【1話完結】夫婦 井の中で

水也空

君と乾杯

 失敗はミリもゆるされない。それがお仕事。


 なにせ尊い人命とやらがかかっているのだ。

 それ即、自身の命同然もしくはそれ以上ということを胸に刻め。十字架背負え。死にたくないなら死んでも業務は遂行するのだ。最低限、マニュアルくらいは丸のみしておけ。自分の命は自分で守れ。


 時間はマジ限られている。秒単位でモタモタできない。正確かつ迅速にと、首縄がぐいっと喰い込む。


「なんでそのくらいできないの?」


 すいませんわたしがバカです。なんちゃって、舌でも出せれば。

 しかしまあコチラの患者さん、部屋移動したなら先に言っとけ。ところでアチラは食事変更の連絡いってますかね。インスリンの指示出し確認は誰がどうにかしてますかしら。

 申し送りが申し送りになってねー罠。ドクター指示出しギリすぎる罠。

 この逢魔が刻になんてこったい。インスリンもう準備済たい。配膳車来ちまったンゴと口から泡する間もない。今日のリーダーどこいった問題。処置室の散らかりっぷりで、おおよそお察し。


「主任さんどこ」

「委員会ってら」

「師長さんどこ」

「わかんない」


 出勤早々おうちに帰って酒のみてえ。

 夜勤帯に丸投げ勘弁。日勤帯の仕事をお残しするあのカワイ子ちゃんのまつエクどうにかしたい。ああいうのに限って、言い訳お上手。よいしょもお見事。いやすばらしい。実にかわいい。きみ見どころあるね。出世しちゃうぞ。うらやましいことこの上ないわ。そんなに上昇志向お強めなら粉骨砕身みせたらんかい等等等等。


(ああ性悪)


 我ながら、鏡の中の自分の顔も見たくない。

 一方で、


「使えないばか」

「嫌な先輩」


 そんなレッテルを貼られるのがこわくて仕方がない。誰よりも惨めな気分で、実際、泣きそう。それをとウザがられたり、あなたならできるできると突き放されたり。

 もうダメだ。

 そう、なりふり構わずギャン泣きできたら。そう思う口から出そうになるのは、


「わたしやります。やってます。すくなくともコイツよりは」


 ああああああああ。 






◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「たこ焼き、たべるか?」

「たーべーるー」


 連勤続きで、やっとの休日。

 伸びきった妻へ、夫が水をズズイと差しだす。


「おつかれさん」


 そんなときもありますねえと、小ざっぱりとした横顔で、レンジでチン。ただの挨拶。感想もなければ、つるんとしている。慰めているつもりも一切なさげ。励ますだなんて、もっての外といった風情。

 根っからこうだが、そういう男がたまたま夫でよかったなあと、たこ焼きをモグモグしながらおのれの男運にしみじみと感じ入る妻。


「どうだ。うまいか」

「ビールもください」

「いいねえ。最高」

「うむ。さいこーです!」


 これがド平日の朝というから、贅沢至極。


 なんやかんや。

 てんやわんや。

 あってもなくても。

 

「明日もボチボチやらいでかんぱい☆彡」

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