除霊ライバー・刃向威くん

吾妻 峻

第1話 プロローグ

望月もちづき 瑠那るなは恐怖を堪え、自分を励ました。

「はぁッ、はぁ……大丈夫。大丈夫だから。今日は、きっと」

スマートフォンがブレないよう固定するジンバルの取手を、ただ縋るように握りしめる。


そこは、東京都二十三区外、旧S村へ続く廃トンネルの中。

ジメジメとして、肌にへばりつく粘着質な空気が不快だった。スニーカーの足元が震えるのを自覚する。毎日ケアを欠かさない黒髪に、緊張にじんわり染みた汗。ついに首元へ滑り落ちていく嫌悪も、今は気にする余裕なんてない。

全世界に今この光景をさらけ出すスマートフォンを、取り落としてはならない。

瑠那だけじゃない。一般道へ続く方向から侵入した車両から、肩に大きなカメラや、マイクを構えているスタッフが数人。この配信で初めてコラボした、配信者ライバーグループのメンバーだ。


 暗がりを切り裂く車両のハイビームが照らし出す方へ、全員がカメラを向けていた……得体の知れないナニカに向かって。

 きっと誰も、トンネルの闇に潜むその姿を今まで、正しく認識したことはなかったはずだ。

 光に照らされて今、その灰色に腐れたような、青い血管のはったグロテスクな肌があらわになっている。背丈は廃トンネルの天井に収まり切らず、横幅はトンネルの半分を埋め尽くすほどだ。元が人だったなんて、信じたくない。


 濁り切った、男とも女とも言えない声が響く。

『ク、クレ、マセンカァ。何デモ、良イノデ、食ベサセテェ』

 エエェェェ……とトンネルに響き渡る。耳をジクジク刺して心を侵す、それは呪われた声だ。

「んぅ!? うぐッ」

 瑠那は胃の奥底から込み上げた強烈な不快感に耐えることができた。しかし、車に乗ったうち一人が、その場で「うぼぇ」と生々しい声を発してベシャリと吐いた。そのまま肩につけたカメラを取り落とし、昏倒。

 ガタン、ドサッと。引き続く音を立てて沈黙した後、ナニカがさらに音を発した。

『ンフフ、グフゥフフ。ンヒヒヒヒヒヒヒ、フフフフフウッフウフフフフフフウフッ』

 邪悪なわらい声が反響する。トンネルの空間で増幅され、その場全員をむしばみ闇へと誘う呪詛と化す。瑠那は意識を保っていられなくなる寸前、心の奥底で彼に助けを求めた――

 空気を塗り替えたのは、その彼だった。


「弱い者いじめは良くないと思うなぁ!! 」


 朗らかで、力強い声は続けた。

「そもそもさぁ、目の前の俺を無視するってどういう了見だよ」

 言われて、ナニカが背けていた方へ目線を向けたように感じた。

 ただ一人、脅威に向き合い続けている存在へと。

「そうだよ、皆に手を出そうってんなら、俺を殺ってからにしな」


 二二歳の若さで、男として完成された体つき。身長一七五センチほど。今風なスタイリッシュな印象の黒いコートの下、着痩せしている印象だが、鍛え抜かれた肉体ははっきりと分かる。

 表情こそ見えないけれど、きっと不敵に笑っているのだろう。あの端正な表情で、深みを感じさせる瞳を輝かせて。


「除霊士、刃向威はむかい 将人まさとをな」


 瞬間、唐突にナニカから無数の腕が伸びる。将人を抱き込み、取り込もうとするように、ゆっくりに見えて、一瞬のようなスピードで――

 刹那、将人が宙へと身を踊らせ、青白い輝きが空間を走り抜けた。

 腰から鋭く振り抜いた、日本刀だ。それが身へ掴み掛かる腕を全て躱すと同時に切り落とし、半歩下がった位置に軽やかに着地する。

 切り落とされた腕が、黒いチリのようになって霧散する。

 将人は鋭く日本刀の切先を、ナニカへ突きつけた。


「記念すべき初配信なんだ! ……盛大に散ってもらう」


 力強い宣言が、瑠那の心に正常な機能を取り戻してくれる。

 そして思い出す。ここに至った理由、そのきっかけ。

 二週間前の、将人との出会いを。

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