すずちゃんのヘルプデスク事件簿 短編1

よつば

プロローグ

 ――なんとか、今月の入社オリエンテーションも無事に終わった。


 安堵した表情で阿部鈴音あべすずねはセミナールームを退出すると、かつての所属先だった人事部のきしがすかさず声をかけてきた。

「すずちゃん、ヘルプデスクに異動してから半年経つけど、どう?」

「慣れたも何も、毎日がヘトヘトで大変ですよ。昨日も夜遅くまで最終チェックをしていましたし」

 事実、貸与するノートパソコンやスマートフォンのチェックをしていた。数多くのチェック項目を元に一つずつ確認してたら遅くなってしまったのだ。それに加えて、オリエンテーション担当としての準備もあった。デスクには未だにエナジードリンクの缶が二本転がっている。

「でも、大丈夫。いいヘルプデスクになれるって」

 岸はそう言い残すと、手を振ってセミナールームへ戻っていった。


 ジャケットを脱ぎながら総務カウンターを突き進み、自席へ戻ると、今度はITシステム戦略部の小田原おだわらからも呼び出された。席へ向かうと、そこには既に左側の髪の毛が少し跳ねている小柄なスーツ姿の男性も立っていた。

「阿部さん、松原まつばらくん、ちょっと聞いてくれる?」

 松原と呼ばれた男性は、空いているデスクから椅子を二脚引き寄せ、阿部に着席を促した。情報システムチームの社員だが、松原大吾だいごのスーツ姿を見るのは初めてだ。

 小田原は手元のノートパソコンを操作し、モニタに一件のメール画面を映し出した。続いて添付されている資料を開いたところ、想定もしていない文面が飛び込んできた。

「フリマサイトからうちのパソコンが届いた、ですか」

 阿部は資料にある取引画面のスクリーンショットを見ながら小田原へ訊ねた。

「うちも長年この仕事しているけど、こういうケースは初めてでね。これ以上はサイトから追うことはできないけれど、今わかっているのは出品者が匿名で京都府、購入者は埼玉県在住。購入者が不審に思って調べたら、大川リースのシールがあったんだと」

 目の前の資料を指さしながら、小田原は二人に向かって説明した。

「それは僕も同じですね」

 すかさず隣で松原が頷く。

「社用パソコンの転売はあまり聞かないな。リスク高いし」

「本当は私がやらなきゃなんだけど、今の仕事が手放せないからこの件について調査して欲しいの、お願い」

 承知いたしました。二人は小田原に一礼した後、椅子をそれぞれ元通りに戻した。


「ところで、松原さんも今日はスーツなんですか」

「あ、この後、監査法人とのミーティングがあって。珍しい?」

 普段はワイシャツにジーンズかチノパン姿だから、とは言わなかった。

「あと、左側の毛が少し跳ねていますよ。ワックス持っていますか?」

「え、本当?」

 慌てて松原は手で髪の毛を抑えたものの、再び元通りになってしまった。

「厄介ごとに巻き込まれちゃったけど……。とりあえず、よろしくね。あと、これも」

 松原は照れ隠しができないまま手持ちのチョコレートを一粒差し出すと、そそくさとその場を去ってしまった。

 入社オリエンテーションの次は、フリマサイトで購入された自社パソコンの調査か。松原から貰ったチョコレートを味わいながら、阿部はその場で天井を見上げてため息をついた。

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