フルーツェン&ベジッタ 「ジャンピングライムと天樹塔」

@aranda

第1話

ここはフルーツの精たちが住む町、「フルーツェン」。オレンジ、バナナ、メロン、アップル、レモン……、いろんな種類のフルーツの精たちが暮らしている。

今日はお祭りの日。町の真ん中にある広々としたカージュ公園の広場にはたくさんのフルーツの精たちが集まっている。秋のはじめのさわやかな風にのって、さまざまなフルーツの香りが漂っている。

朝からとってもいい天気。「大収穫祭」との文字がおどるのぼりが広場のあちこちに立てられ、そよそよと、しずかにはためいている。

公園からは町の向こうの丘にそびえるお城が見える。白い壁にはたくさんのアーチ型の窓が並び、イチゴみたいなとんがり帽子をかぶったような塔が、いくつか立っている。

お城は巨大な体のすみずみにまで朝の新鮮な光をあびて、まぶしいほど真っ白にかがやいている。

また、目を反対方向に向けると、公園から下った先に青い湾が望める。豪華な大型客船が、これもまた、白く光を反射している。


広場の中央には、大きく両腕をひろげたジャンボハーベストマンがそびえたっている。豊作を祝うお祭りのためにゼリーでつくられた巨大人形で、まるでビルか怪獣みたいに大きい。

いろいろなフルーツがプリントされたカラフルなリボンが巻かれたスーパー特大サイズの麦わら帽子の下には、にっこり笑顔のみかんみたいなまるっこい顔。

暖色系のチェックのシャツの上に、今日の青空にも負けないあざやかな青いオーバーオール。風をふくんで、ゆらめいていて、ちょっと海みたいにも見える。そこからつやつやしたバナナみたいな腕やパパイヤみたいなふっくりした足が突き出ている。帽子のリボンとおそろいのスカーフも風にゆるやかになびいている。


吸い込まれそうなほど青い空には、あざやかな色のさまざまなフルーツの気球がいくつも浮かんでいる。それに負けないほど、つやつや輝くいちごの娘が、小さな腕をせいいっぱい空にのばして、ぴょんぴょんはねている。いちごの気球を取ろうとしているようだった。

「あれを取るのはちょっと無理かな……」いちごのお父さんが、まぶしそうに空をみあげた。

「もうちょっと大きくなってからね」

ほほえんで、娘をみおろす。

「お父さんったら、へんなこといわないでよ」

お母さんがわらう。

「大きくなるっていっても、気球にとどくほどの巨人にはなりませんよ」

「あ、そうか」いちごむすめはかなしそうに顔をふせる。

「そんなに大きくなったら、おかあさん、だっこできないじゃない」

おかあさんは、しゃがみこむと、いちご娘をだきあげる。

それから、何かに目をやり、顔を輝かせる。

「ねえ、気球はむりだけど、かわりにあれならどう?」

おかあさんは、顔を、噴水の向こうに連なる屋台に向けて、指さす。

そこにはたくさんの風船をかかえたデコポンがいる。はでなお化粧をし、だぶだぶのカラフルな服を着てピエロにふんしている。色も形もさまざまな風船たちはあかるい陽ざしをうけて。宝石のようにかがやく。

「だいぶん、ちいさいんだけど……」

いちご娘は、おかあさんのうでの中で、小さな指をさし、はねるように体をゆする。

「ほしい、ほしいっ!」

「こらこらそんなにあばれたら、おっこちちゃうよ」

お父さんが笑顔で、両腕を娘のほうにさしのべる。


いちごむすめはいちごの風船を買ってもらった。ひもの先の風船をみあげながら、とことこ広場を歩き回る。ひもを上下にうごかしたり、ゆすったりしてみる。いちご風船はおどるみたいにいろんな動きをする。

そのうち、花壇のへりにつまずいたひょうしに、むすめは風船のひもをはなしてしまった。

「あっ」

風船はゆらゆらと空をのぼっていく。

「ああっ」

おとうさん、おかあさんも、そろって悲鳴のような声をあげた。

赤い風船は、空の青さに溶け込むこともなく、くっきりとした赤をみせて空をのぼっていく。

いちごの家族はなすすべもなく、そろって口をあけたまま見上げていた。

風船はかすかにゆれながら、確実にどんどん小さくなっていく。


そのときだった。

「おれっちにまかせろっ!」

いちごたちの視界のすみに黄緑(きみどり)色のちいさなボールみたいなものが飛びこんできた。いちご家族たちは空にむけていた視線をそちらに移す。

それはライムの精のライムだった。いきおいよく走ってきたライムは「とおっ!」と叫ぶと、ほぼ垂直に大きくジャンプした。ライムはすごいジャンプ力をもつのだった。

ライムは上にあがりながら、ゆらゆらと空をのぼっていくいちご風船に短い手をのばす。でもいくらすごいジャンプ力でも、とんでいく風船をつかまえられるものではない。

だが突然、風船が止まった。

ジャンボハーベストマンの大きくひろげた左腕に押さえられた格好で止まっている。

「よっしゃ、ラッキー!」

ライムは空中で何とか体勢を変えハーベストマンの胴体につかまった。猿みたいにするすると巨大人形をのぼっていく。そして大木みたいな腕(うで)のつけねにぶらさがった。風船は巨人の指の間にはさまるように、ひっかかっている。

ライムはうでにぶらさがって、うんていみたいにしながら、巨大な手に向かう。ひじのあたりまでくると、腕によじ登り、短い両腕をあげてバランスを取りながら、腕の上を歩く。

天から降り注ぐ何かのめぐみを受け止めようとしているかのように、ハーベストマンの手のひらは上に向けられている。


手首のところまで来ると、ぶあつく巨大な手のひらによじのぼった。ちょっとぐらぐらするので、バランスをとりながら慎重に指先の風船に向かう。

ふと、立ち止まって下をみおろした。豆粒のようにみえるおおぜいのフルーツたちが、かたずをのんでライムをみあげている。

(わあ、おれっち、めだってる。スーパーヒーローみたいだっ)

ライムは、片腕をまっすぐ空に向かって突き出し、ヒーローポーズを決めた。次の瞬間、勢いよく飛びあがると、宙返りをうってみせた。ぴしっと着地する。

「決まったっ!」

(すっごく高くとんだからみんなに見えたはずだぞっ)

観客たちの反応を見降ろそうとしたときだった。

ぐらっと、巨大な手のひらがかたむいた。さっきの大宙返りの着地の衝撃でハーベストマンのうでのつけねあたりにひびが入ったのだった。

ライムはバランスをくずして、あわててふせた。


みしっ、といやな音がした。

いきおいよく伏せた衝撃で、腕のひびがひろがったのかもしれなかった。ぐら、と大きく手のひらは傾きだした。

そのひょうしに、いちご風船のひもは巨大人形の指先から外れて、ふたたび青空へと上っていった。

「ああっ」

ライムは飛んでいく風船にむかって片手をせいいっぱい伸ばした。風船はからかっているみたいに、からだを左右にゆらしながら遠ざかっていく。

とたんに、ずるっと、体がうしろからひっぱられたみたいにさがった。

あわてて、のびっぱなしの爪をたてて両手でかじりつくようにする。

イチゴの風船は元気よくのぼっていき、どんどん小さくなっていった。

でもライムは倒れ行く人形の手のひらにつかまっているのに精いっぱいで、もはやどうすることもできなかった。

手の傾きはさらに大きくなっていく。

ライムはさらに力をこめてつめをくいこませた。

べりべりべり……。不気味な音がひびく。

必死にはいのぼって。中指のつけねに両腕をからませる。

だが……ばりっ! という大きな音とともに、がくん! と一気に巨大な腕は落ちた。

ライムは声をあげることもできなかった。

でも腕はかろうじて胴体とつながっていて、ぶらさがって重たげに揺れた。

ライムは気を失いそうだったが、しぶとく巨人の指にかろうじてつかまっていた。


広場からは、つんざくような悲鳴がひびきわたる。迫りくる巨大人形の影に覆われたデコポンピエロの風船売りは、あわてて、ものすごい数の風船の束をはなして逃げだした。みるみるうちに何百ものいろとりどりのフルーツ風船が、青空と、鮮やかさを競(きそ)いあうように、ひろがっていく。まるで青空のはるか向こうにある本当の居場所、ふるさとに帰ろうとしているかのように……

ライムは、ジャンボハーベストマンとともに地面に向かいながらも、それを見逃さなかった。ちょうど近くに漂うように飛んできた赤い風船のひもをひっつかむと、巨大人形から飛び降りた。

次の瞬間、ハーベストマンは、すさまじい地響きをたてて広場に倒れこんだ。その勢いで、腕は完全に胴体から切り離され、大きくバウンドしたあと、地面にたたきつけられた。土煙をたてながらころがる。

あたりには、砂嵐におそわれた砂漠みたいに、もうもうと土煙がわきあがった。悲鳴が一段と高まる。

フルーツの精たちは、ひどくせきこんだり、うずくまって頭を抱えたりした。


ライムは、巨大人形が地面に激突する寸前に飛び降りていた。

赤い風船を持って、なんとか着地したライムは、土ぼこりにむせながらも、すばやく、あたりを見回した。

すごいいきおいで転がるハーベストマンの巨大な麦わら帽子から逃げまどう人々。あたりは悲鳴や泣き声に満ちていた。そんななかでも、横倒しになったジャンボハーベストマンは、乱れ切ったわらの髪の間から笑顔を見せていた。

ライムは、ベンチのかたわらにしゃがみこんで、三人かたまってふるえているいちご家族を見つけると、ジャンプしながらかけよった。

お父さんにだきかかえられるようにしている娘にむかって、血のように真っ赤なドラゴンフルーツの風船をつきだす。

「いちごじゃないけど、おんなじ色だよ。はい、これ! 」

ドラゴンフルーツは血走った目をかっと見開き、きばをむきだしている。毒々しい炎のような赤や緑のナイフみたいにとがったうろこが、ゆらゆらとうごめいていた。

「きゃあーーっ!」

イチゴむすめは悲鳴を上げる。

「え? 」

ライムはとまどいながらも、むすめにむりやり風船のひもを握らせた。

「礼(れい)はいいってことよ、こまったときにはお互いさまだぜっ!」

ぎこちなくウインクすると、いちご家族に背を向け、走り出した。

広場は騒然として、パトカーのサイレンがひびいている。

 何人かが、ライムに気がつき指さす。口をあけて、何か叫んでいるようだ。

 なんだかまずい感じがして、ライムは勢いをました。

ゆらゆらと空をのぼっていくドラゴンフルーツ風船にはまったく気づいていなかった。


ライムはスピードを加速して、どんどん、まるで逃げるように公園を駆け抜けていった。

(しかし、まったく、なんで突然、あのでか人形、倒れやがったんだ……)

公園はほんとうに広い。小高くなった芝生の丘の上に立つ美術館や博物館のわきをすりぬけ、スワンボートなんかがうかぶ池のふちを回ったりして走りつづけた。

(まさか、みんな、おれっちが、でか人形をこわしたって思ってるんじゃないだろうな……)

でもさすがに疲れてきて、スピードが緩んだ。息切れがひどくなってきて、速足くらいになる。そのうち、ほとんど歩くのと同じくらいになった。

突然、あたりに高い笛のような音がひびいた。ライムは立ち止まった。少しぼんやりしてきた頭が、いっぺんに、はっきりしたような感じだった。

人々のざわめき。緩やかにカーブした遊歩道の先に、大勢のひとが集まっている。背伸びしたり、首を伸ばしたりしている。

(なんだろう……)

ライムは近づいていった。やがて彼らがなにかがやって来るのをじっと心待ちに待っているらしいことに気づいた。みな木立の向こうに、じっと目を凝らしている。

ライムは見物客の列にくわわった。

再び、笛みたいな音がいきおいよく響いた。

歓声がわき起こる。

つづいて、にぎやかなまるで、ものすごい数の小鳥のさえずりみたいな大合唱がわきあがった。

みないっせいに音のほうに顔を向けた。木立の向こうから、カラフルでおしゃれな汽車がゆっくりと現れた。煙突からは、うすい桃色をしたわたがしみたいな煙がもこもこと立ち上っている。煙が漂ってくると、桃の甘い香りがした。

ゼリー製の車体はぷるんぷるんとはずむように動く。煙突は輪切りにしたパイナップルを積み重ねたみたい、車輪はオレンジを輪切りにしたものに似ていた。

屋根のない客車には、あふれんばかりのフルーツのあかちゃんたちがのっていた。みかん、梨、 柿、 ぶどう、 キウイ、栗、 いちじく、 りんご……。

大きな草木編みのかごのなかで、おかあさんにおとなしくだっこされたり、おとうさんのひざの上でげんきよく体をゆすったりしている。ベビーのちいさな手をやさしくもって、みなに手を振り返しているママもいた。

汽車はもう一度、元気いっぱいの汽笛を鳴らすと、両側を人々が埋め尽くす通りをゆっくりと進んだ。人々の歓声がさらに高まる。

 「わあ、かわいいっ。!」

「いっぱいだね」

「ほんと、今年は豊作だっ」

青空や、緑に輝く公園に負けないあかるい声が響(ひび)く。

汽車はあふれる日差しの中、かわいい、今年のとれたてのいろんなフルーツを乗せて、よく見てもらおうと、公園のあちこちを練り歩くのだった。きょうはいろんなフルーツの生まれたばかりのベビーをお披露目(ひろめ)する日。この「ベビーパレード」が「大収穫祭」の目玉の一つなのだった。

ベビーパレードは、背伸びしていたライムのすぐそばまでやってきた。

背が低いので、よく見えず、ぴょんぴょん飛び上がった。

「ははっ、ほんとやかましいな……」

といいながらもライムは思わず、顔をほころばせた。

平たいかごの上で、ぴょんぴょん、すごいいきおいで、とびあがるあんずの赤ちゃんがいる。編立(あみたて)なのか、かごからは新鮮な木の香りがただよっている。ジャンプの衝撃でにおいたつのかもしれない、とライムは思った。

「こらこらあぶない、落っこちちゃうよー」

あんずのおかあさんは、必死にあかちゃんをおさえる。

「あうあう、あぶー」まるでふしぎな歌でも歌っているかのようなびわのあかんぼう。おかあさんはやさしくほほえみながら真似をする。

まわりがこんなににぎやかなのに、ママのうでのなかですやすや眠っている柿のベビーもいる。ママは寝顔(ねがお)をやさしく見つめながら、汽車のリズムにあわせるように、ゆったりとベビーをゆする。

チェリーのふたごベビーはそろって、ちいさなお口をせいいっぱいあけて、おおあくびしている。

やまぶどうのベビーたちをみて、ライチのカップルが指をさしている。

「あれ、あの子たちはみつご?、四つ子……そんなわけないよね……」

若い女のライチが声をあげる。

「ええと……」

若い男のライチが真剣な顔で数え始める。

「四つ子、五つ子、六つ子……」

「七つ子、八つ子、九つ子、……」

若い女のライチも張りのある高い声をあげる。

「十三、十五、十六……ああ、もうわかんないや」

と男ライチが音を上げる。

カップルが数え終わらないうちに、やまぶどう親子をのせた車両は通り過ぎてしまう。

「ほらほら、おねむのベビーもいますから、大声は控(ひか)えてくださいねー」

汽車から身を乗り出して、両方の手のひらを下にむけて、なにかをおさえるみたいなしぐさをしている人がいる。カラフルな法被(はっぴ)をまとい、お祭りの係の人なのだろう。

「あれ、ずいぶん、大きなあかんぼもおるの……」

すだちのおじいさんが、ふしくれだった指でかごの一つをさしている。

「これ、ひとをゆびさすもんではないですよ」

すだちのおばあさんが、おじいさんの指を軽くたたく。

「よく見んね。あれはきっと、あかちゃんのおにいちゃんだろ」

「……」

おじいさんは、ちょっとふるえる手で首からさげていたまるい老眼鏡をつまむと、かける。

顔を、ゆっくり進む汽車のかごのほうに突き出す。

「ありゃま、ほんとだ。ちいとひねとる。おにいちゃんだ」

「あかちゃんばっかずるーいとかいって、いっしょにのっけてもらったんだろ……」

とおばあさんがいう。

「あ、そうか」

おじいさんは歯のない口を大きくあけて笑った。

 「にいちゃんばっか目立って、あかちゃんがみえんがね……」

おばあさんは口をとがらせる。

あかんぼうをおしつぶすようにして、にいさんオレンジが、ばんざいでもするみたいに短い両腕をあげてぴょんぴょんとびはねている。

でも、あかんぼうも負けずに、まねをしてからだをゆすっている。自分もとびはねているつもりなのだろう。


最初はライムは、目をかがやかせてベビーたちを見ていた。だが、そのうち、かがやきは失せ、あざやかだった顔や体の黄緑色もくすんでしまった。

 ライムはうなだれ、ためいきをついた。彼は母親の顔を知らないのだった。父親の顔もだ。汽車の上のベビーたちのように母親に、いや、ほかのだれからもやさしく見つめられたり、だきしめられたりした記憶はない。

兄弟だっていない。いやいるかもしれないが、どこでなにをしているかなど、まったくわからなかった。

目をつぶる。

……暖かいオレンジ色の光……、頭の上からふりそそぎ、全身をやさしくつつみこむ……遠い遠い記憶……

でも、いきなり、その安らぎは断たれる。

頭の上のあたりにするどい痛みを感じる。

叫びそうになり、目をあける。激しく首を横にふる。

何度もなんどもみる夢だった……。


顔をあげると、もう目の前にベビーたちや汽車のすがたはなかった。さえずりのようなベビーたちの声はずいぶん小さくなっていて、なんだか幻めいて聞こえる。

声の聞こえてくるほうに、けだるげに顔を向けると、黄緑にかがやく小高い丘につくられたトンネルの中に、ベビー電車が吸い込まれていくところだった。

ライムはとぼとぼと公園内の幅広い遊歩道を、うつむきかげんで歩きだした。

「へん、みんな、あんなにあまやかされて……、ろくなフルーツにならないぞっ」とぶつぶつ独り言をいう。

「フルーツは甘(あま)けりゃいいってもんじゃないんだ」

と語気も荒く続ける。

「おれっちみたいなすっぱいのが、フルーツのなかのフルーツってもんだぜっ!」

ついにはこぶしを握り締めて叫ぶように言う。

近くにいたひとたちは、おどろいて、あわてて顔をそむけたり、あからさまに大きく道をよけたりする。

そんな様子にきづいた様子もなく、ライムは、なかばやけくそみたいに大きく手をふりながら、大股で歩き続けた。


そのうち、前のほうから、軽やかで楽し気な音楽が聞こえてきた。立ち止まって耳をすます。音楽に身を浸したら少しは気分が変わるかもしれない。足をはやめて、音のするほうへ向かった。

なおも進んでいくと、前方からざわめきがきこえてきて、おおぜいの人が集まっているのがみえた。中央に大きな噴水がある広場だった。

ひとだかりが広場を囲んでいる。はしのほうでは、バイオリンやクラリネット、フルートなどを手にした西洋梨やマロンなどの楽団がテンポよく、かつ優雅な音楽を奏でている。

吹きあがる噴水の色は、うすい緑になったり、オレンジになったり、紫色になったりした。それにつれて、においもメロン、オレンジ、グレープ……と変わっていく。噴水のいきおいは音楽のトーンにあわせて、いきおいよく高くふきあがったり、おだやかになったりした。

「なんだ、なんだ? 」

ライムはさらに近づいていった。

体のちいさなライムは、人だかりにさえぎられて、広場のなかほどで行われているものが見えなかった。ぴょんぴょんとびはねて、人だかりの向こうをのぞく。

そこでは、優雅な音楽の中、ドレスや黒い背広みたいな立派な服に身を包んだ男女が、それぞれ向かい合って踊っていた。二、三十組はいるだろうか。


よく見ると、ほほえみあいながら優雅なステップを踏んでいるぺアは、ちょっとかわった組み合わせだった。

見慣れないひとたちとフルーツがペアになって踊っているのだ。

「あ、あれは……」

ライムは、ようやく気づいた。

見慣れない人たちは、お菓子のようだった。

メロンとウエハス、イチゴとクリーム。オレンジとジュレ、キウイとクッキーチョコなどのペアだった。


ライムはひとだかりをかきわけて、広場に出た。

ぽかんと口をあけて、その優雅な動きを見ていた。ダンスもおかしもほとんど見たことがなかった。

そばで、カップルらしいオレンジとグレープフルーツが話しているのが聞こえた。ふたり寄り添って、うっとりとダンスを見つめている。

「ほんと、みんな息がぴったりね」

目を輝かせたオレンジが胸の前で手を合わせた。

「そうだね、お菓子さんたちは、この日のために遠いスイーツタウンからわざわざ来てくれたんだよね」グレープフルーツはほほえみながら答えた。

「ほんと、あたしたちの豊作祭りを、お祝いしてくれて……ありがたいわね……」

オレンジはグレープフルーツの顔をみあげて微笑み返す。

「でも、スイーツさんたち、来たばっかりでしょ……」

 オレンジが首をかしげる。

「ペアでの練習はそんなにしてないはずなのに、どうして、あんなに息ぴったりに上手に踊れるのかしら」うっとりとダンスを見ながら、つぶやくように言う。

「お空の上のニンゲランドでは、フルーツパフェって食べ物があるんだって……」とグレープフルーツが微笑みをたたえたまま、やさしくオレンジを見下ろす。

ニンゲランドとは、人間の住んでいる世界のことだった。

「ええ、ああ、フルーツとお菓子がくっついた食べ物ね」オレンジも微笑む。

「そう、だから、もともとぼくたちフルーツとスイーツさんたちとは相性がいいんだよ」

グレープフルーツは優雅に踊るペアたちにやさしげな視線を戻す。

 「ぼくは、ニンゲランドに行ったことも見たこともないけど、ニンゲランドのことはフルーツェンに、そしてぼくらフルーツに影響を及ぼすからね……」

「ええ、そうよね……」オレンジはやや上をみあげる。

「あたし、いつか行ってみたい……」

ささやくように続けた。

「でも……」

ふと、不安げにオレンジはちょっと目をふせる。

「オレンジとグレープフルーツだって相性、いいわよね……」

小さな声で言ってから、ちら、と大柄のグレープフルーツの顔をみあげる。

グレープフルーツはおおらかに笑う。

「あたりまえじゃないか。ぼくらの相性は世界一さ。ニンゲランドの最高の恋人たちにだって負けない」。

グレープフルーツは快活に言って、やさしくオレンジの肩を抱き寄せる。

「きみは、スイーツよりずっと甘いよ……」

グレープフルーツは輝く白い歯を見せる。

オレンジは大柄(おおがら)なグレープフルーツによりかかって、うつむきかげんに、ふふ、とちょっと恥ずかしそうに笑う。

「あたしたちも、あんなふうに息があった暮らしをしなくちゃね」とささやくように言った。

ふたりの柑橘類はぎゅっと手を強く握りあった。


噴水のまわりでは、フルーツとスイーツたちもお互いをみつめ、ほほえみあいながら 軽快な身のこなしで踊り続けている。

(ちぇっ、どいつもこいつもべたべたしやがって…… )

「へっ、ダンスねえ……」

ライムは人垣をかきわけて前に出た。

ダンスなどしたこともなかったが、見ているうちに、自分にもできそうな気がしてきた。

(なんか、くるくるまわってればいいんだろ……)

「おれっちだってダンスくらいできるぜっ」

 さらに前に出る。 

(ダンスキングの登場だっ)

心のなかで叫び、小さくガッツポーズをしてみる。 

 でも、相手がいないと、ダンスはできないことに気がついた。


はしっこのほうにひとりでいるクリームをみつけて、ひとっとびで、そばまでジャンプした。クリームのお嬢さんは、目の前に突然、現れたライムをみて大きな目をぱちぱちさせた。

 ライムはちょっと、ためらったけど、

「あ、あの、おじょうさん、おれっちと踊ってくれない?」。おもいきって声をかけた。

あふれんばかりの底抜けに明るい日差しが応援してくれているようにも感じた。

クリームは、うつむいて何かちいさい声でいった。けれどアップテンポになった楽団の音にかき消されて、よく聞こえなかった。

ライムは、きっと、ちょっとはずかしがりながらも、「ええ、いいわよ」とか「オーケーよ」といったんだと思い、すこしためらいながらもクリームおじょうさんに手を差し出した。

音楽がさらにテンポをあげて、噴水が大量のレモンやオレンジのジュースをいきおいよく高くふきあげた。その音楽とジュースのいきおいを借りるようにして、ライムはむんずとクリームおじょうさんのきゃしゃな真っ白い手をつかんだ。

「レッツダンスっ!」ライムは叫ぶと、がにまたで、どたどたとステップを踏んだ。われながら、なにか変だ、と思った。

(見ていたほど簡単じゃないな……)焦ればあせるほど、動きはぎこちなく、もっとおかしくなっていった。

周りをちらと見ると、フルーツの男の人が軸になって、お菓子の女の人がくるくると、円を描くように回っていた。みんな同じ動きをしている。

みなにあわせようと、クリームおじょうさんの手をぎゅっと握りなおすと、ぐるぐる振り回した。

(あれっ、なんかスピードが出ないっ……)

ライムはあせって、力任せにクリームおじょうさんをいきおいよく回転させた。おじょうさんの足がもつれる。

「ちょ、ちょっと、いたーい」

乱暴にひっぱられて、うでがびよーんとのびたクリームおじょうさんは悲鳴をあげた。

「あ、ごめん、ごめん」ライムはあわてて手をはなした。クリームおじょうさんはそのいきおいで、ふっとんで、そばで踊っていたバナナとクッキーのペアに激しくぶつかった。

「きゃあ!」「わあ!」

バナナ・クッキーペアはころんで、隣のナッツとパパイヤペアにぶつかった。このペアはそばで踊っていたチェリーとマシュマロのペアに向かって倒れこんだ。そのとき、さらに隣のペアを巻き込んだ。

こうしてつぎつぎにドミノ倒しみたいにダンサーたちが転んでいった。

「なにするのよーっ!」

「いてててっ!」

ダンス会場はたちまち、悲鳴やどなり声などで覆われた。

「あ、あれ……」

 ライムはいそいでクリームおじょうさんを助け起こしたあと、広場をそおっと、おそるおそる見渡した。

 「あ、あのお……」ライムは自分のしたことの結果におどろいて、しばらくその場に立ちすくんでいた。

 でもどうしたらいいかわからず、とりあえず、その場から逃れるように大きくジャンプした。

着地したところにはウエハスの女の子が一人でいた。

ウエハスはびっくりして目をまんまるにしている。

 「お、おどろう」無我夢中で、ウエハスの腕をつかむ。しらずしらずのうちに、まるで必死になにかにしがみつくような感じになってしまった。ここで何くわぬ顔で踊っていたら、この騒動は自分には関係ないことになるみたいに、なんとなく思った。いや、願っていた、といってもいいだろう。

「いたいっ!」ウエハスはいきおいよくライムの手をふりほどいた。ぽろぽろっと粉がウエハスのほっそりした腕から飛び散った。

「なにそのつめっ!」ウエハスは甲高い大声をあげた。

ライムははっとして自分の右手のつめをみた。つづいて左手……。どのつめも伸びほうだいに伸びて、黒ずんでいた。

ウエハスはなおも金切り声をあげて、ライムの顔をにらんだ。

「それに、息、くっさーい!、あんた、歯磨きとかしてるっ? 」

ライムは、彼女の剣幕にけおされて、後ずさった。

「こんな乱暴で臭い人、見たこともないわっ!」ウエハスはかたちのいい人差し指をライムにつきつけた。


そのとき、観客の輪の中から大きな声が朗々と響いた。

「こら、ライム小僧、ただちに立ち去れっ! 狼藉(ろうぜき)ものめっ!」

フルーツバスケットの中から、大きなつやつやしたリンゴが身を乗り出してライムに指をつきつけている。その指には、リンゴの形をした真っ赤で大きな宝石のついた金ぴかの指輪がはめられていた。

先がぴこん、ぴこんとはねた立派な口ひげが自慢のアポー男爵だった。

花や葉をかたどった豪華なかざりのついたフルーツバスケットには、ほかにも輝くようなマンゴーやマスカット、メロンといった立派なフルーツたちが入っており、しかめ面でライムをにらんでいた。

 彼らは自分たちのことを「ロイヤルバスケッツ」と名乗っていた。ロイヤルというのは「りっぱ」とか「すっごい」みたいな意味だと、ライムは聞いたことがあった。

「ここはあなたの来るようなところではなくってよ」

ふっくらしたクラウンメロンのメロロン夫人はゆったりとあおいでいたうぐいす色の扇子(せんす)を閉じると、ライムにむかって振り立てるようにした。香水のにおいがぷん、とあたりに漂う。ライムは、その匂いが好きではなかった。本来のメロンの香りのほうがよっぽどいいのに、といつも思っていた。ぷよぷよした腕にいくつもきらめいている腕輪がお互いぶつかりあい、じゃらじゃら鳴った。


「みなさま、本当に申し訳ありません」

ロイヤルバスケッツのかたわらにいた初老のパイナップルがダンスのひとたちに深々と頭をさげた。きゅうくつそうに、背広にずっしりした身を包んでいる。フルーツェン町長のパイナだった。

「こんな優雅な催しでライムがひどいさわぎを起こしてしまって……」

といってもう一度、頭を下げる。

おおがらなチョコレートが、ウエハス娘によりそっている。

少しけずれてしまっているウエハス娘のうでを、いたわるようにそっとおさえてあげている。

そうしたまま、じっとパイナやライムたちを見つめていた。

「こいつ、みなしごっていうか、ライムのライムといいます」

とマンゴーのマンゴールが、ロイヤルバスケッツの中からおずおずといった感じでいった。

「つまり、じつは名前がないってことなんだ。」

とアポー男爵が付け加えた。

「こいつはふだつきの鼻つまみもので……。フルーツはみんなこんな感じ、だなんておもわんでください」とアポー男爵が重々しい声で続ける。

「でも……」

とパイナは訴えかけるように、ダンスの人たちに一歩、歩み寄った。

「わるいやつじゃないんです、ただ、ちょっと動作や行動が乱暴なだけで……」

「そうそう、まあ、しょうがないんです。こいつは親がいないもんで、しつけってもんがなされておらんですから」

とアポーが太い声をはりあげる。

「小さいころから一人で野生動物みたいに育ったから、狂暴になっちゃってるんですのよ」

メロロン婦人が、扇子をせわしなくあおぎながら、甲高い声で言った。


突然、ライムは、体の奥底から、むくむくと怒りがわきあがってくるのを感じた。

ライムのきみどり色の顔やからだは、みるみる赤みを差し、ついには真っ赤になった。

「へええんだっ!」

べろを突き出すと、大きくジャンプした。そして、ダンス会場の上空をくるくる回転しながら、ぺっ、ぺっ! とつばを吐きだした。つばはダンス参加者たちやロイヤルバスケッツたちのうえに、小雨みたいに、ふりそそいだ。それをかぶった参加者たちはいっせいに顔をしかめた。

「うわあ、目に入った、しみるーっ!」、

「きゃー、口に入っちゃった、すっぱーいっ!」

 「やりやがったなぁ、野生児めえーっ!」

悲鳴や怒りの叫びが広場じゅうにひびいた。ライムは「すっぱジュース」をふき出したのだった。そう、彼の口から出る「スッパジュース」はほとんど「武器」といってもよいものだったのだ。

着地したライムは、ぴょんぴょーんと、大きくジャンプしながらダンス会場をすごいいきおいで逃げ出した。

夢中で走ったり、ジャンプしたりして逃げていたライムだったが、突然、ぼよん!、すごい弾力の壁にぶつかって、はねかえされた。後ろ向きにふっとび、地面にはげしくころがる。

「いててて……」こしをさすりながら、おきあがると目の前に黄緑(きみどり)色の巨大な壁があった。

見上げると、「あっ!」

それはまるで山みたいな巨体のキャベツだった。隣には、やはり筋肉もりもりで見上げるような巨大なハクサイがいた。

 (くそ、野菜レスラーたちだ、また来やがったのか!……)

ライムは心のなかで毒づいた。

ほかにも大きな大根や、かぼちゃなどがいる。みな上半身はほとんどはだかで、色とりどりのふんどしをしめている。小さな山の向こうの野菜の町「ベジッタ」からぞろぞろとやってきたのだろう。

(いったい、こいつら、こんな格好で、何してるんだ……)ライムは地面にしりもちをついたまま、野菜たちをにらみあげた。でも巨大野菜たちは、ちっぽけなライムなどまったく気にせず、大きな体を寄せあった。

「よしっ、ふんどしもしめなおしたし、いっちょう、気合入れていこう!」

「野菜レスラーの力、みせつけてやりましょうっ!」

「レッツゴー、ベジタンファイターズっ!」

「えいえいおーっ!」

巨漢野菜たちは口々に叫ぶと、太い腕をつきあげた。女の大根もいて、かんだかいおたけびをはりあげ、ライムは鼓膜がびりびりと震えて思わず両耳をふさいだ。

「よしっ、ハクサイック、ここに会場設置だ」と巨大キャベツがいうと、

「よしきた、キャベル、ここが闘いの舞台だぜっ! 歴史をきざむぞっ!」

野太い声で答えると、ハクサイックと呼ばれた巨大ハクサイはくるくるまるめてあった大きな紙をひろげた。それから紙を棒のようなものに取りつけると、棒をいきおいよく、ぐさっと地面に突き立てた。紙にはなんというか豪快というか、乱暴な墨の文字でこう書いてあった。「ベジ・フルタウン合同、緊急相撲大会!」。

ベジは、ベジッタ町、フルは、フルーツェン町の略だった。

「まったくへたくそな字だな……」そばで、ひそめた低い声が聞こえた。

みると、アポー男爵がうつむきがちに、豪華バスケットの中で体を固くしていた。ほかのメンバーも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。いつのまにかロイヤルバスケッツが来ていたのだ。バスケットには車輪とモーターがついていて、みな、乗ったまま移動ができるのだ。

アポー男爵たちはまゆをしかめて、ちらちらと、野菜レスラーズのほうを見ている。彼らとまともに目を合わせるのは避けたいらしい。

バスケッツはライムを追ってきたのだろう。でも、乱暴な野菜たちが来ていることに気づき、ライムどころではなくなったといったところだろう。とライムは思った。

そのうち、ふうふう息をきらして、ふとっちょのパイナ町長もやってきた。

巨大かぼちゃが、ハクサイックと同様、乱暴な動作でスコップをぐさっと地面につきたてた。そのまま、歩き出した。大きな円を描いていく。どうやら丸い線を掘って土俵がわりにするつもりらしい。

「ほんと、いつも突然おしかけてきて、勝手にいろんな勝負をしかけてくる。失礼ったらありゃしないわ」メロロン婦人はいつもあおいでいる扇子をとじて、やはりうつむき加減に言った。

