12/24 23:00

 待ちに待った、聖なる夜がやってきた。静かな雪が降り積もる、真白のクリスマスだ。

「日の出までだね」

「はい、絶対に合格してみせます」

 じゃあ、とハールートは手を振った。レオは彼に背を向け、ソリの並ぶ倉庫へと向かう。自分の番号を確認し、雪を振り払ってソリを引っ張った。手元にランプを光らせながら、次はトナカイのいる場所へ。レオの相棒の名はミルと言った。


 日付が変わる少し前、レオたちは北の国を出発した。視界が白に染まる中、かがやくソリを走らせていく。ミルが走ったその場所に、一瞬一瞬星が瞬く。しゃらん、しゃらん、金色の鈴から音が鳴る。レオの赤い服には、さらさらの雪が降り積もっていった。



「あの青い屋根の家からはじめよう」



 地上に立ったレオは高らかに宣言し、プレゼントを持って夜道を歩いていった。誰かに見つかるわけにはいかないので、表通りを歩くことはできない。レオは裏道や小さな住宅街を抜け、注意深く家の中へ入っていった。部屋の中、男の子は優しい寝顔を浮かべていた。今にもベットから落ちそうな位置で、すぅすぅと寝息を立てている。よほど楽しみだったのだろう、ベットの横には大きな靴下がぶら下げられていた。レオは手紙を確かに受け取り、すぐにその家を後にした。


 レオは木の陰でプレゼントリストを取り出し、その子の名前の横にチェックマークをつけた。小さい頃からサンタという仕事に大きな憧れを抱いていたレオは、今この時、既に胸がいっぱいだった。


 二人目の家へと、ミルはソリを走らせていく。二人は次々に家へと向かい、子どもたちの横にプレゼントを置いていった。その後もレオたちの仕事は順風満帆に進んでいく。誰にも見つかることなく更けていく夜に、レオは思わず微笑んだ。空はまだ真っ暗だ。プレゼントを届ける家は、あと一軒だけになっていた。


 レオとミルは小さい陰に座り、プレゼントリストを開いた。一人だけチェックがついていない、女の子の名前はノア・アジオーリ。プレゼントは、と確認したところで、レオは大変なことに気がついた。住所を確認すると、そこは森の中の孤児院だったのだ。急がないと、日の出までに間に合わないかもしれない。そして孤児院には他の子供も眠っているため、誰かに姿を見られてしまう可能性が高い。レオは自分を奮い立たせ、ランプを持って立ち上がった。


 ミルの引くソリが浮かび上がり、再び夜空を駆けはじめる。雪が視界を遮っているので、かがやく星は一つも見えない。さらさらの粉雪が降り積もっていくばかりだ。ミルがスピードを出し切ったおかげで、予定よりも早く目的地の場所へ辿り着くことができた。そこは深い森の奥。遠くに小さく、教会のような建物が見える。レオはひとりで、雪降る森の小道を歩いて行った。



 レオは、足早に雪の上を歩いていく。少し道を行くと、小さな街灯がふたつ、教会の前に立っていた。おそらく、教会の横にある建物が孤児院だろう。辺り一面が雪に覆われているため、視界が悪くて上手く進めない。孤児院の前には、大きなフェンスが立ちはだかっていた。


 辺りを見回してみるも、中に入るには、この柵を乗り越える他ないらしい。レオは柵に手をかけた。過去に練習したことがあったが、ここまで大きな柵は初めてだった。レオは手袋をしたまま、かたいフェンスを掴んで体を持ち上げた。


 しかしその時、レオの手は滑ってしまった。そのまま、雪の中に落ちたのだ。静まり返っていた夜に、鈍い音が響きわたる。分厚い服を着ているとはいえ、レオは全身びしょ濡れだった。はじめ、レオは何が起きたかよく分かっていなかった。勢いよく落下した衝撃と寒さで、意識が曖昧になっていたのかもしれない。



 雪の中から顔を出すと、そこには少女が立っていた。大きな黒目の、背の低い女の子だ。少女は、明かりを灯したランプを持っている。その中で燃える火が、ゆらゆらと揺れていた。レオの額に、冷や汗が滲む。白い袋を持って真っ赤な服を着たレオを、少女は何も言わず見つめていた。


「ノア」


 自然に溢れたその二文字に、少女はこくりと頷く。沈黙だった。レオは浅い呼吸のまま、冷たい息を吐いた。見つかってしまったことによる焦燥と恐怖で、レオの頭は真っ白だった。しかし、この少女がノアであることは間違いない。他の子供に見つかってしまうよりかは、不幸中の幸いであるように思えた。


 その場から逃げることもできず、レオは少女に見つめられたままだった。見つかってしまったからには、もう誤魔化すことはできない。レオが試験の合格を手にすることは、もう絶望的だろう。この先のことを考えると、酷く億劫だった。深く息を吐いて、跳ね上がる心臓を落ち着けようとする。かじかんだ指先が痙攣して、空気中の酸素が薄くなったように感じられた。彼はプレゼント取り出し、直接それを手渡した。


