図書室には秘密があるらしい

ホノスズメ

第一話 入学と図書員

 狭い一室の隅にある真新しい仏壇には写真立てがあり、学生服に眼鏡の女性が写っている。

 座布団に正座して手を合わせる少年は口元をほころばせて言った「行ってきます」。






朝樹吉文あさき よしふみです。同じ中学の方はご存知かもしれませんが、私はジェンダーレスで、いわゆる“第三の性”の人間です。肩肘を張らずに気軽に声をかけていただければ幸いです。あ、仲のいい人には“ふみちゃん”と呼ばれてるよ!」


 最後に茶目っけを混ぜた自己紹介に、クラスの空気は穏やかなものとなっていった。

 そうして席に着く学ランの少年は、次の生徒の紹介を微笑ましそうに眺めていた。休み時間になると、とたんに騒がしくなった室内で朝樹は隣で突っ伏す少女へと興味津々に声をかける。


猫人ねこひとさん、猫人さん!」

「ん、なんにゃあ」


 猫耳のフードを被った少女は猫人寧ねこひと ねいであり、率直に言ってマイペースな猫であった。

 眠たげなまなこをこする不機嫌そうな彼女に眉を下げる。


「さっきは自己紹介してなかったよね?となりの朝樹だよ、ふみちゃんとでも呼んで」

「りょうかい」猫人はそっぽむいてまた突っ伏してしまった。とことん興味がない様子に困惑していると、後ろから声をかけられて振り返る。目元のきつそうな女子が一人、腰に手を当てて立っていた。


「その子いっつもそんな感じだからあんま気にしないで、朝樹さん」

「それは、ありがたい言葉だよ」一度猫人を見やり頬を緩める。ちょっかいをかけたくなってしまうなにかがある。しかしそれより先に優先することがあった。


相坂あいさかさん、で合ってるよね。私は」

「“ふみちゃん”でいいんでしょ?」朝樹の肩にひじを置き、顔を寄せてきた相坂はニヤリと笑った。


 髪を染めているのだろう。茶毛の根本は黒が混じっている。女子高生の典型例ステレオな人だと思った。

 距離のつめ方が過剰であるものの、朝樹は落ち着いたものだった。


「ええ、どうせどこのグループにも属せないつまはじき者だから、ときどきおしゃべりに付き合ってくれると助かるわ」


 自嘲交じりにこぼすと、相坂は目を丸くしてしゃがんだ。目線を同じくして彼女は苦笑した。


「ジェンダーレスだっけ、わたしは会ったことない種類の人だけど、ふみちゃんは世話焼きの匂いがするからいい人だと思うけど」

「……ありがとう。あ、ほらあっちの人が呼んでるよ」

「ん?ああ、こっちこそ素直に感謝なんてされるとは思ってなかった。はは、じゃね」


 手を振って相坂を見送り、ほっと息をつく。

 意外だった。性同一性障害の人は多かれ少なかれ差別の対象になりやすいが、ジェンダーレスは日本では浸透してない常識であるがゆえに、オネエさんとかの認識に収まらない朝樹を疎遠にしてきた人は多かった。

 初対面であそこまで違和感を感じさせず、オープンな人はまれだったのだ。

 本でも読もうかとバックに手を入れ、取り出してしまった物を見てぴしりと固まる。感触からそうではないかと考えていたが、割れた片眼鏡だった。


「……そうだよね、私やっぱり————」


 ギュッと握りしめて押し込める。

 日向ぼっこに夢中の猫人や、適度にスキンシップの激しい相坂を横目に寂しく笑った。





 係決めとなり、図書委員に立候補する人がいなかったために朝樹が手を上げると簡単に決まった。


「あーここかな」

 

 日当たりの悪い校舎の一角、朝樹は横引きの扉に手をかけた。

 放課後になり、どうせなら常駐の司書に挨拶でもしていこうかと足を運んだのだが、慣れないばかりに少し迷ってしまい、窓の斜陽がまぶしい時間になってしまった。

 中はどこか埃っぽく、カーテンを締め切っていた。陰気かといえばそうではない。証明はかなり明るく設定してあるようで、目白押しの図書コーナーの表紙が照っていた。

 朝樹はなんとなく図書室の状況が把握できた。あまり利用者は多くなさそうだ。

 今日は挨拶しに来ただけなので、おそらく別室で待機しているであろう司書を探して本棚を回っていると、角から恰幅のいい眼鏡の女性が出てきた。

 本に目を落としているようで朝樹に気づかないのも無理はなかった。


「あの、ここの司書さんですか?」


 女性は顔を上げて怪訝そうに見つめ、あっという表情で本を閉じた。


「あらあら新入生くんかしら」

「はい、本日付けで図書委員になりました。朝樹吉文です」

「これはご丁寧に、でもそうなの、図書員……」


 なにやら複雑そうに顔を伏せる司書に対し、朝樹の心中は曇っていくばかりだった。

 手入れのなっていない室内に、放課後の担当がいまだに来ていない現状。いくらでも悪い想像はできた。

 声を低くして聞いてみた。


「あまり人気のある仕事ではないようですね」

「委員会の仕事なんてどれもそんなところだけど、ここはちょっとひどいわね。なにせ当番がほとんど来ないのだもの」


 ほとほと困ったようにほおに手を当てる司書はそっと嘆息する。

 朝樹は口を歪めて変な顔になってしまった。当番が、来ない?どんなルールでやっていればそんな悲惨な状況に陥るんだ。まてまて、学校側だけに原因があると思っちゃいけない。


「……それは、原因があると思っていいんですよね」

「もちろんよ。まず立地ね、薄暗いし採光の問題上どうしても定期的に閉める期間が必要になるの。それと生徒たち、あの子ら仕事ほっぽり出してるのよ。毎日」


 図書員だってことも忘れてるんじゃないかしら。と嘆く司書は眼鏡を首元に下げて本を戻した。

 朝樹は納得の心地で聞き入り、深く頷く。

 あきらめよう、それが懸命だ。注意した程度では改善されないであろう課題だ。解決のための労力がもったいない。つまり徒労だ。朝樹は早々に希望を絶った。


「はあ、じゃあ私は毎日来るので、業務の方は大丈夫です」

「え、いやそれは……ねえ」

「読み物が趣味なのでついでですよ、ついで。溜まりに溜まった期限切れの勧告書とか作成してますか?」

「やって、ないわね。生徒の仕事だから」


 言いづらそうなところ、司書も頼りにならないのだなと落胆した。

 結局、朝樹の常勤は決まり、なんとか仕事の内容を手ずから教えてもらえることになった。図書室の仕事は学校によってまちまちなので、直接はありがたかった。


「じゃあこれで一通り」


 ノートパソコンを前に背中を沈めた朝樹はほっと息をついた。

 よかった、これならなんとかなりそうだ。

 貸し出し、返却と返却勧告書の作成と伝達etc。しばらくは忙しそうだが、次第に落ち着きそうで安堵する。朝樹の努力うんぬんでどうにかなりそうな範囲に収まっていた。

 斜め後ろで口早に説明してくれた司書は目元を揉んでいた。年取るとキツいと自嘲する。


「まあ文字ばっかですからね」

「そうなのよねえ、目薬が欠かせないわ」

「わたしも常用してます。最近、詰め込みすぎてショボショボが治りませんから」


 二人揃ってハハハと乾いた笑みを浮かべる。

 次第に話題は学生らしいものとなっていった。入試はどうだったか、仲良くなれそうな人はできたか、ちょっとした休憩のつもりが長引いてしまった。

 それを悟ったのは完全下校時刻を回って見回りの先生に見咎められてからだった。




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