「まったくだ。勝手に勝負をしかけてくるだけじゃない。勝ったら、わが町のいろんなものを勝手にもっていってしまう……」

マンゴールが、やはりうつむいて、野菜たちから見えないよう、バスケットのなかでこぶしを握りしめた。

「そう、いままでも、いろいろもっていかれた。広場の時計台、おしゃれな街灯。噴水、道路標識……、信号機をもっていかれて交通が混乱したこともあった……」

パイナがうなだれて言った。

「そういえば、あんたの銅像もとられたんだったな……」とアポー男爵がパイナ町長をふりかえった。

 「そうそう、悪魔のドリアンを退治したとき、立てたやつ……」

と、マンゴールが相槌(あいづち)を打った。

「うわ、デビルドリアン……思い出しただけでぞっとするわ……あのとき……」

メロロン婦人はぷっくりした自分のからだを、むきだしのもっちりしたうででだきしめてみせた。

 しかし、いきなり口をつぐむと、みるみる真っ赤になった。

「ほお、メロロンさんもご存じなんですな、デビルドリアン事件……」

パイナがメロロン婦人に笑顔をむけた。

「事件から何十年もたって、知っているひともだいぶん、減っておりますな……」とマンゴールが言った。

「いや、だから……きいたはなしよ……ああ、こわいこわい……」

メロロンはますます赤くなった。

「はっ、赤メロンみたいだな」とライムは笑った。


「デビルドリアン一家が世にも恐ろしい病気をまん延させ、それを救いにきた救世主も追い出したという事件……」

と重々しい口調でアポー男爵が言った。

「そう、そんなおそろしい敵をわがパイナ町長殿が見事にやっつけたというわけだ……」

自分のことのようにほこらしげにマンゴールが続けた。

 「はっは」と、パイナは鷹揚(おうよう)に笑った。

「いやあ、いずれにせよ、もう大昔のことですから……」

そういって大きなあたまをかいた。

「ほら、いまではこのとおり、ぼってり、よれよれですから……」と、背をまるめて、でっぷりつきでたおなかをたたいてみせた。ぽんぽん、太鼓みたいな音がひびいた。 

「あら、意外といい音」とメロロンが感心したように言った。ライムは心のなかで、(おまえだっていい音しそうだけどな……)と思ったが、口には出さなかった。

「いやいや、伝説のヒーローは不滅さ。もう一度、町長の銅像をつくるよう、今度、議会に提案しましょう」とマンゴールが言った。

「いや、それより、野菜連中から取り戻すべきだろう」

とアポーが怒ったようにいった。

「ほんと、いつもいつも取られっぱなしで」

とメロロンも顔をしかめた。

「ほらみろ、あそこっ」とアポー男爵が、大きな花壇の向こうの木立を指さした。木立のかげに大きな荷車が何台かとめてあるのが見えた。

マンゴールがバスケットから身を乗り出して目を細めた。「荷台は空(から)ですな。これから、われわれから何かを奪い、あれに載せて帰るつもりなのでしょう……」と言ってため息をついた。

「わが町との懇親会などといって、結局、自分たちが勝つゲームばかりしかけてくる。この前は野菜クイズ大会だった……」アポー男爵がうなるようにいった。

「カロチンベータなんとかが豊富なのはニンジンさん。ではカロチンアルファなんとか がご豊富なのは、どの野菜さんでしょう、なんていう感じの問題ばかりだったわ。そんなのわたしたちフルーツ族にわかるわけないでしょう……」

たたんだ扇子をバスケットの中ではげしく振りながら、メロロン夫人が叫ぶように言った。でも野菜たちに気づかれないように、やや声を落としていることがライムにはわかった。

Siしkka悪そう、去年の冬にはおしくらまんじゅう大会ってのもありましたな。今日来ている連中はあのときも大活躍でした……」とマンゴールは口をゆがめて皮肉な口調で言った。

「フルーツたちはぎゅうぎゅう、野菜たちに押されて、苦しそうだったわ……」

そのときのフルーツたちの姿やうめき声でもよみがえったのか、メロロン夫人は目をぎゅっとつぶり、両耳を押さえた。

「そう、みんなあやうくフルーツジュースにされるところでした……」

と、マンゴールが震える声で言った。

「あの連中、「おっしくらまんじゅう、押っされて泣くな!♪」とでかい声で歌いながら、フルーツたちをぎゅうぎゅう、思い切り押していた……」

 「すごいどら声で、めちゃくちゃ音痴だったな……」

アポー男爵もそのときのことを思い出したのか、歯ぎしりした。

「とうとうフルーツたちが泣き出したので、野菜たちの勝ちということになったのでしたな……」とマンゴールが残念そうに言って、ため息をついた。

「だいたい、あんなでかくて、みっともない連中に勝てるわけないだろう」とアポー男爵は吐き捨てるように言った。

「ま、“みっともない”は特に勝ち負けには関係ありませんがな……」とまじめなマンゴールは一応、付け加えた。

「まあ、わたしは残念ながら参加できなかったがな……」アポー男爵はため息をついた。

「もし、わたしが参加してたら、きたえあげたビタミンパワーで押しまくって、野菜どもなんかみな、たちまちぺっちゃんこだったんだがなぁ……」

アポー男爵は「むん!」とうなり、うでをまげてみせた。

「お、すごい」とマンゴールは言ったが、とくに力こぶが出たようすはなかった。

「あの連中、みんな野菜スープにしてやるところだったんだがな……」

野菜たちのほうは見ないまま、なおもアポーは小声で言った。

「じゃ、なんで参加しなかったんだよ」といままでだまっていたライムが聞いた。

「な、なんでだって……」アポー男爵はあわてたように口ごもった。

「い、忙しかったからに決まってるだろう。わたしはこの町の議員なのだぞ、議員というのは、何かといそがしいのだ。おまえのようなやつにはわからんだろうがな……」

「へっ」ライムは鼻先で笑った。

「そのわりには、いつも町じゅうを、うろうろしてるようだけどな、そのごたいそうな車にのって……」と、ばかにしたように横目で、バスケットカーを見やった。


バスケッツはどんなに怒ってもけっしてバスケットカーから出てこないことをライムは知っていた。だからなんでも遠慮なくいえるのだ。

「ま、まったく失敬な……」アポー男爵のつやつやと真っ赤な顔は、さらに赤みを増した。

「何か問題がないか、たえず町をパトロールしておるのじゃないかっ」

「へっ、ゴルフ場とかボーリング場とかでそんなにしょっちゅう、問題が起こるとはとても思えないがな……」

 ライムはじいとアポー男爵を見つめた。

「まっかなうそだから、そんなに真っ赤になるんだろう」とライムは言った。

「なんだとっ、」とアポー男爵が叫んだときだった。

パイナ町長がおずおずと巨大野菜たちの前に出た。おろおろした声を出す。

「あ、あのぉ……お野菜のみなさん、今日はいったい何を始められる気で……」

即席土俵のかたわらで、しこを踏んでいた巨大キャベツのキャベルはめんどうくさそうに、パイナ町長を見おろした。

「見たらわかるだろう。相撲大会さ。」

あらあらしく丸い線がほられた土俵をあごでしめす。

「はだかのぶつかりあいで、さらに親睦(しんぼく)を深めようじゃないか。クダモノくんたち! 」

キャベルは大きなおなかをぱん、ぱん、とたたいてから背筋をのばした。

「いやあ、それにしても盛大な祭りじゃないか……」

広々とした公園をゆっくりとみわたす。

「ダンスに、パレード。けっこう、けっこう……なあ、ハクサイック」

「お祝いにきたんだよ、せっかくだから親睦会をしようと思ってな……」とハクサイのハクサイックが低く響く声で言った。

「祭りにはよばれてないけどな」とキャベル。

「いや、おそらく招待状を出しわすれたんだろう……」とハクサイックが言った。「まあ誰にでも忘れるってことはあるよ……」

「招待状を出し忘れたくらいで、フルーツェンとベジッタの友情が壊れるなんてことはない」とキャベルがどら声で付け加えた。

「なにせ、長年、続いている行事だからな。ベジ・フル交流会は」


「では、これより、ベジ・フル交流の緊急相撲大会を、はじめまするー!」

ねじれたキュウリが、できあがった土俵の中央にすり足で進んできて、すっとんきょうなうらごえを張り上げた。黒いとんがり帽子に、きらきらした金色の着物を着ている。着物はだぶだぶでいまにも脱げ落ちてしまいそうだ。

「わたくし、行司をつかまつりまする、キューリンともうしまするぅー!」

手にもったひょうたん型をした黄緑色の軍配(ぐんばい)をゆっくりと胸の前まで持ち上げる。

それからいきなり、それは始まった。

 野菜たちはお祭りに来ていたフルーツたちをつぎつぎに、つかまえては、土俵へとひっぱっていった。

「よおい、はっきゅりーぃ、のこったあーっ!」ねじれきゅうりがきぃきぃ声を張り上げる。

「はっけきゅーい、はっきゅーいっ、のこった、のこったぁ!」

キャベルやハクサイックたちは、とまどっていたり、ふるえたりしているフルーツたちを次々にとらえては、乱暴に投げ飛ばしたり、押し倒したりした。

「何をするっ!」、「いててて……」

土俵の周りには、腰に手を当て顔をしかめたり、苦し気なうめき声をあげるフルーツたちでいっぱいになった。野菜たちがフルーツを投げ飛ばすたびに、行司のキューリンは、「キャベル山のかちぃ」とか、「カボチャール海の大勝ち~っ!」とねじれたからだをもっとねじって、耳が痛くなるようなきぃきぃ声を張り上げるのだった。

口をぽかんとあけて、そんな様子を見ていたライムだったが、ついにこぶしをふりあげて叫んだ。

「やめろっ、いきなりおしかけてきて、勝手放題しやがって! 」

ライムは土俵に走りこむと、つぎの相手、というか獲物を待っていたキャベルに猛然とつっかかっていった。キャベルは、もう何度も土俵にあがっていて、フルーツたちを何人も、いや何十人も吹っ飛ばしていた。

ライムはひざのあたりにしがみついて、必死に押した。けれど、びくとも動かなかった。

「なんだ、こいつ、梅(うめ)かなにかか? 」

キャベルは、虫みたいにしがみつくライムを見下ろした。

「あ、おまえ、さっき、ぶつかってきたゴムボールやろうかっ」

キャベルがいきなり、けりあげるみたいに、ひざをいきおいよくあげると、ライムの小さなからだは、上に高くふっとんだ。でもライムは空中で体勢(たいせい)をたてなおすと、空中でくるくる回りながらも狙いをさだめ、キャベルの大きなぎょろ目に向け、すっぱジュースを吹きかけた。

「うぎゃあああっ!」キャベルは、顔を大きな分厚い両手で覆うと、うずくまった。

 「き、きさま、なにをしたっ!」

身をよじってうなりながら目をぬぐっていたが、やがて立ちあがると、大きなぎょろ目でライムをにらみつけた。その目は真っ赤になっていた。

「は、はんそくうーっ、キャベル山の、か、勝ちいいーっ」

キューリンが、まるで悲鳴のような、かんだかい声をはりあげた。

「こいつめっ!」、キャベルは、いきなりライムをつかみあげると、ぐるんぐるんと自分の巨大なまるい体を回転させた。その回転はみるみる速くなり、目に見えないほどになった。「そりゃああーっ!」キャベルはすさまじい吠え声をあげると、円盤投げみたいに、青空に向かってライムをほうりなげた。ライムは弾丸みたいに吹っ飛んだ。

公園を飛び出て、町の上、湖の上、野原の上を越え、すごい勢いでライムは飛び続けた。やがて、ようやく速度が落ち始めると、下に林がみえてきた。木々がどんどん大きくなっていく。下に向かっているのだ。

「わああああーっ!」ライムは目をぎゅっと、つぶった。うっそうとしげった木々の間に斜めにつっこむ。それから、地面にぶつかって、はげしくバウンドを繰り返した。

何か固い物に激突したような衝撃があったかと思うと、突然、あたりが真っ暗になり、何もわからなくなった。


 どのくらいの時間がたっただろう。ライムは目をさました。

あたりは暗かった。やがてさっき、野菜レスラーのキャベルに、ぶんぶん振り回され、吹っ飛ばされたことを思い出した。

「もう夜になっちゃったのかな……」つぶやく。「それとも……」そのあとの言葉を口にするのはおそろしかった。(……おれっちは、死んじまったんだろうか……)

仰向けになったまま、目だけ動かして、おそるおそるあたりを見渡す……視界にぼんやりと、ごつごつした灰色のものが浮かんできた。

「い、いわ?  ……」目を凝らすと、やはりそれは岩のようだった。しかも多数ある……岩だらけだ。

目が慣れてくると、自分が岩のトンネルみたいなところにいることがわかってきた。洞窟ではないだろうか……

(な、なんでまた、洞窟に……)

首をふって、意識をはっきりさせようとした。

「うっ」

思わずうめく。頭の芯ににぶい痛みが響いた。

(さっき、ぶつかったのは、この岩のどれかだったのかもしれない……)ぼんやりとそう考えた。

「あの世って洞窟みたいなところなんだなあ……」とライムはつぶやいた。その声が、岩の壁に覆われた暗がりにうつろに響いた。

「あ~あ、死んでからも痛いとはなあ……」

ためいきまじりにつぶやく。

「それに、天国って見渡すかぎりどこまでもお花畑って感じじゃなかったのかよ……」

じめじめした感じの暗がりをじっと見つめてつぶやく。

「こんな、陰気なごつごつしたところっていうのは、まさか……」

ライムは大きな目をさらに見開いた。

「……じ、じごく?……」

これまでの数々の悪行を思い出した。

いつもふたりくっついているさくらんぼさんたちをぎゅうとひっぱって無理やりひきはなしたこと……よりそって居眠りしていた果物たちをつるでしばって、「まとめ売り10円」とマジックペンで書いた値札を張ったこと……ほかにもたくさん悪いことをしてきた。

今にも、洞窟の奥の暗がりから、地獄の鬼たちがやってくるかと思うと、じっとしていられない。

(く、くわれちまうぞ、生きたまま、むさぼり食われちまうぞ……)

そこでちょっと頭をひねる。

(いや、生きたままってのかおかしいか……)

それからまた頭をぶるっと激しく振った。

「そんなこと考えている場合じゃないっ!。」

ライムはいきおいよく、上半身を起こした。

「うわあっ!」

思わず叫ぶ。からだじゅうに強烈な痛みが走った。ちいさいころ、パンを盗んで、むちでひっぱたかれたときもこれほど痛くはなかった。

「ど、どこか……、いや、あちこち、骨が折れてるんじゃ……」

ライムははかみしめた歯の間から言葉を絞り出した。

「い、入り口はどっちだ……」

あたりを必死に見回す。

(いや、出口というべきか……)

よろけながらやみくもに進む。どちらかというと、より明るく感じられる方向に向かった。

でもからだのあちこちが痛くて、途中で立ち止まると、しゃがみこんだ。痛むひざに手をのばすと、指先が湿ったものに触れた。おそるおそる、その指を鼻先に近づける。(こ、これって血?……) 

次第に目が暗闇に慣れてきて、あたりがかなり見えるようになっていた。自分の体もだ。

「うわあ、血が出てるう! 」ライムは叫んだ。ずたずたにさけたTシャツのあちこちに血がにじんでいる。これまで暗闇に目が慣れていなかったので気がつかなかったのだろうか……。

ショートパンツから出た短い足も切り傷や擦り傷だらけだった。ティーシャツをめくるとほかにも細かいひっかき傷がからだじゅうにできていた。木や草につっこんで地面にころがったときについたのかもしれない、と思った。

「うう、ちっくしょう、あのバカ力めぇ……」ライムはキャベルのことを思い出しながらうなった。それから、歯を食いしばって、再び洞窟の中を這うように進み始めた。洞窟は暗がりの中をゆるやかにカーブしながら続いていた。どちらが入口かあいかわらずわからなかったが、すこし明るいような気がする方向に向かった。

 少し進んだとき、三、四メートルほど先だろうか、ちらちらと光が揺れているのに気づいた。

 青白い光。

「なんだろ、あれ……」ライムは吸い寄せられるように、そこに向かって必死にずりずりと這(はい)よっていった。

近くまでいくと、その光は地面の岩の間からぼおと出ていることが分かった。

ライムは止まって、光を見つめた。「あれ……」見ているうち、いつのまにその光は橙色になっていた。次には紫色……つぎつぎにやわらかい光は色合いが変化していく……

 「うわあ、なんだろう、これ」

もっとよく見ようとのぞきこんだときだった。バランスを崩した。体じゅうが痛いこともあって踏ん張れず、あっというまに、岩の間の穴に落ちてしまった。衝撃とともに、ぽしゃん、と音がひびいた。

(み、水? )

水の感触とともに光につつまれる。ライムは光る水に包まれていた。

次の瞬間、「ひ、冷たいっ」、悲鳴をあげそうになった。

あわてて、水をかいて、水面から顔を出す。

けれど……、輝く水にぷかぷか浮かんでいるうち、不思議な感覚に包まれた。からだが温まってきたのだ……。

 (あ、あれ、温泉……)

とはいってもライムは温泉に入ったことがないので、これが温泉かどうかはよくわからなかった。

ゆっくりと温かいものが体の奥にむかって、じんわりとしみ込んでくるような感じだった。

「うわあ、いい気持ち……」

なんだか、眠くなってきた。……

ライムはぷかぷか浮いたまま、目を閉じた……。

はっとして目をあける。

(眠っちゃったら大変だ)

岩の壁をつかんでよじのぼる。そしてなんとか体を穴の外へと引き上げた。とたんに、しゅわしゅわーっと、体じゅうから軽やかな音がした。体についたお湯が蒸発していくのが感じられた。

「ああ、いい湯だったな」

ライムは穴のふちに座り込んだ。

そのとき、背後になにかの気配を感じた。

ライムはふりかえった。

岩壁の連なるむこうに、かすかな光が見える。しろっぽいまるい光。

「あれ、こっちにも、光る水、あるのかな……」ライムは目をこらした。が、その光は、色が変化しゆらめく、さっきの泉みたいな水の光とはちがうものだった。

ライムは足元に気をつけながら、まるみをおびた白い光のほうに向かって歩きはじめた。

すると光は次第に強くなってきて……やがてそれが洞窟の外から届く光であることに気づいた。さっきのあやしげにゆらゆら揺れる光とはまったく違うあっけらかんとした光。

 「洞窟の外だっ!」

ライムは足をはやめた。まるい白い光はどんどん大きくなってくる。地面からつきでた岩につまずいて転んでしまいそうになりながらも、ライムは洞窟の外側へと進んだ。

ついに洞窟の入口についた。おそるおそる、外に踏み出す。

 「わ、まぶしい」思わず目をつぶった。それから手をかざしながら、おそるおそる、ゆっくりと目を開いた。目の前には白っぽい木々がぱらぱらと茂る、草原みたいなところがひろがっていた。

 かたむきはじめた薄い光に一面照らされ、小雨でも振ったのか、きらきら輝いていた。

 「きれいだな……やっぱり、ここはあの世なのかな……それとも夢? ……」

ぷくぷくした頬(ほお)をつねってみた。

「痛いっ!」

強くつねりすぎて、思わず、飛び上がってしまうほど痛かった。

 でも……

痛いのは頬だけで、ほかはどこも痛くないことに気がついた。

さっきはからだじゅうの骨が折れてしまったのでは、と思うほど、痛かったのに……

 体を見ると……Tシャツはぼろぼろだけど、腕(うで)や足に傷はなかった。

 「あれれれれっ! 」

うでをあげて、さらにあちこち、見回したり、足をじっとみおろしたりした。Tシャツをめくったけど、青緑のおなかはつるんとしていた。どこも痛くないし、かすり傷一つついていない…… 。

それどころか、からだじゅうに力がみなぎっている。

「おれっち、死んでるどころじゃないぞ、めちゃくちゃ生きてる。生きすぎてるくらいだっ!」

うれしさがみなぎり、その場でジャンプした。かるく地面を蹴っただけなのに、すごく高く飛んだ。

かろやかに着地したライムは首をかしげた。

「……あの水?……」

あの洞窟の中の泉につかったとたん、なにもかも痛みがおさまったような気がした。…… 

「たまげたなあ……」もう一度、洞窟の入口をふりかえる。

また洞窟に入り、しばらく行くと、前のほうにゆらゆらと青紫の光がただよっていた。

「やっぱりある。“たまげ水”だ!」

 泉につかったさっきの感触を思い出した。思わず目をつぶる。ほおがゆるむ。いや、からだじゅうが……ゆるんでいくような……。

 「もいちど入ろうかな……」

そうつぶやいたが、はっと目を見開いた。

「そ、そんなことをしている場合じゃないぞ」

自分を物みたいにぶんなげた、怪物キャベツのことを思い出した。

みるみる怒りと屈辱がよみがえってくる。

 「なんにもわるいことしてないフルーツたちをいつもいつも痛めつけやがって」

ライムはぐっと口をひきしめた。

野原を見渡すと、林の向こうに、バナナのようにゆるやかに湾曲した公園広場の展望タワーの先がのぞいていた。

ライムはぎゅっと口をひきしめると、野原をジャンプした。まるっこいからだじゅうに力がみなぎっている。いきおいよく走ったりジャンプしたりしながら公園広場をめざした。

野原を吹き渡る風が、ライムのからだを完全に乾かした。

「あいつらめ、今度は手加減しないぞっ」

ライムは闘志をみなぎらせて、野原を駆け、林をぬけて走った。公園の展望タワーがしだいに大きく見えてきた。さらにスピードをまして町をぬける。


「あれ……」

公園につくと、人々の姿はまばらになっていた。もう祭りの後片付けをしていた。屋台をたたんだり、やぐらを解体したり……。秋の午後の淡い日差しの中、その音がいやにはっきりと聞こえた。

薄い光がしみ込むゆるやかにカーブした遊歩道を進む。

相撲大会をやっていた公園の西のほうの広場に行くと、やはり人影はまばらだった。巨大な野菜たちの姿もない。

広場に土俵はまだ残っていた。野菜レスラーたちは土俵として深くえぐった土をそのままにして帰ってしまったようだ。

パイナ町長が、土俵の溝の傍らに、うずくまって土をなんとか元に戻そうとしていた。でも野菜レスラーが馬鹿力を発揮してえぐった溝はけっこう深く、平らに戻すのは、なかなか大変なようだった。

近づいてくるライムに気がつくとパイナ町長は顔をあげ、ゆっくりと立ち上がった。

「おお、ライム……」目を見開き、かすれた声をあげる。

「だ、大丈夫だったか……」

両手を差し伸べるようにして、ライムのほうによろよろと歩いてくる。

ライムの前にくると、立ち止まって顔を伏せた。

「助けに行きたかったんだけど、野菜レスラーたちにつかまっておっての……」町長はため息をついた。

「すまんかった……」パイナは大きな頭を下げた。つんつんとがった固そうな白髪交じりの髪の毛が表情を隠す。

「いいんだよ」ライムは首を横に振った。

「おれっちを誰だとおもってるんだ。」ライムはちいさなまるっこい胸を張った。

「ジャンピングスーパーボーイだぜっ!」 

ライムは、その場で、ぴょんぴょん、元気よくとびはねて見せた。

「不死身のライムさまだ、えっへん」

 空中高くでくるくる回転までしてみせた。

両腕を水平にぴしっととあげて、得意げに着地したとき、

「あ、あんなにふっとばされたのに……」という声がした。

ふりかえるとロイヤルバスケッツだった。あいかわらず高級フルーツたちが、立派なバスケットカーのなかで身を寄せ合っている。

「さすが野生児だ……」とあきれたようにアポー男爵が言った。

ライムはそれを無視して、

「それより、町長たちは大丈夫だったの?」と聞いた。

「ああ、ずっと野菜たちに、相撲の名を借りた乱暴はやめるよう、必死に頼み続けたんだが……やっぱりだめだった……」

パイナ町長は顔をしかめて、深く息をはいた。

「わたしも一番取らされたよ……」大きな、まるっこい腰をさすった。

「うわあ、チョウチョみたいなじいさんをぶんなげるなんて、ほんとひどいやつらだね……」とライムは顔をしかめ、語気あらくいった。

マンゴーのマンゴールが舌打ちをした。

「まったく、なんという言葉づかいだ。町長のことを、チョウチョなどと呼ぶとは……」

「まったくよ、じいさんをぶ、ぶんなげるなんて、なんておそろしい言葉づかいなのでしょう……」とメロロン夫人もおそろしげにまんまるの身をふるわせてみせた。 

ライムはぎろっと、ロイヤルバスケッツたちのほうに目を向け、無遠慮にじろじろと彼らを見やった。

「かごさんたちは、とくにお怪我はないようだね。……まったく元気そうじゃないか」

一歩、近づいてそういったとき、バスケットの高級フルーツたちが一瞬、身を寄せ合ったのをライムは見逃さなかった。

“かご”などとよばれて、彼らが怒り出すかも、と思った。だが、かれらはどんなに怒っても、けっしてかごの中から出てきはしないことをライムは知っていた。マスカットたちはいやにしずかだ、と思ったら、みなおだやかな表情で寝ていた。

「わ、わたしたちは、まったく大丈夫なことよ……」とメロロン夫人はまんまるいあごをくい、とあげると、うぐいす色のせんすをせわしなくあおいだ。

(今はけっこうすずしいけどな……)とライムは思ったが、めんどうなので口には出さなかった。

「お相撲なんて、あんな下品でやばんな競技には興味がございませんからね。……さっさと別の場所に移動しましたよ……」

不自然なまでに濃く長いまつ毛の下で、目がきょときょと落ち着かなげに動いている。

「ちぇっ、つまり相撲のときはどこかに逃げてたってわけか……」とライムは無表情にバスケッツたちをみながら、抑揚のない口調で言った。

「チョウチョを残して……」

「なんだとっ、人聞きの悪いっ!」アポー男爵がどなった。

「われわれは議員だといったろっ。野菜たちの乱暴をとめる方法を議論しなければならんのだ。けがなんぞをしてたら、貴重な議論ができんじゃないかっ、そんなこともわからんのかっ!」

赤い顔をますます赤くして男爵はまくしたてた。


 突然、アポー男爵は、にやりと笑って見せた。でもその顔はひきつったようにもみえた。

「そうはいっても、けがはわたしには関係ないがな……」

やや、うわずった声を出しながらも胸を張って見せる。

「なぜなら、私があの相撲に参加したら、けがをするのはやつらのほうだからだっ……それも大けがをなっ」

アポーは豪快に笑ってみせた。だが、その顔がややひきつっているのをライムは見た。

「野菜たちなど、みんなひとまとめにアポーアタックで一撃だっ!」

アポーはバスケットのなかで、体を激しく上下に動かした。

その動きが“アポーアタック”なのかどうかはよくわからなかったが、やはりライムは黙っていた。

「そりゃあ、あの場面では、わざと負けてやったほうが、野菜たちも満足して、おさまりはよかっただろう」アポーは不自然に大声を出しながらさらにつづけた。

「満足して、さっさと、帰っていっただろうよ……」

他のロイヤルズは、あいまいにうなずいたりしていたが、何も言わなかった。

「だが、わたしは、嘘をいえない、手加減もできない性格なのだ。不器用ってわけだ……」アポーは荒い息をついた。

「そうすると、野菜たちは恨みをいだき、ますます問題がこじれるであろう……」とアポー男爵はさらに声を張り上げた。なぜかライムとは目をあわせようとしなかった。

「というわけで、あえて、相撲大会には参加しなかったわけだ……」

ようやく話し終えたらしく、アポー男爵は満足そうに息を吐いた。

しばらく沈黙が続いたのち、

「ほおぉ」とライムは言った。

「野菜レスラーたちに勝てるなら、当然、おれっちにも勝てるってことだよな」 

ライムは土俵の残骸を指さした。

「じゃあ、胸を貸してもらおうかっ」

ライムは一喝するように大声をあげた。

アポー男爵の顔がひきつった。

「ま、な、なんて乱暴なひとでしょう……」メロロン夫人がかんだかい声をあげた。

「まあまあ、みなさん……」

それまで、だまっていたパイナ町長がなだめるように手をあげた。

バスケットに向かおうとするライムを押しとどめる。

「いまは、仲間割れなんぞしている場合ではありませんよ……」

みなを見わたしながら言う。

ライムはしぶしぶひきさがった。

「今回も多くのひとたちが野菜たちの犠牲になった。しっこぞうも、もっていかれてしまった……」

町長は悲しげな声で言った。

「しっこぞう?」ライむは眉をしかめて聞き返した。

パイナはだまって、お花見広場のほうを指さした。

「あそこの池にあった小便小僧さ……」

力ない声で言う。

「あっ、あれか!」

ライムは大きな声をあげると、池に向かってジャンプした。池のほとりには、小便小僧が乗っていたと思われる台だけがのこっていた。

「くっそお」

ライムは地面に向かってこぶしをぶつけるしぐさをした。

「あいつ、けっこう気に入ってたのにぃ」

顔をしかめて、悔しそうに叫ぶ。

「あの、しっこのいきおい見てたら元気でたのになーっ」

とぼとぼと、うつむいて、みなのところに戻った。

「まったく、どこまでも下品なやつだな……」とアポーがライムと目を合わさないようにしながら、低い声でいった。けっこう小さい声でいったその言葉は、ライムに聞こえていたが、ライムは無視した。

「ゆうしょうしょうひんは、しょうべんこぞうにござりまする~っ!」

突然、甲高い声がひびいた。アポー男爵、メロロン婦人、マンゴールがバスケットのなかでのけぞった。

すっとんきょうな大声はバスケットから響いていた。

ぶどうの一粒が目をさまし、大きく口をあけて叫んでいるのだった。 

「ほんじつのすもうたいかい~、やさいぐんのかちにござりまする~っ!」

もうひとつぶが口をとがらせてそうさけんだ。まんまるのからだを妙な具合にねじっている。行司をやっていたねじくれたキュウリの真似をしているらしかった。

「うちわをもったきゅーりがいってたよね!」

「いってた!」「いってた!」「ね!」「ね!」マスカッツの粒(つぶ)たちは顔を見合わせるといっせいに笑い出した。

きんきん、頭にひびくような笑い声の合唱。マスカッツ以外のみなは思わず目をつぶり耳をふさいだ。

「おしっこの勝ちー!」そのうちの一人が意味不明なことをいって、マスカッツたちはさらに大きな笑い声をたてた。

「きゅうりの勝ちー!」「きゅうりのすけの勝ちーっ!」みな甲高い声をひびかせて口々におかしなことを言いあう。

「ちびすけの勝ちー!」

「アポすけの負けーっ!」

「メロロン山の勝ちー!」

「〇×▽……!」「◆△●……!」「〇×▽……!」

しまいに多くの声が重なって、もはや何を言っているのかさっぱりわからなくなった。

(ちぇっ、こいつら、相撲大会が終わったとたん、戻ってたってわけか……)

両耳をしっかりとおさえたままライムはこころのなかで舌打ちした。

そのうち、ふわあとあくびをして目をとじる粒がいた。さわぎすぎて疲れたのだろうか。つづいてもう一粒も……マスカッツたちはつぎつぎに口をつぐみ、しずかになった。

ようやくマスカッツたちのさわぎがおさまり、一同は思わずふうとためいきをついた。しばらくの間の後、メロロン婦人が言った。

「お野菜たちは基本、お下品なひとたちだから、お小便小僧さんが好きだったのかしら……」(なんでも、「お」をつければお上品になる、と思ってんだな。小便小僧におをつけるやつなんてみたことないぜ……)とライムは思ったが、とりあえず黙っていた。

「いや、ただのいやがらせだよ……」と町長はどこか、なげやりな口調で言った。

「前のときにもけやき通りの街灯や公衆便所を勝手にもっていったが、そんなもの使うわけがない……」

「そう、あいつらは自分たちに都合のいい勝負を持ち込んで、勝つと、賞品といって勝手にいろいろともっていってしまう……延々とその繰り返しだ……」

とマンゴールが苦々し気にいった。

「それよりさっ」とライムは、いらだったように大きな声をあげた。

「野菜たちにいつまでこんなことされてるんだよっ」

「仕方がないだろう。彼らは狂暴だ、逆らったら何をしでかすかわかったものじゃあない……」パイナ町長はそういってため息をついた。「もっとひどいことをするかもしれん……」

「まったくあの野蛮人どもめ」とアポー男爵が吐き捨てるように言った。

「やつらはわれわれフルーツに嫉妬してるのさ、だからあんなにいやがらせばかりするんだ」とマンゴールがいった。

ふう、とメロロン夫人がため息をついた。「でもたしかにあたしたちに嫉妬を抱くのは仕方ないわよね……」

ぽっちゃりしたうでをのばして、うっとりとみつめた。いくつも通した大きな腕輪にちりばめられた宝石が、夕日を浴びてきらきら光った。

「野菜村のひとたちは、全体的に姿かたちもよくないし、においもダメ。おいしくないから、ニンゲさまに食べてもらえないし……」とメロロン夫人がバカにしたようにいった。

「そう、うまくないけど、食べないと、栄養がかたよるぞ、とニンゲさまをおどして、かろうじて食べてもらっているんだ」とアポー男爵も言った。

ニンゲとは人間のことで、ニンゲにたくさん食べてもらえるほど、フルーツの精たちは元気になるのだった。

「そうだっ!」とライムは叫ぶと、いきなり垂直にとびあがった。どんどん空へと上っていく。

みな、会話を止め、ぽかんと夕空をみあげた。

しばらくして、地上に戻ってきたライムは興奮した早口で話し出した。

「こっちからしかけりゃいいんだよっ」

「こっちからしかける?」マンゴールがまゆをひそめた。

「しかけるって何をよ」メロロン夫人がセンスをせわしなくあおぎながら、怒ったような声を出す。

「懇親会だよっ、ベジッタ町とのっ」

ライムは大きな目を輝かせ、短い両腕をふりまわした。

「こっちからベジッタ町に乗り込んでいって、ジャンプ大会を開くっていうんだ!」

みなぽかんとしてライムをみつめた。

「ジャンプだったら、ぜったい負けないぜっ!」

ライムがもう一度ジャンプしそうな気配を見せたので、「いや、それはさっき見せてもらったよ」

パイナ町長はそれをおさえようとでもするみたいに、ライムに歩み寄って手を伸ばした。

「ジャンプ大会でぶっちぎりで優勝して、あいつらの町から、なんか取ってきちまおうぜ、賞品だっていって! 」

ライムは両手で何かをたぐりよせるような仕草をした。

「取ってくるって何を……」

なかばぼんやりした声で、マンゴールが言った。

「……」

ライムは、ベジッタ町には行ったことがないことを思い出した。何があるかわからないから、何を取ってくればいいのかもわからなかった。

「し、しっこぞうだっていいじゃないか。取られたものを取り返すんだっ」

ライムはこぶしをいきおいよくつきあげてみせた。

「ふう……」、アポー男爵が大げさにため息をついた。「そんな話にのってくるわけないだろう……」

「あいつらはこちらに命令するのが好きなんだ。こちらからの指図なんて受けるはずがない」とマンゴールも額にしわをよせて言った。

「そうよ……」とメロロン夫人もふうと、おおげさに息をついた。

「だいいち、何よ、ジャンプ大会って。そんなの聞いたこともないわ……」

「じゃ、じゃあ……」ライムは焦ったように、あたりをぐるぐるせわしない足どりで歩き回った。

突然、止まると叫んだ。

「今度、あいつらがせめてきたら脅かしてやればいいっ!」

アポー男爵は横目でじいとライムを見た。

「どうやってだよ……」

「チョウチョは、はりぼて作るの好きだろ」

ライムは目をきらきらさせながら、パイナ町長を見た。

「だったら、はりぼてで怪獣をつくるんだ、でっかいの」ライムは興奮して背伸びし、両手を大きくふりあげた。

「……」

パイナ町長もロイヤルバスケッツたちも、もはやなにもいわず、表情のない顔でライムを見つづけた。

それにはかまわず、ライムはつづけた。

「がおーっ! ておどせば、さすがの野菜野郎たちも逃げてくだろうっ!」

ライムは手をかぎづめみたいにして、顔の前につきだした。そして険しい顔をして大きく口をあけた。牙をむいた怪獣になったつもりなのだろう

「……」

「……」

「……」

「……」

やはり、みなの反応はなかった。

みなの無反応にますますあせって。ライムはぴょんぴょん、とびあがった。

「い、いや、怪獣がダメなら巨大戦闘ロボットでもいい、いや巨大ゴーストでもいいかっ!」ライムはヒステリックに声を張り上げた。すがりつくように町長を見る。

「はりぼての中におおぜいで入って、動かすんだ、おっかない動きで」

ライムはみじかい手足をあやしげにうごかす。

「お城や、ごうかきゃくせんほど、でっかくないんだからラクチンじゃないかっ、な、チョウチョ、はりぼて好きだろっ」

町長はあわてたように手を振った。

「い、いや別に、わ、わたしは張りぼてが好きなわけじゃ……」

「じゃあ、なんで丘の上に張りぼてのお城建てたり、港にごうかきゃくせんを浮かべたりするんだよっ。ほかにもりっぱなホテルとか博物館とか美術館とかあるだろ!」とライムは叫ぶように言った。

