ドーリー・ユー

夕凪 倫

第1話

旦那様が、小さい女奴隷を買ってこられた。

奥方様とご子女様を亡くされてから、随分引きこもっておられたが、突然街に繰り出したかと思うと、こうだ。

侍従たちが少し不審がっている。


「旦那様…そちらは…?」

「ああ、買った。唯一子どもだったからな」

「左様でございますか…」


求めていた返答とは違ったが、それ以上追求する気も起こらなかったようで、侍従は下がった。


「ヴァレット」

「はい」

「お前、確か服作りが得意だったな」

「はい、一応、趣味程度に…」

「此奴の服を作ってくれないか」

「それは、ええと、ランジェリーのような…?」

「いいや違う。貴族用の、ドレスやネグリジェや燕尾服だ」


俺はそれを飲み込めないまま、とりあえずの返事をした。


「かしこまりました。しかし材料がなくて」

「では明日市場で買ってくると良い。上等な布を使うようにしてくれ。儂はもう寝る」


俺たちの予想とは裏腹に、女奴隷は置いていかれた。

性奴隷ではないのか…?

とりあえず服を作るには採寸をしないといけないため、俺は女奴隷の手を引いて自室に戻った。


「お前、名前は」

「……」

「話せないのか?」

「……」

「言葉が分かんないんだろうよ」


同室ルームメイトのジェロニーがそう言いながら入ってきた。


「北の王国、ルーシティ出身だろうな。肌も髪もまつ毛も白い。最近の戦争に負けて、王は処刑、他の王族は亡命だ。あらかた、そこの上流貴族だろう。髪も肌も綺麗だし肉付きもいい」

「お前、気持ち悪いなあ」

「はあ。人物鑑定に長けているとこういうやつが現れるんだ。お前だって服作りのためにエルネット様やフレジア様の体をベタベタ触ってたんだろ」

「女性の採寸はすべて侍女にさせていた。こいつは奴隷だから別だ」


俺は改めて女奴隷をよく見た。

確かに敗戦国出身にしては肉付きがいい。

それに、顔が整っている。

北の顔といったところだ。

年齢はまだ十にもなっていないだろう。

無表情にどこか一点を見つめている。

俺は自分の机からメジャーとメモ帳を取り出した。

とんとん、と肩を叩き、服を脱ぐジェスチャーをした。


「お前が脱げばいいんじゃねえか?」

「馬鹿だろ。ヤるとでも思われてえのか」


そう言いながら手を伸ばすと、乱暴でもすると思われたのか警戒された。

少し考えて、メモ帳に作りかけの服と糸付きの針、その隣に人間と服を描いた。


「んだこれ。パチンコか?」

「針だよ、馬鹿」


もう一度肩を叩き、紙を見せたあと女奴隷を指さした。

理解ができたようで、縦に何度か頷いた後、服に手をかけた。

下着は付けていなかった。

その貧相な体躯にメジャーを回し、測った。

数字を読み上げながら記録していく。

すべての記録が終わってから、服を渡した。


「明日は市場に行くんだろう。上等な布なら朝早くに行って予約して夕方に取りに行くのが一番いい。早く寝とかないと知らないぞ」

「ああ、もう寝るよ。ところで、こいつはどこで寝るんだ?」

「あ、確かに。旦那様、何も仰らなかったな。俺たちもてっきり旦那様と同衾するのだとばかり思っていたから…」


さすがに男二人の部屋で一緒に寝るのは気が引けるだろうと思い部屋の外に出ると、まだ仕事が終わっていない侍女がちょうど通りかかった。


「一緒に、ですか?すみません、ベッドが足りなくて…、ああ、ちょうど空いている部屋がございますから、そちらで寝てもらいましょう。それより、聞きましたか」

「何をでしょう」

「旦那様がこの子を買った理由ですよ」

「聞いていませんが、あまりこの子の前で話すのは、どうでしょう」


「では後で」と言われて、彼女は女奴隷を連れて空き部屋に行った。

何やら理由があるらしい。

侍女が噂をしたがるということは、性処理以外の理由だろう。

まさか、再婚…?

