真夜中のほうき星:温泉を巡る物語

蓮見庸

真夜中のほうき星

 いくら夏の暑さを引きずっていたとはいえ、季節は確実に秋から冬に向かって歩みを進めていた。

 標高千メートルの地点を越えると気温はいっきに下がり、数日前に降った雪が、道路脇に茂る熊笹の根元に白く残っていた。

 この高原を走る道路がいつ本格的な冬を迎え、春まで続く通行止めになってもおかしくなかった。

 車のフロントガラス越しには、澄み渡った青い空、黄緑色から濃い緑となってどこまでも続く山並み、そしてその中を縫うように走る一本の道路だけがあった。

 私はハンドルを握り直し、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。

 窓を開けると冷たい風が容赦なく入り込み、ふもとの生ぬるい空気で満たされていた車内は、秋の空気へと一気に入れ換わった。火照ほてった頭が冷やされ、すっきりとえわたった。

 ラジオを消し、風の音とともにうなりを上げるエンジンの音を耳にしながら、さらに標高を上げていく。

 ゆるやかな上り坂のカーブを曲がると、岩がむき出しになった山肌から、白い煙がもうもうと立ち昇っているのが目に入ってきた。


 車を降りると硫黄いおうのにおいが風に乗ってやんわりと体を包んだ。

 道路脇には1日に数本あるかないかのバス停の少しびついた看板が立っていた。

 今日泊まる旅館は木造の2階建てで、大きな山小屋のような外観を呈している。

 建物の横はへいで隠されているが、その奥には山の斜面に沿って露天風呂が広がっているはずだ。

 ここは東北地方の、人里離れたとある山の上にある温泉旅館。

 冬になると一面雪に埋もれる。

 いくら最近は暖かい気候が続いているといっても、冬になると道路は凍結し、やはり雪は降る。まだまだ大丈夫だろうと油断していると、ある日突然大雪になるなんてことも珍しくない。

 そういうわけで、電気すら通っていないこの旅館をいつまでも開けておくわけにはいかないようで、今日が今年最後の営業日だった。


 館内は薄暗く、ひんやりとした空気に満たされていた。

 さっそく受け付けを済ませると、人のよさそうな従業員の男に部屋まで案内してもらった。

「今日は一段と冷え込みますね。お客さんはどちらからで?」

「東京から車です」

「それはそれは、遠くからよくお越しになりました。ここの露天風呂は最高ですからね。私なんて何度入ったかしれません。どうぞごゆっくりなさってください」

 男に付いて階段を上がり、廊下を歩いていくと、足が床を踏むたびにギシギシと鳴り、あたりに響き渡った。

「さあ、こちらです。どうぞ」

 畳の部屋にはすでに布団が敷いてあり、小さなテーブルと石油ストーブが置いてあった。

「ストーブのけ方はわかりますか? ちょっとやってみましょうかね…。ダイヤルを回して、ここを持ち上げてライターで…こんな感じです。寒いから点けときましょうね。消す時はこのボタンです。夕飯は18時から1階の食堂でセルフサービスになってます。お風呂は男女別の内湯と、名物の混浴の露天風呂があります。露天風呂は女性専用の時間もありますから、玄関脇の貼り紙を見ておいてください。あとは、この建物の1階奥にも男女別の露天風呂があります。お風呂はどちらもいつでも入れますから。それではごゆっくり」

 男はそう言うと一礼をして部屋を出ていった。


 私はひとまずお茶をうつわに注ぎ一息ついた。

 それから館内をひと通り歩いてみた。

 一階にはテレビの置かれた談話スペースと、小さな男女別の露天風呂があった。

 二階は部屋とトイレのみで、洗面所の水は何秒も触っていられないほど冷たかった。

 壁に掛けられた花や風景の写真のなかでひときわ目をかれたのは、春先に真っ白な雪で覆われた湖に現れるという、雪解け水がつくる明るいブルーの輪っか。龍の瞳に例えられるそうだ。


