落ちて死ぬ寸前の人が見るスローモーション【なんでも評点コラム】
ミッキー大槻
年齢と共に加速していく歳月の経過 ― “記憶の密度”という説明
本コラムのもとになった記事を書いたのは2007年12月17日である。今からちょうど18年前のことか。この18年で歳月の経過は加速したのだろうか?
高いところから墜落している最中の人のように、はっきりと意識がある状態で今まさに生を終えようとしている人は、その一瞬を何時間にも感じるという話がある。米国の作家アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク鉄橋での出来事」という短編小説では、首に縄をかけられた主人公が鉄橋から川に投げ落とされ、ほぼ一瞬にして絶命する。しかし、主人公にとって、その一瞬は一昼夜分に匹敵する。
その主人公が経験する一昼夜分の意識(夢と表現すべきかもしれないが)の中では、いったんはロープが切れ、川の中に墜落する。そのあと、陸から銃撃を浴びせられるが辛うじてかいくぐり、ひたすら逃げる。日が暮れても夜の闇の中を逃げ続ける。そして翌朝、我が家が見えるところまで辿り着く。妻の姿が見える。駆け寄ろうとする。だがそこで彼の意識(夢)は終わる。実は、それは彼が首を吊られて絶命した瞬間と一致している。
小説投稿サイトであるカクヨムに投稿する当コラムだから、ここで軽く脱線するが、サスペンス小説や冒険小説を書く際は、参考にすべきテクニックであろう。
高いところから墜落したり、事故で跳ね飛ばされたりしても、必ずしも死ぬとは限らない。「現にこうして生きているぞ」という声が聞こえてきそうだ。筆者も一度や二度ならずそういう体験をしたことがある。小学校4年のときに大阪市住之江区から移り住んだ南河内富田林市。母が営んでいたお好み焼き屋のすぐ近くの車道で家族連れの乗用車に跳ねられてボンネットに掬い上げられ、乗用車が急ブレーキを踏み、慣性の法則で前方に振り落とされたとき。路面に落ちるまでに主観的には長時間を要した。ワタシを跳ねた後から、急ブレーキをかけているのだから、その点を追求していれば運転手の量刑は重くなっていただろう。だが、馬鹿正直な10歳少年は「僕が不注意でした。運転手さんを重い罪にしないで」と警察官に懇願してしまった。
もう一回は、丹沢に単独行して滝を上っていたときに、、滝つぼまで落ちた。着水するまで長かった。
そういう体験をしたことのあるあなたも、その一瞬をやはりずいぶん長い時間のように感じただろうか? 空中からの眺めはスローモーション映像のようにゆっくりと変化しただろうか?
おそらくイエスと答えるはず。ならば「人は極限の恐怖を味わっているとき、時間の経過を異常に長く感じる傾向がある」ということになる。この現象の真偽を確かめようとした科学者が米国ヒューストンにいる。
ベイラー医科大学で神経科学、精神医学、および行動科学の教鞭を執っているデビッド・イーグルマン准教授にとって、この現象の真偽を確かめることは、脳の中で時間がどのように表現されているかを理解する上で非常に重要だった。
つまり、恐怖体験中の人は時間を長く感じるようになり、スローモーション現象が本当に起きているのか。それとも後から思い出したときに、記憶がスローモーションとして再生されるだけなのか。それを明らかにするために、イーグルマン准教授率いる研究チームでは、極めつけの絶叫アトラクションを使った人体実験を実施した。
研究チームが実験装置として採用したのは、Suspended Catch Air Deviceと呼ばれる自由落下アトラクションである。これにチャレンジする“ダイバー”(水に潜らなくても、高いところから降りる人はダイバー)は、バンジージャンプのようなロープさえなしに45メートル以上の自由落下を約3秒間味わった後、下に張られたネットに安全に受け止められる。
ダイブを終えた被験者にストップウォッチを渡し、平常な(ダイブしていない)状態で各自が感じた時間の長さとちょうど同じところでストップボタンを押させたところ、実際の滞空時間よりも平均して36パーセント長いという結果が出た。
「なんだそんな単純な実験か」という失望の声が聞こえてきそうだが、イーグルマン准教授らはもう一つ、独特な仕掛けを用意していた。被験者たちは、“知覚クロノメータ”という腕時計型の装置を手首に装着し、その画面を読み取りながら落下したのである。
知覚クロノメータの画面には、次々と異なる数字が点滅する。点滅の速度はだんだんと速くなっていく。やがては認識可能な速度を超えてしまう。
だが、もし落下中の被験者の意識の中で時間の経過が遅くなっているのであれば、通常の認識可能限度を超える速度で番号が点滅していても、番号を読み取ることができるはずだ、とイーグルマン准教授らは考えた。
さすがに落下中の被験者に認識できた番号を声で読み上げさせるのには無理があったので、落下終了後に各自が画面上に見た一続きの番号を答えさせることにした(正確に思い出せない被験者には、あてずっぽうでもよいから答えさせた)。だが、結局、45メートル以上の高さからの自由落下という恐怖体験中においても、彼らが認識できる点滅速度の上限は通常時と変わりないものであることが判明した。
よって、自由落下中の被験者の意識の中で時間の経過が遅くなるという現象は生じていない、と結論付けるに至ったのである。
だが、矛盾している点がある。被験者たちは落下中に時間の経過を遅く感じていないはずなのに、落下に要した時間を平均して36パーセントも長く報告している。なぜ、このような矛盾が生じるのか?