いや、奴隷と結婚する貴族なんて聞いたことがない。

絶対に違う。

悶々と考えていると、先程の侍女がまた戻ってきた。


「それで、さっきの話の続きなのですが」


彼女が耳に口を近づけたので、俺もそれに従って屈んだ。


「お人形として育てられるようで」

「…は?お人形?」

「ええ、フレジア様が持っておられたお人形、あれに似ていたから、と…」

「フレジア様の代わりではなく、フレジア様の人形の代わりってことですか?旦那様はご乱心なのでしょうか」

「私には分かりません…」


そういえば、耳をお悪くされていたフレジア様はよく侍女と人形遊びをしていた。

言葉のいらない、フレジア様が見ていたままの飯事ままごとだ。

フレジア様が好んで使っていた人形は、確かに女奴隷に似た、全体的に白い人形だった。

目や頬や服の彩色が褪せる度、侍女が丁寧に塗り直していた。

フレジア様の声は、聞いたことがなかった。

ゆっくり、大きく話すと聞こえたようで、一方通行の意思疎通ならできていた。

俺たちのような下人の問いにもにこやかに微笑まれていた。

…ご両親によく似て、優しいお方だった。

母娘でお忍びでお出かけなさった時、奸賊に襲われた。

人形の服の装飾のエメラルドや、エルネット様の純金のネックレスが目当てらしかった。

太平だと思われていた西の国での出来事だった。

ボディガードも付けずに、ひとつの辻馬車で行かれたからだろう。

その場に居合わせたメイドも従者も即死だった。

大きな声を出せないフレジア様が助けを求めて少しその場を動いていた様子が確認できた。

お優しかった旦那様も、その日から人が変わったように自室に篭ってしまった。

あの女奴隷が旦那様が変わる契機になるなら…。


翌朝起きて、ひとりで市場へ行こうとすると、玄関前で旦那様にお会いした。


「もう行くのか。もっとゆっくりでもいい気がするが」

「ジェロニーに、市場で上等な布を買うには朝早くに予約をしないとその日中には貰えないと教えられましたので。予約だけですから、彼女は連れなくても良いと思ったのですが、どうされますか」

「そうか。ジェロニーは市場の魚屋うおやの出だったな。助かった。似合う布を探すためだ。彼奴も連れてゆこう。それと金だが、生憎儂には相場が分からんくてな。儂が直々に出そう。着いて行ってもよいだろうか」

「ええ、勿論です。どのくらい服を作るかもお聞きしたかったところでございます故」

「どこに寝ておるのだ。儂は昨日彼奴の寝る場を指定しておらんかっただろう」

「侍女のメアリが空き部屋を軽く掃除して連れて行ってくれました。元は最近まで他の侍女が使っていた部屋であったので、服は少しなら残っていましたし、箪笥やドレッサーも」

「ここは…ルイサンの使っていた部屋だったな」

「旦那様!はい、ルイサンが病を患い、故郷に一時帰宅してから空いておりましたので、勝手に入れましたが、駄目でしたでしょうか。そうであれば、ひとり同部屋のいない侍女のおりますので、その部屋に…」

