アメイジアワールド Origin

冬野ゆすら

第1話 騙し絵の世界

(騙し絵の世界……)

 クリトル科学研究都市を走るモノレール、その一両の中で少女――月星つきほし莉雅りあは、そんなことを呟いた。

 この都市に高層ビルというものはなく、ぜいぜいが十階建て程度の建物が並んでいるだけなのだが、突如として奇妙な建物が現れる。

 高所から落ちた水が水車を廻しながら水路を上り、また落ちてくる四角形スクエアの階段水路。その柱は、有り得ない位置で水路を支えている。

 巨大な本とテーブルのオブジェの向こうに町並みが続き、幾何学的な立方体キューブはいつの間にか鳥に成り、魚になり、影に喰われて対峙する蜂となる。

 階段の先は壁と扉で、人々は壁を、階段の裏を、側面を、自由に歩く。

 どれも有名すぎて、わかりやすいが故に目を奪われて、いつのまにか次の騙し絵に絡め取られて、抜け出せない。

 ”魔物の棲む都市”――その異名は、確かに相応しい。


「ほら、見えるかな。あれが降りる駅だよ」

 示された先には、中世風の建物――『物見の塔』そっくりに作られたそれが、彼女たちが乗るモノレールの駅として存在していた。土台と柱が捻れていて、降りるための階段は二階中央から外に出ているはずなのに、一回の屋内にまっすぐと降り立っている。どれもこれも有名な騙し絵のはずなのに、彼女たちはそこへ降り立とうとしているのだ。


「ただの錯覚って分かってても、未だに騙されるんだよねえ……あいつらすごいよ、ほんとに」

 隣席の青年の呟きに、莉愛はくすりと笑った。彼が言う”あいつら”とは、この都市の創立者――ではなく、実際に建ててしまった建築者たちのことだろう。観光の一環として、また技術の誇示として、この上なく有効だったらしく、”世界最先端を行く学術研究都市”であるはずなのに、同じくらいに観光都市として有名なのだ。

 当然ながら絵ではなく、模型でもなく、人間が立ち入れる現実の建物である。そのほとんどが、何かしらのテナントとして稼働していて、時には人が動く姿さえ見える。その中に入り込むことも出来るとなれば、話題にならないはずがない。


「しかもさあ、”出来ると思ったから作った”って言うんだよ? 建物の権利も保全もする気ないって。ったく、研究者って奴はホントに、極端だよねえ。…ま、だから僕みたいなのが暗躍出来るんだけど」

 そのウィンクに、莉愛は彼を正面から見直した。

 騙し絵建築を大々的な謳い文句に、小さな学術都市でしかなかったクリトルを世界有数の観光地にした立役者たる、白縫しらぬいみどり教授。どうしたわけか、その男が目の前にいる。莉愛は彼に見出され、若き研究者として招聘されたのである。


「ん? なあに?」

「いえ……わたしはどこへ配属されるのかと」

「あー、まだ決まってないんだよねえ。本来なら君、大学に招待入学の予定だったから」

 はい、と莉愛は俯いた。趣味でしたためていた各地の家庭料理や民間薬などの知識が認められ、学費免除の特待生に選ばれたのは一年前――高校2年生のときだった。名誉以上に将来が約束されたようなものなのに、親からの横やりが入り、紆余曲折を経て、研究員としての招聘となってしまった。気楽な大学生の身に憧れのあった彼女としては、少々残念な状況でもあるのだ。


「んー、まあ風俗関連……かなあ。あ、えと、怪しい方じゃないからね!? 君の知識、それを生かしたいだけだからねっ」

 慌てて言い繕う相手に、何のことかと首を傾げ――意味に気付いて、莉愛は半眼になる。自分は思春期を過ぎたばかりの小娘ではあるが、研究員なのだ。風俗と聞いて怪しい業種を思い浮かべるような、怪しい知識など持ち合わせていない。