町長はこまったように濃いまゆげを八の字にした。

「いや、たしかに町長さんははりぼて好きさ、だけどもな……そんな作戦が……」とマンゴールが言いかけたのを、アポー男爵が遮った。

「いや、はりぼてはばかにしたもんじゃありませんぞ。政治家にとって、はりぼてはとっても大事なものだ……」

りっぱなひげの先をつまみながら続ける。

「はったりがすべてだからな。ゆえに、町長も政治家なのだから、はりぼては重要ということである……」

「まあ、そういえば、はりぼてがきらいな政治家はおりませんな……」

とマンゴールも同調した。

「だが、いくら好きだといってもはりぼて怪獣や巨大ロボットは無理だ。城とか豪華客船は遠いところにあるから、野菜のやつらにばれないだけで……」とアポー男爵がため息まじりにいうと、

「怪獣なんて、すぐにばれちゃうわよっ」

とメロロン婦人がかんだかい声で続けた。

「自分たちが怪獣みたいなもんなんだから……」

「巨大モンスターもな……念のためにいうが……」とマンゴールも付け加えた。

「つまり、いくら町長がはりぼて好きといってもその作戦はだめだ、ということだ」

とアポー男爵がきっぱりと言った。

「だ、だから、わたしは、べつにはりぼてが好きなわけじゃ……」とパイナ町長が割って入った。

「ただ、偽物であっても、オブジェとしてお城とか、豪華なクルーズ客船とか、立派な美術館があったほうが町が華やいでいいと思っただけで……」

意味もなく手を振りながら、町長は皆を見渡した。

「町のみんなに、「いつか、このはりぼてを本物にするぞっ」って気持ちをもってもらいたかったんだ。」

パイナ町長はせきばらいした。

「ま、まあ、ライムくんの作戦については今度、ゆっくり検討することにしよう……」

町長はもごもごといった。

「次の交流行事も決まっていることだし……」

「え」 

ライムは目をまるくして町長を見た。バスケッツたちもみな、はっとしたような顔をパイナに向けた。

「次の交流会、知ってるの」

「あ、いや」

パイナ町長はあわてたように、せわしなく手を振った。

「さっき、野菜軍団がひきあげるときに、公園通りの小学校のほうを見やってだな……」と町長はやや早口で言った。

「グラウンドに運動会の準備がちょっとしてあるのを見て、「お、つぎは運動会にするか」って言ったのをきいたんだ……」とつづけた。

ライムはぱっと目を輝かせると、いきおいよく、ぱちんと手を打ち合わせた。パイナのほうに顔を近づける。

「じゃ、高跳び大会もあるかもしれないなっ」

「そ、そうだな。ジャンプは運動の基本だ。走り高跳びはやるだろうな……」

パイナ町長はちょっとこわばった笑顔をライムに向けた。

「おい、町長が困ってるじゃないか。おまえ、また何かやらかすつもりじゃないだろうな……」

アポー男爵がライムをにらみつけた。

「あの……べつに、なにかおかしなことをたくらんでいるわけじゃないよな……念のためにきくだけだけど……」

とパイナは、ちょっと落ち着かなげに体を動かして、ライムを見やった。

その話を聞いている様子はまったくなく、ライムは、

「よしっ、おれっち、今から練習するっ!」と、肩の位置にあげたこぶしを握り締めた。「いつ、あいつらが来てもいいように、今日からばんばん毎日、練習するぞっ! 」

ライムは短い両腕を振っていきおいをつけると、その場で、思い切り飛び上がってみせた。

「じゃ、チョウチョ、カゴーズ、バイッチなっ!」

ものすごい勢いでジャンプしながら、夕日に一面、照らされた公園広場をライムは去っていった。


ライムは荷車をひいて、ごみを集める仕事なんかをしているのだが、その仕事の合間にもジャンプの練習をした。休みの日には、石やレンガのような重りを持ったり、腰につけたりして一日中、必死にジャンプした。

ジャンプを繰り返しながら、急な上り坂をあがったり、といった厳しい鍛錬にも取り組んだ。もちろん、スクワットや腹筋運動のような基礎トレーニングも欠かさなかった。

飛び上がっている間に何回、「あほ、ばか、まぬけ!」を言えるか、など自分で考えた特訓メニューにも熱心に取り組んだ。



収穫祭から二週間ほどたったある日曜日。

ライムがごみを処分場に運んでいるときだった。

「おい、また、野菜たちがやってきたって」

という声がした。道端でライチとイチジクが立ち話をしている。

「またか、まったくあいつらめ……」

「ど、どこにだ」

「公園広場に向かっているらしい」

「けっこう大勢らしいぞ……」

フルーツたちの怒りと悲しみに満ちた声があたりに響いた。

ライムはその場にごみを放り出すと、猛ダッシュで公園広場に向かった。


広々とした公園の中を進むと、広場が見えてきた。ざわめきが聞こえてくる。怒鳴り声のような乱暴な声も混じっている。

(野菜レスラーたちだな……)ライムは走り続けながら、闘志をたぎらせる。

広場に着くと、ライムは立ち止まった。

ダイコンのダイ子は、巨大な荷車の荷台から看板を下ろすと、公園広場の出入り口のそばに、どん、と置いた。それには、パイナ町長が予測したとおり、「ベジ・フルタウン合同大運動会」と書いてあった。

野菜たちがぞろぞろと歩いている。広場を出ていく者、広場に入ってくるもの。入ってくるものはみな何かを抱えている。ハードル、玉入れかご、白線引き……

(あいつら、公園通り小学校から運動会の道具を勝手に運んでるんだ……)

ライムは歯ぎしりした。

「えっほ、えっほ!」と掛け声をかけながら、テントや長い大きなテーブルをはこんでいる連中もいた。


公園広場はおおぜいのひとたちであふれていた。

白い大きなテントがいくつか設置され、張り渡された万国旗が風になびいている。

野菜たちの数はいつにもまして多かった。百人、いや二百人はいるだろうか……

「スポーツの秋ですよ。さあ、運動しましょう、楽しいですよ」とにこにこわらいながら、おくらのおばさんが、フルーツたちの手をつかんでいる。

「あ、あの、用事があるので、む、無理です……」とブルーベリーが顔をしかめて言ったがおくらは手をはなさない。もう片方の手では、プラムをつかんで、むりやり、運動会の会場に仕立てた広場にずるずるとひきずっていく。

「楽しいですよ、ね、楽しいですよ」ねばっこい声でいう。顔には満面に笑みを浮かべたままだ。

もっと乱暴な野菜もいた。

「おう、おまえ、にらみやがったな。その喧嘩、買ってやろうじゃねえかっ、運動会で勝負だっ!」とゴーヤがすごんで、すももをぐいぐい運動会場のほうに押しやっている。

獲物を狩るチーターのように、逃げまどうフルーツを走っておいかけ、つかまえる野菜もいた。

「あんた、ちょっとダイエットしたほうがいいぞ、おれといっしょにがんばろう!」とまるまるとしたカブが、ふっくらした桃の肩に太い腕をまきつけるようにして、ひきずるように、運動会場に向かっていたりもした。


公園広場は、運動会場になっていた。

 地面にぐねぐねと曲がりくねったトラックの白線が引かれている。玉入れの塔が斜めに傾いて設置されたり、等間隔ではないハードルが乱雑に置かれたりしている。

 ライムはつるんとしたひたいにしわをよせ、ちいさな肩を怒らせて、公園広場に入っていった。

 白いテントのそばに、大柄なパイナップルの姿があった。パイナ町長だった。彼も、おおぜいの野菜軍団がやってきた、ということでかけつけたのだろう。

ライムは町長のほうに向かった。

かたわらにロイヤルバスケッツの姿もあった。緊張したおもむきで、大きなからだをかごの中でよせあっている。こわごわとといった感じで会場を見渡している。なんとか冷静さを保っているが、内心はどきどきで、いつでもバスケットカーを猛発進させ、逃げ出せるように準備しているにちがいない、とライムは思った。

ねじくれたキュウリがにやにやわらいながら近づいてきて、町長に話しかけた。

(あっ、あいつは……)ライムは思い出した。相撲大会で行司をやっていたキューリンとかいうやつだ。

「いやいや、またおめでたいことがあったそうじゃありませんか、町長さん……」

とやせて小柄なきゅうりはひょっとこみたいに口を突き出し、きぃきぃ声で言った。

町長は首をかしげた。

「はて、なんのことでしょう」

パイナは困ったように、白髪交じりのふといまゆげを下げた。

「まぁたまた、しらばっくれてえ!」

にやにや笑いながら、キューリンはかんだかい大声を出した。

「ニンゲさまから賞をもらったんでしょう。ええとなんだっけ。すぐれたビタミンに与えられる賞……、ビタミン賞でしたっけ……」顔をひずませて笑った。

「い、いや、わたしの把握(はあく)している限りでは、そのような賞は知りませんが……」

パイナはどことなくおどおどした口調で言った。

(なんだよ、チョウチョ、なにか悪いことでも隠しているみたいな態度して……)

ライムは心の中で舌打ちをした。

「副賞はなんでしたっけ。またお城とか博物館ですか。はたまた、ジェット飛行機か高級ホテルですかぁ……」キューリンは目の上に緑の不気味に節くれだった手をかざして、あたりを見渡した。

「ニンゲさまは、気前がいいですなあ……」

あ、地震? と思ったら、地面をゆるがして、のっしのっしとキャベルが近づいてくるところだった。うしろからハクサイックも続く。

「おめでたいことが続くねえ……」

キャベルのどら声が響く。

「超豪華副賞がそこらへんに見当たらないということは、ダイヤモンドとか、金(きん)の延べ棒とか、わりとちっこいものなんじゃないかな……なあ、ちょっと見せてくれよ……」。 

「取らないからみせとくれよ」

ハクサイックもキャベルの後ろから低く太い声をあげた。

「……取らないけど、貸してくれ、とかいうのよ、きっと……」

とメロロン婦人が声をひそめていった。でも、普段の大きな声よりは小さかった程度だったので、野菜レスラーたちに聞こえたようだった。

「なんか、言ったか……」

キャベルとハクサイックが大きな目でそろって、フルーツバスケットのほうを見た。

「……!」

ロイヤルバスケッツたちは全身をこわばらせた。あまりの恐怖にバスケットカーを発進させることさえできないようだった。

「……い、いや別に……」

アポー男爵が、いつもとはうってかわった、半分裏返った、かぼそい声をあげた。

野菜レスラーたちは、また、パイナ町長のほうに向きなおった。

「まったくうらやましいぜ」とハクサイックもキャベルの後ろから低く太い声をあげた。

フルーツたちはだまったままだった。

「なんで隠すかねえ、おめでたいことだから隠すことなんかないだろう」

と大声でいってキャベルがパイナ町長の肩をばん、とたたいた。

パイナの大きなからだはよろけた。

「フルベジジャーナルでみましたよお……」

キューリンは、ねじくれた笑みを浮かべた。

「でっかい、豪勢なトロフィーを抱えていた人たちの笑顔、よかったですねえ……」

そういいながら、あたりを見渡す。

「受賞続き……優秀なお人たちがたくさん、おられるんですなあ……」

キューリンは一呼吸おいてから続けた。

「今回のベジフル合同運動会でもさぞかし、優秀な成績をお示しになられることでしょう……」

突如、キューリンは集まった野菜と、集められた果物たちの前に進み出た。

「ちょっと失礼」といって、そこにいたしまもようのサイコロみたいな形をした「四角スイカ」の上によじ登った。

背筋をぴんと伸ばして直立不動になる。

「みなさま、お待ちかねの運動会をはじめますーーっ!、お互い、スポーツマンシップにのっとって正々堂々と戦うことを誓いますーーーっ!」

手をまっすぐにあげ、ねちっこく、妙に語尾を伸ばしたきぃきぃ声で叫んだ。


運動会が始まった。

でも、それはやはり、いつもの交流行事と同じで、普通の運動会ではなかった。

つなひきでは、ベジッタの選手は、キャベル、ハクサイックなどの野菜レスラーやカボチャなどの力自慢ぞろいだった。フルーツェン側も、いやいやながらではあったが、みかんの仲間では最大の大きさとパワーをもつ「ばんぺいゆ」とか、すいかなど力自慢が出場した。

しかしフルーツ側はまったく力を出せなかった。なぜなら、つなは、まだあどけなさの残る若いキウイフルーツの長いつるだったからだ。キウイフルーツはつるをひっぱられて、「いたい、いたーい!」と悲鳴をあげた。フルーツ組は、ひっぱることができずに、あっというまに、あっさりと負けた。

徒競走のときには。たまねぎがフルーツの選手たちのところに近づいていって、「敵だけど、がんばれっ」といいながら、自分の皮をぱたぱたさせた。すると、つんとした刺激が出て、選手たちの目はみななみだにあふれ前が見えなくなった。スタートの合図がなっても、フルーツの選手はとびだせず、みな負けた。

またムカデ競争のときには、とうがらしがやってきて、自分の体をぱんぱんとたたいた。すると真っ赤な粉がぱあっとあたりに舞い踊った。フルーツたちは目が真っ赤になり、粉が口の中に入って、「わあからい、からいっ」、と叫んで、みなころんでしまった。

 玉転がしが始まった。でもよく見ると、大玉のかわりに転がされているのは、スイカとかメロンだった。そばでキャベルやハクサイックがにやにや笑っている。

「いやあ、おれたちが玉になってもいいんだけど、まんまるじゃないし、ちょっとでこぼこして無理だからなあ……」

スイカやメロンたちは「目がまわるーっ!」「やめてーっ!」と悲鳴をあげて、野菜たちにいきおいよくころがされていた。

会場のあちこちで、野菜たちの勝利のおたけびが響いた。

ライムは「ひきょうなやつらめっ」と歯ぎしりした。近くの野菜たちにとびかかっていこうとしたとき、アナウンスがひびいた。

「走り高跳びに参加される選手は、花壇そばの会場に集まってくださーい」

(よしっ!)

ライムは口をきゅっと結ぶと、急いで高跳び会場に向かった。

高跳び会場に着くと、

「ほお、自分から参加したいとは珍しい果物だな……」と、白ワイシャツ姿のピーマンが言った。右手に赤、左手に白の四角い旗を持っている。どうやら審判員らしかった。バーのかかったスタンドの両脇には、なぜかコーヒー豆の木が独りずつ立っていた。ふたりともそっくりで双子なのかもしれない、とライムは思った。

そしてついに走り高跳びが始まった。

ライムの順番が近づいてくる。

心臓が飛び出しそうにどくんどくん、とはね、ライムはぎゅうと両手で胸をおさえた。まわりの選手に心臓の音が聞こえないか心配になる。

豆の木が二人そろって長い棒をもってきてわたしたが、

「こんなもの、いらねえ」

ライムはそれを放り投げた。

きっ、とスタンドにかかったバーをにらみすえると、バーに向かって走り出した。徐々にスピードをあげていく。

「とおっ!」

叫びながら飛び上がる。

ライムは軽々とバーを飛び越えた。

「よっしゃあ!」

マットに着地してガッツポーズをする。

だが、拍手はなかった。観客はほとんど野菜で、みなしぶい顔をしている。

走り高跳びには、みかんやなしなどのフルーツも参加させられていた。でも、野菜たちがするどい目つきでにらむなかで、足がふるえてしまい、へっぴり腰で走り出したものの、バーにたどりつくまえに転んでしまい、失格となった。

一方、ライムは次第に高くなるバーを次々にこえていった。

バーが高くなるにつれ、ほかの選手たちは脱落していき、徐々に選手の数は少なくなっていった。

バーの高さは、もはヤシの木の高さほどになり、さらに、その二倍、三倍近くにまで上がっていった。

ライバルたちが、はるか上空から落としたバーが地面ではげしく音をたててバウンドする。それを豆の木たちがひろい、するすると、驚くほど高くのびて、スタンドにひっかけた。

すばらしく息の合った動きで、さすが双子だ、とライムは思った。

そして、ライムはついに決勝に残った。

最後の敵は、ベジッタ町の長ネギだった。

(こいつとの一騎打ちだ。こんなひょろ長(なが)野郎なんかに負けてたまるか)

ライムは長ネギをにらみ、短い片腕をつきあげてみせた。

(よおし、ここで完全勝利して野菜たちに一泡ふかしてやる。フルーツの恐ろしさを見せつけてやるぞ!)

ライムの全身に力がみなぎった。

見あげるとバーはもう、すいこまれそうな青空の向こうに、シャープペンシルの芯みたいに小さく見えていた。

長ネギ選手が先に飛ぶことになった。

「ネギーギン、がんばれ、がんばれーっ!」 

野菜たちの声援が広々とした公園広場に響いた。どうやら、ネギーギンというのが長ネギの名前のようだった。

声援にこたえて、ひょろながい腕をあげると、ネギーギンは長い足でリズムよくおおまたで助走を始めた。しだいにスピードを上げていきながら、長い体を大きくしならせた。そしてスタンドの手前で、体をばねのように戻すとともに、勢いよく高く飛び上がった。

長ネギの体はぐんぐん真っ青な空をのぼっていく。みるみる小さくなり、バーに近づいていく。見上げる観客は空のまぶしさに顔をしかめたり、目の上に手をかざしたりしている。

ごく細の線みたいにみえる長ネギの影と、ごく細の線みたいにみえるバーの影が重なった。

はるかかなたのバーが少し揺れたように感じられた。

「あっ」空を見上げている野菜たちはいっせいに悲鳴みたいな声をあげた。

ミニチュアにみえるネギーギンがゆっくりと落ちてくる。

だが……バーは、はるかかなたのスタンドの先で揺れていたが、……落ちてくることはなかった。

ネギが落下してきて、大きなマットの上で大きく弾んだ。

野菜たちの間で爆発するような歓声が沸き上がった。


「なかなかしぶといやつだな。でも見てろよ。おれっちだってあんなもの簡単に超えてやるっ」

ライムは、口をひきしめて、きっ、とはるか上空のバーをにらみつけるように見上げた。

「ひょろネギはあの高さがせいいっぱいだ。なかなかがんばったが、残念だったな……」ライムは誰にともなく、にやりと笑ってみせた。

するどい目つきで前をみすえると、助走を始める。リズムよくスタンドに向かう。からだがとっても軽い。風にのるような感覚があった。

(あ、いける)と思った。さらに加速しようとした瞬間だった。

観客のなかから大声があがった。

「おおい、ライム小僧、この前のダンスパーティーでは大スターだったんだってな!」

あざ笑うような口調だった。

笑い声が起こった。

「お菓子の女の子たちがきゃーきゃー、大騒ぎだったそうじゃないか!」

ライムの足が勢いを失った。

「きゃーきゃーって、それ恐怖のさけびでしょー?!」

女の人のかんだかい声がつっこみをいれる。

「ごめんっ、きゃーきゃーっちがいだったかぁ……」

とこたえる声。

「あ、そっかぁ、そういえば、女の子たち、必死で逃げてたらしいもんなあ」

ライムは腰がくだけたようになって、スピードはますます落ちた。

「レディーたちにむかってどんだけ、ひどいことしたんだろう」

ライムの足はついに止まった。


「お菓子の女の子をぐるん、ぐるんと振り回したあげく、ぶん投げたらしいぜ!」

「素晴らしいジャンプで、空から猛毒つばの雨もふらせたってな!」

「ええっ、つばをはくなんて、ひどーい。親の顔を見てみたいもんだわ!」

「ざんねーん、こいつの親、おらんのでーすっ!」

「親なしで育ったから、礼儀ってもんが、まったくわかってないのさ」

ライムは心の中で耳をふさぐようにして、再び走り出した。

あらんかぎりの力をふりしぼって走る。

スタンドの手前でふみきったものの、全身から力が抜けた感じになってしまった。

ライムの体は、空を上っていった。

バーが大きくなってくる。

でも、バーにははるかにとどかないところで止まり、落下しはじめた。

「ぶはっはー!」

爆笑が起こった。

「ほんとのこといわれてびびってやがるー!」

ライムはマットに落下し、はずみで地面に転がり落ちた。

「失格う!」

審判のピーマンが叫び、赤い旗を狂ったように振り回した。

「ネギーギンの優勝っ!」

「よくやったあ!」

「スター誕生だっ」

「スーパースターねっ!」

野菜の観客たちがぴょんぴょん飛び跳ね、口々に叫んだ。

野菜たちはネギーギンを胴上げし、大騒ぎした。

「ちっきしょう……」

地面にはいつくばりながらライムはうなった。

(あんなに毎日、死に物狂いで練習したのに……)

何とか立ちあがり膝こぞうの砂をはらうと、血がすこしにじんでいた。

首にメダルをかけたネギーギンはインタビューを受けている。

「フルベジマガジンの者です。優勝おめでとうございます! 今のお気持ちは?」

ひょろながい青ネギはうすい胸を張って、はきはきと答える。

「はい、野菜のほうが本当は果物よりすぐれていることを証明できて、ほんとうにうれしいですっ!」


ライムは歯ぎしりをして、ネギーギンと野菜たちをにらみつけていたが、やがて視線を落とした。

(でも、おれっちがダメなんだ。あんな、やじくらいに負けちまうなんて……)

ためいきをついて、立ち上がると、とぼとぼと走り高跳の会場をはなれた。

ライムの背中にあざ笑う声や、馬鹿にすることばがつぎつぎに飛んできた。

「残念だったなあ、ちびまるこぞう、優勝したらもてもてだったのになあ」

「あ、ジャンプチャンピオンだっ、あたしとダンスしてくださらなーい! 」

男の野菜がきぃきぃした裏声を張り上げた。

ライムはふりかえらずにどんどん歩いた。

だが、(でも、まてよ……)と足を止めた。

(あいつら、なんでダンスパーティーのことなんか知っているんだ……)

ダンス会場には野菜なんかいなかったような気がした。

(それに、おれっちに親がいないことも……)

いくら考えてもわからなかった。

(ま、おれっちがいかに有名人かってことだな……)と結論づけて、また歩き出した。


ふと、前のほうに、パン食い競争の準備をしているのが目に入った。ショウガやミョウガなんかが、ふっくらしたアンパンをひもに取り付けている。

いつものライムだったら、ああうまそうだな、と思うところだが、そのときは落ち込んでいて食欲はわかなかった。

ミョウガより年下らしいショウガが言う。

「あれ、パンの大きさずいぶん、ちがいますね」

ライムは足を止めた。たしかに、十個ほどのアンパンのうち、半分くらいがいやに大きい。二倍、いや、三倍くらいも大きさが違うものもある。

「いいんだ」

とリーダーらしきミョウガが答える。

「くわえたパンはもらえるだろう……」

ひもをコースのなかほどに張り渡しながらいう。

「でっかいのは、われわれ野菜選手用だ」

「……」

ショウガが首をかしげる。

「われわれ野菜は、今日、果物たちのためにわざわざ険しい山を乗り越えてやってきてやったんだ」ミョウガはまじめくさった表情で続ける。

「はあ……」ショウガはぼんやりとした表情で、なんとなくうなずく。

「当然、おなかも果物よりへっている。それに、山越えの苦労をねぎらうため、パンくらい、すこし大きくしたってばちはあたらんだろう」

(あんなちいさな山で、山越えの苦労かよ。なんて大げさなんだ……)とライムはくってかかっていきたい衝動にかられたが、かろうじてとどめた。

ミョウガはいう。

「そうだな、野菜用と果物用は交互に並べるようにしよう。でかパンは一つ置きにつけてくれ」

「はい」とショウガはすなおにうなずき、ひとつひとつ丁寧(ていねい)にパンをつけ始めた。

あきれて野菜たちの作業を見ていたライムだったが、突然、にやりとほくそ笑んだ。

運動会会場は大縄跳びで盛り上がっていた。みな、といってもほぼ野菜だが、歓声をあげて、競技を見守っている。みなの視線は、大きな縄(なわ)に飛び込んでは、なわにひっかからないようにあぶなっかしく飛ぶ、野菜や果物たちにくぎ付けになっていた。

ミョウガとショウガたちはパン食い競争の準備作業を終えて、どこかに去っていった。

(おれっちって大天才っ!)

ライムは背をややかがめるようにし、何食わぬ顔をしてパン食い競争のコースに、そっと入っていった。

そしてパンの並ぶ真下までくると、すこしジャンプしながら、いきおいよく、「すっぱジュース」をでかいパンにだけ吹きつけていった。

それからさりげなく、観客にまじると、ライムはじっと大縄跳びや玉入れなんかの競技を見物するふりをした。

やがて、パン食い競争が始まった。これまた、さりげなくそちらに近づく。どきどきしてみていると、やはり、ナスやカブや玉ねぎなどの野菜たちは、大きなパンがぶらさがっているコースについた。

目をぎらぎらさせた野菜たちがものすごい勢いでパンにむかって突進する。

そして、次々に「でかパン」に食いついた。

とたんに、野菜たちの目が大きく見開かれた。

「うえええっ、!」

「すっぱーっ!」

「にがあ!」

みな、せっかくくわえたパンをはきだした。顔をひどくしかめて、ぺっぺっと地面につばをはく。

ライムは必死に笑いをこらえた。

「ぷっふふっ……」

でもこらえきれずに、かがみこんで、声を押し殺して笑った。

そばにいた野菜たちが不愉快そうに見下ろしたが、止められず、おなかを押さえて笑い続けた。

ようやく笑いの発作が収まると、ライムはたちあがった。ぶらぶらと運動会の会場を歩き出す。


テントの影で、何か黄色いものたちがこそこそと何かしている。みると、バナナたちが数人、はらり、はらりと黄色い皮をぬいでいる。

「なんで、徒競走なんかに駆り出されなくちゃならないんだよ。ぼく、走るの苦手なのに」「おれだってそうさ……かけっこなんて小学校以来、やったことないよ……」と暗い声で、うつむきながら言った。

頭にはちまちを結んで、ランニングシャツに着替えたバナナたちが、とぼとぼと歩いていくのを見送ってから、ライムは、テントの影にさっとかけよった。足を使って、さりげなくバナナたちが残していった皮をテントの裏側に向かってずらす。それから、皮を拾い上げると、いつも肩からかけている布バッグにぎゅうぎゅうと詰め込んだ。

ライムは五十メートル徒競走の場所に行った。

すでにスタートラインに野菜や果物の選手たちが並んでいる。

ライムは野菜の位置を確かめた。パン食い競争のときと同じように野菜と果物が交互にならんでいる。

ライムは手を大きくふりながら、コースに走りこんだ。

「あ、あそこ、土がえぐれていますっ、危険ですっ!」

ゴール近くのコースを指さす。

「すぐになおしまーす!」とさけぶと、コースのおわりちかくまで行ってしゃがみこんだ。

「しばらくお待ちをっ!」と元気よく声をはりあげながら、野菜のコースの土をすこしえぐる。

「そういえば、今日の運動会はすごい人気ですよおーっ、なにしろ宇宙からも見に来るんですからあっ。! 」真っ青な空を見上げてみせる。

「あれ、UFO、どこかに行っちゃったかなあ……まだ、そこらへんにいると思うんだけど……」

みなが、青空を見上げているすきに、ライムはすばやくバッグからバナナの皮を取り出すと、野菜が走るコースにだけそれらをしいて、ごくうすく土をかけた。

「お待たせしましたーっ」

手でメガホンをつくって、スタートラインに並ぶ選手たちに声をかける。

「では、みなさん、がんばってくださーいっ」

と叫ぶようにいうと、その場をすばやく離れた。

でもやっぱり好奇心には勝てずに、徒競走のところにこっそりもどった。

「わああっ、!」

「きゃああっ!」。

悲鳴があがっている。ブロッコリーやナスやゴボウなんかがバナナのかわですべって、ひっくりかえっていた。

「やったー、大成功っ!」

ライムは思わず叫んで飛び上がった。

しまった、と思ったときにはもう遅かった。

大勢の野菜たちがいっせいにライムに目を向けている。その目はつりあがり、ぎらぎらと光っている。

「さっきあいつ、コースに入ってたぞ」

「コースを整備するとかいって。」

「バナナの皮を埋めたのはあいつだっ」

「パン食い競争に細工したのも、きっとこいつよっ」

「あいつ、パン食い競争の準備のときに近くをうろうろしてたぞ」

「やっぱりあいつかっ、くずで評判のやつだなっ」

いつのまにかキューリンがいて、きぃきぃ声で叫んだ。

「こいつは超すっぱいジュースを吹き出せるんです。きっと、それをパンに塗りつけておいたにちがいありませんっ!」。

細い目をつりあげ、きりきりとねじっていたからだを少しほぐした、と思ったらキューリンはいきなり走り出した。

そしてすぐに、キャベルとハクサイック、ダイコなどの野菜レスラーたちを連れてもどってきた。野菜レスラーたちは、巨大なからだを怒りで震わせ、真っ赤に煮(に)えたぎるような目で、ライムをにらみつけている。

「へえんだ、そっちこそ、ずるばかりしやがって!」

ライムは内心、怖くて仕方なかったが、必死にそう叫んだ。

「逆立ちしたって、おれっちたちフルーツにはかなわないから、いろいろインチキして勝ったつもりでいるんだろう。わかってるんだぞっ!」

こぶしをにぎりしめて必死に大声をあげる。

「ほんと根っこから腐った連中だなっ」

そう叫びつづけたが、体がはげしく震えだしそうなのを止めるので精いっぱいだった。

この前の相撲大会でふっとばされたことを思い出していた。

「だからニンゲたちからも愛想をつかされるんだっ」

ライムはジャンプして舌を突き出すと、猛スピードで逃げだした。

「なんだとお!」

キャベルが野太い声で怒鳴った。

「あいつをつかまえろっ!」

走り去るライムを太い指でさす。

「とっつかまえて、玉入れの玉にでも使ってやろう!」とハクサイックがどら声をはりあげた。

「いや、それじゃなまぬるい、ライム酒にして、優勝者たちに飲ませてやれっ! 」とキャベルがだみ声で叫んだ。

地響きをたてて、野菜レスラーたちはライムを追った。

キャベルたちは怪獣のような巨体なのに、すごいスピードで追いかけてくる。ライムは短い足を必死に高速回転して走ったり、ジャンプしたりしながら逃げ続けた。

「おら、まてーっ!」

「ちびまるこぞうっ!」

野菜レスラーたちはどこまでもしつこく追いかけてくる。

ライムは、広大な公園を走り抜け、大通りをわたり、街中を駆け抜け、めくらめっぽう、やみくもに走り続けた。橋を渡り、野原を横切った。もはや、どこをどう走っているのか、さっぱりわからなかった。

「うわっ!」

突然、目の前に巨大な壁が立ちふさがり、ライムは急ブレーキをかけた。ほぼ垂直の岩だらけの壁。すばやく左右をみわたしたが、岩壁はゆるやかにうねりながら、ずっと続いている。

「こ、これは……」しばらくしてようやく気づいた。

「ベジッタ村との境にあるぼんだ山だ……。」

あわてて方向を変えようとしたが、もう遅かった。荒い息をついたキャベルやハクサイックたちがすぐ後ろに迫っていた。野菜レスラーたちは、ライムを囲むようにじりじりと迫ってくる。

もう逃げられない!……。

ライムは目の前の岩壁をみあげると、一気にとびついた。

岩につかまりながら、どんどんのぼっていく。すべりやすい岩もあったが、長い爪(つめ)でしっかりつかまった。

(ああ、爪がのびっぱなしでよかった)、と頭のすみで、ちらとおもった。(さっきは、ダンス祭りでバカにされたけど……)と思う。(みかけより、役に立つ方が大事じゃないか……!)