「いや、よい。ルイサンは元気か?」

「はい。病状も大分落ち着いて、このまま回復すれば一年内には屋敷に戻れそうだと、文に書いてございました」

「そうか。心より待っておると伝えてくれ」

「かしこまりました。ルイサンもきっと喜びます」


そういいながら扉をノックして開けると、女奴隷は部屋にあったブラシで長い髪を梳いていた。

鏡に夢中なようで、開いた扉に気づいていない。


「おはよう。起きていたな。市場に行くぞ」


旦那様が話しかけながら近づくと、女奴隷も気づいたようで、顔を上げた。

後ろから様子が気になって着いてきていたらしいジェロニーが恭しく言った。


「旦那様、お言葉ですが、女奴隷のその服だと、仕立て屋に入れないかもしれません」

「確かに襤褸を着ておるな。拵えてもらうまでいいと思ったが、何か着せよう」

「私の処分していない昔の服がございますが如何なさいますか」

「それでよいだろう。貰ってもよいか」

「勿論でございます。すぐにお持ちいたします」


しゃなりとした服を着た女奴隷は見物だった。

ドレスが細い体をよく引き立てている。


「旦那様、宜しければこの子の御髪を整えても?」

「時間はまだ大丈夫か」

の刻までに予約をすれば間に合うと存じます」

「では頼もう」


人形として育てると言った言葉通り、旦那様は少女が自分の隣を歩くのに相応しい見た目になるのを望んでいるというよりは、少女の変化を楽しんでいるようだった。

部屋の中から侍女たちの楽しそうな声が聞こえた。

色々な装飾品を試されているらしい。

結局、ラピスラズリの髪飾りだけを付けられ、少女は疲れた様子で部屋から出てきた。


「そろそろ行こうか。道案内でジェロニーも来てくれると助かる」

「呼んできます」


二人を馬車に乗せ、俺とジェロニーで従者席に座った。

朝の空気は冷たく乾いていた。

風で目を覚ますつもりで馬を走らせた。

馬車を市場の近くの道に停め、そこにいた衛兵に馬車の番を頼んだ。


「賑わっておるな」

「もうすぐ収穫祭だからでしょう。みな準備に勤しんでおります」

「そうか、もうそんな時期か…。エルネットとフレジアがいなくなったのもこのくらいだったな…」


流石のジェロニーも黙ってしまった。

無言で歩いていると、ジェロニーが「あ」と声を上げた。

肉屋から男が手を振っている


「誰だ?」

「私の古い友人です」

「ジェロニー!久しいな!」

「業務中だ、後でな」

「よいよい、話してきなさい」

「ですが、旦那様…」

「もう数年も会っていないんだろう?積もる話もある。ここまでの道案内で結構だ。後で会おう」


肉屋から少し歩いたところに仕立て屋はあった。

小綺麗な外装だ。


「領主様!何故このような早朝に…。おい、何かお召し物の予約はあったか」

「布を買いに来た」

「布、でございますか?確かに品は揃えておりますが、ここは女物の布だけで、牛革などはございませんが…」

「いや、十分だ。此奴の服を作りたくてな」

「ほう…美しいお方ですな。かしこまりました。こちらです」

「おお…上等ですね。このレースはアンヴァロン産ですか?」

「ええ、こちらはミミコ産です」

「旦那様、ご予算はお幾らでしょう」

「そうだな…金貨五十枚程度でどうだ?」

「それでしたらまあまあな量が買えるかと」


そう言いながら、数種類の布を一定のサイズ予約し、午から未の刻には切り終えるだろうと言われ、店を出た。

来た道を戻っていると、少女がひとつの露店に興味を示した。

綺麗なハンカチーフやイヤリングなど雑貨が売ってある。


「欲しいのか?」

「…」


少女は刺繍の入ったハンカチーフを俺の元まで持ってきて、袖を引っ張って店員のところまで連れて行った。


「欲しいみたいだな。さっきの残金があるだろう。買ってやってくれ」

「お、お嬢ちゃんお目が高いね。それはルーシティ王国の名産の刺繍だよ。この金糸はルーシティならではの色だからねえ。銀貨二枚だよ」

「高すぎるな。銅貨六枚だ」

「お兄さん、いくら領主様と一緒だからっていけないよ。商売あがったりさ。銀貨一枚と銅貨六枚」

「ここのほつれがあってもか?」

「まったく、観察眼が鋭くて困るよ。銅貨九枚だ」


「ほらよ」と手渡されたものをそのまま少女に渡した。

少女は嬉しそうに笑って、ハンカチーフを大事そうに抱えた。

肉屋の前では二人が楽しげに話していた。


「旦那様、こいつがアクセサリーをくれました」