 部屋に戻ってきたものの特にすることもなく、もう一度お茶を飲んだが、体も冷えていることだし、夕食前に露天風呂へ向かった。

 食堂を横切り、玄関で草履ぞうりに履き替え渡り廊下を過ぎて、離れへと向かう。

 木造の古びた暗い脱衣所で服を脱いでいると、風呂から上がってきた人たちが話をしながら涼んでいた。聞くともなく話を耳にしていると、どうやらいろいろな温泉を渡り歩いているようだった。東北にはいい温泉がたくさんある。そんな旅も楽しそうだと思った。

 木造の内湯は中央に10人ほどの入れるこれまた木の浴槽があり、パイプからお湯が止めどなく流れ込んでいる。まさに源泉かけ流しだった。お湯は白濁し熱いくらいだったが、肩まで浸かって目を閉じると、車を運転した疲れが硫黄のにおいとともに溶けていくようだった。

 そして私は体が温まったところで露天風呂へと向かった。

 外への扉を開けると、びゅうと風が吹き、寒さで一瞬にして体じゅうに粟粒が生じ、足を進めるのをたじろいでしまう。

 山の斜面に沿うようにして木道が敷かれ、斜面を切り開くように、大きなものから小さなものまで5、6個ほどの湯船が掘られている。露天風呂ではあるが、地面を掘っただけの野湯に近い風情だ。

 それぞれの湯船には数人ずつ湯に浸かっていた。

 足を滑らせないように木道を歩き、大きめの湯船に足を入れた。

 ゆっくり首まで浸かると思わず「ふぅ」というため息が漏れてしまう。体はじんわりと温まってくるが、頭は風で冷やされ、それがとても心地よかった。

 湯船は壁と床が木でできていた。床には細かい泥と、手のひらにざらりとした感触のある細かい砂が溜まっていた。

 お湯は白濁していた。両手ですくって顔の近くに持ってくると硫黄のかおりが広がり、そのまま顔にかけると舌先に酸っぱさを感じた。

 時折、床の木と木のすき間からこぽこぽと泡が湧き上がってくる。

 今度は片手で床の泥をすくってみた。薄い灰色をした泥で、体に塗ると美肌効果があるという。試しに腕に塗ってみるが、腕を下ろすとお湯の中で泥はすぐにとろけた。

 私は壁にもたれて空を眺めた。空は澄んだ青から桃色に染まり始めていた。


 部屋に戻り食堂へと向かった。

 食堂からは田舎の素朴な料理を思い浮かべるような、和風の食欲をそそられるにおいが漂っていた。

 すでに浴衣を着た大勢の人が集まり、皿の上に思い思いの料理を乗せている。

 山の幸をふんだんに使ったバイキング形式の食事で、宿じまいのため食材も全部食べ切ってほしいと、それぞれの皿には料理がこんもりと盛られ、大きな鍋のお椀は何度すくってもまったく減った様子がなかった。

 山の宿で山の幸をいただく、これほどの贅沢はないと思えた。


 食堂の熱気でしばらくは体も温かかったが、戻った部屋はずいぶん冷え切っていた。

 石油ストーブに火を入れると、丸い芯の表面を伝うように青い炎が上がり、顔に暖かさを感じるようになってきた。

 読み古した文庫本をつらつらと眺めていたが、気が付くと、時計の針はとうに12時を過ぎていた。

 二重窓から冷気が入り込み、窓を開けてみるといくつか星が見えた。

 発電機のブーンという音が聞こえてくる。

 その時ふと、真夜中の露天風呂に入ってみようと思い立ち、タオルを手に部屋を出た。

 廊下は薄暗く、まるで誰もいないかのようにしんと静まり返っていた。そろりそろりと歩いてみるが、ギシギシという音は相変わらず鳴り響いた。


 脱衣所は小さなあかりが点いているのみで、闇に覆われたように薄暗く誰もいなかった。木枠の窓からすきま風が入り込み、体温がどんどん奪われていくようだった。

 まずは内湯で体を温めた。湯船には熱いお湯が止めどなく注ぎ込まれ、ずっとは入っていられなかった。

 そろそろ体が熱くなったと扉を開けて外へ出た途端、こごえるような風が吹き付けてきた。昼間の寒さとはわけが違った。体は一瞬にして冷え、ガタガタと震えがきた。

 足元の木道は、土がむき出しの荒れた斜面に沿って作られたそれぞれの湯船へと続いている。白濁した水面みなもから湯気が上がり、あたり一面に漂う湯けむりが電燈に照らされ、ぼんやりと光っていた。ひょっとしたらと思ったが、こんな真夜中に人影はひとつもなかった。