しかし、かなり登ったところでふと、振り返ると、下のほうにキャベルたちのまるっこい巨体があった。野菜レスラーたちは、なんとあんな重そうな体なのに岩の壁にはりついてのぼってきていたのだった。よっぽど、ライムからバカにされたのが悔しかったのだろう。

(ああ、あんなこといわけりゃよかったな……)と思ったがもう遅い。

ライムは顔をひきつらせると、また上を向いて必死にのぼりはじめた。

尾根に出た。尾根は狭く、うねうねとどこまでも続いていた。

今度は、反対側を降りるしかなかった。ライムは岩だらけの急斜面をころがるように、駆け下り始めた。

むちゅうで駆け下りていると、眼下に家々や、畑の広がりなんかが見えてきた。ベジッタ村だ、とライムは思った。



ライムはけわしい岩山を必死におり続け、ついに平地に降り立った。

野菜の町には行ったことがなかった。

なんだかうすぐらい。フルーツ村では真っ青な空だったのに、どんよりと雲に覆われている。

地面は灰色の砂や土に覆われ、枯れかかったような草が、ちょぼちょぼと生えている。

小さな山を一つ越えただけなのに、まるで別世界のようだ。

ふと、背後からごごごという地鳴りのような不気味な音が響いた。

ライムは思わず振り返った。ボンダ山の岩や土が勢いよく崩れ落ちてきている。野菜レスラーたちが引き起こしたのだろうか。彼らはそれをものともせずに、土砂といっしょに駆け下りてきた。

「うわああっ!」ライムは疲れて足腰に力が入らない感じだったが、ひとつジャンプすると、はじかれたようにまた勢いよく走り出した。

でも後ろから足音がだんだん近くに迫ってきているようだった。(くそっ、あんなでぶちん連中なのに、なんてスピードとスタミナだっ)

ライムは走りながらも寒気に襲われた。

(この前は奇跡的に助かったけど、今度は、もうだめかもっ……)

そのとき、先のほうに灰色の古びた小さな家いえがぎっしりと並んでいるのが見えてきた。それらの間にいくつか狭い路地の入口が見える。 

ライムは死にもの狂いでスピードアップすると、路地の一つに走りこんだ。

薄暗い路地を進むと、また別の路地につながっている。ライムは迷路のような路地をあっちへ曲がり、こっちへ曲がりし必死に走り続けた。(あいつらは図体がでかすぎて、こんな狭い路地には入れないかもしれない)、とかすかに思った。けれど、後ろに足音が迫っているような気がして、やみくもに進むしかなかった。

ライムは後ろをふりかえる余裕(よゆう)もなく必死に走りつづけた。

黒っぽい小さな家が立ち並ぶうすぐらい迷路路地をどれくらい走ったときだろう。

「えっ」

目の前に、小さなまるっこい影がいくつかうずくまっているのに気がついた。(ちっこい野菜だっ。)と気がついたときには、すぐ目の前に迫っていた。

でも、すごい勢いがついていて、急に止まれそうになかった。

「ぶつかるっ!」

ライムは、とっさに大きくジャンプした。彼らを大きくとびこえ、くるくると回転する。口をあけてぽかんとみあげる茶色の野菜たちの顔が一瞬、目に入った。彼らの向こう側に着地したときだった。

足くびがぎくっ! とへんな音を立てたのに気づいた。(な、なにかやっちゃった……)と思った次の瞬間、やけどみたいな熱さが足にひろがった。足首を奥深くまで、きりかなにかで突き刺されたような痛みが走る。

ライムはいきおいよく地面に転がった。

そして目の前の野菜たちを見た。

まるっこい野菜のこどもたちが二人いて、飛び込んできたライムにおどろき目をまんまるにしていた。全身にうっすら茶色の毛が生えている。ベージュのTシャツとえんじ色のワンピース。男の子と女の子のようだった。

見たことのない野菜だった。

(フルーツェンに攻め込んでくる野菜には、こんなのはいなかったな……)とライムは思った。

「ああ、びっくりしたぁ」とすこし大きい男の子のほうが言った。だが、抑揚(よくよう)の乏しいゆったりした口調で、あまり驚いた感じにみえなかった。

「びっくりぃ」小さい女の子のほうも小さな静かな声を出した。

ライムはすぐに起き上がろうとしたが、右足首に電気が走ったみたいな痛みが走り、またころんでしまった。

「いてててて……」

ころんだまま足首をおさえる。

(ちょっとでっかくジャンプしすぎたかも……)

着地を失敗して足をひねってしまったらしい。

「だ、大丈夫? ……」大きなほうの茶色い、へんな生き物は、ライムのほうをのぞきこむようにして言った。

(ちょっとだけ、キウイに似てるな……)とライムは、痛みに顔をしかめながらも思った。

「だいじょうぶぅ?」と小さいほうもかぼそく高い声を出して、ライムのほうに短い首を伸ばした。

ぶきみな連中だが、そんなにわるいやつらでもなさそうだ、と思った。


ライムは彼らにこたえる余裕もなく、足首を強くおさえ、痛みをこらえながら、くびをあげて、走ってきた方向を見た。野菜レスラーたちの姿はみえなかった。それから念のため前の方も見る。

ゆるやかにカーブした狭い路地の両側に、似たような黒ずんだ家が並んでいた。家々の軒先には、紙でできているらしい丸い提灯がぶらさがっている。もう明かりがともっているものもあって、ぼおとひかえめな光を薄闇ににじませている。路地のはしには、細い溝が続いていて、ちょろちょろと水が流れている。耳をすますとその静かな流れの音が聞こえる。狂暴な野菜の声はどこからも聞こえないし、その影もなかった。

(うまくやつらをまいたんだ、やっぱ、おれっちって天才だ……)

ライムはにやりと笑う余裕が出てきた。

(やっぱり……あんな図体のでかい連中は、こんな狭い路地には入れないのかもしれない……)

ライムはあらためてそう思って、少しほっとした。

そのときだった。

「どしたんだ……」そばの黒ずんだ家から、また茶色のけむくじゃらの生き物が出てきた。目の前の二人とそっくりだが、ずいぶん大きい。こげ茶色で、小さいのよりさらに毛深かった。ぞうりをつっかけ、紺色の厚手のゆかたみたいな服を着ている。

「あ、じいちゃ……」小さな二人は顔をあげた。

背中の少しまがったじいさんは、ぞうりをひきずるようにして、すわりこんだままのライムのもとに寄ってきた。

「この子がころんじゃって」と茶色の男の子がいうと、妹らしい小さな女の子が、「足をけがしちゃったの」と小さなまゆをしかめて言った。

「にいちゃと地面でおえかきしてたら、この子が飛んできたんだよ」と続ける。

じいさんは、しわに囲まれた目を大きくみひらいた。

「これはおどろいた、クダモノさん、ですな……」

すると、さらにもう一人がおじいさんの後ろから顔を出した。おばあさんのようだった。やはりおそろいの暗い青の着物みたいな服を着ている。

「あれま、ほんとだ。くだものさんとは珍しい」とおばあさんも目をまるくした。ふたりとも驚いているようなのだが、二人も子供同様、ゆったりとした平板な口調で、それほど、驚いているようにはみえなかった。

「た、たしかライミというんじゃなかったかね……」とじいさんは、ばあさんをふりかえった。

(な、何がライミだ、女の子みたいじゃないかっ! 勝手に人のなまえ、つけやがって!)とライムは怒鳴ろうとした。だが、脚をけがしただけでなく、フルスピードで突っ走り、山まで越えて疲れ切っていたので、声を出せなかった。かわりにため息をついた。

「あの……」足首をおさえたままつぶやくようにライムは言った。「ライム……」そしてつづけた。「ライムのライムというんだ……」。

(こいつら、野菜レスラーとちがって、おれっちを食い殺そうという気はなさそうだな……)それでも警戒を怠らず、彼らから目を離さないようにしていた。

(油断させといて、いきなり飛びかかってくるかもしれないぞ……)

「おお、そうか、そうか。ライム、ライム……」とじいさんはなぜか嬉しそうに繰り返した。「あんた、ライミだなんて……」ばあさんは、歯の抜けた大きな口をあけて、じいさんの肩をたたいた。子供たちも笑った。

「ライミなんて、ないよ、ないよ」と体をゆすって女の子がわらいころげた。

「なんだよ、サトミだって知らなかったくせに……」

とおにいさんが笑いながら言った。

じいさんはライムにゆっくり近づいてくると、

「なんだよ、土だらけじゃないか」

かがみこんで、顔や手足の泥や土、砂をやさしく払い落としてくれた。

Tシャツや短パンも丹念にはらってくれた。

「ボクは里芋(さといも)のサトノスケ。サトじいとよんでくれ」といきなり里芋のおじいさんは言った。

「じゃ、あたしは里(さと)ばあで……」しわだらけの顔をほころばせて、おばあさんも続けて言った。

それからサトじいは、子供たちを指さす。

「ふたりともわたしの孫でね、おにいちゃんが、サトジ、いもうとがサトミというんだよ」と紹介すると、こどものふたりはすこし恥ずかしそうにしながら、ほほえんだ。

「サトじいとサトジでまぎらわしいけど、よろしくな……」とサトじいがいうと、

「ぼくはサトチでいいよ……」とおだやかにほほえみながら男の子のサトイモが言った。

里いもたちはみなしずかで穏やかな声だった。ライムはその声をきくだけでなんだか落ち着いてくるような気がした。

すると、サトじいがあわてたように、すこし大きな声をあげた。

「おう、こんなところで自己紹介しあっている場合じゃない、どうだい、立てるかい。病院にいかなくっちゃあ」

「ほんと、ごめん、あたしらびっくりしすぎて、大事なことをわすれておったよ!」とさとばあも、里いもにしては大きな声で言った。

「あ、うん」

ライムはどう反応したらいいのか、よくわからなかったが、とりあえず、小さくうなずいた。

差し出されたサトじいの手につかまろうと、立ち上がろうとした。けれどやっぱり左足首に電流みたいに痛みがはしり、よろけて、またうずくまった。

「おいおい大丈夫か……」サトじいはかがみこんだ。

「う、うん、大丈夫……」とライムはうめくようにいったが、ひどく顔をしかめた。

「いやいや、はれてるじゃないか……」サトじいは、短パンからつきでたライムの足に顔を近づけた。

ライムもふくらんできている足首をあらためて見た。そして痛みに耐えながらも、運動会に来た野菜たちを怒らせて、ここまで逃げてきたことを話した。


「ちょっと待っててな」そういってサトじいは、玄関に急ぎ足で向かうと、がらがらと格子戸をあけて、くろずんだ家に入っていった。しばらくすると別の里芋を連れて出てきた。うすく口ひげをはやし、サトじいより一回り大きかった。やはり紺色の着物みたいな服を羽織り、首に巻いた手ぬぐいで太い首筋をぬぐっている。

その後ろから藤色に染められたエプロンをした女の人も出てきた。

「サトチとサトミのパパ、ママ、だよ、里じいがほほえみを浮かべながら言った。

「サトパ、サトマと呼んでくれればいい」

「やあ、ライムくん、よろしく。サトパです、じいから話はきいたよ」

みんなと同じで、すこし抑揚にとぼしいが、おだやかな声でサトパはいった。ほかの人よりは、少し声に張りがあるような気がした。

「さあ、病院に行こう、つかまって」とサトパはすこし毛深いがっしりとした手を差し出した。

その手を握ろうとして、ライムははっと手をひっこめた。

(これはわなかも……)疑いの心が浮かんだ。

(やさしいふりをして、怖い野菜たちのところへ連れていく気だ……)

これまでやさしい野菜など見たことがなかった。

でも……サトパの優しい目を見ていたら、とてもそんなことをする人のようには思えなかった。

野菜はみな果物の敵だと思っていたが、そうではないのかもしれない……。

それに、ものすごく走って、山を越えて疲れ切っていて、もはや逃げ出す気力も体力もない感じだった。


ためらいながらもライムはその手をつかんだ。その手は大きく、温かった。

サトチのパパはやさしくライムをひきあげると、すばやくだっこした。それから、そっと器用に背中にまわした。ライムはサトパのがっしりした背中にちょこなんと収まった。背中は手のひらよりさらに暖かかった。

ライムは顔が熱くなったのを感じた。おんぶやだっこなどしてもらった記憶がなかった。サトパの背中はひなたの土みたいなにおいがした。よく日にあたったほくほくした土のにおい……。


それからサトパを先頭にして、みなでぞろぞろと薄暗い路地を歩き出した。

迷路のような狭い通りを何度も曲がったあげく、四辻(つじ)の角にある赤茶色の屋根の白い家の前で止まった。まわりの家より少し大きい。

古びた家で、白い壁にはおしゃれな模様みたいに、うすい黄緑のつたが這っている。



「モロニキク-モロヘイヤー医院」と書いた看板が玄関先にあった。

そのときになってはじめて、ライムは医者にかかるにはお金がいることにきづいた。サトパの背中で肩掛けかばんをのぞいてみる。財布はもってきていなかった。それにもってきたにしろ、いつも財布はほとんど空だった。ごみ集めなんかの仕事ではなかなか稼げないのだ。

「あ、あの、おれっち、お金ないんだ……だからいいよ。」

からだをよじって、サトパの背中から降りようとした。

「そんな、遠慮しないでいいよ、困ったときはお互い様さ……」とサトパはライムをそっとゆすりあげた。

「そうよぉ、珍しいお客さんなんだから。遠慮なんかしないでね」とサトマもほほえみかけた。

ライムは背中のうえでうつむいた。「あとで必ず、返すから……」と小さな声で言った。

サトパがドアノブをつかんで、大きく手前にあけた。里芋の一家は、サトパを先頭につぎつぎにドアの向こうに入った。

薄暗い廊下を少し進むと、左手に待合室があった。

待合室にはコの字型にならべられたソファがあり、十人ほどの患者が座っていた。包帯を巻いた腕を肩から吊った人や、松葉杖をかたわらにおいた人などがいる。湿布みたいなにおいが漂っている。

サトパがそっとライムを背中からおろすと、みなはっとした表情でライムを見た。息をのむ気配が伝わる。ざわめいていた待合室はしんと鎮まりかえった。

サトパがレンコンとパセリの間にあいたところにライムを座らせようとすると、二人はさっと体をずらせ、スペースを作った。

「あ、すみません」サトパは言って、ライムの隣にすこし窮屈そうにして座った。ほかの里いも家族もそれぞれあいたところに座った。

両隣の野菜は目をそらしたが、あとの患者たちは、ちらちらと、ライムに視線を走らせたりお互いに目くばせをしたりした。隣の人に耳打ちをする人もいる。「ねえ、あれって、くだものよね……」ひそひそ声だったが、あたりがしん、としているので、だれの耳にもはっきり聞こえた。

まんまるくて、つやつやまっかなミニトマトがママの膝(ひざ)からおりて、とことこ歩いてきた。ソファにすわったライムのまんまえにくると、小さな赤い指をまっすぐに向けた。大きな声できく。

「ねえ、ママぁ、これくだものぉ? 」

「これっ、やめなさいっ」ママトマトはあわてて、ミニトマトを追いかけた。「人を指さすのは失礼でしょっ」

だきあげると、なぜかライムにではなく、サトパに向かって頭を下げた。

でも、ミニトマトの行動で、金縛りが解けたみたいに、診察室の中にはりつめていた緊張がふっとほどけた。

「いやあ、おじょうちゃん、よく知ってるね。この子はライムといって、お隣のくだものの町、フルーツェンからわざわざ来てくれたんだよ」

サトじいが、にっこりとミニトマトにわらいかけた。

「くだものちゃんたち、子供新聞とかにいっぱいのってるよ」ミニトマトは、ママの膝の上で、小さな足をぶらんぶらん、させながら元気のいい声で言った。

「みんな、とってもゴージャスなんだよっ!」

診察室に笑いが起こった。

「よく知っとるね、ゴージャスなんて言葉……お利口だね」

とさとばあがゆったりした声で笑いかけた。

「こいつはあんまりゴージャスにみえないけどな……」

と、やせて髪がぼおぼおのほうれん草が、ライムのよれよれで、うすよごれたTシャツや短パンを見ていった。

黒ずんだ緑色の前髪が深く垂れて目を隠しているが、よく見えているらしい。

「そんなことないよっ」

サトチがむきになったように言った。

怒ったのかもしれないのだが、あまり口調や声に変化がないので、怒っているようにはみえなかった。

「ライムくんは、ぼくらにぶつかりそうになって、よけるために、けがしちゃったんだ!」

「あたしたちにぶつかっちゃ、だめだめーって、ぽーんてしてけがしちゃったんだよっ」サトミも口をとがらせて言った。

(ええと……)

ライムは首をかしげた。

(おれっちがゴージャスにみえない、ってことと、あんまし関係ないみたいだけど……)

とライムは思ったけど、だまっていた。味方になってくれたことがうれしかったからだ。自分に味方してくれるものなど、フルーツェンではほとんどいなかった。

唐突に、

「おまえらはいいよな、ニンゲに気に入られて……」横目でライムをみながら、インゲンがぼそっと言った。右手首に包帯を巻いている。

「この前もグランプリでニンゲから豪華列車かなんか、もらったんだろ」

「え? 」ライムは思わず首をかしげた。

なんだか、野菜レスラーたちもそんなようなことを話していたことを思い出した。


「どうやったらコンテストに勝てるの」と、今度は、ソファのはしのほうから、ほっそりしたミズナの女の人が身を乗り出した。

「やっぱり、スポーツジムに通って体を鍛えたり、高いお金をはらってエステなんかに行くの? あと、いろいろおけいこごとのお教室とか……」

ミズナはほそいまゆをしかめて、矢継ぎ早に聞いた。

「それとも、フルーツェンにはコンテスト対策の学校とかあるの?」

「ええと……」

ライムは顔をひきつらせた。(コンテストなんていつ、どこでやってたんだっけ……)

コンテストもニンゲのことも見たことも聞いたこともない、とは言いだせなかった。フルーツェンではつまはじきにされていて、自分だけが知らないのだ、と思った。

ライムが何と答えていいかわからず、口ごもっていると、ミズナはうつむいてため息をついた。

「でもあたしには、そんなお金はないわ……あたしたちの町はどんどん貧乏になっていくんだもの……」

「そうそう、こいつらのせいでな……」と、顔にふりかかった黒ずんだ緑の髪の間から、ライムをにらみつけて、ほうれん草が言った。

「ニンゲが、くだもの連中をめでればめでるほど、わしらは衰退する……」としわがれた低い声がした。居眠りしていたようにみえていた、ずんぐりした大きなからだのジャガイモがむっくりと上体を起こした。

「そう、そのとおりだ……」


ほうれん草がうなだれた首を大きく左右に振った。青黒く長い、つやのない髪がぶん、ぶん、とふられた。

両隣にいる患者たちはそれをよけるため、体をかたむけて、顔をしかめる。


「そもそもニンゲは、わが町にはやってきてくれないし、コンテストなんて開いてくれないじゃないか。はなっから勝負にならない。もはやまったく相手にされてないんだよ、われわれは……」老じゃがいもはため息をついて、ふとい腕を胸の前で組んだ。


「そ、そのコンテストって噂(うわさ)話かなんかじゃないの? 」

とライムはしどろもどろになって言った。

 「だって、どこにだって載ってるよ」 

指先に包帯をまいたピーマンが立ち上がると、待合室のすみに行って雑誌ラックから雑誌を一冊取り出した。

「これ、よく読まれているフルベジタイムズなんだけど……」

というと、老じゃがいもが、腰をさすりながら、

「それ、もともとは「ベジベジタイムズ」って雑誌だったんだ。けど、いつにまにか「フルベジタイムズ」って名前に変わってた……」

とにがにがしげに、重苦しい口調で言った。

「しかも、豪勢な果物の話ばっかり……」

とくやしそうに顔をしかめた。

ピーマンは雑誌をもってもどってくると、立ったままライムの前にページを大きく広げた。

するとカラー写真のページに、大きく立派な金色のトロフィーをかかえてにっこり笑っているグレープフルーツの写真があった。トロフィーに負けずに、まぶしいばかりに太陽のように輝いている。「ビタミン大賞受賞!!」との大きな見出しが躍っていた。

(こんなフルーツ、見たことないなあ、)とライムは思った。

グレープフルーツは金ぴかの、やはりまぶしく輝くネックレスを太い首にかけ、両手すべての指に赤や、青や、銀白色や透明に輝く指輪をしていた。

「副賞もすごいよな」といって、ピーマンが、ページの右上の写真を指さした。そこには小さく、小型ジェット機のようなものが写っていた。

ページをめくると、フルーツのこれまでの主な受賞歴、と見出しのあるページがあった。いくつかの写真が載っている。

「あ、ハリー城だ」とライムは小さくさけんだ。そこにはイチゴやオレンジ、レモン色などのフルーツカラーに彩られた三つの塔が目立つ白いお城があった。

「へえ、このお城、ハリー城っていうんだ、立派だねえ……」

とピーマンが、自分が両手にもって広げているページを上からのぞきこんで言った。

「りっぱねえ」と、いつのまにか雑誌を見上げていたサトミも言った。

「りっぱぁ」もうひとつのかわいい声。ミニトマトだった。

いつのまにかふたりは手をつないでならんで立っている。

 「はっは、こどもはすぐに友達同士になっちゃうね」とサトじいがほほえんだ。

「え、いや」とライムは手を振った。

「立派っていうか、これ、張りぼてだよ……たしか発砲スチロールとか段ボール紙みたいのでできてるんだ……」ライムは足の痛みもわすれて、説明した。

「え」待合室にいる野菜たちは、全員、きょとんとした顔でライムを見た。

「だからハリー城っていうんだ。張りぼてのはりー。ちなみに豪華客船もあるよ、それはプリンス・ボテール号って名前。はりぼての、ぼて、からとったんじゃないかな……」

なぜか、ちょっと得意そうにライムは言った。

待合室はしんとしずまりかえっている。

「ほかにも、立派な美術館やら、博物館もあるんだぜ」ライムはさらに得意げに言った。

「だから、賞品とかでもらったもんじゃなくて、町で作ったもんなんだ」とつづける。

「なかなかよくできてるだろう」

ライムは、写真を指さし、自分がつくったものでもないのに胸を張った。とたんに足がひっぱられたような感じになり、痛みが走った。

「あ、いてててて……」

ライムはかがみこんで足首をおさえた。

しばらく、待合室は沈黙に包まれていた。が、突然、笑い声がひびいた。ジャガイモじいさんが歯のぬけた大きな口を大きくあけて豪快に笑っている。

 「なあんだ、はりぼてかあ」

つられたように待合室のみんなも笑い出した。サト家族も全員笑った。

「わあい、はりぼて、はりぼてっ!」

「はいもて、はいもてー!」意味がわかっているのか、よくわからないが、サトミとミニトマトは、手をつないだままソファの上でぴょんぴょんはねた。

「こら、やめなさい」トマトとサトマがあわてて歩み寄る。

「ちぇっ、はりぼてかよ、いかにも果物連中のやりそうなことだっ」とほうれん草は毒づいた。でも長く前に垂れた髪の間からかいまみえる表情は少しうれしそうだった。

ライムも、とまどいながらも笑った。

 「いや、ほんとにパイナ町長がもう、はりぼてが好きで、好きで……」

ライムは笑いながら言った。

「パイナップルなんだけど、いい町長だぜ、おれはチョウチョってよんでる……」

野菜たちの中にひとりいて、パイナ町長のことを話すと、なぜかほっとするような、力強いような感じがあった。本人がそばにいるわけではないけれど……

「だから、まあ、さっきもいったように、何かの賞品じゃなくって、みんなソンチョが作らせたものなんだ……」

「チョウチョ、チョウチョっ!♪」と繰り返して、ミニトマトとサトミはかんだかい声で笑った。

「へえ、おもしろい町長なんだな……」とピーマンが言った。

「偽物(にせもの)でもお城とか、でっかい客船とか豪勢なものがあったほうが、心が豊かになるとかっていってね……」とライムがいうと、「ほお」「へえ……」と、感心しているとも、あきれているともつかない声が起こった。

「でもじゃあ、この雑誌はなんだろう……」

ピーマンは手に持った雑誌をじっと見下ろした。 

「なんだって、張りぼてを賞品なんて……」

「知らなかったんじゃないか、張りぼてって……」とジャガイモが言った。

「くだもん連中が言ったうそをうのみにして書いたんだろう、取材もろくにしないで……」

とピーマンがひろげた雑誌に、ほそながい指をつきつけながらほうれん草が言った。

「取材がなってないな……」と吐き捨てるように付け加える。

「昔は、しっかりしたいい雑誌だったよ」

とサトじいが口を開いた。

「うそや、いいかげんなことを書いてることはなかった……」

「いや、まったく……」と、いままでだまっていた年配のシイタケが言った。かたわらにきちんと松葉づえをそろえている。

「もしかしたらフルベジタイムズって名前に変わってからじゃないか、おかしくなったのは。しかも果物の豪勢な話ばっかり載せやがって……」。

とシイタケはくやしそうに顔をしかめた。


ライムは立ち上がって、背伸びしニンジンの手からそっと雑誌をとった。ぱらぱらとめくる。大きな見出しが躍っている。「野菜がしあわせになれない780の理由」「野菜みたい! とばかにされないためのファッション50選」……

「ひどい記事ばっかりだな……」とライムはつぶやいた。

一方、フルーツ関係の記事のタイトルは「フルーツ、栄光の歴史」「ちょーすてき! あこがれのきらきらスーパーフルーツのライフスタイル!」などだった。

「でも……」

とぼさぼさの青黒い髪の間からじっとライムを見つめながら、ほうれん草が用心深そうに言った。

「たしかにこの雑誌の内容は多少おおげさかもしれない。でも、ニンゲが野菜より果物が好きだということは事実だよな……」と横目でライムを見ながら言った。

「そう、ニンゲ界では、動物だってフルーツのほうが好きってきくよ」とピーマンも言った。

ライムは、「そんなことないよ、このまえ、テレビで見たんだけど……」といって話し出した。テレビはごみの仕事中に拾ったものだった。だめもとでスイッチをつけたら映(うつ)ったのでほんとうに驚いた。画面はうつりがわるく色がへんになったりすることもあったが、十メートルジャンプしたいくらいうれしかったことを思い出した。

「テレビで、動物のちょっとしたニュースをやっていてね……」

 とライムは続けた。

「ニンゲ界にはコビトカバっていう、とってもめずらしい動物がいるんだけど……」。

「コピットバ……? 」

ミニトマトが、すわっているライムの真ん前にきて、ライムの顔をみあげた。目をかがやかせている。動物が好きなのだろうか、とライムはおもった。

「うん、こ・び・と・か・ば、ね。ちっちゃなカバのことなんだ」とライムはほほえんで説明した。

「カ、バ?」きょとんとした顔で、ミニトマトは首をかしげた。

(野菜村は動物園ないのかな)とふと思った。

フルーツェンには動物園はあった。でも、貧しいライムは行ったことはなかった。だからカバは見たことがなかった。

ライムは、図鑑でみたカバを思い出しながら言った。

「うん、カバは口のでっかい、からだもでっかい、でぶっこい動物なんだ。けど、コビトカバは、カバのなかまの中ではちっちゃいんだ……」ライムは笑顔でつづけた。小さな子供相手には、ほほえみながら話したほうがいい、と思った。ときどき、足首に痛みがぶりかえしたが、我慢して笑顔を浮かべ続けた。

「このくらい?」ミニトマトは、ちいさな赤い手と手で五センチくらいの幅を示してみせた。

「い、いや、そんなにちっちゃくはないんだけど……」ライムは、ややひきつった笑顔を浮かべつづけた。

「ええと、どうだろ、ブタさんくらいかな……」

ライムもコビトカバなど見たことはなかったので、すこしあわてた。顔のこわばりがさらにひどくなっているのが感じられた。

「えと、大きさはあまり関係ないんだけど……」と話を元に戻そうとした。

「でも、お口はおっきぃんでしょ……」なおも小さなまんまるのミニトマトは、ほおを紅潮させたまま質問を重ねた。

「ま、そうだね。カバは口がでかいから……」

慣れない笑顔をはりつけるようにしたまま続ける。

「こらこら、もうそのくらいでいいでしょ。フルーツさん、困ってるでしょ」トマトはミニトマトを後ろからだきかかえて自分の席に戻ろうとした。だが、ミニトマトはからだをよじり小さな両足をばたばたさせて抵抗した。

「キャベツを十個いっぺんにたべられるくらいかなあ」

解放されたミニトマトは質問を再開する。

その後ろでは、トマトが困った顔でつったっている。

(いやいや、さっきも言った通り、コビトカバはふつうのカバより相当、ちっちゃい。そのあかちゃんだから、そうとう、ちっこいはずだ。だから、いくら口のおおきな動物だからといってキャベツ十個なんて……)と、またくどくどと説明しようとしたが……

「そ、そうだね。どうだろう……。」

とくびをかしげてみせた。

もはやひたいに汗がにじんでいた。こんな小さな、幼い子供の相手などしたことはなかったのだ。

もうむりやり、話をもとにもどすことにした。

「で、動物園でそのコビトカバの赤ちゃんのごはんにリンゴやオレンジやバナナなんかの果物をあげていたんだけど……」と、ライムは声を大きくして、話を進めた。

「そしたら太って、ちょっとからだの具合が悪くなっちゃたんだ……」

ミニトマトは心配そうにライムの顔を見上げた。何か言いたそうに口を開きかけたので、あわてて早口で先を続ける。

 「それで、ごはんをぜんぶ、野菜に変えてみたんだって……。そしたらすっかり体の具合がよくなって、元気にすくすく育っているんだって……」

 とうとう最後まで言い切り、ライムは深く安堵のため息をついた。

「動物園のごはんってライオンとか肉を食べる動物以外はほとんど野菜らしいよ」とライムは付け加えた。

ライムの真正面に陣取ったミニトマトは、今度はなにも口をはさまず、こっくりうなずいた。

それから、

「よかったね、カバちゃん、元気になって」ぱちぱちと小さな手をたたいた。サトミも笑顔で手をたたいた。

小さな子供の相手ってこんなに疲れるんだ、とライムは思った。一方では、ちいさなこどもとはいえ、こんなに熱心に自分に話しかけてくれる人がいることをうれしく思っている自分にも気づいた。


「なんだ、それだけの話かっ」と舌打ちしながらほうれん草は言った。

「コビトカバやらはとくに関係ないんじゃないか。別の動物だってだいたい、同じようなことだろう」と毒づいたが、やはりうっそうとした髪の毛の下の表情はどこかゆるんでいるようにみえた。

「そんなこというなよ。いい話じゃないか」とジャガイモがライムをなぐさめるように言った。

「いや、しかしですな……」と観葉植物の影から黒っぽい棒のようなものがのぞいた。年配のゴボウだった。ライムたちのあとに、診察室に入ってきていた。こげ茶色の細い首にコルセットを巻いている。背筋も首もぴんと伸ばし、なんだかちょっとロボットみたい-とライムは思った。

「動物に果物が人気なのは、食べるためだけじゃないのですよ……」

ぎぎいときしみ音が聞こえるのじゃないかという動きで、まっすぐにした体(からだ)ごと、ゴボウはライムに向き直った。

「ええと、なんていいましたかね、大きなネズミ……そうそう、カピバラっていう動物がニンゲ界にいるそうですけど、ゆずをたくさん浮かべたお風呂に入るってきいたことがあります……」

ゴボウは何かを棒読みするような抑揚のない声で言った。

「あ、知ってる。お湯につかって、目をつぶってとっても気持ちよさそうにしてるんですよね……」とミズナが口をはさんだ。

「リンご風呂とかみかん風呂もあるっていうよ……」とジャガイモも言った。

「そう……でもニンジンやゴボウ風呂に入る、なんて聞いたことがない……」といって、ゴボウは残念そうに言った。


「そもそも、わたしゃ、温泉なんてしろものには入ったことないなあ……」と老ジャガが言った。

「そりゃそうでしょう。この村の温泉はすべて干上がってるんですから……」とゴボウがぴんと背を伸ばしたまま言った。

「いや、そんなことはない。荒暗山の奥に四百度くらいの湯がぐつぐつ煮えている温泉ならあるぞ」とほうれん草が暗く低い声で言った。

「あ、知ってる、地獄温泉ってやつだろう」とあっけらかんとした口調でジャガイモが言った。

 「そこに入ってゆであがれば、意外とニンゲたちに気に入られるかもしれんな。ゆげがゆらゆら、ニンゲ界まで漂っていってな。ま、われわれの命をかけたニンゲへの訴えということになるが……」

ほうれん草はかろうじてみえている青黒い唇のはしをゆがめた。

サトパが大きくため息をついた。

「昔はあちこちに温泉あったけどなあ……」

「そうだよお、まだ小さかったお前をつれて、よく行ったもんだよ……朝露(あさつゆ)温泉とか、ひなた温泉とか……」とサトじいがサトパのほうを向いて言った。

「じんわり、からだの奥までしみわたるようないいお湯を味わうでもなく、おまえは水泳大会みたいに、バチャバチャ泳ぎまくってたなあ……」とサトじいは目を細めた。

「そう、ほんといいお湯だったわねえ。ほどよくゆだった野菜たちの香りもなかなかよかったねえ……」

とサトバが目をつぶって天井のほうにおだやかな、しわだらけの顔を向けた。

まるで温泉につかっているかのような力のぬけたやわらかい表情だった。

(そう、そのほんわかした湯煙がゆらゆらと空に昇って、ニンゲ世界にも伝わったんでしょう……)となつかしそうに言った。

「まあ、昔はそうだったかもしれませんが……」

ゴボウが大きくため息をついた。

「いずれにしろ、ニンゲさまたちが野菜を食べなくなって、温泉もなにも枯れはてたってわけですな……」

「そう、果物やろうたちのせいでな……」

ほうれん草が歯ぎしりしながら言った。再びけわしい表情になって、ライムをにらみつけている。

「こいつらは、どんな手を使ったかわからないが、空の上にいるニンゲが野菜嫌いになるように仕向ける一方、自分たちだけ気に入られるような仕掛けをしたんだ……」

ライムは思わず、その視線にたじろぎ、ほうれん草から目をそらせた。

ほうれん草はうなだれ、首を大きく左右に振った。青黒く長い、つやのない髪がぶん、ぶん、とふられた。

両隣にいる患者たちはそれをよけるため、体をかたむけて、顔をしかめる。


野菜たちの誤解をといた、と思っていたが、また、結局、もとにもどってしまった……

ライムが黙ってうつむいていると、高く澄んだ声があがった。

「ねえ、ニンゲさまの世界では病気か怪我をして入院したら、お見舞いにフルーツをもっていくって聞いたことがありますけど、本当ですか」とミズナがライムに涼しげな眼を向けた。

 話題はともかくとして、ほうれん草とやりとりをしなくてもよいかと思って、ライムはほっとして、ミズナに向き直った。

「すてきなかごにいれて、きれいなかわいいリボンなんかをつけて……」とミズナがつづけた。

ライムは一瞬、ロイヤルバスケッツのことを思い浮かべて、ぷっと噴き出してしまいそうになったが、それを抑えた。

「そのほほえみは、やっぱり、ほんとうということね……」

みずなは、ほっそりした手首にまるでアクセサリーみたいにまっしろく細めの包帯をまいている。ときどき、そっとそこにふれながら話しつづけた。

「ニンジンとかほうれん草をお見舞いにもっていくなんて聞いたことありませんものね……」

「なんで、ほうれん草なんだっ! 」

ほうれん草がいきなり、いきおいよく立ち上がった。しおれた青黒く長い髪がぶんと、振り上げられる。ぜんぶあらわになった顔立ちは、けっこう整っていた。

でも、「いたたたた……」すぐに左肩をおさえて、ゆっくりと再びソファに座り込んだ。彼は、どうやら肩を痛めているらしかった。


「まあまあ」

サトパは立ち止まってなだめるように言った。

「まあ、とにかく、ニンげさんの間では、くだもんさんのほうが野菜より人気があるんだろう……。だが、動物園なんかはわれわれ野菜をごひいきにしてくれてるみたいじゃないか……」

「あ、あの……」

ひょろひょろと痩せたもやしが、かぼそいうでをあげた。

ライムたちのあとに入ってきたらしいが、いつ入ってきたのかわからなかった。

「ぼく、前に図書館で調べたことがあるんです……」

とかぼそい声で続ける。

「ニンゲさまの世界で、デザインに、野菜と果物、どっちが多く使われているか……」

もやしはそういったきり、うつむいて少し黙った。

「そしたら、……そしたらずうっと果物のほうが多かった。いちご模様のハンカチとか、レモン柄のエプロンだとか、スイカ柄の布バックとか……」

 そこで言葉につまったように、話がとぎれた。

 「……もやしのデザインはどこにもなかったよ……」と言って鼻をすすりあげた。

「お菓子で調べてもそうだった……」ともやしは、しゃくりあげながらつづけた。

「フルーツキャンディとか、フルーツケーキだとか、フルーツパフェとか……」

そこでことばにつまった。

「もやしのお菓子はひとつもなかった……」

 もやしの声は涙で震えだした。

「もやしのお菓子はもちろん、もやし柄の服も靴下も、傘も、消しゴムも、なにもなかった……

「もやし模様の水筒、お茶碗も。腕時計もっ、指輪も。猫の手、しゃもじもっ、もやしゲームも、もやしクリップも、もやしもなかも、何もなかった。何も、なにも……」

そのあと、もやしの声はとうとう泣き声だけになった。

(いや、それはフルーツのものだって、ないんじゃないかな)、と思うものもあったが、もやしのいきおいにけおされて、ライムは何もいえなかった。

「ええと……、何もわざわざそんなもの調べなくても……」

ライムは何といったらいいかわからなかったが、なんとかそれだけ言った。

「いや、調査は重要ですよ」とまっすぐの棒みたいに硬直したゴボウがいった。

「ニンゲ界での人気が、われわれに影響するわけですから……」

「こんど、“歌”でも調べてみるよ……」と鼻をすすりあげながらもやしが言った。


サトパがせきばらいをした。

「本来は、ニンゲ界にいって、われわれ野菜のいいところを宣伝でもすればいいんだろうが……」と言った。 

「だが、ニンゲ界に行くのは難しい。でかけていったきり帰ってこない人もいる……」とサトじいが腕をくんで、うなるように言った。

「なにせ、ニンゲ界に行くには、めったに姿を現さない幻の空飛ぶ乗り物に乗っていくしかありませんからな……」とサトパが言った。

「ああ、ムニーカとよばれているやつですな、巨大なくらげみたいにふわふわと漂って……」

とじゃがいもがうなずいた。

「昼間なのか、夕方なのかよくわからない時間帯とか、晴れと曇りの中間みたいに、どこかあいまいな時間、空間のときなんかによく出るとか聞いたことがありますよ……」

とピーマンが言った。

「雲の中に半分隠れるようにしてぼおと現れることも……。雲とほとんど同じ色で、出ていても気がつかないこともあるようです……」と付け加える。

「しかも、きまぐれにしか丘なんかにおりてきてくれない……」

とミズナが話の輪に加わった。

「そう、あれは、われわれ野菜とか果物の精をのせるというより、一休みするために丘に着陸しているようだという者もいます……」とゴボウが硬直したまま言った。


「その点、果物町には、しょっちゅう降りてくるんだろう、ムニーカ。なにせフルーツさんたちはニンゲたちのお気に入りだからな……」

ほうれん草が、深くたれた髪の毛の奥の目をにぶく光らせながら言った。

「いや、そんなことないよ。フルーツェンだっておんなじさ……」

とあわててライムは言った。

一度だけ、見たことがあったことを思い出した。ふと見上げた雲の間にやっぱり幻のように浮かんでいた。……だが、それはただの雲だったのかもしれない……

ニンゲ世界に行ってみたら、「おお、これはすばらしいフルーツだ」、とニンゲが手のひらにのせて、とてもやさしく微笑んでくれる、という妄想にふけったものだった。

 でもあれは本物だったろうか……。蜃気楼(しんきろう)か幻だったのかもしれない。


 そのとき、診察室のドアが開いて、「ライーミさーん」と白衣のパセリが顔をのぞかせた。ふわふわの緑の髪をナースキャップに押し込んでいる。

「ライムくんだよ」とサトパが訂正した。

 「失礼しました、ラ、ライムさん、どうぞお入りください」と、パセリ看護師はドアをさらに大きく開けた。ライムを見て目も大きく開いている。サトパは、ライムを抱えて診察室に向かった。里いもの家族もぞろぞろと後に続く。