「あああああああごめ、ごめんなさいぃぃぃぃっ」

 あわあわあわと勝手に焦る案内人を放置して、莉愛は窓の外に目を向ける。近代的な都市にいたはずが、いつの間にか長閑な農村に入り込んでいた。しかも家々は煉瓦や丸太で作られていて、まるで中世の町並みだ。その足下がアスファルトではなく木片ウッドチップで舗装されているのは、観光都市ならではか。一般的な自動車はなく、ホバーのように浮いて進む乗り物が街中を走り、時にはそこへ馬車が加わる。奇妙に科学と中世が混ざった街で、そこまでも騙し絵の世界だからこそ――そんな感覚だった。


「……技術の継承だよ。こうでもしないと、廃れていくから。君の知識も、そういうものなんだよねぇ……本当はもっといろいろ、いろいろ世界中を知って欲しいんだけど。研究員になるとしばらく動けないしなあ……」

 独り言のようなそれを聞き流し、莉愛は流れる景色に目を向ける。ここに住むようになったら、何れはこれが日常になる。日常に成ったら、いつか飽きてしまうのだろうか。それは少し、勿体ない。そんなことを考えていたら、「ああ」と案内人の声が飛び込んで来た。


「いい手がある。知識の保全に協力してもらおう」

「知識の保全――ですか?」

「そう。写真とか動画なんかは、まあ研究資料はたくさんあるけどさ。人間の生の記憶って、別物なんだよね。だから脳内の情報から、知識記憶だけを取り出して、保全しようっていう計画なんだ。これ、十分に報酬が発生する仕事だし、抽出時以外は学校に通ってどんどん知識増やして貰えるし。長期の休みには実地調査フィールドワークでいろんなところへ行ってほしいな。旅費は出すし、行き先次第で助手もつけられる。うん、これがいい、そうしよう」

 目の前で勝手に決めて、案内人は何やらどこかへ連絡を取り始め、莉愛は置いてけぼりである。内容は頭に入ったし、有り得ないほどの好待遇に思えた。ただ、と話を終えて向き直った彼に問いかける。


「……わたしの知識なんて、保全するほどのものですか?」

「保全するほどのものだよ!」

 その勢いに、莉愛は目を白黒させた。幼さと老獪さが同居する奇妙な青年――そんな彼への印象が覆された瞬間である。


「だってさあ、このプロジェクトが始まったのって、けっこう最近なんだよ。外部の人に協力頼めるようなものじゃないから、研究員から集めることになるんだけどさあ!」

 分かるかい、と少女の肩を掴み、翠は真剣な目で続けた。


「どうやってんのかわかんないけどさ、やつら、本人の研究内容に関連したことしか保全出来ないんだよ! しかもコアなとこばっかで、相当深い知識がないと理解出来ないような、そんな情報ばっか! おかしいでしょ、そういうのはさあ、抽出した記憶を弄らないと出来ないはずなんだよ、なのに出来てんだよ、奴らはさぁっ!」

「…さ…さすが、ですね……?」

「いや、そうじゃなく…って、あ。……ご、ごめん……」

 相手がまだ高校を卒業したばかりの女の子だと、その研究者はようやく思い出してくれたらしい。ただまあ、彼の言いたいことは分かった……気がした。なんとなく、だが。


「お願いです……真面な知識が欲しいです……」

 たぶん、と少女は内心で思う。ここ――”神秘の研究機関ミスティック・シンクタンク”に染まる前の知識が欲しいのだろうな、と。知識だけなら別に、かまわない。けれど、と口を開く。