「いいのか?高そうなものも混ざっているが」

「ええ、昨年無事妹が成人しまして、子どもじみていて付けられないと言われまして。処分に困っていたところだったので」

「そうか。ではありがたくいただこう。妹君にも伝えといてくれ」

「妹も喜びます。しかし、ジェロニーが屋敷仕えとはな…」

「弟の学費を稼ぐまでのつもりだったんだがな。結局ずっといることになりそうだ」

魚屋うおやはもうしないのか」

「俺は仕入れとか分かんないからな」

「手伝ってたんじゃないのか」

「ガキの頃だ。もう覚えちゃいないよ、買い付けてた場所も物も。教えてくれる人ももう居やしない」

「そうか…」

「そうしんみりするなよ!旦那様のおかげで俺も弟も生きていけてるんだ。死んでないんだよ」


馬車に戻ると、子どもたちが馬車に花を挿して遊んでいた。

母親と思われる人が走ってやってきた。


「ちょっと!な、何してるのよ、すみません、領主様、あの、本当に、これは」

「綺麗だな。売り物か?」

「え、ええ。売らせていたのですが、買う人も居らず…、暇になっていたみたいで、本当に…」

「幾らだ」

「え、五本で銅貨一枚でございます」

「なら五十本貰おう」

「えっ!?で、ですが、こんな端花はしたばな…」

「妻と娘に供える。民が丹精込めて育てた花なら、例え端花はしたばなであろうと喜ぶだろう」

「あ、ありがとうございます!」


五十本なら銅貨十枚、つまり銀貨一枚だ。

俺は母親に銀貨一枚を払った。

旦那様は貰った一本を子どもの髪に挿した。


「馬車よりこっちの方が似合うだろう」


花を取り除いて、それは無料で貰えたので、侍従たちに一部屋一本ずつ置くことにされたようだ。

馬車に乗り込むと、旦那様が俺たちに話しかけた。

風に負けないように少し声を張られた。


「儂は一年も引きこもっておったのだな。しかし民はこんな儂にも優しかったな」

「きっと旦那様の優しさが反射しているのですよ」

「ふ、ヴァレットまで諂うようになったか」

「諂いじゃないですよ。でないとルイサンも、手紙にまたここで働きたいだなんて書きません」

「そうだ、ルイサンは確か療養中に地方の小豪族から求婚されたけど断ったなんて手紙に書いてたな…」

「ラール卿だろう?」

「旦那様もご存知でしたか」

「侍女たちが噂しておった。儂も彼奴との婚約は反対だ。性格が気苦しい」


ジェロニーが大きな声で笑った。

屋敷に着くと、旦那様は俺に屋敷案内を命じた。

少女が生活するには知らないと不便だろう、ということだ。

まず一番近かった庭園に出た。


「ここが庭園だな。最近では庭師がトピアリーを整えているが、前は旦那様もされていた」


少女はそのトピアリー群のひとつを指さし、首を傾げた。


「ああ、犬だよ。新人の庭師にさせたら鶏になってしまったと旦那様は笑われていた」

「み、う?」

「お前、喋れるのか…。確かに人形とは言っても、旦那様は同衾しない妾のような立場にされるおつもりだろう、言葉は必要だ…。俺が教えよう。い、ぬ、だ」

「じ、る」

「い、ぬ!」

「し!ぬ!」

「物騒だな…。あと一回で覚えろよ。い、ぬ」

「じぬ!」

「うん、もう正解だ」


次に屋敷の東棟、西棟と回ったが、その中で犬らしきものを見る度に「じぬ!」と指さした。


「ありゃあ猫だよ。見たことないのか?」

「めの」

「ああ、猫だ。あれは兎だ」

「うたち」

「言葉を教えられてるのですか?」

「ええ。ですが発音が難しいようで」

「では人形ドールさん、こちらはなんでしょう」


メアリが手で影絵の犬を作り、ゆっくり大きく話しかけた。

フレジア様とよくしていた遊びだ。

影絵を見てフレジア様が影から他の動物を連想して形に合わせて描くという遊びだ。

人形ドールは首を傾げた。

影絵なんていう文化はないらしかった。


「こちらは犬でございます。見ていてくださいね。ここに写すと…、わんわんっ、如何でございますか?」

「じぬ!」


人形ドールは楽しそうに笑って、メアリの袖をくいくいと引っ張った。


「次でございますか?ではこれはなんでしょう」

「じぬ!」

「ふふ、そのような見方もいいと思いますが、こちらは鷹でございます」

「にゃ、ちゃ、ちゃりゃ」


夜は夜なべして服を作った。

ジェロニーに眩しいと言われても、布で足の置き場がないと言われても、俺は毎夜毎夜作り続けた。


「よくこの短期間で三着も…。寝不足だろう」

「慣れております」