この問いに対するイーグルマン准教授の回答は、“記憶の密度”に違いがあるから、後で思い出したときに実際より時間が長かったように感じてしまう、というものである。
イーグルマン准教授によれば、恐怖体験中には扁桃体と呼ばれる脳内領域の活性が通常より高くなり、他の脳内領域で処理される通常の記憶に加えて、もう1セットの記憶が生み出される。これにより、恐怖体験の記憶は、通常より内容が濃くなり密度が高くなる。
ビデオ映像なら、解像度や色数に関わりなく記録時と同じ速度で再生することができる。だが、われわれの脳はそんなふうに出来ていない。いわば、密度が高い記憶ほど“再生”に時間がかかってしまうのだ。だから、記憶密度の高い体験ほど、実際よりも長く続いたように感じてしまう。
イーグルマン准教授は、恐怖体験以外にも記憶の密度が高い体験があることを指摘している。人は初めて体験したことをほかの出来事や経験よりも、高い密度で記憶する。年を取るにつれて時間の経過が速く感じられるようになっていくのは、このためだという。
「子供のときは、あらゆる体験から中身の濃い記憶が生まれる。年を取るにつれて、たいがいのことは既に体験済みのこととなり、記憶の中身が薄くなっていく。ゆえに、子供がある夏の終わりを思い出すとき、その夏は永遠に続いたかのように長く感じる。大人にとっては、あっというまに過ぎ去った夏であっても」とイーグルマン准教授は述べている。
子供のときなら、次から次へと初めてのことを体験する。だから密度の高い記憶が形成される。ところが同じことを再び体験したときや前と似たようなことを体験したときは、初体験のときより記憶の密度がずっと低くなる。その繰り返しで、だんだんと時間の経過が速く感じられるようになっていく、というわけである。
もし、記憶の密度と後から感じる時間の長さがこのように比例しているなら、充実した人生を送るヒントが見えてくる。変化の多い生活、あるいは次から次へと新しいことにチャレンジする日々を送ればいい、ということになる。
そうすれば、新たなことを体験する機会が増え、密度の高い記憶が紡がれていく。後から振り返ったときに、10年前のことを昨日のようなことと感じたりはせず、1年前のことでも子供のときに感じたのと同じくらい大昔のことだったように懐かしく振り返ることができたりするかもしれない。
自分自身のここ何年かを振り返ってみると、当ブログを開始した頃というのは、もう随分と昔のことだったような気がする。実際には2004年のことであり、4年前のことなのだが、10年くらい経っているように感じる。
そうそう最初の話に戻るが、筆者は10歳のときに車にはねられて宙を舞ったことがある。ほんの一瞬の出来事のはずだが、地上に落下するまでに数分は経ったように感じた。だから、頭を打たないように地面に手を突くだけの“時間的余裕”もあった。そのせいで左腕を骨折してしまったが、頭部を地面に激突させずに済んだ。
似たような経験をした読者も少なからずいるはず。上記のような研究結果に言及しながらも、筆者自身は人が危機に瀕したときに時間の経過を長く感じるという現象は確かに存在すると思っている。
ただ、医学的に解明するより、量子力学的に解明する方がよいのではないだろうか。時間の経ち方にまつわる量子力学理論は、量子時間クリスタル、「非ユニタリー」進化、量子もつれなど豊富だ。
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