 木道をつま先で歩き、滑らないように気を付けながら、けれどもできるだけ早く湯船へと向かった。濡れたタオルは凍ったように冷たくなり、よりいっそう体を冷やした。

 湯船の縁に立ち、片足を湯の中に入れてみる。

「あつっ!」

 我慢をして足を床に付けてみたが、どうにも耐えられる温度ではない。いくら寒いからといっても、こんなに熱くては入っていられない。

 すぐに隣の湯船に移り、今度は手でお湯をすくってみると、少し熱めだがちょうどよい温度だった。

 さっそく足を入れ、思いのほか深い湯船の底をつま先で探り、タオルを手にゆっくりとあごまで浸かった。体はまだ震えている。

 上の浴槽から下の浴槽へ、コポコポとお湯の流れる音がした。

 真夜中の山の中の露天風呂にたったひとり。いろんなことが初めてだった子供の頃の、童心にかえったような気分だった。

 頭に吹き付ける風が冷たく、目をつぶって頭のてっぺんまでお湯に潜ってみたが、濡れた頭はかえって冷え切って凍るようになってしまった。


 ゆっくりと目を開くと風で湯けむりが薄くなり、斜め前に人影が現れた。やっぱり人がいたのだった。いや、気が付かないうちにあとから入ってきたのか。

 どうやら青年のようで、向こうもこちらを見ていた。

「こんばんは」

 私はそう声を掛けたが、自分以外にこんな夜中に入ってくる人があるのかと少し驚いていると、その青年はそんな私の心を読んだかのように言った。

「驚いているのは僕も同じさ。けれどきみとはちょっと違う理由でね。なにせ、僕が言葉で作り上げた世界にきみがいるんだから。いや、それとも…。うーん、そうだなあ…きみも僕が作ったことになるのかな」

 彼は私には分からないことをつぶやきながら、自分を納得させているようだった。

 そして言った。

「ひとつ聞いてもいいかな。きみはどうやってここに来たんだい?」

「どうやって、というと、家から車で…という意味ですか?」

「いや、質問を変えよう。そうだな…えーと、きみはほんとうにきみなのかい?」

「………?」

 私は何を言われているのかわからず、口に出す言葉を探せないでいた。

 彼は『私はほんとうに私なのか』と聞いたのか?

「んー、どう言ったらいいか難しいな…」

 彼は思案顔で眉間みけんにシワを寄せているようだった。

「そうだ、これならいいか」

 彼はそうつぶやき私を見て今度はこう言った。

「きみは、このまま思っているような大人になれると思うかい?」

「このまま大人に? もうじゅうぶん歳をとった大人ですけど、ひょっとして若く見えますか?」

 私の言葉を聞いて彼は急に笑い出した。

「じゅうぶん歳をとったって? しゃべり方も妙におとなびているし、きみはなんだか変なことを言うんだな」

 自分よりずいぶん若い初対面の青年に、「きみ」と呼ばれることに多少の抵抗を感じてはいたが、このあたりの方言かもしれないとそこは聞き流していた。しかし、他になにか変なことを言っただろうか…。

「変なことってなんですか?」

「だって、じゅうぶん歳をとった大人だって言っただろ? それはどうしたっておかしいよ。きみはまだほんの子供じゃないか」

「え?」

 そう言われて私は自分の体を見た。

 いやに白くなめらかな肌をしていた。手を閉じたり開いたりしてみると、水玉がくっついたり離れたりしながらその上をつるりと転がっていった。そして、揺れる水面に映るゆがんだ顔は知らない子供のものだった。