「――知識だけ。記憶は残さない。それは、可能ですか?」

「え……あ、も、もちろんだよ! そんな、プライベートなんて「いえ、プライベートな知識も構いません。わたしが再現されなければ、それでいいので」

「――っ」

 それはおよそ、子供ではなくなったばかりの――青年とも言えない彼女に似つかわしい言葉ではなかった。…そう、彼女がただの見学者であったなら。


「気付いたか。僕の目に狂いはないね、やっぱり」

 青年の自画自賛――だがそれは、少女を改めて認める言葉でもあった。

 いつかは彼女も染まっていく。いや、染まってくれないと困る――青年は内心でそう呟いて。

 何れ自分も染まっていく――その研究者や、目の前の彼と同じように。少女はそう、心で返した。


「いいよ、約束する。ただ、知識だけを抽出するってのは、かなり難しくてね。やつらもどうやってるか、自覚してないんだ。だから、……うん、抽出した情報から、君個人を形成するようなデータ――そうだね、所謂いわゆるエピソード記憶? その辺りは、消しておくよ。それでどうかな?」

「……はい。それなら、いいですよ」

「ありがと、助かるよ。じゃ、このまま行くね」

 その言葉と同時に、ガクンと電車が揺れた。莉愛は反射的に外を見る。

「……え……浮いて……?」

 絶句した莉愛の視界には、電車が浮いたとしか思えない景色が広がっている。人々がこちらを見ているが、驚いた様子はない。


「知ってるよね、空中硝道だよ」

「知って、います…でも、そんな――滅多に、走らないと……」

「あ、それは夜のことじゃないかな? 昼間は時々走ってるよ。まあ整備がけっこう面倒だから、頻繁には走らないね。でも、僕が招待した子には乗って貰うんだ。夜じゃないし、試験走行みたいなものかな?」

 それでも、と莉愛は溜息を吐きつつ眼下を見下ろした。足下にあるはずの床も、座っているはずの椅子もないかのように、景色が広がっている。

 物質を透明化する人工物質メタマテリアルで作られた鉄道があると、研究内容で見たことはあった。いつかは乗れるかもしれないと憧れていたそれに、自分が乗っている。それも、空中を。


「改めまして――ようこそ、研究都市クリトルへ。神秘の研究機関ミスティック・シンクタンクは、月星莉愛を歓迎するよ」

 空中硝道はその現れで――そう続けようとした青年だったが、まあいいかと笑みで誤魔化した。年相応の笑顔と、夢中な様子。それだけで、この空中硝道を稼働させた甲斐はあったのだ。


 夢のような空中散歩の時は永くは続かず――月星莉愛は、案内された先で何人もの奇妙な科学者たちに囲まれて、進化を逆進しているかのように無骨な椅子へと座らされた。更に頭に被せられたのは、ヘルメット――のような、もの。何本も走るケーブルが重くて、そこから動かすことが出来ないらしい。どれほど科学が進んでも、有線ケーブルがいちばん安定するという事象は、疑う余地がないようだ。


「じゃあ、すぐに始めるね。準備が整うまで、花畑の中を散策しててよ」

 はい、とだけ応えて、莉愛は目を閉じた。気付いた時には、光る花の中をゆっくりと進む行くトロッコの中。天井のない車両からは、瞬く星々がよく見えた。


「あれは白鷺……? まるで『銀河鉄道の夜』ですね」

 余り好きではない物語のせいか、莉雅の顔が僅かに曇る。周囲はそれを感知したのか、様子を変えた。

 空は散りばめられた星が瞬くままに、トロッコは馬に引かれる荷車に。花々は瓦斯燈に照らし出されて幻想的でありながら、彼女が知るものばかりが咲き乱れ。

 心証を読み解かれたことに驚いて、けれどその光景に莉雅は微笑み。


来路花サルビアアザミ赤詰草あかつめくさに、すみれ花忍はなしのぶ――」

 一つずつ、確認するかのように花の名前を口にした。

 様々に紫が入り交じり、優しく揺れるその様に、莉雅の意識がふと途切れ、また続いく。まるで、眠りへといざなうかのように。

 準備が整ったのだと莉雅は気付いたが、未だもう少しと誘いに抗う。まだ、自分がいちばん好きな花を見ていないから。


薫衣草ラベンダー蛍袋ほたるぶくろ風信子ヒヤシンス千鳥草ちどりそう

 ――そうして彼女が最後に見ることが出来たのは、すっくと伸びて穂をつけた紫の花だった。

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