第2話

 あかん。もう尻が四つに割れてまう。

 

 俺は、壊れかけのゴーカートよりも揺れる荷馬車に、かれこれ二時間ほど揺られていた。

 

 俺の腹は、最早限界に達していた。荷台から、御者席に顔を出す。

「あの、ゾースさん……まだ……かかりますかね?」

「ハッハッハッ! 腹が減りすぎて元気がないか! 安心しろ、もう着くぞ! この丘を越えたら……」

 言いながら、荷馬車は丘の上に着いた。眼下に、城壁に囲まれた広大な街が広がっている。

「おお……!」

「王都にも負けない、我らが故郷のデルツハルツだ!」

「デルツハルツ……」

 やはりと言うか何と言うか、聞いたことがない。さっきのピョン吉も、ラビテという生き物だと言う。

 英語なのか? いや、ドイツっぽい気もする。英語も地理も世界史も、真面目に勉強しなかったことが悔やまれる。いやでも、言葉は通じているよなと、ふと気が付くが……。

「意味、分からん……」

 空腹も手伝って、更に頭が混乱してきた……。

「イーノ、どうした? おい、おーい…………」

 ゾースの声が、段々遠く……。


 黒い海苔に包まれた、白い米。

 三角形の頂点には、溢れんばかりのシャケの身が。焦げ目がほんのり付いたピンク色のそれは、しっかりと塩が効いていて……。

 口に入れれば、たちどころに鮭と海苔の風味が広がるだろう。

 俺はたまらずかぶりつく!

 ああ、シャケを育てし川よ、海苔を育てし海よ、米を育てた農家さんよ……。心からの感謝を……。

 ん? なんだこれ?

 シャケ……じゃない。

 肉? これ肉だ。肉握りだ。

 シャケは? 俺の……。

 

「俺のシャケッ!!」

「あ!?」

 涙目で飛び起きた俺に、ゾースが体をビクつかせ驚いた。

「っくりした……。もちっと静かに起きれねーのか!」

「シャケェ……」

 ほろりと零れた涙を見て、ゾースが目を丸くした。そして、太い眉を少し下げると、ポケットからくしゃくしゃのハンカチ……と思しき物を取り出し、俺に渡してくれた。

「その……上手く言えねぇけどよ。急に知らない所に来ちまって、心細いよな。荷馬車でもずっと黙ってたもんな」

 腹が減り過ぎて喋れなかった。……などと言える雰囲気じゃなくなった。

「シャケ、ってのは……向こうに置いてきた恋人か? ……辛いよな」

 眉を顰め、心から同情するような、悲しそうな顔をする。シャケは俺にとって……恋人だった……?

「泣きな、大丈夫だ。俺とショルテしかいねぇから」

 めっちゃええ人やん……! と、つい胸がときめく。俺、この人の事信じよう。そう思った。

 (こんなに優しくされたの、ガキの頃以来かもしれない)

 うっかり、本当に泣きそうになる。

 くしゃくしゃのハンカチでぐいっと涙を拭き、汚れていたのでついでに鼻もかんでおいた。

 

 鼻が通ったところで、夢に出てきた肉にぎりの正体が判明した。

「……肉の匂いだ」

 落ち着いて周りを見てみると、テーブルや椅子が並んでいた。壁にかかったボードに、何やら食べ物の絵と文字が書かれている。どうやら、ここは食堂らしい。

 俺は、椅子を繋げた手製の簡易ベッドに横になっていたようだ。

「ハッハッハッ! 涙の次はヨダレが出てるぞ! 忙しいヤツだな!」

 うわっ! マジでヨダレが出てるよ……。俺は、口元をハンカチで拭った。

 

