百合幕府 狂い咲き

大洲やっとこ

第1話 百合触れ


「これは藤姫将軍直々に公布の令である!」


 お役人様は高々と掲げたお触書の前で大きな声を上げた。

 可愛い女の子が二人、頬を寄せ合うイラスト入りのお触書。文字が読めない人にも優しい。

 2コマ目には、同じ女の子たちの間に男が割り込むイラストに大きくバツをつけて。


「幕府は百合を強く保護する! 百合に挟まる男は誰であろうと市中引き回しの刑に処す!」


 そんなこと、今さら?

 島々から成る花八洲はなやしまの国を三姫三幕府が治めるようになってからずっとそうだ。

 百合諸法度に定められている。



「百合に挟まる男の春画を描いた者も同じく、市中引き回しに処す! わかったか!」

「な、なんだってぇ」

「俺らに飢えろって言うのかよ……」

「黙れ黙れぃ!」


 ビシィィィ!

 騒ぎ出したモブ男衆に対して、警花官が鞭で空気を叩いた。


「見苦しいことを申すな! そこに百合があろう! なれば飯も進み生きる栄養は足りよう、違うか!」


 確かに。

 ざわ、ざわ。

 新たなお触書に熱くなりかけたモブ男衆だが、警花官の叱責に勢いを失う。



「連れてこい」

「はっ」


 先輩警花官が顎で指示すると、新米たちが後ろ手に縛られた一人の女を連れてきた。

 鞭を持った警花官の前に転がされる女。


「うっ……」

「浮世絵師、アザレア」


 色街の女のような胸や背中が大きくはだけた着物。

 赤く濡れた唇。美しくうねる茶髪。

 この数年巷で評判の浮世絵師がこんな美女だったと知っている者は少ない。


「知っての通り、花八洲はなやしまでは男女の関係を禁じてはいない。むしろその方が多勢だ」

「……」

「真の百合に結ばれる者は少ない。ゆえに大切に愛でよと百合姉天ゆりしてんヴィシャスは三姫に告げられた。知っているはずだ」

「ふん、百合権神授のお勉強? 下らない……」

「アザレア」


 大衆の前で地面に転がされたアザレアの不遜な態度に、警花官は片膝を着いて鞭の持ち手で顎を上げさせた。

 唇が触れそうなくらいの距離で。


「藤姫様はお前の描く百合を楽しみにされていた」

「くっ……」

「そのお前が新刊であのような裏切りを……モブ男作者ではない、女のお前が!」


 女浮世絵師の新作が、まさか百合に挟まる男を描くとは。

 挟まろうとする男を罰する法令はあったが、女が挟まることは禁じられていない。

 忌み嫌われる行為を、春画の形にして世に出した女を罰することも想定されていなかった。


 香睡幕府のトップ藤姫はアザレアのファンで、楽しみにしていた。

 踏みにじられた怒りから、今回のお触書を公布することになったのか。



「創作は自由よ。被害を受けた百合カップルがいるわけじゃない」

「黙れ!」


 ビシィィッ!

 アザレアのすぐ横を鞭が走り、生意気な態度のアザレアもびくっと体を震わせる。


「幼馴染だからと私が手心を加えるなどと思うな、アザレア」


 忌々し気に彼女の顎を掴み、強く睨みつけてから離した。

 悔しそうに。


「市中引き回しの後、懲罰牢だ。二度と会うこともない」

「ビレッタ……」

「……連れていけ!」

「はっ!」


 罪状の書かれた木札付きの拘束台に縛り付けられたアザレアに、警花官ビレッタは背を向けた。



  ◆   ◇   ◆



「ってぇわけですよ、リリアの大姉おおあね

「私はもう大姉ではないわ。やめなさい」


 北、中、西の三幕府の姫将軍の導き係として置かれる最高位の官職。大姉。

 花八洲を見守る神百合姉天ヴィシャスに使える高官は、天女として100年の時をもらう。勤めを果たせば至上の百合天へ昇ることが許されるが、リリアはその途中で役を降りた。

 もう大姉ではない。ただの市井の女。


「そうは言いますけどね……いえ、わかりましたよ。リリア先生」


 町での騒ぎを身振りをまじえて伝えるウツギに呼び名を訂正させて、ふうと息をつく。

 紫蕾学舎の下働きとして働く少女だが、とにかく落ち着きがない。

 仕事を抜け出して町をぶらついて騒ぎに出くわしたらしい。



「過剰な締め付けは反発を招く。その程度のことがわからないとは思わないのだけど」

地下趣味アングラでやってるもんですし、モブ男衆の息抜きになってると評判ですがね」


 百合姉天ヴィシャス降臨以来、世界は百合を尊ぶようになった。

 とはいえ、男を排斥するわけではない。

 男と女がいる。だからこそ真の百合に意味が生まれるのだと。

 仮に全人類が聖人君子だったなら、そこに優劣も賞罰も生まれない。起伏のない世界。


 百合姉天の恩寵は三姫による統治を世界にもたらし、男はモブ男衆として日々の労働を幕府に捧げるようになった。

 代わりに幕府はモブ男衆たちに至高の百合を見せ、その心を安んじる。健康寿命が延びる。

 公共の電波には優しい百合が24時間流れ、裏では過激な百合も溢れる世界。


 花八洲中央、香睡幕府を治める藤姫の部下、姉六花の実録ドラマは大人気だ。リリアも毎週楽しみにしている。

 最近、病みがちな展開で少し心配していたのだが。



「行き過ぎた春画が犯罪につながるとかなんとか」

「そんなの今までだって変わらない。妄想で済ませていた者の方が多いでしょう」

「あたしに言われても……警花官がそんな風に言ってたもんで」

「……そう」


 困った顔をするウツギに首を振って立ち上がった。



「抗議に行くんで? 大姉……元大姉」

「講義に行くのよ。午後の授業の時間になるわ」


 藤姫を教導する立場にあった頃なら当然そうしただろうが、今は違う。

 次の姉六花を目指して学ぶ蕾たちを指導するのが今のリリアの仕事なのだから。


「サボっていたあなたは……」

「あー」

「その浮世絵師のことを調べてきなさい。ウツギ」


 リリアの言葉に、ウツギの目が忍びの色を帯びた。嬉しそうに。


「わっかりました、大姉」

「やっぱり罰が必要かしら?」


 次に目を向けた時には、既にウツギの姿は霞のように消えていた。

 まったく。

 腕は確かな子だ。誰も聞いていない確信があって言っているのだろうけど。



「……本当の大姉は迷ったりしないはずよ」


 不相応な呼び方をされる苦痛は、リリアへの罰なのだと腹に飲み込んだ。



  ◆   ◇   ◆

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