炎帝姫は狼王の癒し係を拝命中 -断罪された魔女の娘は異端の王に甘く溶かされる-

みんと

第1章 辺境の魔女は王の薬師に求められる

第1話 導かれた二人

 赤髪が揺れる。炎のように。


 ――ナディ・カルムード! 貴様を王家謀計ぼうけいの罪で極刑に処す!


 少女は炎の中で、懸命に息を吐いていた。

 残忍な男の、残忍な計略にはめられて。

 花びらの如く舞う鮮血は、どこまでも遠く零れ、彼女の魂を削っていく。


 傍らには小さな命。

 この命だけは、決して奪われさせはしない。

 懸命に堪えた彼女はやがて、血塗ちまみれの娘を秘かに託し、この世界から消え去った。


 娘は炎と共に生まれ、真神まかみに愛される運命なのだと、あの日の水晶は語っていた――。





 ――ねぇエルナ。誰か来るよ。


 森を渡る風が、赤髪の少女に告げる。

 夏を感じる日差しは、森の狭間の草原と、そこに建つレンガ造りの小さな家を照らしていた。


「……お客?」


 隣には簡素な薬草園。

 ウェーブを描く赤髪に、炎のような瞳。淡いオレンジ色のドレスに作業用のエプロンをまとい、熱心に薬草の手入れを行っていた少女は、吹いた風に顔を上げて呟いた。


 少女の足元には、蝙蝠の羽を生やした黒とキジトラの猫のような生き物が寝転び、少女を不思議そうに見上げている。

 にこりと笑んだ少女の面持ちは、まだどこかあどけない。


「招かざる客がこの森に入ったようだ。まったく、私のモフモフたちとののんびり生活を邪魔しようとはいい度胸をしている。クリュエ、リーファ、居留守を決め込むぞ」


 かわいらしい顔立ちとは裏腹の不遜な物言いで、少女は彼らを優しく撫でる。ごろごろと喉を鳴らす音が聞こえ、少女は一層綻んだ。


 ここはヒューンズ侯爵領辺境の地・アルバの森。

 魔女の薬師が暮らすと噂され、人々が近寄ることは滅多にない。


 風の知らせに少女は面倒そうに息を吐いた。





「……本当に、この先にいるのだろうな」

「ああ。もーちょいだから我慢しろよ。きっといい薬を処方してくれるから!」


 同じころ。

 森の中ほどでは、煌めく木漏れ日を浴びながら、背の高い二人の男が言い争いをしていた。


 ひとりはパールグレイの長髪を無造作に伸ばし、よれたシャツに上着を羽織っただけのような、お世辞にも紳士とはいいがたい青年。青年は、ディープレッドの瞳を陰らせ、すらりとした鼻梁も、元は整った顔立ちも台無しにするような表情で、隣の青年を仰ぎ見る。

 その表情には、なけなしの懐疑心が浮かんでいた。


「ほら、見えて来たぞ。エルナいるかな……」

「う……」

「帰るなよ、オルリア。お前、国王のクセに十ヶ月も引きこもりやがって。おかげでお前の叔父君を筆頭にめちゃくちゃしやがるからもう大変なんだよ! ちゃんと診てもらえな」


 一方、オルリアと呼んだ彼を見つめ、隣を歩いていた青年は断固として言い切った。

 こちらはかっちりとしたストーングレイの詰襟軍服に身を包み、センターで分けた栗色の髪と、人懐っこいたれ目がちの茶色い瞳が柔らかな印象の青年だ。


 一見して浮浪者と騎士といった二人は、草原の真ん中にぽつんと立つ、小さな煉瓦造りの家を目指していた。



「エルナー! 居るか? 俺だ、タングリー。ちょっと相談があるんだ。出てきてくれねぇか?」


 赤茶色の煉瓦を積み重ねて作っただけのような家は、しんと静まり返っていた。


 閉め切られたカーテンは人影を映さず、気配も一切見当たらない。だが、遠慮なくどんどんと扉を叩いた青年は、中にいるであろう少女に声を掛けた。

 普段から人との関わりが希薄な彼女にとって、居留守は常套手段。相手が幼馴染みと分かれば、出てきてくれると踏んでいた。


「エルナー?」


 無遠慮にどんどんと叩き続け、木製の乾いた音が夏の空気に消えていく。

 それでも顔を出さない少女に、青年――タングリーは根競べと心の中で呟いた。


「……うるさいぞ。そう何度も叩くな」


 やがて、彼の根気に負けた扉が開いたのは、十分ほど後のことだった。

 赤髪に炎のような瞳、幼い顔立ちの少女は足元に二匹の羽の生えた猫を連れ、不遜な態度でタングリーをめつける。


 炎帝えんていの魔女・エルナ。

 それが彼女の正体だった。





 ――魔法族はこの世界に数多あまた存在する精霊エネルギーたちと言葉を交わせる存在だ。

 彼らは呼びかけに応じてくれた精霊の力と、身の内に宿る魔力エレメントを掛け合わせることで、様々な事象を起こすという。


 一昔前までは異能と偏見で忌避されてきた魔法族も、四十年ほど前に起きたとある事件をきっかけにその存在が広く知られるようになり、今では魔法王国と呼ばれるソフィリス・クウィンザーのみならず、欧州各地で時折見られるようになっていた。


 エルナもまた例外なく、この地に流れてきた異国の魔女であり、その家系は「炎帝の一族」と呼ばれる、精霊の加護を直接受けた「七大魔法名家」のひとつカルムード家の出身だ。