「そんな顔をしてどうしたんだい?」

 彼は私を見ていぶかしんでいた。

「こんな子供のはずがない。それに知らない顔の子供じゃないか…」

 私はうろたえて、何度も手や腕を見た。

「うーん、やっぱり、僕がきみの姿を作ってしまったのかな。けど悪く思わないでくれ、きみの持っている心の中のイメージが形になっただけなんだから」

「これが? この姿が、私の心の中のイメージだって? でもなんで子供なんかに…」

 私はそう言いながらもこの状況を冷静に受け入れつつある自分がいることに驚いた。

「そうかな、僕はいいと思うよ。だってきみがどれくらいの大人なのかは知らないけれど、心の中まで大人になってしまったら、せっかくの人生、楽しくないじゃないか。そういった意味では、子供の心を失っていないのは、素晴らしいことだよ」

 彼はそんなことを言った。

「そうは言っても、いつまでも子供ってわけにはいかないじゃないか」

「さすがに大人の心もあわせ持ってるんじゃないかな。程度の問題だと思う。それに、みんな忘れているのかもしれないけれど、心はいつだって子供の頃のように自由さ。そうだろ?」

「そうだとしても、この世界が自由ってわけじゃないし」

「言っただろ、ここは僕が言葉で作り上げた世界だって。だから今は自由だ。少なくともきみにとってはね。なんでも想像してみるといい。きみの想像したとおりになるから」

「急にそんなことを言われても、なんでもいいから想像するなんて、何をどうしたらいいのか…」

 私がしばらくためらっていると、彼はしびれを切らしたように言った。

「きみがまだそう思うのなら、僕が試しにやってみせよう」

 彼はそう言うと、目をつぶり何かを考えているようだったが、ふっと夜空を見上げた。

 私もつられて見上げると、そこには虹がかっていた。星の輝く夜空に明るくくっきりと架かる虹が。

 写真で見るオーロラとも違う、とても不思議な光景だった。

「なんで虹が…」

 私はそれきり言葉を失い、夜空を見つめ続けていた。

「言った通りだろ? やろうと思えば大空を駆け回る龍だって出せるんだ。ほら、次はきみの番だ」

「そんなこと言われても、何を想像したらいいのか…」

「まだそんなことを言ってるのか…。わかった。じゃあ、目をつぶってみてよ」

「目を?」

「そう」

 私は言われるがままに目をつぶった。

 すると、お湯の水面を漂うやわらかな硫黄のかおりが鼻をやさしく刺激してきた。

 上の湯船のお湯がゆっくりと流れ込み、胸のあたりで小さく波打つ感覚、床に溜まった砂を押し分けるように気泡が湧き上がり、肌をくすぐる感覚、その泡が弾けるたびにかすかに聞こえるぱちんという音、そんなものが急に感じられるようになり、全身は心地よい浮遊感に包まれた。そして安堵感に満たされながらも、体の感覚は研ぎ澄まされていくようだった。

「うん、この記憶なんかよさそうだな」

 そんな声が聞こえた気がしたが、しばらくの間、ひょっとしたら心地よくて寝ていたのかもしれない。

「もういいよ」

 その存在を忘れかけていた青年の声を耳にして、私はハッと我に返った。

 顔をなでていく冷たい風を感じながら、ゆっくりと目を開けていくと、私の斜め前には先ほどと変わらない彼の姿があった。

「ほら、空を見てみなよ」

 彼はうれしそうにそう言った。

「空を?」

 彼はやはりうれしそうに、何度か小さくうなずいて見せた。

 ゆっくり見上げると、満天の星空に、その半分もある長い尾を持った彗星があった。

 その中心部分はくっきりと白く満月を何倍にもしたように輝き、まるでこちらへ向かって迫ってくるようだった。

「すごい…」

 私は息をみ、そんな月並みな言葉が口からこぼれ落ちた。

「いつの間に彗星なんか」

「そう、ほうき星さ」

 子供の頃に見た彗星。

「彗星なんてしばらく来ないものと思ってたよ」

「僕の世界では、ううん、この宇宙ではと言った方がきみにはいいかもしれないけど、彗星じゃなくてほうき星というんだ」

「それはそうだけど…」

「このほうき星に見覚えはないかい?」

「彗星に見覚えなんて…」

「違うよ。だから彗星じゃなくて、ほうき星」

「ほうき星…」

 その響きに思い当たるところがあった。

 それは確か…、そう、子供の頃に読んでもらった絵本に出てきた言葉。画面いっぱいに描かれた彗星の絵とともに書かれた『ほうきぼし』という言葉。

 物心ついてから実際に見た彗星は、夜空の中のほんの小さなものだったけれど、ずっと心の中にあった彗星はもっと大きく、迫力のあるものだった。そう、絵本の中に出てきた彗星のように、そして、今見ているほうき星のように。


