第二章 十話
それから、
というのが世間の評判である。
無論
紫雲英は
甘い雰囲気など欠片も無い。
「政略結婚ですけれども。もう少しこう、何かないんですか」
榠樝と紫雲英は顔を見合わせ、同じ角度で首を傾げた。
「仮に紫雲英が王配になっても、遣り易いかなとは思うわね」
「仮に私が選ばれたなら、無論全力を
「ただ、そうすると六家でまた菖蒲が専横を図るのかしら?」
ちらりと榠樝が流し目を遣る。
紫雲英は真っ向から受け止めて首を振った。
「そのようなことはさせぬ、と断言出来たらよいのですが、そこまでの力はまだ私には」
「正直なのが紫雲英の良い所ね」
「お褒め頂き恐悦至極」
「うむ」
仲は良い。確かに仲は良いのだが。
はあ、と堅香子が溜め息を吐く。
「そういえば榠樝さま、紫雲英どの。
「小弓合。いいじゃない。楽し気で」
榠樝が肯くのに、紫雲英は少し眉を顰めた。
「茅花どのといえば小弓はかなりお得意の筈。なるほど、点数を稼ぎに来たか」
榠樝が扇をひらりと返す。
「紫雲英、あなたは他より一歩、先んじてると思ってるかもしれないけれど、まだまだ決定打には欠けるのだということを肝に銘じて置いて」
紫雲英はふふんと鼻で笑った。
「言われずとも。無論小弓合であっても他の者に負ける気はありません」
段々態度が図々しくなってきた。本来の紫雲英の
却って心地良い、と榠樝は言うが堅香子は不満である。
猫被ってるよりマシ。とは榠樝の談だ。
そして、大方の予想通り。
小弓合は
きゃっきゃとはしゃぐ榠樝を見、嬉し
見る方もなし、となっているのが
流石の月白
「褒美を取らせる。藤黄茅花、参れ」
「はい!」
元気よく茅花が進み出て、榠樝は衣を肩に掛けてやる。
上気した頬ときらきら輝く眸が犬のよう。
可愛らしいと榠樝は微笑んで、茅花は耳まで赤くなった。
それを見、紅雨が思い切り顔を顰めた。
先日の蹴鞠会で蘇芳が一歩、碁で菖蒲が、小弓合で藤黄がそれぞれ一歩ずつ並んだ。
六家それぞれの当主たちはまずまずの結果と見ているらしいが、縹
お前はいいのかい、とでも言いたげに。
それに気付いた笹百合がそっと肯くように頭を下げた。
笹百合は、榠樝が笑っていてくれるなら、それでいいのだ。
「昔から欲の無い子であったけれど」
小さく零れた苧環の言葉に藤黄
「笹百合どのですか?見事でしたね。今回ばかりは我が弟の方が一歩勝っていたかもしれませんが、次は笹百合どのかもしれません」
「ふふ、それは分に過ぎたるお言葉を。茅花どのは百発百中ですか。ほぼ真ん中でしたね」
「弟は気分に左右される
「いやいや、元気で宜しい」
言う側から、茅花と紅雨が小競り合いを始めている。
「では
「望むところだ!望みを言って矢を射よう」
ぎょっとしたのは蘇芳
「何をしている、紅雨!女東宮の御前であるぞ!」
「茅花!調子に乗り過ぎだ!」
二人慌ててそれぞれ息子と弟を押さえに走る。
榠樝は面白そうに眺めている。
六家当主が慌てふためく姿など、到底見られるものでは無い。
「いいえ、父上!今日こそは思い知らせて遣らねばなりません!」
「橘兄上、これは男として退いちゃいけない勝負だよ!」
鼻息荒く訴える紅雨に、毛を逆立てた猫のような茅花。
ぎゃあぎゃあと争う
「よいぞ。遣って見せよ。そなたらは何を願う?」
軽く投げた言葉だったが、真っ向から男子二人の熱を帯びた強い視線を浴びて。
榠樝は目を瞬いた。
傍らの堅香子に、扇の影でそっと問う。
「もしかして、これ、マズい感じ?」
「火に油注いじゃいましたね」
堅香子はやれやれと首を振る。
「紫雲英どので完全に油断してましたでしょ。榠樝さま、婿がねとは文字通り婿の候補。婿とは夫君です。榠樝さまを妻にと望んでいる
榠樝は血の気が引くのを感じた。
「では」
と紅雨が狩衣を片肌脱ぐ。
弓を引き、宣言する。
「我、女東宮の婿たらば、この弓当たれ」
ひゅっと榠樝が喉を鳴らす。
矢は真っ直ぐに飛び、けれど的を外れる。
次は茅花。目を閉じ、すっと表情を消した。
再び目を開けた時には別人のような真剣な目で。
「俺が女東宮の婿になるなら、この矢当たれ!」
ビィンと鳴弦のように音を響かせ、矢が放たれる。
榠樝は目を瞠って、視線を外さない。
矢は、同じく的を外した。
ほっとしたように吐息する榠樝に、堅香子が何とも言えない顔を向けた。
「どなただったら、当たって欲しいのですか?」
榠樝はちらりと流し目をくれるが何も言わず、また前を向いた。
どきどきと心臓が早鐘のようだ。苦しくて頭がずきずきする。
気分が悪い。
ぎり、と榠樝は奥歯を噛みしめる。
私が男だったなら。
もしも女東宮などという特殊な立場ではなく、東宮であったなら。
何とも言い難い感情が胃の腑の辺りに
すっくと榠樝は立ち上がり、袴の裾を翻し前に出た。
「女東宮?!」
止める声に耳も貸さず、榠樝は庭に降りた。
堅香子が慌てて駆け寄る。
榠樝は前を、的を見据えて言った。
「弓を。私も誓約を」
するりと袿を脱ぐ。
単袴姿で大勢のしかも男性の前に立つなど、正気の沙汰とも思えない。
だが榠樝はどこまでも本気だった。
「なりません、榠樝さま!」
笹百合がそっと堅香子を抑える。
「お望みのままに」
弓矢を差し出し、笹百合はそっと
笹百合を見つめ、頷いて。榠樝は的を見据える。
近くて遠い距離。見えるのに届かない。
「私が王に足る器ならば」
皆の視線を一身に集め、榠樝は弓を引いた。
「この矢、当たれ」
矢が放たれた。真っ直ぐに、揺らぎもせずに飛んでいく。
花時は思う。昔幼子の頃、小弓が引けずに地団太踏んで怒っていた
けれどまさか、当たりはすまいと思っていた。
榠樝がふ、と息を吐く音が聞こえた。
皆が皆、全員、息を止めて見入っていた。
「誓約はなされた」
透き通るような声で、榠樝は宣言する。
矢は的の中心を
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