「そうか…ありがとう。早速着せてみよう」

「今流行っているロココ風のドレスです。まだ小さいのでコルセットはつけずに、重ね着もあまりないように…、如何でしょう」

「うん、いいな。こっちに来い」


旦那様は人形ドールを抱き上げると、前まで花瓶が置いてあった主人室の前の台に座らせた。

いや、置いた。


「お前は人形にんぎょうなのだから、ここを動くでない」

「え?ですが、旦那様、こいつは…」

「言っただろう。儂は此奴を人形にんぎょうとして育てると。人形にんぎょうがひとりでに動いてたまるか」

「左様でございますか…」


俺は呆れた。

やはり旦那様はご乱心であったのだ。

だってこいつは人間だ。

言葉を話すし、ひとりで歩く。


「引き続き、衣服を頼んだぞ」

「はい…」


人形ドールは動いたら怒られると学び、次第に動かなくなった。

台の上で肩も揺らさず、瞬きも人の見ている時にはせず、足も全く動かない。

次第に人形にんぎょうとなっていき、薄気味悪ささえ感じた。

頭に埃を被るようになった。

侍女が悲しそうに掃除をしていた。

俺は旦那様が眠った後、人形ドールに言葉を教え続けた。

小声で復唱する日々が続いた。

そんな生活が二ヶ月続いた。


「お前、確かルーシティ出身だったな?ハンカチーフもルーシティのものをねだっていた」


人形ドールはまだ雰囲気で会話する程度で、声に抑揚がないと言われる俺の言葉は聞き取れないことが多かった。

俺は書庫でルーシティの公用語を学び始めた。

北の発音はここの言語と似ていて覚えやすかった。

仕事の空きに書庫に篭り、夜は人形ドールと話した。

旦那様は暇な時に人形ドールと話していた。

人形ドールは一言も話さなかった。

ある日、いつものように旦那様に衣裳を届けに行った時だった。


「ヴァレット」

「はい、何でしょう」


俺はいつものように他愛ない話でもされると思っていた。

だから、驚いた。

旦那様は険しいお顔をしていた。

苦しそうだった。


何故人形にんぎょうが話すのだ」

「え?」

「お前が教えているのだろう」


見られていたのだ。

しかし俺も何故隠していたのかふと疑問に思ってしまった。


「あいつは人間です」

「何」

人形にんぎょうじゃありません。人間です」

「違う!彼奴は!」

「落ち着いて」

「お前は何も分からんのだ!儂の孤独感も何もかも!彼奴に頼らんと、彼奴が人間だと認めてしまうといかんのだ…。フレジアを見ているようでいかんのだ……」

「いいえ、痛いほど、よく分かります。孤独感も、何もかも…」


俺は十年前の戦争で家族を失った。

唯一の家族だった兄貴が会いにきた日だった。

徴兵されて、きっと最後の日になるから、と兄貴は俺を連れ出して市場へ行った。

二人でご飯を食べた。


_____兄ちゃん、本当に行くの。

_____しょうがないだろ。国の令だから。

_____寂しくなる…。

_____ふふ、手、繋ぐか?

_____もう俺十二歳だぞ!誰が…。

_____まあまあ。ほら?


差し出された手を握って歩いていた。

警報が鳴った。

久しぶりにこの付近で鳴ったから、市場中がパニックになって渋滞になった。

兄貴に手を引かれるまま彷徨った。

彷徨って、逃げられなかった。

兄貴が俺の上に被さった。

兄貴は俺の上で死んだ。

俺は付近の地理に明るくなかったから、兄貴の遺体を引き摺って泣きながら歩いた。

自分も怪我をしていたから、痛くて、怖くて、寂しかった。

そんな襤褸切れのような俺を拾ってくれたのが当時まだ領主になっていない旦那様とエルネット様だった。


_____お辛い経験をなさいましたね。もう大丈夫です。

_____ここの侍従は身寄りのない者が多い。みな家族のように暮らしておる。気張らず安心なさい。


その時から俺にはここしかもうないのだから、どんなことがあっても側で仕えていようと思っていた。

だから、そんな旦那様が誰かを人間扱いしないお姿に怒りさえ感じたのだ。

これは俺の反抗期だったのだろう。


「そんな旦那様、誰も望んでいません…」

「俺は…どうすればいい」


立ち直れないのは当たり前だし、無理に立ち直れとも普段通り過ごせとも言わないし、言えない。

もちろん、あの人形ドールを捨てろとも言わない。

言うべきは………。

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