 その時、木星の光が一段と輝きを増したかと思うと、それは小さな光の連なりを伴い、アンドロメダとカシオペアの間を横切った。

「あの光は何だ?」

 私はびっくりして口に出すと、彼は事もなげに言った。

「あれは銀河鉄道さ」

「銀河鉄道だって?」

「そうさ。ここに向かってるんだ。うん、時間ぴったりだな」

 光はだんだんと大きくなり、そのうちに蒸気を上げる黒光びかりの機関車が姿を現してきた。

「想像すればなんだって作れるんだ」

「あれを、作っただって?」

「うん、そうさ。星の海を旅するためにね」

「作ったっていうのは、設計したってこと?」

「そんなだいそれたものじゃない。こういうのがあったらいいなと頭の中で思っただけさ。それに蒸気機関車はよく知ってるからすぐに思い浮かべられるしね」

「頭で思っただけで作れるって言うのか?」

「思っただけっていうのは言いすぎかもしれないけど、まずはそこからかな。さっきから言ってるじゃないか、想像してみるんだ」

「想像してみるっていっても、いったいどうやって…」

「まずは簡単なものから。鉛筆でも消しゴムでもなんでもいい。できる、と思うんだ」

「でも、想像しただけで形になんか…」

 そう言いかけた時、彼の手に鉛筆が握られていた。

「今見えているものが答えさ。おっと、濡らさないようにしないと」

 彼は笑って言った。

「やっぱりそんなことできやしない…」

「きみはまだ自分の目が信用できないのかい? それに、きみはほんとうに心からできるとそう願ったことがあるのかい?」

 私が『ほんとう』とはどういうことだろうと考えていると、湯船の脇に突然現れた停車場に銀河鉄道が滑り降りてきた。


 私の隣にいたはずの彼は、いつの間にやら身支度を整え上からトレンチコートを羽織り、柄がくるりと曲がった杖を持っていた。急におとなびたようだった。

「おやっ?」

 彼はそう言いながら私に向かって右手を差し出してきた。

「それが今のきみの姿だったんだな。なんだ、さっきまでの子供の姿とほとんど変わらないじゃないか」

 湯船から差し出した私の手を握りながら彼は言った。彼の手は節くれだっていた。

「僕はこれからまた星の旅に出る。それにしてもここは実にいいお湯だった。おかげで疲れもすっかり取れたよ。心の中まですっきりと洗われたようだ。ここに駅を作っておいて本当によかった。それじゃ、またどこかでお会いしましょう」

 彼は深々とお辞儀をし、それから銀河鉄道の古びた客車に乗り込み、木枠の窓をガチャリと音を立てて開け顔を出した。

「そうそう、大事なことを言い忘れていた。ここまでは僕が言葉で紡いだ世界。ここからは、きみはきみ自身の世界を作り上げるといい。そのために役立ちそうなものをいろんなところに散りばめておいた。差し出がましいと思ったけど、いらなかったら捨ててもらって構わない。きみの世界がどんなもので、どんな旅になるかは、きみ次第さ。それじゃ、またどこかで。いい旅を!」

 彼は晴れやかな顔でそう言うと、銀河鉄道はあっという間に星の海の中へと消えていった。


 やがて東の地平線が薄っすらと明るくなり、空はこん色からだいだい色のグラデーションを描いた。

 その空は今まででいちばん美しかった。

 これが私が作り上げた世界なのだろうか。

 いや、新しく作り上げていく始まりなのだろうか。

 明けゆく空を眺めながら、私は青年の言った言葉を思い出し、そして自分に問いかけた。

「きみの心はいつでも自由でいられるのか?」

と。

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