 デスクに向かっていた医者のモロヘイヤは、ふりかえって、目をまるくした。

「ほお、フルーツの患者さんは、はじめてだな。いや、ほんと珍しい」と大きな声で言った。

それからきっぱりとつづけた。「でも心配しなさんな。だれであっても目の前の命を救うのが私のつとめだ」

「ええっ、い、命にかかわることなんですか! 」サトマはさっと青ざめ、悲鳴のような声をあげた。 

「いや、まあ、まず、みてみましょう……」眉間にしわをよせて、ライムの全身をじろじろと見た。

「あのぉ……」サトバアは心配そうに、ちいさな声で尋ねた。

「この子、足をくじいちゃったみたいなんですけど、い、命は、だ、だいじょうぶですよね……」

「あ、足か……」モロヘイヤドクターは、椅子からぶらさがったライムの短い小さな足に目をやった。

「ジャンプの着地に失敗して、足くびをぎくっとやっちゃったみたいなんです」とライムの後ろに、家族とともに並んで立っていたサトじいが説明した。

「ほお、わんぱくにあそんどったというわけだ……」

と医者が、もちあげたライムの左の足首をそっとつかみながら言った。

「ええと、遊んでたわけじゃないんだけど……」とライムはつぶやくように言った。

でも、医者がつかんだ足をさらに上に持ち上げたので、「いてっ!」と思わず大声をあげてしまった。

「あ、すまない。でもそんなに腫(は)れてるわけでもないし、それほどひどくはないかんじだな、一応、念のためにレントゲンを撮っておきましょう」と医者はひとりうなずいた。

ライムはレントゲンのある別の部屋につれていかれた。里いも家族もみなぞろぞろとついていく。

「うわあ、まっくら!」とサトミが叫ぶ。

「おい、サトミ、うしろにへんな影が……」とサトチがいうと、きゃー! とサトミの悲鳴がレントゲン室内にひびきわらった。

「あの、」と看護師がふたりをにらむ。「お化け屋敷なんじゃないんだから、しずかにしてください」ときびしい声で言った。


レントゲンをとり終わり、また一同はぞろぞろと診察室に戻った。しばらくしたあと、医者が、ぺらんぺらんとレントゲン写真をふりながら入ってきた。

「うん、骨折などはしとらんよ、でもけっして軽くはない。しばらく安静にしてなきゃだめだな……」といった。

そして足にぐるぐると真っ白い包帯を巻いてくれた。

「痛み止めのお薬も出しておきましょう」

モロヘイヤドクターは処方箋(しょほうせん)にペンを走らせた。

「ではお大事に」と医者がいったので、ライムはぺこりとおじぎをして、診察室の椅子からおりた。そのままびっこをひきひき歩き出そうとすると、「おいおい、無理しちゃだめだよ」とサトパの声がして、ライムのからだはひょいと持ち上げられた。

「よっこらせ」掛け声をかけて、サトパはひょいとライムを広い背中に回した。

「だ、だいじょうぶだよ、おれっち、包帯でがちがちに足、まいてもらったから」

ライムは、脚をばたばたさせながらいった。また顔があつくなるのを感じた。

「いいから、いいから」サトパはおおらかな声でいって、ライムをやさしくゆすりあげた。

そして、医者や看護婦におじぎをすると診察室を出た。

「ありがとございました。」後の家族も口々にいって、丁寧におじぎをした。そして、サトパのあとに続いた。

受付で湿布薬や痛み止めの飲み薬をもらってお金をはらうと、里家族は医院を出た。

「すいません……」ライムはサトパの背中で小さな声で言った。「あとで必ず、返しますから……」

「さすが、クダモノさんだ、礼儀正しいな」とサトじいがほほえんだ。

「いいんだよ、これくらいのこと……」とサトパは、はつらつとした声を出した。「出会ったのもなにかのご縁なんだから……」

「サトミもだっこ、だっこぉ」とサトチの妹が、サトパにまとわりついた。サトパの紺色のだぶっとしたズボンを引っ張る。

「ほらほら、パパを困らせないの」とサトマがいって、サトミを抱き上げた。

「だっことおんぶ。あかちゃんが二人みたいだね……」とサトチがとライムをみあげて笑った。

「すいません……」とライムは、またいちだんと熱くなった顔を隠すようにサトパの広い背中に伏せた。

ゆっくりとサト家族は、帰り道をたどった。サトパが、あまり揺れないように気をつけている様子が背中のライムにも伝わった。狭い迷路のような路地をあちこち曲がりながら、みなでぞろぞろと進む。

ぐねぐね曲がる狭い通りをはさんで連なる黒っぽい家々。軒先にぶらさがる提灯にはあかりがともっているものもある。つらなりのところどころに、こぶりの店もはさまっているのにライムは気がついた。行きには、余裕がなかったせいか、それらの店は目に入らなかったようだった。

店の前に台が置かれて、ちょっとでこぼこしているけど、味わいのある食器などがいくつか並べられていたりする。赤かぶの形をした湯呑(ゆのみ)ポットや、ナスみたいな茶碗、白菜の葉みたいな皿なんかが見えた。


なんだか、香ばしいにおいが漂ってきた。

「お、だんだ焼、うまそうだな」

食器屋のそばにあった屋台の前でサトパは立ち止まった。

「ここ、甘辛(あまから)具合が絶妙(ぜつみょう)なんだよ」と背中のライムをふりむくように首を曲げた。

「ほんと、いつかいでも香ばしい香りだな」とサトじいは目をとじて、深呼吸するみたいに、深く息を吸った。「うん、長生きしそうな香りだ」といって目をとじたまま、ひとりうなずく。 

「おやっさん、12本ちょうだい。いや、20本だっ」と、網の上の串だんごみたいなものを指さしながら、威勢(いせい)よくサトパが言った。

「お、きょうは豪勢だね」まっしろい割烹着(かっぽうぎ)に身を包み、ひたいにきりりと鉢巻をしたいんげんも威勢よく答えた。

「ま、今日はお客さんもおるから」と、からだをちょっとねじって、いんげんにライムが見えるようにした。

「あ、あれ、どなたさん……」

いんげんはおどろいた顔をして手を止めた。

「ライっちだよ」とサトチが言った。

「くだもの村から来たの」とサトミがママの背中から付け加えた。いつのまにか、だっこからおんぶになっていた。


「ライムのライム君なんだ、よろしくね」と、ひとつ背中を軽くゆすってサトパが言った。

「よろしくおねがいします」サトばあとサトマもそろって頭を下げた。

「お、おう、よろしくさん」いんげんも、何をお願いされたのかよくわからない、といった顔のまま、ぎこちなく頭をさげた。

いんげんは、新聞紙につつんで、だんだ焼きを渡してくれた。

「ほい、二、三本、おまけしといたよっ」と再び威勢を取り戻した張りのある声で、はちまきおじさんは言った。

「くだもんさんも気に入ってくれればいいんだが……」

サトパはポケットからふろしきを引っ張り出して、それを包んだ。

「ありがとうございます」といってサトバあは深々と頭をさげた。みなもそろって頭をさげた。ライムもサトパの背中ではずかしそうに、なんだか中途半端な笑みをうかべながらおじぎをした。

「ありがとさんっ、また、どうぞ!」

いんげんもよく通る声をあげてハチマキの頭をさげた。


すすきが生い茂った空き地にさしかかったところで、ふとサトパが立ち止まった。

 「その足の様子じゃ、とても君の町には帰れないだろう……」

「そうね、いくらパパでも、この子を背負って、ぼんだ山を越えるのはちょっとね……」とサトマも言った。

「なんだか、ぼんやりした名前のわりには、ぼんだ山はけっこうけわしいからな」サトじいもそう付け加える。

そのとき、きゅうにサトマがはじけるような大きな声を出した。

「あ、そうだ、ご家族に連絡しなくちゃ!……」

「いや、おれっち、家族いないんだ……」サトパの背中でうつむきながら、ライムは小さな声で言った。

「え、家族いない?、ええと、じゃ、どうやって生活を……」サトじいはそういってから急に口をつぐんだ。

「い、いや、すまん、立ち入ったことを……」

「いや、いいんだ。おれっち、ごみ集めとかの仕事して、なんとか食ってるんです……」

ライムはとてもはずかしかったが、そう言った。この家族の前ではうそはつけない、となぜか思った。

 「ほ、ほお、そうか。そりゃ、働きものだなあ……」

サトじいはいかにも感心したみたいに言った。

「小さいのに立派だねえ」とさとばあも微笑んだ。あとのみなもうなずく。

それ以上はきこうとせずに、サトパは落ち着いた声で言った。

「そうだな、とりあえず、今日は、うちに泊まっていくといい……」

「え」

ライムはびっくりしてサトパの背中で体を固くした。

「そうだよ、それがいいっ」とサトチが叫んだ。

「お泊(とま)り、おとまりっ」サトミもぴょんぴょんはねた。

あんまりはしゃいだので、サンダルが片方脱げてふっとんでしまった。 

「あ、これこれ……」

さとばあが、あわてて拾いにいく。


「仕事は休んだりできるかい」とサトパが聞いた。

「まあ、かわりの人はけっこういるから……」とライムは小さな声でぼそぼそと言った。

 この足で、あの山を乗り越えるのは無理だ、と自分でも思った。

それになんだか急に疲れが襲ってきて、サトパの広く温かい背中にいつまでもいたい、となんとなく思った。

(な、なんでそんなこと思うんだよ……)と焦り、あわてて首を横に振った。


「じゃ、遠慮なんかしないで泊まっていきなさい」とサトパがもう一度言った。

「い、いや、それは悪いから……」ライムはサトパのせなかで、ちいさなからだをもぞもぞさせた。

「そんなことないよ。楽しいお客は大歓迎だよ、よかったらフルツェン町の楽しい話を聞かせてちょうだいな」とサトマが言った。

みなは狭いくねくねした路地を進んだ。

くすんだ土壁の家が並んでいる。そのうちの一軒の前でサトパは立ち止まった。ライムをおぶったまま、がらがらと黒ずんだ格子戸をあけて、中に入った。玄関は、ほくほくとあたたかい土のにおいがほんのりした。

薄暗い、ところどころきしむ廊下を通って居間らしい部屋に入った。畳敷きの部屋のまんなかへんには背のひくい濃い茶色の楕円形のテーブルがあった。サトパは、そのわきにライムをそっと下した。サトチやサトミもテーブルを囲んで座った。ふたりともお行儀よく正座をした。ライムもまるっこいからだをもぞもぞさせ、まねをしようとした。

「いやいや、足は投げ出していいんだよ」とあわてて、サトじいが言った。

「痛くないようにしてな」さとばあも、ゆったりした声で付け加えた。

「うん、だいじょうぶ。かちかちにしてもらったから」とライムはほうたいで固くぐるぐる巻きにされたみじかい青緑の足をもちあげてみせた。

「そんなむりをしなくていいよ」とサトパはほほえみながら言った。「足はおろしておきなさい」

ライムは「はい」とすなおにいって、きずついたほうの足を投げ出した。

しばらくすると、

「はい、お茶ですよお」おぼんにいくつかの湯飲み茶わんをのせてサトマが居間に入ってきた。

「はい、ライムちゃん」

サトマは真っ先にライムの前に湯呑茶碗をおいた。

ライムはのどがかわいていたので、すぐに手を茶碗に伸ばした。

「あちちっ」あわてて湯飲みから指をはなし、自分の口の中につっこむようにした。はふはふと、いきおいよく息をかける。

ライムはお茶というものをほとんど飲んだことがなかった。

「ふうふうしてからのむんだよ」とサトマが、あかんぼうを相手にするみたいに言った。そして自分の湯飲み茶わんにふうふうと息をふきかけてみせた。

ライムははずかしかったけど、まねをして、テーブルに置いた茶碗に息をふきかけた。みなの視線を意識して、うまくふけているかな、と心配だった。そのうち、強くふきすぎて、お茶がとんで、顔にかかり、「あちちっ」また顔をしかめた。

「だ、だいじょうぶ?」とサトマが心配そうに顔をのぞきこむようにする。ライムはなかばひきつったように笑ってみせる。


「はい、おまたせ」

サトバがいくつものお皿を抱えて入ってきた。そのうしろから、おぼんにだんごをのせて、さとばあも続く。

「はい、ベジッタ町の名産、ドトターンでございますっ」

サトバは高級レストランのシェフみたいに、きどった手つきでみなの前にだんごの皿を並べた。さっき、屋台で買ったどとんだだんごだった。

「ほお、玄さんのだんごは町の名産だったんか……」

サトじいがおどけた口調でいうと、みな笑った。

「さあ、食べて食べて」とサトバがライムにすすめた。

ライムはだんごの皿をおそるおそる口にちかづけると、「ふうふう」といきおいよく息をふきかけた。

「おっ、今度はさっそく、ふうふうしてるね。すごいぞ」

とサトパがほめた。

「……でも、それは特に息、かけなくていいよ、もう熱くないから……」と笑う。

ライムは、「あ、そうか」といって、あわててかじると、がり、とへんな音がした。歯が折れそうに痛い。

「あ、くし、くし、くしをとらにゃあ」とあわててサトじいが言った。

見ると、隣のサトチはくしからだんごをはずしていた。さとみもサトマにはずしてもらっている。

「あ、わすれてた」とわざとらしくいって、ライムもみようみまねでだんごからくしをはずした。だんごも食べたことはなかったのだった。

なんだか、いろいろはずかしくて、味はよくわからなかった。

だんごをほおばりながら、サトパが言った。

「まあ、とにかく怪我がその程度でよかったよ。なにしろあいつらは乱暴で、怪力だからな……」ライムの投げ出している短い脚をみている。

野菜レスラーたちの話だった。

「おれっちがわるいんだよ、あんな悪さをしちゃったから……」

ライムはうつむいて、口のはしについただんごのかすをぬぐった。

それから、運動会でしかけたいたずらをすべて正直に話した。話しながらなんでも正直に話せてしまう自分に驚いていた。

この家族の前ではうそはつけない。そうおもった。今日、出会ったばかりなのに、この家族とは長いつきあいで、なんでもいいあえる関係みたいな気がした。

すべて話し終えて、ライムは、サト家族たちが、野菜レスラーたちのように怒り出すと思って、短いくびをすくめた。でも彼らは誰も怒りはしなかった。反対に、野菜たちが、すっぱジュースをぬられた巨大あんぱんを食べた場面など、おなかをかかえて笑った。

「いつも、くだもんさんらに、迷惑かけているんだから、そのくらいの目にあってもしかたないわな……」とサトじいが笑みを浮かべて言った。 

サトパは、「醜い嫉妬からいつもそんなひどいことをしていて……まったく申し訳ない……」と頭をさげた。

「いや、それにしても野菜、果物、二つの村は昔はもっとなかがよかったんだがなあ……」と、サトじいがため息まじりに言った。

「そうそう、懇親会といっても、いまみたいに殺伐としたものはありませんでしたよ」とサトバあも言った。「かるた合戦とか、歌合戦とか……」

ちょっとあわてたようにライムの顔を見る。

「合戦っていっても 戦いじゃあありませんよ。それはそれは平和なものでした……」

サトバあは目をつぶり、ちょっとうつむいてくすっと笑った。

「なあんだよ、なあにがおかしい」

とサトじいが笑いながら、サトバあを見る。

「いえ、な、なんでもありません……ちょっと歌合戦のことを思い出して……」

とサトバは笑いをこらえながら言った。

「そうそう、じいさんはこんな感じの歌、歌ったんじゃなかったかね……」

とサトバあは目をつぶり、すこし上を向いた。

「ええと、……」

「メロンさん、つるつるつやつやきれいだね……」

「なんだ、そりゃあ」とサトチがわらいごえをあげた。みなも大声で笑う。

「よくおぼえてるなあ」とサトじいも感心したように笑った。

「きのうのことなんかはわすれても、昔のことは覚えてるんだよ……」とサトバあが笑いながらいった。


「でもなにがおかしい。あみめのないつるつるのキンショウメロンさんのうつくしさをうたった深い歌なんだぞ」

とさとじいは口をとがらせた。

「そもそも。キンショウメロンさんがぼくにこんな歌を歌ってくれたから、そのお返しに、うたったんだ……」

とさとじいはいって、こほんとひとつせきばらいした。それからふしをつくってろうろうとうたった。

「さといもさん、かみのけ、ふさふさうらやましい……」

居間は爆笑に包まれた。


笑いがおさまったとき、ライムのおなかがぐうとなった。

「さっき、おだんご食べたばかりなのにぃ……」とサトミがわらった。ライムははずかしくて、うつむいて自分のまんまるいおなかを両手で押さえた。

それでももう一度、ぐううとなった。

そのときになってはじめて、昼ご飯を食べていなかったことに気づいた。

「まあ、こんな時間」と、薄茶色の壁にかかった振り子時計を見上げてサトマが言った。

「珍しいお客さんがきたから、すっかりわすれてた」

手をひとつ打つと、あわてたように立ち上がった。

「あらあら、たいへん」といってサトバあもよっこらしょ、と立ちあがろうとした。

「あ、おかあさんはすわっててください」とサトマが笑顔で振り返って早口で言う。

「お医者でけっこう待たされたからなあ……」とサトパも言った。

ライムはなんだかそわそわと落ち着かなかった。

どうすればいいかわからず、うつむいたまま、テーブルの下に隠すようにしている自分の手をいじったりしていた。

そのとき、サトチが声をかけてくれた。

「ごはん、待ってる間、すごろくしよっ」

「サトミ、もってくるっ」サトチの妹はいきおいよく立ち上がると、すごい勢いで走り出した。廊下に飛び出ると、視界から消えた。

(そ、そんなに猛ダッシュしなくてもいいのに……)とライムは思った。

「あわてない、あわてない」サトパがサトミの消えた方向に向かって笑いながら大きな声を出した。

サトミはあっというまに大きなひらべったい箱をかかえて、走ってもどってきた。ふたがよくしまっていなかったらしく、畳敷の床に置こうとしたとたん、こまやサイコロが飛び散った。こまはなす、じゃがいも、トマト……みな野菜の形をしている。

「ほらほら、あわてるから」とサトパがたしなめるようにいう。

サトチはなにもいわずに、さっさと手際よく、慣れた様子で散らばったこまを拾いあつめる。

すごろく盤をひろげると、そのわきに野菜こまを並べる。

「じいちゃもやろ」

とさとみがサトじいをさそう。

サトチは、「はい、みんな、駒(こま)、選んで」と言った。

「うーんとね、……」

サトミは畳に並べられたこまに目がくっつくほど近づけて、うなっている。

「このまえは、かぼちゃさんだったからぁ……」

頭をこまに上にめぐらせて悩みつづける。

サトチは、とくにいらいらしたようすもみせずに、そんな妹のようすをみている。

やっと、ラッキョウをえらんで、ちいさな手のひらに、とても大切なもののように乗せた。

「はい、じゃ。つぎ、ライッチ」とライムのほうをみる。

なんだかわからなかったが、ライムはうなずくと、だまってカブのこまをとった。

それから四人でじゃんけんをして順番を決めた。

サトミが勝った。サトミはちいさな両手でさいころをつつみこむと、熱心に何度も何度も振った。それから、「えいっ!」とすごろく盤に転がす。

「あ、五だ!」

サトミはかん高い声をあげる。

「いち、に、さん、……」

おおきな声を出して、元気よくこまをすすめる。

ライムはしまった、と思った。

数があまりよくわからないのだ。

ライムは学校というものには行ったことがなかった。

すごろくもやったことがなく、ルールがよくわからない。

でもつぎの番はライムだった。

ライムは、なにかいいわけをつくって、もうやめる、と言い出そうか迷ったが、いくらなんでもはやすぎる、と思った。

なるようになれ、とさいころをころがした。

たくさんの点のついた面が上になった。

「あ、六だ、いいなあ……」とさとみ。

「いっぱい進めるね……」とサトチもほほえんだ。

ライムはカブのこまをもったまま固まった。

でも、なかばやけくそで、てきとうにますめにそってこまをすすめた。

「あ、いきすぎだよ」とサトチがいった。

「あ、そうだ」あわててこまをうしろにすすめる。

「あ、今度はさがりすぎだよ」とサトじい。

ライムはこまをもったまま固まってしまった。

いつもなら、かんしゃくをおこして、こまをほうりなげるところだった。

でもじっと奥歯をかみしめて、こらえた。

サトじいがそっと手をのばして、ライムのこまをもった手をとった。

「ほら、いいち、にいい……」

とゆっくりかぞえながら、こまをすすめる。そしてむっつ数えたますで、しわだらけの手をはなした。

「あ、そうだった……」ライムはむりにあかるい声を出した。

それからますを進めるときは、サトチたちがいっしょに数えてくれた。そのうち、ライムもひとりでなんとか数えられるようになった。

すると、だんだんとおもしろくなっていった。

ライムは足の痛みも忘れて、すごろく盤をのぞきこんだ。

そのとき、

「ごはんですよお」

サトマのはつらつと澄んだ声がした。

でもサトミは聞こえないふりで、

「はい、つぎ、ライッチだよっ! 」とライムにサイコロをわたした。

「ほらほら、お片付けしなさい。」とおぼんをもって入ってきながらサトマが言う。

「ごはんのあとでやろ……」とサトチがいった。

サトミは口をとがらせていたが、やがてしぶしぶと、食卓のテーブルにむかって、よつんばいでのろのろと向かった。

ライムもサトじいにうながされて、テーブルの前に座った。

サトマは「さあ、めしあがれ」とほほ笑んで、ライムの前におわんやさらをおいてくれた。あかちゃいろのお椀からはふわふわと湯気がでている。ごはん茶碗にはまっしろいごはんが盛り上がっている。

お皿には、おいものにっころがしや、いろいろな野菜があふれていた。

家族全員がテーブルを囲み、手をあわせた。「いっただきまーす!」

いいにおいにつられて、おみそしるの茶碗に手を伸ばすと、

「さあ、またふうふうしながら食べるんだよ」とサトバがほほえみながら言った。

「しつこいよ、ばあさん。ちょっとさめるまでに、先におかずを食べてればいいんじゃないか」とサトじいが言う。

ライムは夢中で食べた。初めて食べるものばかりだったが、からだじゅうにしみこむような感じで、とてもおいしかった。

そのうち、「あれ、ライムちゃん、お箸(はし)の使い方が……」とサトマがひじきをつまんでいたライムの手に目を向けた。

「はい、このゆびを、おはしの間にはさんでえ……」とライムのちいさなぷよぷよした手をとって、サトマは正(ただ)しいお箸の持ちかたを教えてくれた。

ライムはけんめいに、教えてもらったとおりにやろうとしたが、なかなかうまくできなかった。「おれっち、指が短いから……」と言いわけを言った。

「いつもは、しゃもじ、つかってるんだ」

それはごみ拾いで手に入れたものとは言えなかった。

「ま、いっぺんに覚えるのは大変だから、すこしずつ慣れていこうね」とサトマがいって、台所からスプーンをもってきてくれた。ライムは「ありがとう」といって受け取ると、自己流のもちかたで、ごはんをかきこんだ。



「はい、ごはんをたべたあとは、歯磨(はみが)きだよー!」

サトパが元気のいいはつらつとした声をあげた。

「ええーっ」

サトミが両腕をだらんと体のわきにたらして顔をしかめる。

「ライムくんも、歯磨きおねがいね」とサトマがほほえみながら言った。

「ライッチ、はみがきいくよっ」

サトミはちいさな手で、ライムの手をにぎった。あたたかい手だった。

「いっちに、いっちに」、と元気よく、つないだ手を大きくふり、足も大きくあげて、サトミは廊下を行進した。後ろからサトチも続く。

大きくふられた腕がけっこう痛かったが、がまんして、ちいさな声で、「いっち、に、いっち、に」と声を合わせた。

「洗面所、とうちゃくーっ!」とサトミが大きな声を出した。

タイル張りのおおきな洗面所だった。

ふたりは洗面所の前にならんだ。ライムもおずおずと二人の後ろに立つ。

「はい、ライッチは、新しいのっ」

サトチはたんすの引き出しからパッケージに入った新しい歯ブラシを出した。

パッケージをおちついた手つきではずし、「はい」とライムにわたす。

「あ、ありがと……」ライムは受け取ったはぶらしをぼんやりと見つめる。

「何味にしますかぁ」サトミがライムを見上げる。両手に、へこんでいるちいさなチューブがいくつかのっている。

「いろんな味のはみがきこがあるんだよ。ぼくはいつもしゃきっとさわやかなレタス味」とサトチが説明した。

「あたしはかぼちゃ」とサトミがつづけた。

さっきのすごろくでも、こまにかぼちゃを選んでたし、かぼちゃがすきなのかな、とライムは思った。

「ええと……」よくわからないので適当にひとつを選んだ。「にんじん味ね」といってサトチはライムのはぶらしにチューブのなかみをつけてくれた。つづけて、サトミのちいさな歯ブラシにかぼちゃはみがきこをつけた。最後に自分の歯ブラシにレタスはみがきこをつける。

サトイモの兄妹は、大きな鏡にむかって背筋をのばすと、腰に手をあてた。それから反対の手でしゃかしゃかと、歯をこすり始める。いきおいよく手を動かしている。ふたりともそっくりのしぐさだった。ライムも横目でみながら必死に真似をした。

と、突然、サトイモ兄妹は洗面所にかがみこむと、ぺっぺっと、いきおいよく何かを吐き出した。えっと思ってライムが見ると、つばとまじった歯磨き粉のようだった。

ライムは、(にんじん味ってけっこうすっぱいんだな……ま、おれっちのすっぱジュースに比べればたいしたことないが……)などとおもいながら、はみがきこを飲み込んでいたのだった。

きゅうにのどに歯みがきこの残りがからみついて、ライムはごほっ、ごほっとはげしくせきこんだ。

「だいじょうぶ、ライッチちゃん」サトミはせのびして、ライムのまるい背中をぽんぽんとたたいた。

 「うがい、うがい」サトチはあわててコップに水をいれて差し出した。

ライムはうがいをして水をぺっぺっとはきだした。

心配そうにライムをみながら、サトイモ兄妹もそれぞれコップをもって、ぶくぶくと音をたててうがいをした。

(まちがって飲み込んでしまった、とおもってくれたらいいな……)とライムは思った。

ちょっと失敗はあったけど、はみがきをしてよかった、とライムは思った。自分の息がすうっと、いい匂いなのにきがついたからだ。

(これをしてたら、ダンスパーティーで「口、くっさーい」なんていわれることもなかったんだな)と思った。


居間にもどると、またすごろくの続きをした。いちばん先にゴールしたのはサトミ。次がライムだった。三位はサトじい。みんなのお世話をしたのに、残念ながらサトチは最下位だった。

(おれっち、はじめてやって二位はすごいな)とライムは自慢したかったが、おさえた。

まあ、わかってしまったかもしれないが、すごろくというものをはじめてやったことをなぜか知られなくなかったからだ。

そのあとも、さらに里芋のこどもたちとトランプをしたり、かるたをしたりしてあそんだ。サトミの相手をしてお手玉やお人形あそび、おままごとにつきあったりもした。

ライムたちが居間で遊んでいる間、大人たちはとなりの部屋にいた。

遊びが一段落して、のぞいてみるとその板張りの広い部屋には、不思議なものがいっぱいだった。

木の香りがぷんと鼻をつく。板張りの床にはなにか木の枝みたいなものがたくさん散らばっている。そこにサトパやサトじいはあぐらをかいて、ながいつるをまげたりして何かつくっている。

部屋のはしには、いろいろな形や大きさのかごや、ざるなどが置かれてあった。

「藤のつるや枝をあんで、いろんなものをつくってるんだよ」とサトチが説明した。

みるみる長細(ながほそ)いわらみたいなものが、皿みたいなものにしあがっていくのをみて、ライムは目をまるくした。みな木の床にすわり、足までつかって編んでいるのだった。


お風呂に入ってから、子供チームと大人チームの部屋に分かれて、布団を並べて寝た。

ふとんは大きくて、ちょっと重かったけど、ライムは疲れていてすぐに寝てしまった。

ときどきみるへんな夢をみることもなかった。

夜中に一度、サトミになにか大きな声で話しかけられたとおもって起きてしまったが、ただの寝言だった。

翌朝、「足がよくなるまでうちでゆっくりしていけばいいよ」とサトパはあらためていって、みなもほほえんだ。

そうしてサトイモ一家とのくらしがはじまった。

すこしずつ、足がよくなってくるにつれ、サトチたちといっしょに近所を散歩するようになった。最初は野菜たちにびっくりされたり、こわがられたり、顔をしかめられたりした。だが、しだいに近所の人も慣れたのか、とくに目立った反応はみせなくなっていた。

ライムは最初は大きな野菜をみるたびに、(野菜レスラーかっ)とびくっとしたが、幸いなことに彼らとは出くわさなかった。


そんなある日のことだった。曇(くも)り空のもと公園に遊びに行ったら、ベンチにダイコン、なす、ジャガイモが並んで座っていた。

まんなかにすわったダイコンをみた瞬間、ライムは、あの相撲大会にいた女レスラーかとおもい、はっと、からだが固くなった。だが、よくみると、ダイコよりかなりちいさな、別のダイコンだった。

ベンチの野菜たちはみな、なかばしおれて、どんよりとうなだれている。

ライムが、(あのひとたちどうしたんだろう、元気ないな……)と見ていたら、ベンチのはしにすわっていたナスが鋭(するど)い目つきで見返してきた。

「なんだよ、おまえ、このぼけやすやろうっていいたいのかよっ」

ライムはあわてて手をふった。

「そ、そんなこと思ってないよ……」

「ああ、わるかった……」とナスは、すぐに、ため息みたいな力ない声を出して、うつむいた。

「フルーツさんにやつあたりしても仕方ないよな……」さらに深くうなだれる。

「こんな調子だから、ますますニンゲからばかにされるんだ……」

「ニンゲからばかに……」ライムはナスのことばを、ふしぎそうに繰り返した。

「ああ、おれたちナスは、ニンゲから、軽蔑(けいべつ)されているんだ。ニンゲランドでは、ナスはばかの象徴なんだ。ぼけなすだけじゃなく、おたんこなすっていいかたもあるらしい……」と付け加えた。

「おたんこ、おたんこ」サトミは笑いながら繰り返した。

そんなサトミを無視して、ナスはうつむいたままつづけた。

「そう、やさいはみんなそうさ……、ドテカボチャとか、もやしっこ、とか、みんなばかにする言葉さ……ショウガも、しょうがないやつ、なんていわれてるんだ……」

「おらだってそうだ。じゃがいもみたいな顔っていえば、ニンゲランドでは、とても不細工でみっともない顔って意味なんだ……」と、なすと反対のはしにすわったじゃがいもも言った。

「そう、あたしだってよく、わかってる。おでぶちゃんの足は、大根足っていわれるのよ」と大根がヒステリックにさけんだ。「それに、ニンゲ界では、へたっぴな役者のことを、大根役者っていうんだそうよ」といって、大根はとうとう泣き出した。

「い、いや、そんな名前だけで、そんなことは……」ライムはたじたじとなった。

サトミはダイコンに歩み寄って、何もいわずに手をつないであげた。

「反対に、フルーツは、そんな言い方はされないだろう……」となすが顔をあげて言った。「ええと……」ライムは空を見上げて、ううん、とうなった。

「ばななやろうとか、どてめろんとかってきいたことがない気がするが……」となすが言った。

たしかにそうだ。でも、なにかとものをしらない自分だから、自分だけが知らないのかもしれない……とも思った。

「そ、そういえば、フルーツェンにだって、そういう人はいるよ。ええと、たとえば……」

ライムはくびをかしげて、必死に思い出そうとした。

「あ、そうそう、ナシさんなんて、ときどきぼやいているよ。みんなに何かもらえるときも自分だけは、「きみはなしだ」っていわれるって……」。

「でもそれはニンゲから言われた言葉じゃないだろう……」とじゃがいもが言った。

「あ、いや……」

秋風が吹いているのに、ライムのひたいに汗がにじんできた。

「おんなじようなもんさ……それに……」

ライムはさらにつづけた。

「……そんなバナナっていうのは、そんなばかな、って意味とか……」

前にテレビで見たことをおもいだして言った。

「え、そうなの」。大根は目を見開いた。

「じゃ、なまえをつかった悪口みたいのは、あたしたち野菜だけじゃないのね」

「それに、野菜を使った悪口みたいな言葉があるのは、むしろ、野菜がよりニンゲに身近で、親しまれてるからだってきいたことあるよ」

とサトチがいった。

「そうそう」とライムもうなずく。心のなかでは(へえ、そうだったのか)と驚いていた。

ベンチの三人のやさいはそろって顔をあげた。

「健康にいいのも果物より、野菜だってのも……きいたことあるし……」とライムは言った。そして、このまえ病院で話したコビトカバの話をした。

「そ、そうなのかなあ……」

なすが頭をかいた。

 「ニンゲにとって、より身近かぁ……」

「健康にもいいのか……」とジャガイモがつぶやくように言う。

「そうだ、水、飲みに行こう……」

なすが元気よく立ち上がった。

「ニンゲを健康にするのに、自分たちが不健康だったら話にならない。それこそ、おたんこなすだっ!」

「たしかにぼくら、ちょっと水分が足りない気がする。うるおいというか……」ジャガイモもいきおいよく立ち上がる。

「おひさまもいっぱいあびましょうっ」ダイコも両うでをおおきく広げ、空をみあげながら立ち上がった。

「よしっ、水飲み場まで競争だっ!」なすがさけんで、突然、走り出した。

「まけないぞっ」「まけないわよっ、あんたたち、このたくましい、がんじょうな足にかなうとおもってるのっ」とさけんでジャガイモとダイコンも猛烈な勢いで続いた。

ライムとサトイモ兄妹は、いきおいよく公園の奥に向かって駆(か)けていく三人の後ろ姿を見送った。

 「すごいね、ライッチちゃん、じゃがいもさんたちを元気にしたっ!」さとみが元気な声で叫んだ。「ほんとだ、すごい」サトチもライムのまるい肩をたたいた。

「いや、サトチも野菜のいいところをいってくれて……」ライムはちょっと恥ずかしそうに言った。


それから別の日にやはり公園を散歩していたときのことだった。

野菜のちいさな子供たちがシーソーの下がったほうの側に並んで座っている。

メキャベツ、ミニキャロット、まめかぶの三人が、やや斜めに傾きながら、体をよせあって、一冊の本を夢中でのぞきこんでいる。

「なにみてるの? 」ライムは笑みをうかべながら。シーソーにちかづいていって、大判の雑誌をのぞきこんだ。

 あざやかな色彩が目に飛び込んでくる。

そこには、カラフルでおしゃれな服に身を包んだモンキーバナナや双子のチェリーなどのかわいい果物の子供たちが思い思いのかっこうで踊っていた。みな、かがやくような笑顔だ。その後ろにはコバルトブルーの湖がこれまたかがやいて広がっている。

