夢は見ないと決めていたのに
岩上翠
第1話
貧乏伯爵家で貴族間の付き合いも少ないわが家が、数年ぶりに、父の友人のカントリーハウスへ招待された。
両親はものすごく張り切っていた。
なにしろ一人娘の私、エレシア・クロックフォードは26歳。
貴族令嬢の結婚適齢期は過ぎている。
だが、父の古い友人であるアサートン卿が所有するカントリーハウスは王都から遠く離れており、一度行けば通常、招待客たちは一週間程度は現地に滞在する。
そして、この夏の招待客はわが家を入れて8組であり、その内の数組には結婚適齢期の独身の貴族令息がいた。
私が一週間のあいだにその内の誰かから運よく求婚されることを、両親は期待していた。
中でもずば抜けて条件がいいのは、このお方だ。
ライオネル・ブラッドバーン(29)。
公爵家の三男で、文武両道、容姿秀麗。
しかも、王家を守護する黒獅子騎士団団長。
会ったことはないが、賭けてもいい。
今夏カントリーハウスへやって来る令嬢たちは、ほぼ全員この人が目当てだろう。
そして、お金もない伯爵家の娘で、地味な茶色い髪と目をした、口下手で、読書しか趣味のない26歳の私など、騎士団長のライオネル様は見向きもしないはずだ。
絶対にもっと若くてかわいい令嬢か、ものすごくお金持ちの令嬢を選ぶはずだ。
「いいかエレシア、お父様たちは全力でお前を応援する。どんな低い身分の男でもいい。とにかく捕まえてくるんだ」
「そうよエレシア、なにも高望みをする必要はないわ。冴えない人でもいいじゃない。あなたと話が合う、社会的にまともな人ならそれで。だから、がんばるのよ」
「え、ええ……」
お父様とお母様が身もふたもない言葉で叱咤激励してくるけど、これまで幾度もの社交シーズンをがんばってもどうにもならなかったから、私は今も一人なのだ。
何度も現実に打ちのめされてきたから、もう夢は見ないと決めている。
私には士官学校の寮へ入っている優秀な弟がいるから、家の存続は問題ない。
だから結婚はせずに、そのうち、田舎にいる独身で裕福な伯母様のところへ行き、彼女の
コンパニオンは少ないとはいえ「
けれど、まだ私が結婚すると期待している両親に、そんなことは言えなかった。
***
予想通り、騎士団長のライオネル・ブラッドバーン様はカントリーハウスに到着早々、令嬢たちに囲まれていた。
「ライオネル様、こちらで一緒に紅茶をいただきましょう」
18歳のコートニー・メイスン侯爵令嬢が、ごく自然な流れでライオネル様に話しかける。
彼女はきれいな上に積極的だった。
ライオネル様の横を自分の定位置と決めたらしく、ことあるごとに話しかけたり、さりげなくボディータッチをしたりしている。
お前も行け、と、両親の期待をこめた視線が私に突き刺さる。
だが、もともと口下手な私は、年下のかわいらしい令嬢たちに交じって騎士団長にアピールする強心臓など持ち合わせていない。
お金がなくお洒落に興味もない私は、他の令嬢達よりもかなり地味で流行遅れのドレスを着ていたので、よけいに気後れしてしまった。
どうせ見向きもされないのだから……と、はなから諦めたりせず、無理してでも新しいドレスを仕立てて来ればよかったと後悔したがもう遅い。
他の男性たちに話しかけることもできず、私は両親の視線を避けるように、静かに読書ができそうな庭園へ出た。
庭園は少し暑く、ひとけがなかった。
大きなイチイの木の下のベンチが涼しそうだったので、そこへ向かう。
すると、庭師の格好をしたおじさんが大きなじょうろを抱え、よろよろと歩いてくるのが見えた。
なんだか、腰が痛そうだ。
口下手とはいえ、年輩の人が相手なら比較的普通に話せる私は、心配になって声をかけた。
「……あの、どこか具合でも悪いのですか?」
「あ、ああ……すみませんね、お嬢さん。お客様にみっともないところをお見せしてしまって……ちょっと、昨日腰を痛めてしまって、こんな有様で」
「まあ大変。よかったら、代わりにお水をあげておきましょうか?」
「いやいや、お嬢さんにそんなことをさせるわけには……いたたっ!」
じょうろを抱え直した瞬間、おじさんは悲痛な叫び声を上げた。
お父様も時々ぎっくり腰になるので、こういうときは安静が第一だと知っている。
私は奪うようにしてじょうろを受け取った。
「私がやります! おじさんはどこかで休んでいてください。あのバラに水をあげればいいんですよね?」
「……どうも面目ない。それでは、すみませんがお言葉に甘えて」
「ええ、任せてください。お大事に」
私は笑みを浮かべた。
おじさんは腰に手を当てながら何度も礼を言い、つんのめるように歩いて去って行った。
私はじょうろを持ってバラの花壇へ行った。
先日読んだ園芸書には確か、「バラには土が乾いたら十分に水を与える」と書かれていたっけ……。
暑さで土はカラカラに乾いていた。
私は何度も井戸と花壇を往復して、たっぷりと水をやった。
「これくらいでいいか。読書も、たまには役に立つわね」
「なぜ君が水やりをしている?」
「っ!?」
水やりの達成感にひたっていると、突然背後から声をかけられ、驚いて振り向いた。
暑さで幻でも見ているのだろうか?
私は自分の目を疑った。
そこには、黒獅子騎士団団長ライオネル・ブラッドバーンが立っていた。
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