第三章 五話
慌ただしく人が行き交い、
対面は
「全く何様のつもりなのだ」
右大臣
深雪はどうしても正使が
喉元とも心の臓とも言える大事な場所。
他国の者を例え正使といえども立ち入らせたくは無かった。
押し切られたわけだが。
主だった重臣は皆紫宸殿に集い、その周りを使いの者らが時折ぶつかりながら
その装いは一般的な女官のもの。一応変装のつもりである。
時折深雪の鋭い視線が飛んで来るが、此処にいるのは深雪も承知の上である。
ただ物見高いだけではなく、直接に正使の言葉を聞きたかった。
その上で
但し、安全な所からこっそりと。決して存在を気取られないことを約束させられた。
それはそうだ。正使と会わぬと言っておいて、こっそり覗き見ていただなんてことが発覚したらどうなることか。
国際問題だ。
「
「静まれ」
摂政、蘇芳深雪の一言でしん、と水を打ったようになる。
この威厳はまだ榠樝には出せない。
ぎゅっと唇を噛めば、大きな手でそっと肩を叩かれた。
隣に控えるのは
頷いて見せればにやりと笑ってくれた。
声を出さず、口をぱくぱくと動かして、伝える。
必ず守る。案ずるな。
信頼している、とこちらも
足音が止まった。
旗を掲げた男が一礼し、脇に下がる。
「申し上げる」
列の真ん中。高く宣言する男。
「五雲国よりの使者、
深雪が頷く。
「虹霓国摂政、蘇芳深雪である」
菱雪渓は
挨拶がつらつらと読み上げられ、菱雪渓は一旦言葉を切り、声を張った。
「虹霓国王に申し上げる。
場が
菱雪渓は構わず続ける。
「ついては王の娘である榠樝姫を五雲国王、
武官たちが今にも飛び掛かりそうだ。
榠樝は心配になって、ちらりと南天の様子を仰ぎ見る。
無表情。
いつもくるくると変わる南天の表情が、今何も無い。
あまりにも怒りに満ち満ちて、却って表情が削ぎ落されたことが伝わって。
冷や汗が背中を伝った。
声を出すわけにもいかず、南天の衣の端をぎゅっと握った。
ぱち、と南天の睫毛が瞬いて榠樝を捉え、すっと表情が戻った。
必死で首を振る榠樝に肯いて、南天は大人しく
菱雪渓はまだ何事か読み上げているが響動めきが煩くて聞こえない。
読み終わったらしく、親書を巻き、
深雪は親書を受け取らず、けれど礼を尽くして返答する。
「聞き届けられぬ。お帰りあれ」
菱雪渓はにこりと笑う。
「まあ、そう
深雪のこめかみが引き攣ったのが見えた気がした。
「
「そのように遥か昔のことを持ち出されても、困りますな。そも、霄漢国はとうの昔に滅びている」
「霄漢国の流れを汲むのが我が国ですぞ」
「五雲国はその霄漢国の後を継いだ雲漢国を滅ぼして、現在の地位を得たと記憶しておりますが?」
一歩も退かない深雪に、菱雪渓は目を細めた。
榠樝は障子の裏で拳を握っていた。
流石は摂政、蘇芳深雪。頼りになるどころの話ではない。
この働きには格別の褒美を取らせねばなるまい。
「
言い募る菱雪渓に、最早口を開くのも
「愚かにも我が国に従わなかった彼の国は今や存在しません。虹霓国をその二の舞にしたいのですか?」
深雪はすっと目を細めた。武官でも畏れて跪くだろう気迫に菱雪渓も思わず一歩退いた。
「虹霓国は屈服せぬ。お帰りあれ」
左大将
ついでに征討軍の配備についても視察して来るらしい。どこまでも抜かりの無い男。
榠樝は頭を抱えて
慌ただしく皆が走り回っている。
老若男女問わず、朝廷が揺れている。
属国になれと。正使を以て勧告された。
榠樝を妃に差し出せと、正式に申し入れがあった。
どこまでも虹霓国を下に見ている五雲国の態度に腹は立つけれども。
榠樝は瞼をぎゅっと閉じた。
戦となれば勝ち目はない。
そもそもの武力に差が有り過ぎる。五雲国の国土は虹霓国の凡そ三倍。そして軍はその三分の一を占めるという。
まるまる虹霓国一個分が戦力なのだ。
対して虹霓国は僅かに近衛を置くのみで。征討軍を整えたとて到底勝ち目の有る数ではない。
戦は避けなければならない。
何としてもだ。
戦となれば
そして国は疲弊し、滅びる。
だが、
榠樝は同じく難しい顔をしている深雪に、
「摂政。戦を避ける手段はあるか」
深雪はぎろりと鋭い視線を向けて来た。
「無くとも、作るしかありませんな」
その通りだった。
「すまぬ。愚かなことを聞いた」
どうにかしないと。
ともかくその気持ちだけが空回る。
どうにかしないと。けれどどうやって。
焦るな、と自身に強く言い聞かせる。
どうにもならなくても、どうにかしなくてはならない。
それが王の役目である。
十四の少女の肩には
だが、榠樝は王でありたかった。
虹霓国を守りたかった。
ならば手段を見つけるしかあるまい。
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