「いいなあ、これ……」とまめかぶがいうと、「ほんとかわいい……」「そうだね……きれい……」とミニキャロットと、メキャベツもうなずいた。

「ほんと、すてきな服だよね……」とライムもうなずいた。

「服? これ服じゃないよ」メキャベツが指さしたのは、モデルたちのかぶっている帽子だった。あみめのあるネット帽だ。

「あ、こっちのほうか……、フルーツキャップだね……」ライムは、ピンク、イエロー、グリーン……、色とりどりのふわふわしたフルーツキャップに目をやった。

ニンゲ界でも使われている、と聞いたことがあった。たしか、高級なフルーツを運ぶときなんかに傷つかないようにかぶせるとか。服もろくにもっていないライムはもちろんかぶったことはなかった。そもそも、高級な店にはいかないから、本物はみたことだってなかった。

「ぼく、このきいろいのかぶりたいな」

「あたしは、ピンクのっ」と、野菜の幼いこどもたちは、ちいさな指で大きな写真ページのフルーツキャップを指さした。

 「ねえ、おにいちゃんもフルーツなんでしょ」とまめかぶがライムの顔をみあげた。

「う、うん……」じっと顔をみられて、ちょっとどきまぎした。

「なんで、あみのおぼうし、かぶってないの」

ライムは頭に葉っぱでもかぶせてしまいたいと思った。きゅうにむきだしの頭がはずかしくなった。

「い、いや、おれっち、帽子はあまり好きじゃないから……」ライムはしどろもどろになっていった。

「そ、そんなにほしかったら、今度、もってきてあげるよっ」

三人のちびっこにじっとみつめられて、おもわずそう言ってしまった。

だが、手に入れられるあてなどまったくなかった。

フルーツキャップがいくらぐらいするのかライムにはまったくわからなかった。ごみ集めの仕事では食べものなどを買うのがせいいっぱいで、そんなものを買おうと思ったことが一度もなかったからだ。ごみとしても落ちていたことはなかったように思えた。

「ほんと、やったあ!」

まめかぶはシーソーからおりてとびあがった。あとの二人もまねをした。

「お、けっこう、いいジャンプしてるじゃないかっ」ライムはとっさに、話をそらすチャンスだと思った。

「こうやって、もうすこし膝をまげて、力をためてから飛んだら、もっと飛べるよ」

といってかるくジャンプしてみせた。

「わあ、フルーツおにいちゃん、すごーい!」

かるくとびあがっただけなのだが、かなり上までとんでいき、ミニ野菜たちは歓声をあげた。

「あたしにもおしえてっ!」とミニキャロットがかけよってシャツのすそをつかんだ。

「ジャンプっ、ジャンプっ!」

ひっぱってふりまわすようにする。 

「わかった、わかった、教えるから」というとやっと離した。

 足はまだ完全に治っていなかったけど、ライムはジャンプを教えた。

「もっと、力をぬいて、リラックスしてえ……」

こどもたちは、きゃーきゃーさわぎながらジャンプを続けた。

「こんなの、できるっ?」ライムはジャンプしながら、くるくる回転してみせたりもした。

ちいさなこどもだから、ただのジャンプだけではあきてしまうと思ったからだった。

「できるーっ!」幼いこどもたちは目をさらに輝かせた。

こどもたちはまねをして、ジャンプしながら回った。けれど、半回転もできず、地面につくと、ころびそうになった。

「あ、なんかあぶないから、これはやめとこう」ライムはちいさなからだを支えた。

つぎにライムは、ジャンプしながらべろを出したり、目をおもいきりよせたり、変顔(へんがお)をしてみせた。

子供たちはからだをくねらせたり、よじったりして大笑いした。

ライムはたてつづけに、とびあがりながら、手足をへんな感じに振り回したり、みょうちくりんなポーズをとってみたりした。

子供たちは大喜びで手をたたいた。

「ちょっと、危ないよ。もうそのくらいにしたほうがいいよ」とサトチがいった。

「まだ包帯とれてないんだからっ」とライムの足を指さした。

「そうだよ、あぶないよっ」と妹もかんだかい声で叫んだ。

「大丈夫、大丈夫」ライムは、笑いながらも必死にジャンプをつづけた。

ちいさな子供とあそんであげられる自分になかばびっくりしていた。

ジャンプに疲れてくると、ライムと、サト兄妹と野菜のこどもたちは。いっしょにシーソーに乗って遊んだ。

それから、ライムはサト兄妹と公園に行っては、野菜のこどもたちにジャンプを教えた。

三人組がつれてきたダイコンやハクサイの子供ともなかよくなった。

公園にある鉄棒で、さかあがりや大回転を教えたりもした。

また、なわとびやおにごっこ、かくれんぼをして遊んだりした。

もちろん、遊んでばかりいるわけではなかった。

サトパやサトマのお手伝いをしたり、藤細工を手伝ったりした。


足はもうほとんど治っているのに里家のだれも「もう帰ったら」といわなかった。ライムもまた、帰らなくっちゃとはおもいながらぐずぐずしていた。



でも、外での活動はなかなかうまくいったが、サト家での仕事はあまりうまくいっているとはいえなかった。ライムは、藤細工などの工芸の仕事や、洗濯、掃除など家の仕事を、自分からたのんで手伝わせてもらっていた。けれど、そっちのほうは、動作がなにかとがさつで、乱暴で不器用だったせいか失敗ばかりしていた。

布団の中でときどき考えた。(おれっちがこんなところにいるのはおかしいよな……おれっちは何もできない。この家に役に立つことなんて何ひとつできない……

それにしてもなんだってこの家のひとたちはごみみたいに扱われていたおれっちなんかに親切にしてくれるんだ……)

ライムなりにその親切に答えようとした。あるとき、いいことをおもいついた。

サトミは が好きだといっていた。こっそり藤細工で をつくってプレゼントしよう……

さといも家族の家は、けっこうひろくて、使っていない部屋もある。隠れてつくることはできそうだった。その北側の小さな部屋がいつのまにかライム専用の部屋みたいになっていた。

 ライムはひまをみつけては「隠れ部屋」にこもり、けんめいにつくった。うまくいかず、なんどもつるをほどいては、やりなおしたりした。けれどついに、まあまあみられるものができあがった、と思った。

「わあ、ありがとう!」サトミはとびあがらんばかりに喜び、をつかんだ。そのとたん、ぱちん、とばねみたいに、つるがほどけ、サトミの手の甲をついた。

手から血が流れ出た。

「ごめん!」

すっかりパニックになり、あわてて、ライムはあたりを見渡した。部屋の隅(すみ)に布があったので、いそいでそれを拾い上げ、サトミの小さな手をつつもうとする。とたんにサトパの手が激しくそれをはらいのけた。ライムがつかんだ布は雑巾だった。

「なにをするっ、はなれていなさいっ!」

サトパはライムをつきとばすようにして、サトミをだきかかえた。

「ごめんなさい……」もういちどいって、ついていこうとしたが、

「来なくていいよ」とサトパがリビングのほうにサトミを連れて行きながらいった。

仕方なく自分の部屋に戻った。しばらくぼんやり座っていたが、やがて、ショルダーバッグをしょって立ち上がった。


ライムは部屋を出ると廊下を走った。玄関で靴をつっかけると外に飛び出す。迷路のような路地をひたすら走る。路地を出ると、枯草やごつごつした岩が広がる荒地を駆け抜けた。

気がつくと、目の前にそびえる切り立った山が行く手をさえぎっていた。

野菜と果物の町をへだてる小さいけどけわしい山。

ライムは山の前でしばらく立ち止まっていた。

するどい岩がところどころに突き出た、ほとんど垂直にみえる壁をにらみつける。それから一気にジャンプして岩壁にとりついた。だけど、手がすべった。ライムは落下した。なんとか地面に着地したが、ぎくっ、足首にいやな衝撃が走った。

荒れ地に転がる。つぎの瞬間、やけつくような痛みが右の足首に走った。(うわあ、またやっちまった)治りかけていた右の足首にふたたび、錐(きり)で刺し貫かれたような痛みが走った。

 「くっそぉ」なんとか立ち上がろうとしたが、とてもダメだった。ライムは足首を両手でつかんだまま地面に転がった。どんよりくもった空をみあげながらライムはうめき続けた。



「ちくしょう……」どんよりした空をみあげながらライムはうめき続けた。もう立ち上がることはあきらめ、ふてくされたように、荒地に寝っ転がっていた。どのくらい、そのままでいたことだろう。

「だいじょうぶーっ?」

かんだかい声がきこえてきた。最初は空耳かと思った。ライムはぼんやりと目をあけた。かけてくるサトチの姿がみえる。夢をみているのかと思った。なんとか目を覚まそうとして、寝転がったまま頭を振った。 

 続いて「おいっ、どうしたっ!」、よく響くりりしいサトパの声もした。

 サトパはころがっているライムを見て、すぐに状況を察したようだった。

「あの……」ようやく上半身を起こして、ライムは力なくいった。

「あそこから落ちて、また足をやっちゃったみたい……」垂直にそそりたつ山壁を指さす。

サトパはライムの前にしゃがみこんだ。

「さ、かえろう」と手をさしだす。しばらくためらった後、ライムはその手をそっとつかんだ。その手は大きくて、あたたかった。ほくほくと土のようなにおいがした。

それから、ライムのまるく小さなからだは、サトパのひろいがっしりした背中におさまった。

「この前と同じになっちゃったね……」

サトチはちょっとからかうように言った。


また、外には出られなくなった。ライムはおもに、作業部屋にこもって工芸細工をすることに専念した。サトパやさとじいに、もう一度、基礎から、しっかり教えてもらうよう頼んだ。今まで通り、みなで福笑いやすごろくをしたり、サトミのお人形あそびにつきあったりもした。

そんなある日、小さな子供たちがやってきた。

ジャンプを教えたり、いっしょに遊んだりしている芽キャベツ、ねずみダイコンやタイニーシュシュだった。

「サトチにいちゃんから聞いて……あし、けがしちゃったんでしょ」とねずみダイコンがいった。「おみまいにきたの」といってタイニーシュシュが花束を差し出した。野原でつんできたと思われる花束だった。

「ありがとう……」

ライムは涙が出そうになったが、必死にこらえた。こんなちいさな子供たちの前で、泣くわけにはいかない。

それから、小さなこどもたちにあがってもらって。いっしょに遊んだ。


足が治ってくるにつれ、またすこしずつライムは外に出ていくようになった。




ところが、そんなある日のことだった。

ライムは通りですれちがったナスのおばさんに、いつもどおり、ほがらかに「こんにちは」と挨拶した。けれどおばさんナスは挨拶を返さず、うつむいて小走りに去っていった。

つぎに通りの向こうから歩いてきたオクラも同じだった。目をそらして足早に去っていく。

「ど、どうしたんだろう……」ライムは心臓がどきどきしてくるのを感じた。

駄菓子屋の軒先に、最近、なかよくなったアスパラガスのパーガスがいたので、近よっていって声をかけた。すると、パーガスはいいよどんだすえに、小さな声でこう言った。

「掲示板に……」

「え?」

「きみのことが載っているんだ……」

「え、どこ?」

「……えと、まあ、こっちだけど……」パーガスは公園に向かって歩き出した。

ライムが急ぎ足でつづくと、パーガスもちょっとあせったように、つられたように小走りになった。

公園の入り口近くに掲示板はあった。ライムは走っていって、それを見上げた。新聞を大きく拡大したものが一面に貼ってある。その右上に「フルベジタイムズ」と書いてあった。

「あっ!」

ライムの写真が大きくのっていた。

フルーツェンのダンスパーティーで大ジャンプして、お菓子やフルーツたちにすっぱジュースの雨を降らしている写真。顔をゆがめ逃げまどうひとたちの大きくあけた口からいまにも悲鳴が聞こえてきそうだ。

また、大きなパンを放り出して、苦しそうにうずくまっている体操着姿の野菜たちの写真。

「パ、パン食い競争の写真だっ」

ライムはパンにすっぱジュースを吹き付けたときのことを思い出した。


さらに、収穫祭で、ジャンボフルーツマンのちぎれた腕とともに落下しているライムの写真……。

「だれがとったんだ、こんなものっ! 」

ライムは叫んだ。公園にいた野菜たちがライムに気がついて、あわてて去っていった。


写真の下には、飛び出さんばかりの大きな文字が躍っていた。

「くそ、なんて書いてあるんだ! 」

ライムはむずかしい字は読めないのだった。

「あの、おこらないでよ」といいながら、パーガスがおそるおそる読み上げた。

「凶悪フルーツ、ベジッた村に潜入! 」

ライムは目を見開いた。

「そ、それからこうも書いてある……」

パーガスはつづけた。

「毒の液を口から発射し、市民を無差別攻撃……」

 ライムは食いしばった歯の間からうなるような声をあげた。

「その下にも、ちっこい字でいろいろ書いてあるな……」

パーガスはため息をついたあと、しかたない、といった感じで読みだした。

 「フルーツェンで、数々の犯罪を犯してきた凶悪なライムが、わがベジッタ町に入ってきています。小さくてもとても邪悪で、凶暴です。いよいよ、フルーツ村にいられなくなって、この村に逃げて来たものと思われます……。」

パーガスは気のない早口で続ける。

「いまのところおとなしくしているようですが、ひとはそう変われるものではありません。どんなひょうしで、とんでもないことをしでかすかわかったものではありません。みなさん、くれぐれも気をつけましょう……」

「ああ、もういいよ……」

ライムは力なく手をふった。これ以上、聞く気はしなかった。

「あ、あの、一応、いっとくけど、ぼくが言ってるわけじゃないからね……」

パーガスはかぼそい声でいった。


ライムは掲示板にとびかかると、新聞をびりびりとはぎとった。くしゃくしゃにまるめて放り投げる。

そのとき気がついた。公園のあちこちに紙が散らばっている。近いところに落ちていたものを拾い上げる。ずっと小さかったけど、掲示板に貼ってあるのと同じ新聞だった。ジャンプして空中できっとつりあげた目でこちらをにらみつけているライムの大きな写真……。ほかにもたくさんの写真……

「たくさん、くばりやがったんだな、くばったんだな、これ」

その新聞もおもいきり力をこめてくしゃくしゃにすると、地面に投げつけた。


ライムは掲示板を読んでくれたお礼をいって、家に引き返した。

その日は一日中、家にこもっていた。だが掲示板にはやはり我慢できなかった。次の日、ライムは一人で家を出た。


「ちっきしょう、くそったれマガジンのやつらめ、たたきのめしてやるっ」

ライムはこぶしを握り締めた。「フルベジタイムズって、たしか大どおりにあるって誰かいってたな……」いきなり大どおりに向かって走り出す。けっこう風がつよかったが、体を前に傾けるようにしてぐんぐん進む。

あまりにいきおいよく進んでいたので、街路樹の影から荷車みたいなものが出てきたのに気がつかなかった。

「わあっ!」

ライムは荷車にぶつかった。とたんに、荷台にのっていたものが、ばらばらっと転がり落ちた。ライムもしりもちをついた。

 次の瞬間、「わああーーん!」「うえええーん!」あかんぼうみたいな泣き声が、爆発するみたいにわきあがる。

見ると、歩道に野菜の苗の子供が何人かちらばっていた。

「ごめん、ごめん!」。エプロンをつけたパプリカのおばさんが、壊れ物でも扱うような手つきで、そっと苗を拾い集める。ライムもあわてておきあがって、手伝った。

かわいらしい色あいの小さなポットたちを荷台に並べる。何種類かのおさない野菜の苗が並んでいるが、ライムにはなんの野菜かよくわからなかった。

荷台には何十ものポッドが並べられている。

とおりかかったレタスやしいたけなんかも手伝いに加わった。

「ごめん、こわかったねえ……」

パプリカが苗たちををやさしくなでる。

「ほんとごめん」ライムもぎこちない手つきで苗をなぜた。

「ごめんなさい……」ライムはパプリカに向き直ってあらためてあやまった。

「こちらこそ、気をつけなくてごめんなさい」

と、パプリカも頭をさげた。

しばらくすると、荷台に並べられた苗たちは泣きやんだ。

ゆっくりと荷車を押しながらパプリカはいった。ライムはなんとなくそれについていった。

レタスやしいたけもにこやかな笑みをうかべながらついてくる。

「この子たち、うちの孤児院の子たちなの。これから、ほかほかと栄養たっぷりの畑に植え替えるんですよ」とおだやかな口調でいう。

「なんだか急に風がつよくなってきたから、はやく植えなきゃ」

大通りから横道にはいり、しばらくいくと、畑がひろがっていた。

おれっちも孤児院いたことあるよ……と言おうとしたとき、

「じゃ、われわれも手つだいますよ」レタスがいった。しいたけもうなずく。

「ありがとうございます」

パプリカはおっとりと頭をさげる。なぜかライムも頭をさげた。

パプリカに教わりながら、みなで苗をポットから取り出しやさしく、はたけのふわふわの土に埋めていった。


しばらくしたときだった。

いきなり殴りつけるみたいな、すごい突風がふいてきて、植えかけていた苗を吹き飛ばした。これから植える苗も吹っ飛んだ。


「大変だっ!」

ライムはあわててジャンプして、飛んでいく苗をつかんだ。そっと手のひらでつつむようにして急いで戻り、パプリカに渡す。これを何度も繰り返す。

だが、風は強まり、つぎつぎに苗は飛んでいく。

幼い苗たちの悲鳴が風のうなりにかき消されそうだった。

レタスもどたどたと走り回ったが、ライムほど機敏(きびん)には動けなかった。

そのうち、何人かの苗が風に舞い上げられて、高い木の枝にひっかかった。

「待ってろ!」

ライムは得意のジャンプで、木の枝にとびのり、苗を救い出した。

だが、いちばん高いところにひっかかった苗には届かない。

まるっこい小さな葉をつけた苗がなんとか、枝の先につかまって震えている。


「がんばって、つかまっていてっ」

ライムはさけびながら、足場にしている枝の上から手を伸ばした。

「よし、もうちょっと……」。さらにせいいっぱい手を伸ばす。

なんとか、苗をつかむ。だがそのとき、……足元がゆれた。風がたたきつけてくる。

ライムは足元をすべらせて? あっというまに枝から落ちた。

さけぶひまもなかった。

だが……地面にたたきつけられる衝撃はなかった。

おおきな両腕がしっかりとライムをだきとめていた。ライムの腕の中にいる苗も……。

レタスだった。

「おお、ナイスキャッチ!」

ライムはおもわず叫んだ。


それからレタスと連携プレーで救出作業を続けた。

大柄なレタスの肩の上からジャンプしてより高いところまで飛んでいって、高いところに引っかかった苗を救ったり、ボールのようにほうってもらって、空中高く、ひらひらと舞う苗をキャッチしたりした。

そして……ついに全員の苗を救出することができた。

ライムはジャンプして、レタスとハイタッチをした。

ふたりともぱんぱんと、手のひらや、服についた土ほこりを払い落とした。お互いの背中の土をはらいあったりもした。

そのあと、パプリカたちと、苗を丁寧に畑に植えていった。


パプリカやレタスたちとわかれて大通りに戻ったとき、ライムは首をかしげた。

「あれ、それにしても、おれっち、なんでこんなところにいるんだっけ……」

ふとわれにかえったようにライムはつぶやいた。

そして、フルベジタイムズに殴り込みに行こうとしていたことを思い出した。

でも……さっきの苗救出作業ですっかり疲れ果てていた。ライムはひとまず家に帰ることにした。


 次の日の朝、居間で新聞を広げていたサトパが大きな声を出した。

「ほお、なかなかいい話じゃないか……」

そして記事を読み上げた。

「わがフルベジタイムズのレタースン編集長が大活躍!、災害にあった苗を大救出!!」

そしてふむふむと記事を読んでから、みなに説明した。

「どうやら、苗の植え替えのとき、突風が起こって、苗の子たちがおおぜい、吹き飛んだとき、たまたま近くを通りかかった編集長が助けたそうだ」

「へえすごいなあ、」「えらいね」とサト家族のひとたちは口々にいった。

どれどれと、ライムは近寄ってマガジンをのぞきこんだ。

すると、一番最初のページに大きな写真があった。苗たちを大きなてのひらにのせてやさしくみつめるレタスの写真……

「あ、あいつっ」

ライムはおもわず叫んだ。

「あ、あいつが編集長だったのかっ」

みなライムをみつめた。

「い、いや、その……」

フルベジタイムズ編集長をやっつけにいこうとしていた、ということは言い出せなかった。

 「いや、すごいでかい顔の編集長だなーっ、ってびっくりしちゃって」とあわててごまかした。

マガジンには、ほかにも、「苗をエプロン姿のパプリカおばさんにわたしている写真」とか。「ほっこり土の畑に、やさしい手つきで苗を植えている写真」などレタースンと苗の写真がたくさん載っていた。けれど、ライムはどこにも写っていなかった。

(なんだよ、いっしょに協力して助けたじゃんかよ……)


でもその日の午後、学校から帰ってきたサトチが言った。

「ねえ、ライッチも苗の子、助けたんでしょ……」

「え」

ライムはサトチのえがおを見つめた、

「みんな言ってたよ、ライッチがレタスといっしょに大活躍してたって」

「い、いや、その……」

ライムはしどろもどろになって頭をかいた。

「孤児院の先生たちとかがとっても感謝してたって」

なんでそんなところにいたの、と聞かれたらどうしよう、と思ったが、サトチは何もいわなかった。

そのあと、おそるおそる外に出ても、野菜たちから口々に

「大活躍だったそうじゃない」「すごいね」

といわれた。

ライムは顔を赤くして照れた。

秋も深まってきたある日のこと。ライムはサトチ、サトジイとの三人で、広々とした公園の遊歩道を歩いていた。イチョウの実であるギンナンを拾いに来たのだった。

澄んだ空気の中、並木の間からさしこむ柔らかい光が、葉の影を幅広い遊歩道にあわく落としていた。

後ろのほうから、ひくくしずかなエンジン音が聞こえてきた。振り向くと、青紫色にぼおと光る大きな自動車が近づいてきて、そっと縁石に沿って止まった。

何台ものくるまがくっついたみたいに長い車のドアがすっと開く。

サングラスをかけ、ぴしっとした青いスーツに身を包んだオクラとモロヘイヤが降りてきて、ていねいにおじぎをした。

「あの、突然、お声をかけ失礼いたします……」と長身のモロヘイヤが低くしずかな声で言った。

「フルーツェンタウンからいらっしゃったライム様でしょうか……」と続ける。

「あ、はあ……」とライムはうなずいた。

「おうわさは、かねがねお聞きしております……」やはり静かなおだやかな口調でパセリが言った。

「悩める野菜たちの心をいやしてくれる奇跡のお方だと……」と続ける。

「え、いや、そんなこと……」ライムはあたまをかいた。

「おれっちはべ、べつに、当たり前のことを言っているだけで……」

「いや、当たり前のことこそ、大切なのだよ……」とさとじいがほがらかにいった。

「そうだよ、ライッチは、みんなの話をよく聞くんだ。そしてアドバイスする……お医者さんもびっくりのいいアドバイスなんだよ……」とサトチも元気よく言った。

青スーツのふたりはゆっくり丁寧にうなずいた。それからパセリが口を開く。

「じつはうちのボスがぜひ、お目にかかり、お話を聞いてほしいと申しておりまして……」

「悩みがなかなか解決しないのです……」とモロヘイヤも言った。

「野菜からのアドバイスにはやはり限界がありまして……」とパセリがいうと、「ここはひとつ、果物さまの新たな視点が必要なのではと……」とモロヘイヤが続けた。

「ぜひ、お話だけでもきいていただけませんでしょうか……」とふたりは声をそろえて言った。

「へえ、どんな?……」とさとじいがわりとのんきな口調できいた。「それは、ちょっとたてこんでいる面もあって、ここではいえないのですが……」パセリはうつむいて、声の調子を落とした。

「ほお、なにか、わけありということですか……」さとじいがまゆをしかめる。「どうする、ライッチ……」とライムを見下ろす。

「おれっち、聞いてやるよ!」と元気よくライムは言った。「どんなお悩みだって、どーんとこいさっ!」まるっこく、ぷよぷよした自分の胸をたたいてみせた。

フルーツェンでは、人から頼られることなんか一度もなかった……。

ライムは、相談相手として頼られることがとてもうれしかった。

このところ、悩みをうちあけあう会によばれて、みなの話を聞くこともあった。つらい目にあったことの多かったライムは親身になって、じっくり相手の話を聞いてあげることができた。

「ありがとうございます。では、ボスの家にご案内いたします。」とパセリが頭をさげ、「お乗りください」とオクラが青紫のつやつやしたドアをあけた。そのとき、分厚いドアがぷりん、とゆれたような気がした。

「え? 」とライムは思った。

「こういうながーい、立派な車は、たしか、リムジンとかいうのじゃなかったかなあ……」といいながら、何のためらいもなく、さとじいが乗り込んだ。

つづいて、ライムとさとチも乗り込んだ。

「わ! 」車に乗り込んだ三人は、目をまるくした。部屋みたいに広い空間に、大きくてゆるやかにカーブしたソファがあった。おそるおそる、かすかに青みがかったクリーム色のシートにすわると、ふわふわしていて、しかも弾力があって、包み込まれるような感じがした。

「ほお、豪勢なものだねぇ……」サトじいが感心したようにシートを遠慮がちにさわった。

「うん、すっごい、ごうせい」シートにすわったサトチはしずかにからだを上下にゆらした。ライムもまねをして、シートの上ですこしはねてみた。すぐに天井に頭がぶつかった。でも天井もソファのシートみたいにぷりんぷりんとして、痛くなかった。

ドアの内側も弾力があってやわらかい。

なにかに似てるな……とライムは思った。すぐに思い出した。ゼリーオブジェだ。

かすかにあまずっぱいようないい匂いがする。どこかちょっとなつかしいような感じのする香りだった。

パセリは助手席に、モロヘイヤは、ライムたちとすこし離れた、運転席に近い、ソファの前のほうに座った。

リムジンカーは 車は低くしずかな音をさせて、すべるように動き出した。運転手はいなかった。自動運転のようだった。

ライムは絶妙なカーブをした背もたれに体をあずけた。

(お金持ちのお屋敷(やしき)に行くんだったら、なにかおいしいお菓子でも出してくれるかも……)とちょっと思った。

(どんなものかな……)でもあまり、というか、ほとんど高いお菓子を食べたことがなかったので、どんなものかは思い浮かばなかった。

車は町をはずれ、畑のひろがるゆるやかな丘を越え、滑るように走りつづける。徐々にスピードがあがっていくような感じだった。野原を過ぎ……木立の中に入っていった。木漏れ日の注ぐ白樺林をすすむと、きゅうに広場のように開けたところに出た。車のスピードが緩む。ライムは大きな窓に顔を寄せた。

そこには……お城みたいなお屋敷が……と思ったら、意外とこじんまりした赤茶色の三角屋根の家が建っていた。

(あれれ、これはお屋敷じゃなく、別荘なのかな……)、とライムは思った。アーチ型の大きな窓が三つほど並んでいる。

(あの家、どっかで見たことがあるような……)

家をじっと見ながら、考えているうちに、低く静かな声がした。

「到着いたしました」

車は止まっていた。あまりにもしずかで止まったことがわからなかった。

サングラスの男たちはさっと車からおりると、ライムたちの乗っているところのドア をあけた。三人は車から降りた。

ライムはあらためて目の前のクリーム色の建物を見上げた。

「こ、これってフルーツェンにあったやつにそっくりだ」と思わず言った。

「たしか、公民館とかいうところ……」利用したことはなかったが、ごみ集めで行ったことがあった。

 車の中でもかすかに漂っていたあまずっぱい香りが、この建物からも漂っていた。

「さすが、ライム様、よくおわかりになりましたね」とパセリがほんのわずかに笑みを浮かべて言った。

「この建物はフルーツェンからいただいたものなんです。」とパセリがいうと、「フルーツェンとの親睦会の際に……」とモロヘイヤが付け加えた。

(ちぇっ、いただいた、なんて……。おれっちの町から無理やりぶんどったものじゃないか)とライムは言いたかったが、とりあえず黙っていた。

「ライム様の町からいただいたものは、基本的に、オークションにかけられます……」とパセリが説明した。

「そして、この車も建物もみごと、わがボスが競り勝って手に入れられたものなのです……」とモロヘイヤはちょっとほこらしげに言った。

「だから、あの車、ぽよんぽよんして、ゼリーっぽかったんだな……」

とライムは、青紫にぼおと光る、豪華で巨大な車を振り返った。

「ふむ、やわらかくて、なかなか、けっこうな乗り心地でしたな」とさとじいがいった。

こころなしか、長いくるまはほこらしげに、顔を上げ、むねをすこしそらしているようにみえた。

「そうです。これもフルーツェン町様から払い下げていただいたものを改造したものでして……」モロヘイヤがちょっと恥ずかしそうに言った。


 パセリとモロヘイヤは背すじを伸ばしたまま、洗練された身のこなしで元公民館の玄関に歩み寄った。

優雅にうねったつるや、さまざまな果物の木彫りがほどこされた重厚なドアの両側にふたりは立った。

それぞれ鈍い光をはなつ金属のドアハンドルをつかんで、ゆっくりと。両開きの扉をあける。

そして、三人に中に入るよう、うながした。

 中に入ると、広い玄関の両側に、こげ茶色のマス目の靴箱が並んでいた。室内もかすかにフルーツの香りが漂っている。

廊下の奥のほうには長テーブルや、黄ばんだ冊子みたいなものが入れられたラックなどが並んでいる。

中はドアほど立派ではなさそうだった。

「どうぞ、こちらへ」パセリとモロヘイヤは声を合わせると、薄暗い廊下の先を指し示した。そして板張りの廊下を進んでいく。

廊下をいくつかまがると、突き当たりのドアの前で二人は止まった。

パセリは分厚い木の扉をあけた。

「どうぞ、こちらへお入りください」

ライムたちが入ると、部屋の中はいやに薄暗かった。

「相部屋でまことにすみません」というモロヘイヤの声がしたと思ったらバタンと、うしろでドアがしまった。


部屋の窓にはすべて黒っぽく分厚そうなカーテンがしめられていた。だから暗いのだ。

「あの、あなたがたは……」うす暗がりからおずおずとした声がした。

「ええと……ぼくらですか……」とさとじいは口ごもった。とまどったように、声の主をさがそうと薄暗がりのなかに視線をさまよわせた。

少し目がなれてきて、ライムはすっとんきょうな大声を出した。

「あれっ、チョウチョっ?!」

黒っぽいソファにだらしなく、もたれていたのはフルッツェンの町長、パイナ町長だった。

「おお、ライムか、おお……」パイナ町長はふるびて、へたれた感じのソファからよろよろと立ち上がると、ライムのほうに歩み寄った。

薄暗いなかでも顔の青白さがわかった。顔の下半分がぼおぼお伸びたひげで覆われている。

「あれ、チョウチョ、なんのコスプレ?」

ライムはパイナのあごひげの先をひっぱった。

「山賊(さんぞく)かなにかのつもり?」

「いててて……」

パイナ町長は顔をしかめた。

本物のひげらしい、とわかってライムはびっくりした。町長がこんなに「原始果物」みたいにひげをぼうぼうに伸ばし放題に伸ばしていたなんて……

パイナは、あごを押さえながら言った。

「それにしても、なんでこんな所にいるんだ……」

「それはこっちのセリフだよ……」とライムは大きな声を出した。

「それは一言では語れん……。いやそれにしても……」

町長はしわがれた声で言った。「ほんとうに、久しぶりだなあ……」

ライムの小さなまるっこい、両手を包み込むようにして何度も振った。

「そ、そんなになるかな……」

たしかにベジッタ町にはもうずいぶん、長いこといる……。

サト家で過ごすのにすっかり慣れてしまって、もうどのくらいになるのか自分でもよくわからなくなっていた……。 

「お、おれっち、この町で、け、けっこう人気なんだぜ……」ライムは思い切ってそういった。笑われるかと思ったが、

「お、おお、そうなのか……」パイナはうれしそうにほおをゆるませた。

「チョウチョ、少しやせた?」さっきは、ぼおぼおのひげに気を取られてきがつかなかったが、全体的にずいぶん、ちいさくなってしまった感じだった。

「やせた、そうかな……」パイナはぼんやりと自分の体をみおろした。

ライムは、町長をサトじいとサトチに紹介した。

 「ライムがお世話になっているようで……」と町長は力なく微笑んで、握手をしようと、一歩、前に進み出ようとした。そのとき、よろけて倒れそうになった。

あわててさとじいがパイナのからだをささえる。

「具合がおわるいのではないですか。座っておられたほうが……」

とさとじいが心配そうに言う。パイナはすなおに、ゆっくり向きをかえると、よろよろと、ソファにもどった。力尽きたように、どさとソファにしずみこむ。

「いえ、大丈夫です、」町長は力なくライムたちをみあげた。

「もうずいぶん、長い間、動いてないもんですから、足腰がすっかり弱ってしまって。……ご心配かけてすみません……」

「あ」突然、さとじいが声をあげた。

そのときソファのはしにうずくまっている、まるっこい黄緑の野菜にはじめて気がついたようだった。

「あ、あんたはフルベジマガジンの編集長さんではありませんか……」とサトじいがしおれたレタスの顔を覗き込むようにした。

「さっきからどこかで見たような、って思ってたんですよ……」

「フルベジ? ……いや、ベジベジタイムズだけど……」投げやりな低い声で、レタスはぼそぼそと答えた。

「え、編集長っ? 」ライムも思わず声をあげた。

この前あった同じレタスとはとてもおもえなかった。この前のはつらつとした感じはまったくなかった。(あれ、この前あったやつとなんかちがうぞ、雰囲気が……)

「ああ、そうか、いまはそういうんだった……すっかりわすれてよ……」

レタスは疲れたような、笑い声らしき音をたてた。

「レタースンさんもマガジンなどの編集を離れてずいぶんになるんですよ……」とパイナが言った。

「フルッツェンの町長さんのインタビューじゃなかったんですか?」 サトじいはレタースンを見て聞いた。


「いや、まさか……」

レタースンはだるそうに首を横に振った。

「もうインタビューはしつくしたよ。もうどのくらいになるのか……四六時中一緒なんだからな……」抑揚のない声でレタースンが言った。

「……もはや、何年なのか、何十年かもわからなくなっているんのですから……」と魂の抜けたような声でパイナも続けた。

「そりゃ、いったいどういうこと……」とサトじいが言いかけたところで、急に光がさしこんできた。一同はおもわず顔の前に手をやったり、強く目をつぶったりした。

ドアが大きくあけられ、光を背に巨大な影が立っていた。その影がのっそりと入ってくる。

「いやあ、よくぞ、いらっしゃいましたぁ!」影がのぶとい声を放つ。

その姿をみて、ライムは思わず、とびあがってしまいそうになった。

それは全身から無数ともいえるするどいトゲがはえた赤茶色の巨大なフルーツ、ドリアンだった。

手にワイングラスをもっている。「いやあ、こんなにあっさりと、うまくいくとは思わなかったよ。ひとまず乾杯といこうじゃないか」

卵形の巨体をゆらすと、グラスを持ち上げて見せた。

うしろから、さっきリムジンを運転していたパセリが入ってきた。お盆の上にワイングラスをいくつかのせている。その後ろにセロリも控えていた。

パセリが、「ウェルカムドリンクでございます。ドルア様からです。」背筋を伸ばし、抑揚のない口調でいう。

セロリが盆からワイングラスを一つ手に取ると、部屋の中に進んだ。

ソファの傍らに突っ立っていたサトじいに赤紫色のワイングラスをわたす。サトじいはぼんやりしたまま、それを受け取った。

「町長さん、編集長さんもどうぞ」、セロリは、へたりこむようにソファに座っているレタースンとパイナにもグラスを差し出した。

パイナは乱暴に手で振り払うしぐさをした。

「どうせ、グレープさんをしめあげて、作ったものだろう。そんなもの飲めるかっ」と吐き捨てるようにいう。

「ほお、よくわかったな、ご名答っ」巨大ドリアンがどら声で言った。

サトじいは慌てたようにグラスをセロリに返す。

「ぼっちゃんたちにはこれを」といってセロリはオレンジジュースを盆からとりあげた。

「それも、きっとオレンジさんをしぼりあげてつくったものだぞっ」

パイナはしわがれた声をせいいっぱいはりあげた。

ライムは、「いらないよ、そんなものっ」と叫んで押しかえすように両手をつきだした。サトチも口をきゅっと結んだまま、強く首を横に振った。

ドルアは部屋のなかのひとたちを悠然とみわたした。

「みな断るとは、謙虚ですなあ」とドリアンはにやにや笑った。

「ではもったいないから、わたしがかわりにいただくとするか……」 

ドリアンはすでにからにしていたグラスをセロリにわたすと、パセリの盆から赤紫の液体でみたされたグラスを取った。一気に飲み干す。つづけてもう一つのグラスに手を伸ばす。ドリアンはつぎつぎにグラスを手に取ると一気にあおった。


