残して美紀は祠に近づいていった。

美紀が祠の扉に手をかけた瞬間、低い唸り声のような音が祠全体から響き渡った。その音は村全体に広がり、遠くの木々を揺らすほどの力を持っていた。

「……何だよ、これ……!」

優真は思わずその場から後ずさった。祠の扉の隙間から青白い光が漏れ出し、次第にその光が強くなっていく。

「母さん!危ないよ!」

叫んだが、美紀は動かない。彼女の手は扉に触れたまま固まり、その視線は奥に固定されていた。

その時――

バキッ!

扉が勢いよく開き、祠の中から激しい光が放たれた。青白い光が霧のように立ち込め、空気を震わせる。

「何だこれ……?」

優真は息を呑んだ。祠の中にあったのは、古びた鏡だった。それは高さ1メートルほどの円形の鏡で、表面は光の波紋のように揺れている。その光景は現実離れしており、ただ見ているだけで全身が震えた。

「これが……八坂家が守ってきたもの……?」

優真が鏡を見つめていると、鏡から低い声が聞こえてきた。それは人の声ではなく、地の底から響いてくるような重い音だった。

「……封印……解放。」

その瞬間、祠の中から巨大な影が現れた。それは人間とは程遠い異形の存在だった。黒い霧で覆われた体、赤く燃えるような目、鋭い爪と牙。

「な、なんだよこれ……!」

優真は体が動かないまま、その怪物を見つめた。怪物は鏡を見下ろし、低い声で唸りながらこう言った。

「八坂の封印を解いたのは……貴様か。」

怪物の目が優真に向けられた瞬間、全身が凍りつくような感覚に襲われた。それは恐怖だけではなく、体全体を支配するような圧倒的な力だった。

「貴様の命を――喰らう!」

怪物が低く咆哮を上げ、巨大な腕を振り上げた。その腕が振り下ろされる直前、青白い光が優真の体を包み込んだ。

「……何だ、これ……!」

鏡から放たれた光が優真を守るように動き、怪物の攻撃を弾き返した。その光は次第に優真の手に集まり、彼の腕を覆うように輝き始めた。

「鏡が……俺に……?」

体が勝手に動き出し、優真は手を突き出した。すると、青白い光が刃のように凝縮され、怪物に向かって放たれた。

「……うわあああっ!」

その光が怪物の胸を貫き、黒い霧を巻き上げながら消え去った。

全てが終わった後、祠の周囲には静寂が戻った。しかし、優真の中には鏡が放った力の余韻が残っていた。

「母さん……これは一体……?」

美紀は優真を抱きしめながら、静かに呟いた。

「鏡が目覚めた以上、もう……普通の生活には戻れない。」

その言葉の重さが、優真の胸にずっしりとのしかかった。

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