第三章 五話

五雲国ごうんこくからの正使せいしが都に入ったとの一報に、朝廷が揺れる。

慌ただしく人が行き交い、蔵人くろうどが、舎人とねりが走り回る。

対面は大極殿だいごくでんをと伝えたが、どうしてもと紫宸殿ししんでんまで来るという。

「全く何様のつもりなのだ」

摂政せっしょう蘇芳深雪すおうのみゆき憤懣ふんまん遣る方無しとばかりにしゃくし折りそうな様子で。

右大臣菖蒲紫苑あやめのしおんが必死でなだめている。

深雪はどうしても正使が内裏だいりへ踏み入ることを回避しようとしていた。

大内裏だいだいりならばまだ許容範囲。けれど内裏ともなれば虹霓国こうげいこくの中枢。

喉元とも心の臓とも言える大事な場所。

他国の者を例え正使といえども立ち入らせたくは無かった。

押し切られたわけだが。

主だった重臣は皆紫宸殿に集い、その周りを使いの者らが時折ぶつかりながらしらせを持って走っていて。

榠樝かりんはその様子をこっそりと障子しょうじの影から覗いている。

その装いは一般的な女官のもの。一応変装のつもりである。

時折深雪の鋭い視線が飛んで来るが、此処にいるのは深雪も承知の上である。

ただ物見高いだけではなく、直接に正使の言葉を聞きたかった。

その上で諸々もろもろ判断したいと、半ば反対を承知で深雪に談判したところ、意外にもするりと許可を得た。

但し、安全な所からこっそりと。決して存在を気取られないことを約束させられた。

それはそうだ。正使と会わぬと言っておいて、こっそり覗き見ていただなんてことが発覚したらどうなることか。

国際問題だ。

先触さきぶれが参りました!」

ざわめきが一段と大きくなって。

「静まれ」

摂政、蘇芳深雪の一言でしん、と水を打ったようになる。

この威厳はまだ榠樝には出せない。

ぎゅっと唇を噛めば、大きな手でそっと肩を叩かれた。

隣に控えるのは藤黄南天とうおうのなんてん。右近衛大将であるが、今は帯刀たちはきの格好をしている。護衛役であるのでこちらも変装である。

頷いて見せればにやりと笑ってくれた。

声を出さず、口をぱくぱくと動かして、伝える。

必ず守る。案ずるな。

信頼している、とこちらも首肯しゅこうで伝えて。榠樝は視線を障子の向こうに戻した。

ざわめきと規則正しい足音の一団が近付いて来る。

足音が止まった。

旗を掲げた男が一礼し、脇に下がる。

「申し上げる」

列の真ん中。高く宣言する男。

「五雲国よりの使者、菱雪渓りょうせっけいである」

深雪が頷く。

「虹霓国摂政、蘇芳深雪である」

菱雪渓はうなずき、親書を広げ、読み上げる。

挨拶がつらつらと読み上げられ、菱雪渓は一旦言葉を切り、声を張った。

「虹霓国王に申し上げる。此度このたび虹霓国は我が国にき従うべし」

場が響動どよめいた。

菱雪渓は構わず続ける。

「ついては王の娘である榠樝姫を五雲国王、玄秋霜げんしゅうそうの妃に差し出すべし」

武官たちが今にも飛び掛かりそうだ。

彼方此方あちらこちらで取り押さえる者と抑えられる者が入り乱れて。

榠樝は心配になって、ちらりと南天の様子を仰ぎ見る。

無表情。

いつもくるくると変わる南天の表情が、今何も無い。

あまりにも怒りに満ち満ちて、却って表情が削ぎ落されたことが伝わって。

冷や汗が背中を伝った。

声を出すわけにもいかず、南天の衣の端をぎゅっと握った。

ぱち、と南天の睫毛が瞬いて榠樝を捉え、すっと表情が戻った。

必死で首を振る榠樝に肯いて、南天は大人しくひざまずく。

菱雪渓はまだ何事か読み上げているが響動めきが煩くて聞こえない。

読み終わったらしく、親書を巻き、文箱ふばこにしまうと恭しく深雪に差し出した。

深雪は親書を受け取らず、けれど礼を尽くして返答する。

「聞き届けられぬ。お帰りあれ」

菱雪渓はにこりと笑う。

「まあ、そうおっしゃらず。虹霓国の王が亡くなられたという報は此方にも届いております。今や王位を継げるのは榠樝姫のみだとか。その姫を妃にという破格の扱いです。光栄に思われるべきかと」

深雪のこめかみが引き攣ったのが見えた気がした。

そもそも、虹霓国は以前より霄漢国しょうかんこくの朝貢国であられたと記憶しております」

「そのように遥か昔のことを持ち出されても、困りますな。そも、霄漢国はとうの昔に滅びている」

「霄漢国の流れを汲むのが我が国ですぞ」

「五雲国はその霄漢国の後を継いだ雲漢国を滅ぼして、現在の地位を得たと記憶しておりますが?」

一歩も退かない深雪に、菱雪渓は目を細めた。

榠樝は障子の裏で拳を握っていた。

流石は摂政、蘇芳深雪。頼りになるどころの話ではない。

この働きには格別の褒美を取らせねばなるまい。

光環国こうかんこくの滅亡の報は届いておりますか」

言い募る菱雪渓に、最早口を開くのもいとわしげだとばかりに深雪が視線を遣る。

「愚かにも我が国に従わなかった彼の国は今や存在しません。虹霓国をその二の舞にしたいのですか?」

深雪はすっと目を細めた。武官でも畏れて跪くだろう気迫に菱雪渓も思わず一歩退いた。


「虹霓国は屈服せぬ。お帰りあれ」




左大将蘇芳銀河すおうのぎんがが護衛と称し、五雲国の正使にぴったりと張り付き宿場へと送って行った。このまま張り付いて大宰府だざいふまで送り届けるという。

ついでに征討軍の配備についても視察して来るらしい。どこまでも抜かりの無い男。

榠樝は頭を抱えて御帳台みちょうだいに納まっていた。

御前定ごぜんさだめはまだ始まっていない。

慌ただしく皆が走り回っている。

老若男女問わず、朝廷が揺れている。

属国になれと。正使を以て勧告された。

榠樝を妃に差し出せと、正式に申し入れがあった。

どこまでも虹霓国を下に見ている五雲国の態度に腹は立つけれども。

榠樝は瞼をぎゅっと閉じた。

戦となれば勝ち目はない。

そもそもの武力に差が有り過ぎる。五雲国の国土は虹霓国の凡そ三倍。そして軍はその三分の一を占めるという。

まるまる虹霓国一個分が戦力なのだ。

対して虹霓国は僅かに近衛を置くのみで。征討軍を整えたとて到底勝ち目の有る数ではない。

戦は避けなければならない。

何としてもだ。

戦となれば無辜むこの民の命がいたずらに消費されるだけだ。

そして国は疲弊し、滅びる。

だが、手段があるか。

榠樝は同じく難しい顔をしている深雪に、すがるように声を掛けていた。

「摂政。戦を避ける手段はあるか」

深雪はぎろりと鋭い視線を向けて来た。

「無くとも、作るしかありませんな」

その通りだった。

「すまぬ。愚かなことを聞いた」

どうにかしないと。

ともかくその気持ちだけが空回る。

どうにかしないと。けれどどうやって。

焦るな、と自身に強く言い聞かせる。

どうにもならなくても、どうにかしなくてはならない。


それが王の役目である。


十四の少女の肩にはいささか重過ぎた。

だが、榠樝は王でありたかった。

虹霓国を守りたかった。

ならば手段を見つけるしかあるまい。


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