「も、もしかしたら……あんたは……」

そんなドリアンを見上げながらサトじいが突然、うわずった、かすれた声をあげた。

サトじいは目を見開いていた。「無事だったのか……」

「ほお、覚えてくれていたのか……」

ドリアンは、さらに新たなグラスをとって一気にあおった。

ドリアンは突然、半眼になると、不気味な呪文のようなものを唱えだした。「ドリリラル、ドラルルリリ……」両腕を妙な具合にくねらせる。「ドッラリルルリイ……ドラルルリリ……」

すると、どうだろう……。彼の鉄ででもできているかのような硬そうな全身から、もわあ、と青紫色のうすい霧のようなものが出た。へびのように身をくねらせて、ドルアの巨体にまとわりついて、全身を覆った。

そして霧が晴れたあと、現れたのは……。

「チョ、チョウチョ……」とライムは思わず叫んだ。


漂流者みたいなもじゃもじゃひげのないパイナはにやりと口をゆがめて笑った。

「やあ、ライム、ベジッタウンに来てもあいかわらず元気にやってるようだな……」

張りのある聞き覚えのある声だった。

ライムはゾッと全身にとりはだが立つのを感じた。

ドルアはそれからさらに、「ドムル、ムルドラリリラル……」と低く不気味にひびく呪文を唱えた。

すると今度は、赤紫色の霧が出て、町長の姿を覆い隠した。次に現れたのは、フルベジタイムズのレタースン編集長だった。

「さてさて、スクープはどこかな……」へんにひびく、気取った高い声がうすぐらい部屋にひびいた。「わるがきフルーツの記事をものにしなくっちゃあ……」

「ほんと、そっくりだ……」とつぶやいてから、ライムは慌(あわ)てて首を振った。

「いや、感心してる場合じゃないっ」

「再び呪文を唱え、もとの巨大なとげだらけの姿に戻ったドリアンは、ライムのほうに近づくと、かがんで顔を覗き込んだ。

「なにはともあれ、本当に来てくれてありがとう。ご相談というのはほかでもない、おまえに消えてほしいってことだよ……」

ドリアンはきばみたいにとがった歯の間からきしむような声をしぼりだした。

「おまえは調子にのりすぎたよ……」とドルアは冷たい口調でつづけた。「野菜たちの相談に乗ったりして、何様のつもりだ。え、ライムせんせぇ……」

いやみったらしく、ねちっこい口調でドルアは言った。 

「親もおらず、しつけも教育も一切、されていないおまえが、ひとさまを導くなど、一億年早いというものだ……」

ドルアはさらにワイングラスをあおった。口をごつい、大きなこぶしでぬぐってからつづける。

「鼻つまみもののごみ拾いのぶんざいで……」

「な、なんでそんなこと知ってるんだっ」ライムはおもわずどなった。ごみ拾い、鼻つまみもの……でもすぐに気づいた。ドルアはフルーツェンの町長にばけていたからだ。そして運動会で野菜たちから、「親なし」などとやじられたこともこれでわけがわかった。

「まあ、そんなことはどうでもいい。おまえなどと、おしゃべりしているひまはないのだ」

ドルアは、からになったワイングラスを直立不動のパセリに押し付けると、つめのとがったごつい人差し指を、町長と編集長につきつけた。

「いくらこいつらから、仕事の仕方やふるまいかたなんかを聞き出しているとはいえ、一人二役がどれだけ大変かわかるか……」

そして一瞬間をおいてから付け加える。

「いや、自分自身もふくめたら三役だな……」

といって大笑いした。パセリとエリンギも笑った。でもどこか機械じみたような笑い声だった。

「フルベジマガジンに書かなきゃな。ライムはフルーツェンでの悪事がばれて、わがベジッタ町にいられなくなり、逃げだした模様とな……」

ドルアはすこしふらつく足取りで、ドアに向かった。「フルーツ町町長としての仕事もいろいろあってな。ああ、忙しい、忙しい……」

ドアノブをつかむと、ドルアは赤みの差した顔で振り返った。

「まあ、これからきみらは長いつきあいになるだろうから、せいぜいなかよくやってくれたまえ……」ドルアはだるそうに手をあげると、部下を従えてうすぐらい部屋を出ていった。

廊下を去っていく足音が聞こえた。

「まてっ」ライムはしめられたドアに突進していって、ドアノブをひねった。……けれど、ドアはびくともしなかった。部屋から出ていったとき、誰かが鍵をかけたようすはなかった……

「むりだよ」と力なくパイナが言った。

「魔法をかけられている。ドアはどうやったってあかない……」とレタースンもよわよわしい声で付け加えた。

 ライムはしばらく、ドアノブをつかんでがちゃがちゃやったり、ドアに体当たりしたりしていたが、やがて、あきらめて、部屋の中央にあるふるびたソファの方にもどった。

「とにかく、カーテンをあけましょう、こう暗くっちゃ」

サトじいは窓際に行くと、黒っぽく分厚いカーテンをつかんで引いた。しゃっと音がして、光が入ってきた。だが次の瞬間だった。カーテンはすごい勢いでひとりでにしまった。

「え」サトじいは窓際でぽかんと突っ立っていた。おそろしいものでもみるように再びひろがったカーテンをみつめる。

「無駄ですよ、なんどあけてもすぐにこうなる……」

本物の町長が窓のほうに目を向けもせずに、なげやりな口調でそう言った。

「魔法がかけてあるんです……」本物の編集長オクラーンもしずかな声で続けた。「ほかの部屋の窓や、玄関ドアもそうです。けっして内側からあけることはできない……」

「あいつの一族は代々、魔法が使えるんですよ……」と前を向いたままレタースンが抑揚のない声で言った。

「そしてあいつの親は40年ほど前、あの事件を起こした……」パイナがうつむいたまま言った。

「のちに悪魔の霧事件とよばれたやつです……」

しばらくの沈黙のあと、「ああ……」とさとじいはうなずいた。

「知っております、そのあと、悪魔たちはわがベジッタ町に入り込みましたから……」

さとじいはうなるような声をあげた、

「あのとき、ちいさかった悪魔の果物が、あのドルアなのですな……」

パイナはゆっくりとうなずいた。

町長はいまはじめて気がついたように、ソファからゆっくりと立ち上がった。

「さ、おすわりください……」ソファを指し示す。それを見てレタースンも腰をあげた。

「い、いえ、わたしらは大丈夫です……」と、さとじいは遠慮したが、町長と編集長はのろのろした動きで、部屋のすみにあったベッドに向かい、そのすみに腰をおろした。

「お客さんを……、いや、これからお仲間になるひとたちをずっと立たせておくわけにはいきません……」とパイナがいう。

「あ、いや……そうですか、じゃ、座らせてもらおう……」とさとじいはソファに向かい、ライムとさとちもうながした。ふたりはさとじいのとなりにちょこなんと座った。


「あの、……これからお仲間になるって……」

とのさとじいの問いにはこたえず、パイナ町長はまたゆっくりと話し始めた。

「あいつの親や祖父母が町に魔法の霧を流し、その霧をかぶったひとたちはみな狂暴になり……」

そのときのことを思い出したのか、パイナはすこしうつむいて目をつぶった。しばらくだまっていたが、やがて口を開いた。

「お互いに傷つけあったのです……」とパイナはそのときの様子を思い出したのか、顔をしかめた。

「その魔法の霧を被ると、目の前のひとが化けものとか、怪物に見えるのです……」

さとじいは目をみひらき、ゆっくりとうなずいた。

「そう、家族や恋人同士もお互いが怪物にみえて、傷つけあったのです……」と目をつぶったまま絞り出すようにつづけた。

サトチがそっと手をのばしてきた。ライムはその手を握った。


「わたしも……、被害にあった一人です…………」

パイナは苦し気に続ける。

「わたしはまだ若かった、子供といってもいいくらいの年だったのです、そのころ、好きになった女の子がいて……」

パイナはまたうつむいて目をつぶった。

「その子と公園でいっしょにいたところ……霧が……」

「い、いや、」とさとじいは身をのりだして、パイナにむかって手を差し伸べるようなしぐさをした。

「そんな、悲しいこと、思い出さなくてけっこうです……」

「もともと、ドリアンは、「悪魔のフルーツ」と呼ばれているんだ。あの一族は、たとえではなく、本物の悪魔のフルーツだったというわけだよ……」とレタースンが吐き捨てるように言った。

「幸い、わが町、ベジッタでは、あなたがたの町の話を聞いておりましたから、まえもって対策をうつことができました……」とさとじいが言った。「魔法の霧を使う前に、悪魔の家族をいためつけて、町から追い出したので、ことなきを得ました……」 

「やられる前にやっつけたというわけですな、それは賢明な策でした」とパイナ町長がゆっくりと息を吐きながら言った。

「わたしはまだ子供みたいなものだったので、攻撃に参加はしませんでしたが、聞いた話からすると、かなり徹底的にやったそうです。なにしろ相手は悪魔の魔法使い集団なのですから……」さとじいは続けた。

「町じゅうの武器をもってやつらがすんでいる丘の上に向かいました。夜中、やつらが寝静まっている間を襲ったのです……やつらの家にはじいさん、ばあさんや子供もいましたが容赦しませんでしたよ……」さとじいは口調に力を込めた。「やつらはほうほうのていで逃げた。われわれはやつらの家を焼き払いました……」


「しかし、そもそもいったいやつらは、なんのために相手を魔物にする魔法などをかけたのでしょう……」

「はらいせでしょう、われわれはやつらを忌み嫌っていましたから……」

パイナはため息をつきながら言った。

「やつらの姿はそれはおそろしい。こどもたちは彼らの姿を見ただけで泣き出していました……」

「見かけだけじゃない、その心も恐ろしいものだったんだ……」

とレタースンが低い声で言った。

「やつらはもともと悪魔だ。悪魔は、周りのものが傷つき、悲しがったり、苦しんだりするのを見るのが何より楽しみなんだ……」とレタースンが吐き捨てるように言った。

「最初はおとなしくしていたんだが、やはり遺伝子にながれる悪魔性はおさえられなかったんだな……」。苦虫を嚙み潰したような顔でレタースンがいうと、

「そう、ついに悪魔の本性を発揮して、あの事件を起こしたのです……」

とパイナが暗い声で引き取った。

「黒い霧事件……」さとじいがつぶやくように言った。

「われわれはなんとか、ドリアン一族を町から追い出すことに成功し、事件もなんとか解決しました……」とパイナはうつむきかげんで言った。

「まあ、逃げ出した先が、野菜さんらの町だったことは申し訳ない限りではありますが……」と付け加える。


「だが、やっつけられたことを、やつらは恨みに思ってたんだろうな……深い恨みを……」とレタースンが額にふかいしわをよせていった。

「あのとき、子供だった悪魔のフルーツが成長して、復讐しにきた……」さとじいがひとりごとみたいに言った。

「まあ、戻ってきたのがドルアひとりだったのがせめてもの救いだな……」

とレタースンが唇のはしをかすかにゆがめながら言った。

「家族そろって戻ってきて、また悪魔の魔術をかけられたら、たまったもんじゃないからな……」

「しかし、それにしても家族の後ろに隠れるようにしていた、ちっこいドリアンの子供が、あのようにおそろしげな巨大な怪物になっているとは思いもしませんでした」とパイナは言った。

「といっても、そのことに気づいているひとはいないがな……」

とレタースンは苦笑した。

「というと……」

さとじいは首をかしげた。

「ドルアはわたしと、レタースンさん以外に姿をみせていないからです」とパイナは言った。

「本当の姿は、ということだが……」

とレタースン。

「ドルアは自分の正体を明かしたあと、わたしたちに化けて過ごしているからです……」とパイナはくぐもった声でうつむき加減に言った。

「フルーツェンでは、パイナ村長さん、ベジッタでは、フルベジタイムズのレタースン編集長としてね……」

といってレタースンはしわがれた声で笑った。

「そして本物のわれわれは、なにもかもとりあげられて、この薄暗い部屋にずっと閉じ込められているわけだ。もう何年になるか、何十年になるのかもわからない……」

「見ての通り、ここにはカレンダーも時計もないですからな……」とパイナが付け加える。

「そして、魔物さまに、それぞれの町でのふるまいかたを教えてさしあげているというわけだ……」とレタースンも自嘲的に口をゆがめていった。




「われわれベジッタ町には、フルーツェンの優雅で裕福なうその世界をみせつけ、悔しがらせる。そして自分たちの生活がつらくみじめなものだと思わせる……」

苦虫をかみつぶしたような表情で、レタースンが話をつづけた。

「果物町には、野菜レスラーなどのような、ならずものを、けしかけて、果物のひとびとを傷つけ、大切なものを奪わせる……」

「いや、もしかしたら……」メディア王がさらに声をひくめた。

「やつは、二つの町を喧嘩させ、うっぷん晴らしをしているだけではないのかもしれない……」

「というと……」

さとじいがくびをかしげた。

「やつは、もっとおそろしいことを考えているのかも……」

床をじっと見つめる。

「二つの町を喧嘩させたうえで、支配しようと考えているんだ。二つの町が手をとりあい、力をあわせて、ドリアンに立ち向かっていったら、なかなか手ごわいと思ったんじゃないか……」


「つながり変 「いったい、どうしてそんなひどいことを……」」


「いったい、どうしてそんなひどいことを……」

とさとじいが、ソファから身体を乗り出すようにして聞いた。

「われわれふたりに化けて好き放題にするためだよ……」とレタースンがだるそうに口を開いた。

「フルーツェンの町長になって、はりぼての城をつくったり、ベジッタのマガジンの編集長になって、野菜たちに果物への嫉妬と憎しみをあおる記事をひたすら載せたり……」

「なんで、そんなばかばかしいことをするんだ」

とライムがいらだった声をあげた。

「政治とメディアをおさえればコントロールしやすく効果的と思ったのかもしれないな……」とレタースンが言った。

「これは推測にはすぎませんが……」とパイナが口を開いた。

「やつの魔力はたいしたことないんでしょう。せいぜい、化け狐みたいにばけることくらいしか……」

「両方の町から迫害されうらみがあるあいつは、両方とも暗黒に落とそうとおもった。だがたった一人で両方の町を地獄に落とすほどの魔力はない……」

「そこで、ふたつの町を対立させ苦しめる方法を考え出したというわけだ……」とレタースンが補足した。


「じゃ、こうしちゃ、いられないじゃないかっ」

ライムはその場でぴょん、といきおいよくジャンプした。

とたんに天井に頭が激しくぶつかってはねかえり、いきおいよく床にころがった。

壁にぶつかって止まる。

「いてててっ」

ライムはおもわず頭をおさえた。けれど……あまり痛くないことに気がついた。

(あ、そうだ、これはもともとはフルーツェンのゼリーハウスだからだ……)と思い当たった。

「あのとげとげとやろうを止めなくっちゃあ」みなを斜めにみあげながら、ライムはうなるような声をあげた。

「あいつはどんなひどいことを企んでいるかわかったもんじゃないぞっ」立ちあがりながら、きびしい表情できっぱりと言った。


ライムはドアに突進すると、ドアノブをはげしくつかんでがちゃがちゃまわした。だがやはりドアはあかなかった。思い切り押したり引いたりしてもダメだった。

ライムはドアからはなれると、向かいの壁まで下がった。ドアをきっとにらむと、すごいいきおいで走り出した。

「とおりゃあああーっ! 」 

ドアにおもいきり飛び蹴りをくらわせた。

次の瞬間、「わあああっ!」ライムはすごい勢いではねかされ、もといた反対の壁までふっとばされた。床にころがる。

「そんなことやってもダメだよ」と興奮したライムとは対照的に、しらけたしずかな声で、パイナ町長が言った。

「そんなこと、何百回、いや何千、何万回だってやってみたさ……」とレタースンも投げやりな口調で続けた。

ライムは、今度は窓際に走って行って、窓に手を伸ばした。

「やめなさい……」とベッドからふりかえってパイナがいう。

「どうやっても開かない。窓だってそうさ……けっして開かないし、たたいてもガラスじゃないからまったく割れない。ああ、われわれのゼリーハウスがこんなに丈夫だとはな……、まったく皮肉なことだ……」

と町長はため息をついた。


 「だからあいつは、われわれを閉じ込める先として、ゼリーハウスを選んだんだろう……」とレタースンが言った。

「そう、わが町のゼリーオブジェは生き物めいたところがあり、ドルアはそのほうが魔法をかけやすいようなのです……」

「とことん、ずるがしこいやつだな……」

ライムは両方のこぶしを握りしめた。

怒りがさらに高まると、口の中に、にがいつばがたくさん湧き出てきた。ぺっ、と床にすっぱジュースをはきかける。

「くそ、くそっ!」

壁にもそこらじゅう、おもいきり、いきおいよくふきつけた。

「まったく、フルーツェンのもののくせに、あんなやつのいいなりになりやがって! 」

そう毒づきながら、へやじゅうにつばをはきかけた。

「魔法なんかにかかってんじゃないよ」

すると、どうだろう。

びくっと、部屋が震えたような気がした。

「え、地震? 」

サトチが高い声を出して腰をかがめた。

部屋は振動していた。

「いや……」とパイナがかすれた声をあげた。

「家が、いやがっているんだ……」

町長の目は見ひらかれていた。

「部屋に体当たりしたり、つばをはいたりしたからだ……」とレタースンも押し殺した声を出した。

みな、驚きと恐怖の表情をうかべて、ぴくん、ぴくんと心臓の鼓動みたいに脈動する壁や天井をみあげていた。

「ごめん、わるかった!」と突然、ライムはさけんだ。殺風景な部屋のなかほどに立って、部屋をみわたしながら話し続ける。

「おれっち、かっとなるとすぐこうなっちまって……」うつむいてしおらしい声を出す。

「ふるさとがなつかしくないか……」

突然、さとじいが壁に向かって話しかけだした。

「きみはこんな森の奥で、ひっそりと身を潜(ひそ)めているような存在ではないはずだ……」

とおちついた声で続ける。

「勝手にわが町につれてきてしまってもうしわけないが……」さとじいは頭をさげる。

それにこたえるように、ハウスはびくん、びくんと、大きく壁を震わせた。

「みんなが、おおぜい出入りして、わいわいとにぎやかな建物だったはず……」

ハウスは考え込むように動きをとめた。

「帰ろう!、フルーツェンに!」

ライムは力強く言った。

「そうだ、ふるさとに帰ろう」とさとじいもやさしげな口調で言った。


突然、分厚い暗い色のカーテンがしゃっ、という音とともにひとりでに勢(いきおい)よくあいた。

同時に、部屋じゅうが白いまぶしい光に満たされた。みなおもわず目を強くつぶった。

床が足の裏をぐうっと押し上げるような、奇妙な感覚があった。ふわりとライムは自分の体がうきあがるのを感じた。

ライムとさとじい、さとちはまぶしい光にまもなく慣れて、目をあけた。

だが、長年、暗いところに閉じ込められていた町長と編集長は、目を射るような日ざしに耐(た)えられないのか、床に倒れてしまった。両目を両手でしっかりと覆っている。



「だ、だいじょうぶ?」とライムはふたりを助けようと思ったが、窓の外のうごきに気を取られ、動きを止めた。

「え」

驚いて窓から外をみると、林の木々がどんどん縮んでいた。

いや、そうではない。家が浮き上がっているのだった。

どんどん木々は短くなってついに消え、視界は真っ青な空だけになった。家は空を飛んでいるのだった。

ライムはおそるおそる窓に手をかけうごかしてみた。窓は開いた。

おそるおそる窓から顔を突き出してみると、屋根の少し下のほうに巨大なまっしろいつばさがみえた。

白鳥のようなつばさをゆっくりとはばたかせながら、家は空を移動していた。

自分が飛べることのよろこびに、あっちにふわりと大きく飛んだり、きまぐれにはんたいがわに、いきおいよく向かったりした。くるくる回転したりさえした。

「わあ、目がまわるう」ライムたちはゆかにしゃがみこんだり、はいつくばったりした。

ライムは必死に立ちあがり、よろけながら、窓にむかった。

ハウスのスピードがゆるんだ。さっき遠ざかっていた林が見えてきている。ハウスはもとの場所に戻ろうとしているのではないだろうか……とライムは思った。

窓からぐうっとからだをつきだすと、まっすぐにボンダ山を指さした。「あっちだ。あの山を越えるんだ」ふきつける風にまけないように大声をあげる。

「フルーツェンに帰ろうっ!」

ゼリーハウスは、その声に勇気づけられたように、くるりと方向をかえ、再び、上空にのぼりだした。翼に力を込めまっすぐに進む。塀のようにうねうねと続く小さく鋭い山が前方にみえてきた。

つづけてサトチやさとじいも窓から顔を出した。歓声とも恐怖の声ともつかない声をあげる。

 パイナとレタースンも窓辺にやってきた。しんぱいそうにまゆをしかめて、家からはえている大きなまっしろい翼をみあげている。

「だいじょうぶですよ、ちからづよくはばたいている」

とさとじいが笑顔をふたりに向ける。

ぼんだ山をこえ、フルーツェンが見えてくると、みなは歓声をあげた。

パイナ町長が窓から大きく身を乗り出す。

「おおっ、あれはジュシーカントリー俱楽部だっ」と眼下にひろがるゴルフ場を指さした。パイナは下側の窓枠につかまってぴょんぴょんはねている。雄大なゴルフ場は日差しを浴び、青々と輝いている。

「お、おれもベジ・フル合同ゴルフ大会のとき、取材に行ったぞっ」とすかさずレタースンもすっとんきょうな高い声で叫んだ。

「おお、なんだあれはっ?」

さらに身を乗り出しながらパイナは叫ぶ。その指さす先には、丘の上にそびえるお城があった。おとぎ話に出てくるようなお城は全身に日の光をいっぱいにあび、白く輝いている。

「あっはは」ライムは笑った。

「あれが張りぼてのハリー城だよ、自分でつくっといて忘れちゃったのかよ」とからかった。

町長はつんつん髪がとがった頭をかいた。

「そ、そうだったな、ぼくが作ったことになってるんだったな……」

そういって苦笑しながらためいきをついた。

 「おお、あれもそうなんだな……」

とレタースンがあおじろい指をさす。

そこには青々と輝いている港にまっしろい豪華客船が浮かんでいた。

「あれもそうさ、豪華客船ボテール号。すごいだろ。とても発泡スチロールでできているとはみえないだろ」とライムはなぜか自慢した。

「ふーん、すごいね、」「すごいなあ」

パイナとレタースンにおしのけられていたさとじいとサトジが、みなの間にわりこんで首を突き出しながら言った。

 やがて、“飛行ハウス”の速度が緩やかになってきた。バナナの形をした公園の展望塔が見えてくる。公園の芝生広場やサイクリングロード、ボート池なんかが大きくなってくる。やがてかすかなショックとともに、公民館ハウスは止まった。芝生広場に降り立ったようだった。

しばしの沈黙のあと、レタースンが言った。

「と、とまった?……」

「あ、ああ、公園に降り立ったようですな……」

とパイナ編集長もなかばつぶやくように言った。

「すばらしい着地ですな、ほとんどショックはなかった……」

さとじいが笑みをみせる。

パイナ町長はよろよろと部屋を横切り、ドアに向かった。おそるおそるふるえる手でドアをあける。

「あ、あいた……」ドアをあけ、よろけながら一人出ていく。

みなもあとに続いた。

町長はいまにもころびそうに、へっぴり腰で廊下の先の玄関に向かった。玄関は光にあふれている。

両開きの玄関ドアは開いていた。

「あいてる……」とつぶやいたきり、パイナ町長は広い玄関で突っ立っている。

まるで玄関の外にはてしなくひろがる光を恐れているかのようだった。


「さあ、お二人ともいきましょう……」と声をかけて、サトジイはふたりのわきをそっとすりぬけて前に進んだ。

それでもふたりは、まぶしそうに手を目のうえにかざしたままうごかない。

(長い間、閉じ込められていたから、足腰がすっかりよわくなっているのかも……)とライムは思って、立ちすくむ二人の間に割って入った。

「さあ、おれっちの肩につかまって」

 ふたりはぼんやりと手をのばした。だが、……ライムは小さすぎて、肩につかまるとかえってバランスを崩しそうなことに気がついた。

「い、いや、その、気持ちだけで十分……」とパイナはいった。

そしてよろよろと公園のひろばに歩みだした。レタースンもあとに続く。

芝生広場にいた人たちは突如、空から舞い降りた赤い三角屋根の建物に驚いた。目をまるくし、口をぽかんとあけている。そこからあらわれた人たちにも驚きの声をあげる。

「あっ、パイナ町長! 」イチジクが声をあげる。

「なんでそんなところに……」

ゼリーハウスと町長たちを交互に見比べている。

「あ」とキウイが声をあげる。

 「あれ、この建物見たことある」

目を大きく見開いて公民館を指さしている。

「羽はなかったような気がするけど……」

「これ、昔あった公民館じゃないの……」

デコポンのおばさんが叫ぶ。

「あ、そうだ。たしかずっと前に野菜たちに奪われたやつだよっ」

と、びわも興奮した声をあげた。

色とりどりのフルーツたちがざわざわする。

「パイナ町長、あいつらから公民館、取り返してくれたんだね」とイチジクがさけんだ。

「さっすが、町長だっ」

「はりぼてばかりつくったり、へんなことばかりしているって思ってたけど、ちゃんと、やることはやっていたんだね! 」

と信頼に満ちた目をきらきらさせて桃が叫ぶように言う。

「あ、いや、その……」町長はとまどった目をきょときょとと動かす。

「あれ、」デコポンが素っ頓狂な声をあげた。

「町長、ずいぶんやせたね、それにひげがぼおぼお……」

「あ、ほんと、さっきから気になっていたんだけど……」とハッサクもいった。目をぱちぱちさせている。

「どうして急にそんなにやつれちまったんだよぉ」などと心配する声があがった。

「わかった」とポンカンが軽快な声をあげ、ぽんと手を打った。

「それだけ、野菜たちから公民館を取り戻すのが大変だったってわけだよ」

「なるほど」

みな納得して、そろってうなずいた。

「でも、あれ……」急にけわしい顔になってハッサクがレタースンを指さした。

「あいつ、野菜じゃないか……」

「あ、そうだ。それにあいつらも……」

と桃が今度は、さとじいとサトチを指さす。

「あいつらはたしか、イボ……」

「いやちがう、イモだ。二匹もいやがる……」

と洋ナシが叫ぶように言う。

「町長さん、な、なんで野菜といっしょに……」

「わかった」

ぽんかんがぱん、といきおいよく手を打った。 

「あいつらは捕虜だ、パイナさんは、わが公民館を戦い取って、ついでに捕虜も取った、というわけだ」

「なるほどっ」、みなもぽんかんの真似をして手を打った。

「英雄だ、英雄だっ、」

「ばんざい、ばんざーい!」

みな大声をあげて飛び上がった。

「あれっ」ハッサクが急にばんざいをとめて、指さした。

「おい、あれ……」

顔をしかめている。

「わ、悪ガキライムもいるぞっ、ライム小僧……」

」とタンゴールが叫んだ。

「うわ、なんかちっこくて気づかなかったよ」

とみかん。

「ちぇっ、せっかく最近みかけなくて、町が平和だったのに……」とオレンジが舌打ちした。

「ライムは捕虜だっていらないけどな……」とバンペイユが低い声でつぶやくように言った。

「なにが捕虜だっ!」ライムがこぶしをふりあげて叫びかけたときだった。

「ほお、にぎやかだな、みなさん……」とどすのきいた低い声がライムたちの背後からひびいた。

ふりかえると、ドルアが立っていた。すこしふらふらしている。顔が赤い。酔っぱらっているようだ。まぶしそうに眼をほそめてあたりを見渡してから、太い首をゆっくり何度か横に振った。

「なんでここにいる……」ひとりごとみたいに低くつぶやく。

かたわらにひかえるひらたけとしいたけも首をかしげたり、目をぱちぱちさせたりしている。

「おい、これはどうしたことだ……おまえら、どんな魔法を使ったんだ……」

ドルアはぎょろ目でライムたちをにらみつけた。

「もしかしたら、ハウスが空を飛んだことに気がついていないんじゃないだろうか……」

とさとじいが、みなに小声で言った。

「どうやら、飛行中、よっぱらって寝ていたんじゃないか……」

とレタースンも声を潜めて言った。

「でかけたわけじゃなかったんだな……」パイナも声をひそめて返した。



「ああ、さっき、けっこうワインをがぶがぶ飲んでましたからな……」とサトじいが言った。

「なにをごちゃごちゃ言ってるんだ、おまえら」とドルアは真っ赤な目をして、すこしふらつきながら、パイナやレタースンたちのほうに近づいてきた。

「おまえら、いつ、家から出ていいっていった……」

とげだらけの太い腕を町長たちにむけて突き出す。

「お前たちは枯れはてるまでずっとわが家にいるはずだろう……」

パイナは逃げ出そうとしたが、脚がもつれて転びそうになった。

「チョウチョあぶないっ」

ライムはジャンプすると、すっぱジュースをドルアにふきかけた。

顔をねらったがはずれ、頑丈そうな肩にあたった。じゅっと、なにかが焦げるような音がしたが、ドルアの赤黒くぶあつい皮膚はなんともなかった。

パイナは体勢を立て直し、走り出した。オクラーンも続く。かれらのせなかにむかってドルアは大きな手のひらを向けた。

「リド、アドリリド……」

赤く濁った眼でにらみつけ、低い異様な声でうなる。

ドルアの口から、もわあと黄土色の煙みたいなものが出た。それは霧のように広がってパイナとオクラーンをつつみこんだ。

同時に、「うわ、くさっ」みな、鼻をつまんでうずくまったりした。

何かが腐ったみたいな強烈なにおいがあたりに広がった。

黄土色の煙が消えると、そこにはツタのようなものに脚をからめとられたパイナとオクラーンがいた。ふたりが悲鳴をあげながらころぶ。

「おい、だいじょうぶかっ」とライムはかけより、パイナの脚にからみつくツタをひきちぎった。サトチはオクラーンのツタをはぎ取る。 

「くそっ、酔いがまわっているせいか、うまくきかんなっ」

とドルアは毒づくと、また、手のひらをパイナとレタースンに向けた。

「しつこいやつめっ」ライムは助走をつけてから、思い切りジャンプした。そしてドルアにとびげりを見舞った。

「どりっ!」ドルアはうめいた。肩の当たりにキックがあたった。べきっ、妙なにぶい音がした。赤茶色のとげがおれた。汁のようなものがすこしにじんでいて、そこからしゅうしゅうと、霧のようなものが漂い出た。

霧がかかると、もつれる足取りで逃げていたパイナとレタースンの足が突如、止まった。ふたりの足に黒々とした太いへびのようなものがまきついている。それはよくみるとねじくれた木の根っこで、ふたりのあしをしめつけていた。そして二人の足と一体化してぐねぐねとうごめきながら地面にもぐりこんでいった。

パイナとレタースンのもじゃもじゃのひげにおおわれた口から悲鳴があがった。血走った目が大きく見開かれている。ふたりは、なにかにすがりつこうとするように両手をふりましたが、地面からのがれることはできなかった。

「おい、しっかりしろ」

近くにいた人たちがふたりを地面からひきずりだそうとした。だが、体格のいい男たちがうなりながら、ふたりのからだをひっぱってもびくともしないようだった。パイナとレタースンはさらにふかく、ゆっくりと沈み込んでいった。

「魔法だっ」広場から悲鳴のような声があがった。

「あいつは魔法を使うドリアンだっ」

「も、もしかしたら、あのときの……」

ドルアを力なくゆびさしたまま、年老いたあんずのドライフルーツが震えて立っている。

「まさか……」同じくしわがれた老人の声が続いた。いちじくのドライフルーツだった。

「そ、そうだ、思い出したぞ。悪魔のドリアン一家…… 」

「こいつはあの時の、親玉だ!」

「また懲りずにやってきたのかっ」

「あんなに痛めつけてやったのに」

広場にいた年寄りのドライフルーツたちは口々にさけんだ。

「いえ、違うんです」と地面にしばりつけられたままのパイナが言った。

「あいつはあのときの親玉ではありません」

「あのとき、こどもだったドリアンなのです……」ともはや観念して身動きひとつしないオクラーンが続けた。

「あ、そうか……たしかに相当、昔のできごとでしたよな……」

「ああ、のろわしいできごと……」

「たしかに、悪魔一家にはこどももいた……」

「だが、あんなにおそろしげな姿に成長しているとは……」

驚きと恐怖の声が交錯した。

「なぜ、またやってきたのかっ」

「地獄の底から来た醜い悪魔のフルーツめっ」

「地獄に戻れっ」

憎悪と恐怖に顔をゆがめながら、ドライフルーツたちは細い枯れ枝みたいな腕を振り回した。

ドルアは何も言わず。赤い目をドライフルーツたちに向けた。とげが折れた肩のあたりから、青紫色の煙のようなものが湧き出て、空中を漂い、ドライフルーツたちの方に向かう。

同時に、なにか生ごみが腐ったような強烈なにおいがひろがった。

「わああっ」広場にいたひとたちは鼻をつまみ、その場にうずくまった。

「ドリリ、アドル……」低くひびく不気味な呪文をとなえながら、手のひらをドライフルーツたちに向けた。

青紫色の煙がドライフルーツたちのからだを覆い隠す。やがてその煙はうすくなって、風にふきはらわれた。

するとどうだろう。そこにいたドライフルーツたちはみるみる、青紫色っぽく変色していき、やがて漆黒の闇のような真っ黒になった。

そして手から足から、顔から、赤や青、黄色などの毒々しい色のおできのようなものが生えだしたのだ。ドルアはじっと彼らをみながら呪文を続ける。からだじゅうを覆う無数のおできはみるみる、長く伸び、先端がするどくとがり……つの、というかとげのようなものになっていった。


ドルアは今度は別の方向に向き、また手のひらを差し出しながら呪文を唱えた。青紫色の煙が漂い出る。煙をかぶったオレンジやりんごたちの顔や体がみるみる黒ずんでいった。同時に空気がぬけた風船みたいに、しなびて小さくなっていく。しだいに枯れて、どろどろと解けはじめ、ついには土の地面に混ざり合ってしまった。

近くにいた人たちはその無数のとげに覆われた姿をみてひめいをあげた。

「わああ、ばけものっ」そうさけばれたトゲトゲフルーツは自分の手を見おろした。そして顔にさわる。「いてっ」顔のとげが刺さったみたいだった。手のひらから血がしたたる。

