究極の選択
会議室の空気は凍りついていた。
テーブルを挟んで、ピエールとクレアの前には地球連邦と井筒商事の代表団が着席している。1.5秒の光遅延を伴う量子暗号化通信を通じて、地球側の代表者たちの姿が投影されていた。
「我々の提案です」井筒商事の篠原が新たな契約書のホログラムを展開する。「技術の完全な権利譲渡の対価として、コロニーの自治権を完全に保証」
「受け入れられません」ピエールの声は静かだが、断固としていた。「この技術は、譲渡可能なものではありません」
「デュボワ=アオキさん」連邦科学評議会のウォーカーが口を挟む。「人類の宇宙進出に革命的な影響を与えうる技術です。それを一つのコロニーが独占することは...」
「誤解されています」クレアが遮る。「この技術は、従来の意味での『技術移転』が不可能なのです」
彼女はホログラム・プロジェクターを操作し、最新の実験データを表示させる。スマートファイバーの量子状態は、観察者や環境との相互作用に応じて、絶えず進化を続けている。
「これは生命システムに近い」クレアが説明を続ける。「単純な複製や移転は、システムの崩壊を招くだけ」
工房の監視映像が表示される。何者かが、スマートファイバーの製造システムに対して、強制的なデータ抽出を試みていた。
その瞬間、工房全体が異常な輝きに包まれる。
「技術が、自ら『選択』を始めている」ピエールの声が響く。
ホログラム・ディスプレイ上で、工房の量子状態が急速に変化していく。不正アクセスを試みたシステムは完全に排除され、代わりに新たなパターンが形成され始めていた。
「このパターンは、人工知能にも似た自律性を示しています」クレアがデータを分析する。「しかし、それは従来のAIとは全く異なる原理で...」
「まさか」ウォーカーの声が震える。「技術そのものが、知性を持ち始めているとでも?」
「そうではありません」ピエールは織物を通じて感じ取れる振動に集中しながら答えた。「これは知性ではなく、より根源的な...空間そのものが持つ、自己組織化の性質です」
会議室の重力が、微かに変動し始める。
「全セクションで量子状態の変動を確認」アリエットが報告する。「しかし、これは先日のような不安定化ではありません」
「より高次の安定状態への移行です」クレアが言葉を継ぐ。「技術が、自律的な進化の新たな段階に入ろうとしている」
篠原とウォーカーは、言葉を失っていた。彼らの目の前で起きていることは、従来の技術開発の概念を完全に覆すものだった。
コロニー全体が共鳴を始め、人工空が生命体のように波打ち始める。それは破壊的な現象ではなく、より深い秩序が生まれようとしている予兆だった。
「選択の時です」クレアが立ち上がる。「私たちは、この現象を抑制するか、それとも...」
「受け入れるか」ピエールが言葉を継ぐ。
制御室のホログラム・ディスプレイには、コロニー全体を包み込む、前例のない量子状態の変化が記録されていた。それは、人類がこれまで経験したことのない、新たな技術パラダイムの誕生を示唆していた。
人工空の波紋は、静かに、しかし着実に広がり続けていた。
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