「おや、起きたのかい?」

 食堂の奥のカウンターから、ふくよかな中年女性が顔を出した。

「おお! おやっさんの料理の匂いがたまらねぇってよ!」

 確かに、この匂いはたまりません。

 肉の脂が香ばしく焼ける匂いだ。食堂の天井を、薄らと煙が覆っている。

「あはは! そうかいそうかい。もうできるからねぇ、待ってな! ……あんたァ! 起きたよ! 仕上げておくれ!」

 またカウンターの奥に引っ込むと、今度は皿が擦れるガチャガチャという音が聞こえてきた。

「ここのメシは美味いぞ! ああ、ショルテってのはこの食堂のヌシよ。作ってんのはおやっさんだけどな」

 この良い匂いから察するに、それは間違いでは無いだろうと分かる。

 

「あいよ、待たせたね!」

 目の前にドンと置かれたのは、大きめのコッペパンのような物に、肉と刻み野菜が溢れんばかりに挟まれた食べ物だった。

 目の前に置かれた西洋版男飯のようなサンドに、拭いたヨダレがまた復活してきた。

「こ、これぇ……!た、たべ……」

 食欲と口が喧嘩して、上手く喋れない。

「おお、食え食え!」

「食べな食べな!」

 二人が揃って勧めてくれた。俺は、さっと手を合わせ、

「イタダキマス!」

 と早口で唱えると、それにかぶりついた。

 

 濃い肉の旨みが、強烈なパンチを繰り出してきた。ソースに負けない肉が、オレオレと主張してくる。

「ゾースが捕まえたラビテを、自家製のテテリーソースで炒めたんだ。腹にたまる物が良いだろ? だから、バニに挟んで……」

「ショルテ、コイツもう聞いてないぞ」

 

 決して柔らかくは無いが、噛み締めるほどに肉汁が溢れ、それを硬めのパンが受け止めてくれる。細かく刻まれた野菜たちが、軽快な音を立てる。ピクルスだろうか? 少し酸味のある角切りの物が、肉の味に常に新鮮さを与え、引き立てている。

 シャケがなんだ。海苔がなんだ。肉こそ正義だ!

「若いねぇ、いい食べっぷりだよ!」

「見てると……腹が減ってくるな……」

 

 あっという間に食べ終わってしまった。だが、皿の上にはもう一つ残っている。

 (ショルテさん、ありがてぇ!)

 俺は、残りのひとつを掴むと、今度はなるべくゆっくり味わおうと試みた。


 ふたつ食べ終わるのに、十分もかからなかった。

「……ふー……。ごちそうさまでした」

 俺はまた手を合わせると、感謝の意を示した。

「ショルテさん、めっちゃ美味かったです。生き返りました! ありがとうございます!」

「なぁに、あんだけ美味しそうに食べてくれりゃ、作った方もやり甲斐があるってもんさ!」

「……ん?」

 ふと気がつくと、ゾースも同じ物を食べていた。

「ゾースさんも食べるんですね」

「だってよう、イーノが食ってるとこ見てたら、俺も腹減っちまって。おかしいな。しっかり昼飯食ったのに」

 言いながら、飢えていた俺よりもガツガツと食らいついている。

 

「はー、美味かった。やっぱりおやっさんとヌシなだけあるな。……さて、と」

 ゾースは口元を手で拭うと、改めて俺に向き直った。

「で、転移者のイーノ。これからどうする?」

「どうする、って……」

 どうしよう?

 メシを食うことで頭がいっぱいで、これから先のことなんて何も考えていなかった。そもそも、ここがあの日本とは別世界というのにも、いまだに理解が追い付いていない。

 これが、死後の世界でも夢でもないとすれば、俺はこれからここで暮らすことになるのか? そうなると、家は? 金は? 何よりメシはどうなる!?

「…………」

 黙り込んでしまった俺の肩を、ゾースがバシンと力強く叩いた。

「い゙っ゙!?」

「そんな顔するな! 大丈夫だ、着いて来い!」

 ニカッと笑うと、勢いよく席を立った。

「ショルテ、ありがとさん!」

「あっ、ごちそうさまでした! 美味しかったです!」

「どういたしまして。また来なね!」

 

 街まで連れて来てくれて、ハンカチを貸してくれて、こんな美味い物まで食べさせてくれた。

 俺は、この人の背中に着いて行くべく、食堂を後にした。

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