「わあ、たすけてえ」と友達 友人にすがるみたいに血まみれのとげだらけの両手をつきだして、友達に迫る。友達は悲鳴をあげるとあわてて逃げ出す。

そういう友達の全身もトゲが生えだし成長し、全身、とげだらけなのだった。

「やめろーっ!」ライムはさけぶと、猛烈ないきおいで走り出した。そしてドルアのとげだらけの背中に飛び蹴りをくらわした。

するとまたとげが折れ、根元からしゅうしゅうと青紫の煙が噴出した。からだから漂よい出た煙は近くにいるフルーツを包む。すると彼らもまた不気味に変化して争いあった。

ドルアは驚きと歓喜の声をあげた。

「おお、おれがこんな強い魔法を使えるとはおもわなかったぞ……」

「ドリリ、アドル……」ドルアは呪文を唱えながら、あたりを勢いよく歩き回った。煙はどんどん広い範囲に広がっていった。

広場中に悲鳴と怒声があふれ、つかみあい争う人々の姿でいっぱいになった。


「しらなかった。こんなことは……ライム小僧よ、ありがとう……。」

ドルアは、必死に霧をよけながら動き回るライムを見やった。

「とげを折ったらこんなに強い魔法を出せるとはな……」

ドルアのからだは赤みを増し、全身に血管が浮き出している。大きな体が一段と大きくなったようにみえた。

「おれの傷の霧がかかれば魔法の力は各段に強力になる。こんなに効く魔法はかけたことがない。こんなことだと知っていたならもっと早く、こうしていればよかったな……。」

ドルアは喜びと力に満ちた声を張り上げた。

ドルアは霧をふりまきながら、さらにまがまがしい呪文をつぶやきつづけた。地面を揺るがすほどの低音で。しかもそれはつぶやきなのに、なぜか、どこまでも届くみたいによく通った。 

「やめろーっ」

ライムは、ドルアを追いかけ、走った。が、もう飛び蹴りなどをすることはできない、と思った。トゲを折れば折るほど、あの霧が体から出て、魔法が強まるだけということがライムにもようやくわかったのだった。

ドルアのからだは、もとの二倍、三倍へと巨大化していた。

赤茶色だった体の色はどんどん濃くなっていき、ついには闇のような真っ黒になった。吸い込まれるような漆黒の闇の中で、目だけがらんらんと赤く光っていた。

そのとき、あたりに風がわきおこった。ライムがふりかえると、三角屋根のドルアの家が芝生広場に着陸するところだった。どこかに飛んでいたのだろか。両開きの玄関ドアが大きくあけられ、中からサトじいとサトチが出てきた。

 「おーい」と戦っているライムたちに手をふる。

「強力なすけっとたちを連れてきたよっ!」とサトチが叫んだ。

ふたりの後ろから、窮屈そうにからだをかがめながら、巨大な影があらわれた。その姿をみて、ライムは声をあげそうになった。キャベツ、ダイコン、そしてはくさい……。野菜レスラーだった。

さっと体の奥が冷たくなったような感じがした。

からだをこわばらせて身構えていると、キャベルルが声をかけてきた。

「おう、ライム、ひさしぶりだなっ」

ごつい腕ををふっている。

おだやかな声と表情。

「おれの息子が世話になっているようで……」

と笑顔で続ける。

「え」と思ったつぎの瞬間、おもいあたった。あの公園の芽キャベツは、キャベルの子供だったのではないだろうか。

「うちの子もいつも遊んでもらっているらしくて、ありがとうな」

「お世話になってまーす います」とダイコとハクサイックもにこやかに大声でいって笑顔をむけた。


「おう、よっぱらって暴れているってのはどいつだっ」キャベルのどら声が響いた。

野菜レスラーたちは足音をひびかせ、あたりを見回した。

戦うべき相手はすぐにわかった。

巨大なドルアのからだはさらに、三倍ほどの大きさになっていた。からだのあちこちからくすぶるように煙が出ている。

野菜レスラーたちは体をこわばらせた。だがひるむことなく、じり、じりとドルアを囲んだ。

なんとか霧をよけながら、キャベルたちはドルアに迫った。だが、野菜レスラーたちの数倍の大きさに巨大化したドルアはいともかんたんに野菜レスラーたちを蹴散らした。

 つきとばされ、あおむけにころんだハクサイックは立ち上がろうともせずに虚空に向け、目を見開いている。煙に覆われている。

つきとばされ、あおむけにころんだハクサイックは立ち上がろうともせずに虚空に向け、目を見開いている。


「そうだ!」ライムは思いついてさけんだ。

「あいつから出ている煙をふさぐんだ!」といって近くのビニールハウスを指さした。

野菜レスラーたちは畑に踏み込んで、ビニールハウスからビニールをべりべりとひきはがすと、ドルアにかぶせた。ドルアはぐるぐるまきにされ、煙は封じ込められた。だが、すぐさま、彼はビニールの中で、すごい勢いで体を回転させた。全身のとげがビニールをひきさき、ずたずたになったビニールから出てきた。

ドルアは煙の出が悪くなると、自分でからだのとげを折ったり、むしり取ったりした。そのたびに、ぎぼっ!というような異様な音がして、血のようなものが噴き出た。ドルアはさけび、顔をひどくしかめた。だが食いしばった歯の間から、低くひびく呪文を紡ぎだした。

ライムはそれを見ているうちなんともさびしいような悲しいような思いにとらわれた。

 「そうだっ!」、ライムは叫んだ。さっき、公民館の廊下を通ったとき、すみにバケツや雑巾がいくつか置いてあったのを思い出した。

走り出すと、「ちょっとごめんよ」と公民館に声をかけながら入っていった。

バケツをふたつ手にさげて、ハウスを飛び出ると、今度はドルアから距離をおいてにらんでいるキャベルのもとに走り出す。

「なあ、キャベル、頼みがあるんだ」

ライムはキャベルを見上げた。

「あのときみたいに、おれっちを吹っ飛ばしてくれ」

「はあ……」とキャベルはライムを見下ろして首をかしげた。

「ほら、相撲大会のときに……」

「あ、ああ、」

キャベルは太い首をきまりわるげにかいた。

「あのときはわるかったな……」

「いや、いいんだ」

といってライムは指さした。

「ほら、湖の向こうの林を超えたところ……」

「でもどうして……」キャベルは太い首をかしげる。

「いや、今は説明しているひまはないんだ、頼むよ」とライム。

「お、おう、わかった……」

キャベルはライムの真剣なかおつき、を見て、決心をしたようだった。


キャベルはバケツをもったライムをむんずとつかんで抱えると、大きな体を回転しはじめた。回転はだんだん速くなっていく。

それがマックスになったところで、ライムをはなした。

バケツをもったままライムはいきおいよくふっとんだ。

ライムは野原に着地すると走り出した。丘みたいに小高くもりあがったところを探す。

草にかくれてわかりづらかったが、あのドラゴンの形の岩をさがしだし、急いで穴にもぐりこんだ。真っ暗な穴を進むと、先のほうに青白い光がゆらいでいるのがみえた。

その光はゆっくりと、七色に色をかえていく。なにもかもこのまえと同じだった。

(この水でおれっちはけががたちまち治った……)

バケツのとってを握りしめる。

(これをかければあいつの傷もたちまち治るはずだ……)とライムはひとりつぶやいた。


 重いバケツをさげてよろよろと歩き出す。行きはあっというまだったが、帰りはそうはいかなかった。一歩一歩、大地を踏みしめて進んでいかなければならない……得意のジャンプを使うこともできない。水はおもいし、だいいちこぼれてしまう。

どんなに歩いても林の向こうの公園の塔の大きさは同じように見える。いつまでたっても小さいままだ。

からだじゅうから汗がふきだした。だらだら額から流れ落ちる汗が目にはいるので、ときどきバケツをおろして汗をぬぐわなければならなかった。

のどがからからだった。足元のバケツには水がたっぷりと入っている。

いやだめだ……とライムは目をつぶって、水のことは考えないようにして、先を進んだ。でも反対に頭の中は水のことでいっぱいになる。日差しはさらにつよくなっていった。


「ちょっとだけならいいだろう……」

もうろうとしてくる頭で考える。

「ほんの一口……」

(いや、まてまて、やめろ)という心の声があったが、もう勝手に、自然に手がうごいていた。バケツを草原におくと両手ですくって、水を口にふくんだ。とたんにからだじゅうに生気がよみがえった。まさに生き返った、という感じだった。

「うわあ、うめえ!」

ライムはさらに黄緑色の手を、きよらかに澄んだ水の中につっこんだ。

どんどん続けて飲んでしまいそうだった。でもそこで頭を強く左右にふった。

「だめだ、だめだ、これはドルアにかける大切な水なんだ」

目をぎゅっとつぶって、両手を水から引き出した。そしてバケツのとってをぐいと、しっかりつかむと、再び、草原をあるきはじめた。草が足をくすぐっていった。脚に、いや体全体に力がみなぎる。はかけだした。水はこぼれなかった。ライムは自分でもびっくりするような軽やかさとスピードで公園に向かってかけつづけた。

ドルアの巨大な姿はすぐにみつかった。公園を出たところの街中で、低くうなる呪文が地響きのように伝わってくる。

あたりには猛烈なにおいと、青紫だったり、赤紫だったりする霧が漂っている。ライムはあわててバケツをおろし、両腕で鼻や口をおおった。


ちかづいてよくみると、鳥肌がたった。ドルアの上半身にはもはやほとんど、とげがなかった。とげをぬいたあとなのだろう、からだじゅうの傷あとから青紫だったり、赤紫だったりする霧のようなものがうっすらと出ていた。

ドルアはふとい腕を力なくあげ、巨体をよろよろさせながら、さまよいあるいている。その口から洩れる呪文は、どこか死者のものを思わせた。もはやその目は宙をさまよい、何を見ているのかはわからなかった。

周りの住宅や商店の間で人々は争い続けている。とげだらけの姿で目を血走らせ、お互いにつかみあっている者もいる。お互いのとげが刺さって、悲鳴があがる。モロヘイヤやレンコンがこずきあったりなぐりあったりしている。

ライムはもはやへとへとだったが、両腕のバケツを握りなおすと、口を一文字にひきしめ、ドルアに向かっていった。

ドルアはライムに気がつき、動きを止めるとにごった目でみおろした。

ライムはまけじとにらみかえすと叫んだ。

「魔法はやめろ、おまえ、傷だらけだぞっ」

ドルアは低い、抑揚のない声で言った。

「なんだ、そのバケツは……水が入っているのか。火事は残念ながら起きてないぞ……」

ドルアの赤黒いおおきな顔には表情がなかった。

「たしかに魔法煙が出ているから、火事とまちがえたんだな。相変わらずまぬけなやつだ……」と力なくせせらわらってみせる。

「目をさませ、おれっちはおまえを助けようとしてんだ!」

ドルアのうつろな目をみすえたまま、叫ぶように言った。

「だから火事なんかおこってないから助けなくていいんだよ、おれは火元じゃないんだよ」とドルアは投げやりに言った。

ライムはさらに巨大化したドルアをみあげて、こころのなかでつぶやいた。(やっぱ、これっぽっちの水じゃ足りなかったか……)

「あのさ、じつはこの水はさ……」ライムは自分の表情をやわらげようと努力した。「ただの水じゃなくて……」

ライムは「びっくら水」のことを説明しようとした。

きいているのかいないのか、ドルアはゆっくりからだのむきをかえるとのっしのっしとあるきだした。

「おい、待ってくれっ」

ライムがバケツをかかえようとしたときだった。ドルアはいきなりくるりとふりかえると、かがみこんで、すねのあたりのとげをひきぬいた。

「よせ、やめろっ」とライムは叫んだ。けれど遅かった。

ドルアは上体を起こしたかと思うと、なげつけた。とげはバケツに命中し、衝撃音とともに一瞬にしてバケツは吹っ飛ばされた。バケツの水はぜんぶこぼれて、地面を濡らした。地面からしゅうしゅうと青白いあわい霧のようなものがたちのぼった。

さらにもう一本、太い脚から引き抜いたとげをなげつけ、地面においてあったもう一つのバケツもひっくり返した。

ライムは一滴でもすくいとれないかと地面にはいつくばったが、水はあっというまに地面に吸い取られて消えてしまった。


ライムはあわててふっとばされたバケツを起こしたが、その中には水はまったく残ってなかった。ライムはからのバケツをみつめたまま、固まってしまった。じっとみつめているうちに、そのなかが何か不思議な力で再び水が満たされるのではないか、と思っている自分に気づいた。はっとして顔をあげる。

ライムは大きくとびあがった。ドルアの頭上をくるくる回転しながら飛ぶ。そして真上まで来たとき、自分のおなかをおもいきり強く押した。

口からぴゅーっと、いきおいよく水が飛び出した。

びっくら水は霧状にひろがり、ドルアの巨体にふりかかった。

「なにをしやがるっ」ドルアは両目をおさえるとうずくまった。

「すっぱジュースをかけやがったな」

すると、しゅううというような音がし、ドルアの体から白い、湯気のようなものが立ちのぼった。それは霧のように広がったかと思うと、ゆるやかにうねりながら、ドルアの体を包み込んだ。

 ドルアの体を隠したミルクのような霧はぼおとやわらかい光を宿した。

やがて、光はうすれ、霧はうすくなってどこかへ静かに流れ去った。

 ドルアの姿があらわれた。目をつぶりしずかにうずくまっている。

それを見て、ライムはあっと声をあげた。

「と、とげが戻っている。」

肩にも、腕にも、胸にも、全身にあわい栗色のとげがはえていた。からだも、どす黒いような赤紫色だったのに、つやのある黄色みをおびた優しい色あいになっている。

大きさも元に戻っていた。まがまがしい雰囲気は完全に消えている。

ドルアはゆっくりとした動作で自分のからだを見下ろした。うでのとげにそっとさわってみたりしている。それからあたりを見まわした。

まゆを下げ、自分はどこにいるのだろう、と考えているような様子だった。

 「あんなにちょびっとの水できいたんだ……」

と、ライムはつぶやいた。

「傷が治っただけでなく、とげがぜんぶ生えてくるなんて……さすが、びっくら水だ……」

ほおと感心したみたいな息をつく。

「それとも、おなかのなかですっぱジュースとまざったから効き目が 超パワーアップ倍増したのかな……」

半分、眠っているかのようなおだやかな表情をたたえていたドルアだったが、やがてはっとしたように顔をあげた。

さっと立ちあがると、あらためてあたりをみまわす。町のあちこちで、怪物化し、ののしりあい、つかみあう果物たちの姿があった。怒鳴り声、悲鳴や金切り声が飛び交う。

ドルアは、彼らのほうに向かった。

目を半眼にし、両手をしずかにあげて、何かつぶやきだした。それは呪文のようだったが、さっきのまがまがしく狂暴な調子はなかった。

すると、手のひらから、ミルクみたいなやさしい、やわらかい白い光が出た。さっき、ドルアを包み込んだ光とよく似ていた。光は霧のようにしずかに広がっていく。

光の霧につつまれると、争っていた人たちは動きをとめた。霧が消えると、そこにはきょとんとつったっている果物たちがいた。からだじゅうに生えていたとげはなくなっている。つのやきば、いぼ、こぶみたいなものも消えている。

いったい、何をしていたのだろう、と目をぱちぱちさせて相手を見ている。見たり、不審げにあたりを見渡したりした。

乳白色の霧はどこまでもひろがっていき、すべての争ったり逃げ惑ってたりする人たちをもとにもどした。

怒声や悲鳴はまったく消え、おたがいにあやまったり、いたわりあったりする声や姿で満たされた。

やがて町から喧噪がきえ、静けさに満たされた。

やがて、ドルアは公園広場に戻ってきて、ライムの前にどっかとあぐらをかいた。あっけにとられてつったっていたライムもつられたように芝の上に腰をおろした。


やがて町から喧噪がきえ、静けさに満たされた。

やがて、ドルアは公園広場に戻ってきて、ライムの前にどっかとあぐらをかいた。あっけにとられてつったっていたライムもつられたように芝の上に腰をおろした。

「お前も魔法が使えるのかい?」

しずかな、穏やかな声で聞く。

ライムは首を横にふった。

そして、偶然、泉を発見して、そこに浸かったら自分のからだじゅうの傷がたちどころに治ったことを話した。

ふうん、とドルアはうなずいた。

「不思議な水だな……」つぶやくように言う。

さっきまでの荒れ狂っていた果物と同じ果物とはとても思えなかった。

「ま、腹んなかで、おれっちのすっぱジュースと混ざったから魔法みたいな力が出たんだろうけどな」

と得意げにライムは言った。

ドルアはほほえんだ。


 いつのまに、二人のまわりには、フルーツェンの住民たちがあつまっていた。みな芝生の上で体育ずわりや、あぐらなど思い思いの恰好をして座っている。野菜レスラーたちもいた。さとじいとさとじはもちろん、ライムのそばにいた。

柔らかい日ざしが一面にひろがる芝生をあわく照らしていた。


「おれたちは悪魔のフルーツと呼ばれてきた……ずっと昔からな……」

さっき、ドルアの放った白い霧につつまれたひとたちは不思議と澄んだ目をして、しずかにドルアの話に耳をすます。

「おれたち一族は、うっぷん晴らしのはけ口として使われてきたんだ。災害、飢饉、戦争……みんなおれたちのせいだとされた。おれたちがそれらをひきおこす魔法をかけたとな……」

 ドルアは口をゆがませて、笑い顔のようなものをみせた。

「おれたちにそんな魔力があるわけがない。だいたい、なんでそんなことをする必要がある。なんの得があるんだ……」


そして、われわれはある村で襲われた。すべての不幸をつくりだす悪魔のフルーツの家族を襲撃というわけだ。おれたちが寝静まっていた夜中に、「悪魔よ消えよ、悪魔よ消えよ……」と取りつかれたように繰り返しながら……村のやつらはやってきた。手に手にかまやすき、なたなんかをもって……家には火をつけられた……。

幸い、眠りの浅いうちのばあちゃんが直前にかんづいて、襲撃のやつらが来る前に家族全員、逃げ出したがな……。

別の町や村に行っても同じことだった。「悪魔のフルーツ」ということばは知れ渡っていて、どこにいても俺たちは憎まれ、恐れられ、追われた……。

そうやっておれたちは町から町、村から村へと旅の暮らしを続けた。そうするしかなかった。どこへ行ってもよそ者なので、よけい疎んじられた……。


そして、俺たち家族はこのフルーツェンに流れついた。そして日の当たらない谷の底近くでひっそりと暮らしていた。暗くて寒くじめじめしたところさ……」

ドルアは口をゆがめて皮肉な笑みを浮かべた。

「おれたちは本来、温かくて、日のさんさんと降り注ぐところで暮らすものだがな……」

「まあ、南国の果物、フルーツだからな……」とドリアを囲んだフルーツの一人が言った。

「……それはともかく、とくに何事もなく日々が過ぎた……。町に行くと、うさんくさげな眼で見られたものの、騒がれたり、襲われたりするうなことはなかった。ここではうまくやっていけるのではないかと思った。だがそれは幻想にすぎなかった。」

「だが、ある日のことだった。それは突然、起こった……」

ドルアの声は低くなり、暗さを増した。

 「最初、俺たちは町のその異変に気づかなかった……」

ドルアはやや視線をあげて、遠くを見やるような目つきをした。

 「やはり、そのときも異変に気付いたのは、じいちゃんだった……」

その声には、どこかなつかしさのようなものがにじみでていた。

「町から妙なにおいが漂ってくる、というのだ……町から離れた谷底にいてもその匂いに気づいたのは、じいちゃんの魔力のおかげだ……」。

 一息ついたあと、またドルアは淡々と話し続ける。

「どこかあまずっぱいにおい……。だが、それは腐ったような、なんとも不快なものが含まれていた……

町にちかづくにつれ、その匂いは強くなる。

 そして町に入ると、とんでもないことになっていた。

どんよりと暗かった。まるで夜に入りかけた時間みたいだ……

天気のいい日が多いフルーツェンにしたら異例のことだ。

一面が黒い霧におおわれていた。

そしてなにか得体のしれない、悲鳴のような声が聞こえてきた。怒号のようなものも交じっている。町の中央部のほうからだ。

おれたち家族はいそいでそっちにむかった。

進んでいくにつれ黒い霧が濃く、深くなっていった。

霧はまるで生き物のようにつめたくぬめぬめとからだにまとわりついてくる。それに覆われるにつれ、なにかいらいらとし、どこか不安は気持ちにおそわれた……

「この霧をすうな、息を止めろ」ととうさんは、緊迫した声をあげた。そして両手を静かに上げると何やら呪文をとなえた。かあさんも、じいちゃん、ばあちゃんも立ち止まり同じことをした。

そしておれはすぐに、みなが呪文をかけだした理由を知った。


町のひとびとは化け物になり、お互いに争っていた。

メロンからは無数のつるがはえ、それがぐねぐねと動いている。よく見たらそれはみな黄緑色の蛇だった。柿が蛇にまきつかれ、悲鳴をあげている。だがその柿もまた、口が耳までさけ、するどい牙がずらりと並んでいた。町のあちこちで「バケモノめーっ!」「消え失せろーっ!」などと叫びながら、つかみあい、殴り合う怪物の姿があった。

とうさんは「黒い霧は魔法の霧だ。これをすいこんだがために、怪物になったのだ」と叫ぶように言った。

 ブドウはつぶのひと粒ひとつぶが目玉になり、それがむぎゅむぎゅという感じの不気味な音とともに際限もなく増え続けている。膨らんだふさはついに破裂した風船みたいにはじけ、無数の目玉がそこらに飛び散った。目玉は地面をころがりながら、ぎょろぎょろとあたりを見まわす。

そしてどんよりと黒ずんだ空には、ドラゴンフルーツが十数匹、飛びまわっていた。するどいきばのならぶ口をあけて、真っ赤な炎をはきながら、ばっさばさとなにか不穏なつばさのはばたく音をにぶくひびかせていた。

真っ赤にふくれあがり、全身から、だらだらと血を流しているようにみえるイチゴとか、〇がいた。ふらふらとそのあたりを漂うように、ふらつきながら歩いていた。

「おれはその光景をみて、わなわな震え、座り込んだ。いまでもときおり、そのときの光景を夢にみる……

「おい、ひきかえすぞっ」

とうさんはどなった。

「いつまでこの防御魔法がもつかわからん、この霧をすいこんだら、おれたちも怪物になってしまうっ」

そして俺たち家族は、回れ右をすると、走って帰り道についた。

苦しみもがいている果物たちを放置しておくのは気の毒だったが、自分たちが怪物になってしまったら、助けられるものも助けられない。おれたちはあともふりかえらずただ走っ走ってにげた。

「なんだって」とドライフルーツのいちじくじいさんが口をはさんだ。

「町の人々を怪物にする魔法をかけたのは、おまえらドリアン一族じゃなかったのか……」

「なんでおれたちがそんなことをしなくちゃならないんだ……」

ドルアは苦笑した。

「われわれではない。第一、そんなことをしていったい何の得があるんだ……」

ドルアはうつむいて、低い声で言った。そしてまた話し始めた。


「……そんなある日、街はずれの丘の上に忽然と光り輝く巨大な樹が現れた。まるで塔のようにまっすぐ、空に突き刺さるようにそびえる樹だった。黒ずんだ雲が渦巻くような空に向かい、それは赤味をおびたにぶい黄金色に輝いていた。高いところにひろが枝や葉もまた黄金色にぼおとかがやき、広がっている。まるで黒い空から降りてくる邪悪なものから人々を守るかのように。

その樹は空から降りてきた、といううわさがひろがった。空の上の神の国からおりてきたのだと……

人々はその樹を天樹塔となづけ神のように崇め奉った。天からつかわされた、ありがたい樹、みたいな意味なんだろう……

その塔のような樹のそばにいくと、その病がおさまるような気がしたからだ……」。


 「いや、気がした、ではない。じっさいに治ったんだ……」とドライフルーツのいちじくじいさんが口をはさんだ。「そのとおりよ、あんなにありがたいことはなかった……」とあんずのドライフルーツばあさんも口をそろえた。


「そのうち、誰かが気がついたんだ……」とドライあんずはしわがれた声をはりあげるようにして言った。

「その樹のそばにいると、症状が治まることに……まあ、ほんのしばらくの間だがな……」

「そう、樹からは、癒しの“気”のようなものが出ていたんだよ……」

ドライいちじくが、なぜか、身を乗り出し声をひそめて言った。

「だが、そのうち、その効果をもっと長引かせる方法が発見された……」

ドライあんずはもったいぶって、みなの顔を見渡した。

「そのとおり……」といってから一呼吸おいて、ドライいちじくが話し出した。

「誰かが、感謝のしるしに、樹の根元に、貢物をおいたんだ。すると……効果はあらたかになった……」

「幹から出てくる気の量は増え、力強くなり……」とおちくぼんだ目にあやしげな光をたたえ、ドライあんずが続けた。

「そう、最初のその人は、どうやって感謝を伝えたらよいかわからなかった。その樹の神さまは、何も語らず、めったに姿をお現しにならなかったからな……」


「翌日になると、その貢物は消えていた。まるで樹木に吸い込まれるように……そして、病にかかった人たちはこぞって、樹の根元に争うように貢物をおくようになった。」


「そう、ぼくもあのときの感触はよく覚えている……」

ドライあんずはうっとりと目を閉じる。

あまずっぱいかんきつ系の香りとともに幹や枝葉から“気”が漂い出て、ぼくをつつみこんでくれた……」

 夢でもみているような緩んだ顔つきになる。

「たこみたいな化け物の姿だったおれは徐々にもとの姿に戻っていった……」

 「もちろん、感謝のしるしにさらにお宝を根元に置いたさ。あるだけの金細工、銀細工を。女房のブレスレットやネックレスなんかもみんなささげたよ。」



「すると、樹から出る癒しの気は一段と強くなり、たこみたいな触手はさらに減っていった。」


「それでとうとう、すっかりもとのイケメンに戻れたというわけだ……」

「あたしもべっぴんさんに……」といって二人はしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。

町長はそのことをみなに伝え、新聞や雑誌にものり、みな競うように、より豪華な貢物を供えるようになった。

 樹の下には宝石、金貨や宝飾品などがうずたかく積み上げられた。キンカーン様は神の力で、だれがどれほどの財宝を貢いだか、ちゃんと把握されていた。財宝の価値によって癒しの気の量はきっちり決まっていた。

 「そう、あたしもいっしょうけんめい、町長の話をきいたり、ベジタイムズを読んだりして勉強したわ……」

そして思い出すみたいに、うーんとうなった。人差し指をぴんとたてて唇のはしにあてている。

「ほら、ちゃーんと思い出した。ぜんぜんぼけてなーい」

とはしゃいだような声をあげる。

「お宝は命の樹に吸い込まれ、癒しの気に変わる……」

目をつぶって(何かを)暗唱するみたいに話しはじめる。

「財宝を供出(きょうしゅつ)するということは、身を切られるほどつらいこと。貧しき者にとってはなおさらのこと……しかし、だからこそ、効験あらたかなの。苦しい生活のなかで財産を差し出す心が、キンカーン様の心を動かし、も命をけずって癒しの気を絞りだしてくださるの……」(町長はなぜ感染しないのか。メディアの人も……)

と一気にいうとにっこりした。しわをさらにふかくしてにっこりする がさらに、なおさら深くなる。

ドライあんずが話をひきとって話し出した。

「そう、キンカーン様にとって、“気”を出すのは大変な消耗を伴う。それでも、みなの気持ちにこたえて、御身(おんみ)をすり減らしてまで〇の樹に“気”を吹き込んでくださったのだ……」

そのときのことを思い出したのか、ドライあんずは鼻をすすってうつむいた。

「でも……」と急に悲し気な顔になってドライイチジクが口を開いた。

「ものごとはそう簡単にはいかなかった……」

みな、ゆるみつつあった顔をひきしめて、彼女に目を向けた。

「キンカーン様が癒しの気を出してくださった一方、黒い霧のほうも、それ以上に濃く、強くなっていったの……」

「そうだな、怪物になる人の数は残念ながらさらにふえていった……。怪物はより醜く、より狂暴に、より強力になっていった……」とドライあんずも低く抑揚のない声で言った。

 「みな、前にもまして、競(きそ)いあって高価な貢物をささげるようになった。でもよほどの金持ちでもない限り、財産は尽きるものだ。みな、貢物を買うため、必死に働いた。だが、それでも追いつくものではなかった。なかには体をこわして、もう二度と働けなくなった者もいた……」

ドライあんずは表情のない顔で続けた。

「ついには、貢物を手に入れるために、店や他人の家から盗んだり、暴力で財産を奪う、という者も出始めたんんだ……。そのため争いはさらにひどくなっていった……」。


キンカーンは、まず、ひっそりと目立たないように、フルーツェンに入った。なにしろやつは小さいからな、変装でもしていたんだろう。誰にも知られずに、その仕掛けをほどこすことができた。

 やつはたくさんの「魔キンカン」の種を町のあちこちに埋めたのだ。

埋めこまれた種は芽は出さずに、地下にものすごいいきおいで、黒い根を張り巡らせる。数日のうちにその黒い根は土の中で網の目のように町じゅうに広がっていた。

無数ともいえる根の先端は、地面からほんのわずかに顔を出し、そこから、呪いの霧をうっすらと出していたのだ。それは空中で集まり、黒い霧へと変化していった。一本の根から出る霧はごくわずかだったから、誰も地面から、そして根っこからその魔の霧が出ていることには気づかなかった。

 そして黒い霧につつまれた人は、次々に怪物に変化していった。

そして、そのあとに奇跡の樹の登場だ。キンカーンは別の魔法の種を丘の上に埋める。それは芽を出し、すごい勢いで成長し、空をつく高さへと伸びる。その太い幹やひろがる黄金色の葉からは、貢物の大小によって、強かったり、弱かったりする癒しの気が出る、

それは黒い霧によって怪物になった者たちを元に戻す。どんな医者や、祈祷師でも治せなかった病を……。

つまり、根からは化け物をつくる魔の霧を、幹や枝葉からは、それをいやす気を同時に出していたというわけだ。

自分で不幸をばらまいておいて、それを自分で解決して大金を稼いでいたんだよ……。

やつは、この手であちこちの町をわたりあるき、財宝を築き上げてきた。その町の財宝を食いつくしてはほかの町に……というふうにな……

「そんなばかな……」「きっとうそよ……」とドライアンズとイチジクはいったが、その声に力はなかった。


われわれは町に向かった。キンカーンは、財宝をむさぼることに夢中で、しずかに忍び寄るわれわれには気がついていないようだった。

おれたち家族は太陽の塔をかこむと、手のひらを向けた。子供だったおれももちろんそうした。

そして、力を合わせて、大木にかかった魔法を解く魔法をかけた。

とうさんは以前にすいこんできた呪いの霧を調べていたからな。それに対抗する魔法の呪文もあみだしていた。

すると、われわれの魔力で塔は姿をかえはじめた。ぼおと鈍い光沢を放つ黄金色はみるみるあせていき、腐った古木みたいなどす黒い姿が現れた。こぶがあちこちに出、ごつごつとねじくれた不気味な姿。

おれたちはなおも、意識を最大限に集中して、魔法の波を送り続けた。

あまずっぱい匂いは次第に腐敗臭に変わっていった。どす黒い樹皮はボロボロと落ちていく。

しかし、それからのキンカーンの判断は早かった。

半分、崩れ落ちた大樹は上に伸び始めたようにみえた。それはまるでロケットのように空にむかい飛び立ったのだ。ところどころにあいたうろから、財宝がぽろぽろと零れ落ちた。

大樹はあっというまに空のかなたにきえた。……

それからキンカーンが戻ってくることはなかった。おれは、やつがおれたちの魔法力におびえたからだと思っている。……

われわれはキンカーンを倒すことができて、ほっとしていた。

これでもう白い目でみられなくてすむ、それどころか、明日から英雄扱いされるんじゃないか……とこどもだったおれは思った。

「ところが、つぎの日の新聞にのった記事はこうだった……」。深いため息をついたあと、ドルアは再び話しはじめた。

「写真つきで、塔を囲んでいるわれわれの写真がのっていた。まさか、あのとき、誰かに写真を取られているとは思わなかったよ……。見出しはこうだ、

「悪魔のフルーツ、救世主を追い出す」

「まさか、あいつら、そこまでの忠誠心があるとはな。よっぽどひどい脅され方をしたんだろう……」

とドルアはあきれたような声を出した。

そしてあたりを見回す。

「やっぱりいないか。どこかに逃げたんだろう。パイナとレタースンは。……」

「パイナ町長がどうした。町長はおまえたちをたおした英雄だぞ」とドライあんずが言った。

「おまえ、いったいおれの話を聞いていたのか……」

ドルアはあきれたように言って、ドライあんずに目をむけた。ドライあんずはおもわず、といった感じで、うつむいた。

「まあ、いいか……とにかく……」

ドルアはため息まじりに話し続ける。

「パイナは声を大にして、“キンカーン様”をおれたち家族が邪悪な魔術で追いやったことを非難し、レタースンもその内容を大々的に記事にした……」。

きっと、またご主人であるキンカーンが戻ってくると思っていたんだろうな……。

パイナをしめつけて聞き出したから知っている……あいつは町のトップ(責任者)として、キンカーンに近づいたんだ。自分が悪夢のような事態をなんともできないでいるのに、キンカーンは町を部分的にせよ、救っているんだからな……

パイナはこともあろうに、その手柄を横取りしようとした。この町にいることをゆるして、いろいろ便宜(べんぎ)をはかってやるかわりに。その癒しの気はパイナの命令によって出している、ことにしろとな……

まったくばかなやつだよ。あいつは逆に脅されて。キンカーンの手下にされた。パイナの悪友であるレタースンもひきこまれた。

パイナとレタースンはぐるになって、それぞれキンカーンの手下となって彼の悪事に協力していたんだ。

キンカーンの秘密を彼らが知ったからといって、キンカーンにとってなんでもなかった。きっと、ばらしたらひどい目にあうぞなどと脅して、二人にいうことを聞かせたのだろう。

ふたりは忠実だった。パイナは町のひとびとに、キンカーン様にお布施をするよう話し、レタースン編集長はそのことを熱心に自分の媒体(ばいたい)にのせて宣伝した……。」

 ドライフルーツをはじめ、皆、驚いたように声もなく、ドルアの話に耳を傾けていた。


「だいたい、やつが去ってからは、誰も魔物になることはなかったんだから、キンカーンの仕業だったことは 誰の目にも明らかだったはずなんだが……」

 とドルアは皮肉まじりのため息をついた。

「そ、そんなことはない。キンカーン様は去るまぎわに、すべての癒しの気を放ったのだ。永久に効果があるほどの強烈な気をな。自分の命とひきかえといえるほどのなっ」

とドライイチジクはいったが、その声にはそれほどの自信は感じられなかった。


「だいたい、こういったことが真実の話だ……」と、話し終えたのか、ドルアは深いため息をついた。

「まあ、そうはいっても信じないだろうがな、おれの言うことなど……」

沈黙が広がった。

ぽかんとした表情だったライムだが、やがて口を開いた。

「じゃあ、おれっちとつきあってくれていたのは、ドルアだったということか……ほんものの町長じゃなくて……」

ライムはぽかんとした顔つきで、ドルアをみた。

「けっこうやさしくしてくれていたよな……」

「ああ」とドルアは穏やかな表情でしずかにうなずいた。「おまえは、おれとどこか似てたからな…」 

「じゃ、なんでライッチにひどいことしたんだよ」とさとちがドルアをにらんだ。

「おまえ、野菜村で人気者になっていったろう……」とドルアは力ない口調でライムに顔を向ける。「おれから離れていくような気がしたんだ……」と付け加える。

「おれだけおいていかれるような……ひとりぽっちになるような……」

ドルアは深くため息をついた。

「われながら、まったく勝手だよな…それにこどもじみている……どうかしていたんだ、」おれは…」


ドルアはゆっくりと立ち上がった。


向かっている先がぼんだ山だと、ライムは気づいた。

ライムはドルアの背中に向かって声をかけた。

「おまえはフルーツだぞ。ここがおまえの町だろう」

ドルアは大きな背中を向けたまま足を止めた。



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フルーツェン&ベジッタ 「ジャンピングライムと天樹塔」 @aranda

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