「よかった、やっぱりいたな。元気そうだ。話を聞いてくれ、エルナ」

「ん」


 それはさておき。

 不機嫌そうなエルナをまっすぐに見下ろし、人好きされる笑顔で彼女の髪を撫でたタングリーは、挨拶もそこそこに願い出た。

 八年前、偶然森で出会ったエルナは、タングリーの幼馴染みだ。


 だが、そんな彼に手を差し出したエルナは、何も言わずに彼を見つめ返す。ぷにぷにと柔らかそうな手は、何かを求めているようだ。


「はいはい。そう来ると思ったよ」


 すると、仕草だけで察したのか、タングリーは軍服のポケットからコルドー金貨を取り出すと、躊躇いなく差し出した。


 コルドー金貨は一枚で一般家庭の約半月分の稼ぎに値する。表面には松明と真神、裏面には王国の南にある大神殿の意匠がされ、見目からして美しい。


「金貨だ! いいのか!? 久しぶりに見たぞ、金貨!」


 途端、夏の日差しを浴びてきらりと光る金貨に目を輝かせたエルナは、猫のような素早い仕草で奪い取ると、ほんの少しだけ気の強そうな炎の瞳を彼に向けた。


 この幼馴染みはかわいい顔をして守銭奴しゅせんどなのだ。金貨は効果覿面てきめんだろう。


「ああ。そのくらい喫緊きっきんの案件だ。中に入れてくれるか?」

「むー。仕方ない。金貨に免じて赦す。入るのはお前と……その陰鬱そうな客人か?」


 タングリーの予想通り、三センチ大の円形金貨に大いに喜び、頬擦りまでしていたエルナは、少女らしい笑みの後で二人にそう問いかけた。

 会話中、ずっと俯いていたパールグレイの髪の青年――オルリアは、まだ一言も喋らない。


 訳アリだ――直感するエルナの横で、タングリーは大きく頷いた。





「庭で取れたカモミールティーだ。貴族どもの口に合うか分からんが、一応出しておく」

「ありがとう、エルナ」

「それで、話とはなんだ?」


 二人を室内に招いたエルナは、リビングとキッチンが一続きになった大きな部屋に通すと、杖を振って一応とお茶を用意した。

 タングリーはエルナが住むヒューンズ侯爵家領の主の息子……つまりは侯爵令息だ。必然的に隣の青年も、上流階級の人間と思ったのだろう。


 チラリとオルリアを盗み見て、エルナはそれでも口調を崩さず問いかける。

 すると、隣で俯くオルリアを指差したタングリーは、心底困り果てたように言い出した。


「俺じゃなくてこいつな。実は様子が変になっちまった引きこもりでさ。王宮の侍医も誰もかも拒絶して、困ってんだ。ようやく魔女の薬師に直接話すならって、何とか引っ張って来たんだよ。診てやってくれないか?」


 指を差されたオルリアは、話を聞いているのかいないのか、落ちくぼんだディープレットの瞳を彷徨わす。正気を失っているようには見えないが、それでも目を合わせることを拒んでいる様子が窺えて。

 明らかにおかしい彼を見つめ、エルナは慎重に頷いた。


「ふむ。私は魔法医ではないから治癒は専門外だ。だが、薬の調合で症状の緩和は望めるかもしれない。きみ、症状は話せるか?」


 上流階級の人間とんで、それでもなお口調を崩さないエルナは彼に問いかけた。


 彼女は十六歳の若さで魔法薬師協会が定める魔法薬師の資格を持つものの、その内容は薬の調合と販売が主だ。上級資格である魔法医は十八歳にならないと受験資格が与えられない以上、できることには限界があるだろう。


「……!」


 それでも手を尽くしてみようと問いかける一方。

 答えぬまま室内に視線を向けていたオルリアは、質素ながらも整頓された本棚や観葉植物を眺める途中、チェストの上に置かれた大きな水晶の輝き目を瞬いた。


 日差しを浴びて虹彩こうさいを放つ十五センチ大のアイリスクォーツは、透明度が高く見事な真円。不思議なエネルギーに惹かれていると、不意に虹彩が力を増した……ように見えた。

 瞳が吸い寄せられて、離せなくなる。


「む。どうやら私の水晶がきみを視たようだ。どれどれ」

「は? なに言ってるんだ?」


 と、彼の視線に気付いたエルナは、虹色に煌めくアイリスクォーツに目を向けると、おもむろに呟いた。そして水晶を持ち上げ、中をじっと覗き見る。


 最初こそ、好奇心に満ちた瞳で覗き込んでいた彼女はしかし、途中で顔をしかめると、大きくため息を吐いた。

 その横で、タングリーは訳が分からないと言った顔をしている。


「なるほど。これはお見逸れした。まさか目の前におわすお方が、ここエイムストン王国の国政をほったらかした「引きこもり冷徹国王」オルリア・テイトブランクとは」

「なっ。あれ、俺そこ説明したっけ?」

「いいや。アイリスクォーツは時折個体を視て、情報と未来を予知する代物だ。それによりいつの日かの未来が見えた。引きこもりの原因も判明だ」

「……!」


 水晶を元の位置に戻し、エルナは驚いた様子の二人に笑う。

 口調とは裏腹の幼い顔立ちは、一心にオルリアを見つめていた。


「それにしても、まさかこんな地で出逢うとはな。哀れなよ」

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