 するとノアは、当たり前のようににっこりと笑った。そしてそれを、ゆっくりとレオに返した。

「これはね、103号室のアルネに渡して」

 レオは目を見開いた。そのまま差し出された箱に目を落とし、思わず絶句する。白息が、街灯の灯りに照らされて広がっていった。

「だってアルネ、サンタなんていないから何も頼まなくていいっていうの。クリスマスもどうでもいいって。でもほんとはアルネ、あのパズルがほしいって前に言ってた」

 私ちゃんと覚えてるもの、とノアは小さくこぼした。

 レオは少し顔を歪ませて、すっかり冷たくなった頬を撫でる。

「ねぇ。サンタさんは寒くないの?」

 ノアは早口で言った。

「それより、きみの方が震えてる」

 レオの言葉に、ノアはぎこちない笑みを浮かべ、そのまま口を閉じた。

 

「あのさ、ノア」

 レオは紫色の唇を動かした。

「ノアがほしいものは、ないの?」

「うん」

 ノアは即答した。

「どうして?子供は願えば、ほしいものが手に入るんだよ。他の子も、みんな」

「うん、知ってる」

「なにも、いらないの?」

「うん、いらない」

 レオが何度訊いても、ノアは頑なに首を振るだけだった。レオは強い衝撃を受けていた。


「ねぇ、サンタさんは誰かに見られちゃって大丈夫なの?」

 いや、全然大丈夫じゃないんだけどね、とレオは心の中で苦笑する。

「あのね、ここにいたら大人にも見つかっちゃうかもしれないの。だから、もっと別の場所に行った方がいいと思う。それか、早く逃げて」

「え」

 このノアという少女に出逢ってから、レオは驚いてばかりだ。

「あっ、えっと、あの、ちょっと待っててもらえるかな」

 わかった、とノアは言った。ごめんね、すぐ戻ってくるから、とレオは繰り返し、孤児院の中へと足早に進んだ。言われた通り103号室へプレゼントを届け、すぐにノアの元へ帰ってきた。途切れ途切れの息を吐く、レオの体温は下がっていくばかりだ。



 ◇



「少し、少しこっちにきて」


 何かを思いついたレオは、急いでノアの小さな手を引いた。彼女の、凍りそうな手先に触れる。レオの手も震えていたが、構わずノアを引っ張って歩いていった。


 レオは自暴自棄になっていた。どんな善行も失敗も、サンタクロースの本部にはお見通しなのだ。少女に見つかった時点で不合格になることは確定しているのだから、もう何をしても変わらないだろうという考えだった。



 レオたち二人は視界の悪い小道を歩き、森の中へ向かった。長い間降り積もっていた真白の雪が、少しずつ止みはじめている。


 トナカイを目にしたノアは少し驚きつつも、目の奥の光を輝かせた。ミルは優しい声で鳴き、不思議そうにノアを見た。ノアの白い頬が、ぱっと桃色に色づく。レオに促されるままに、ノアはソリの上に座った。


「本当に、何もほしいものがないの?」

 レオはもう一度、ノアの瞳を見つめながら訪ねた。

「うん」

「そんなこと、あるかな。例えば僕だって、ほしいものくらいはあるよ」

 ノアはしばらく、じっと地面を見ていた。かじかんだ指先に、ミルがあたたかい吐息をかける。


「あの、」

 ノアは消え入りそうな高い声で、小さく吐息を漏らした。

「あの」




「サンタさんは、わたしに再会をくれる?」




 静かな森の中に、ノアの声が反響する。やけに大人びた声だった。

「わたし、わたしね」

「わたし、会いたい人がいるの」

 ノアの唇は震えていた。濡れた睫毛が、街灯の光に照らされて影をつくる。


「その人に会わせてくれない、かな」

 ノアはありったけの勇気を振り絞って、痛みの走る喉でそう叫んだ。包む空気が風に揺れて、冷たく流れていった。


「サンタって、なんでもできるわけじゃないの?」

「うん。ごめんね、サンタは魔法使いじゃないんだ」

 ノアの瞳に影が差した。さらさらの前髪が重くかかり、彼女の顔が見えなくなる。レオは慌ててしゃがみ、彼女の瞳を覗きこんだ。


「だけどね、遠い場所に行くことならできるよ」

 溶けていくクリームのような、優しい声色だった。時間はかかっちゃうけど、それなら、とレオは何度も繰り返す。

「僕には素敵なソリがあるから。どこへでも連れて行ってあげる」

 きつく結んでいたノアの口許が、やわらかくほころぶ。

「それにね、大好きな相棒のミルもいるの。かわいいでしょ」

 ミルは誇らしげに、前足を勢いよく動かした。甲高い鳴き声をあげ、ノアのつぶらな瞳を見る。レオは火の灯るランプをかざし、大きな目を細めた。

 


「着くのは、朝になっちゃうかもしれない。それでもいい?」

「うん!」

 ノアは間髪入れず、弾むような声色で答えた。

「その子の名前はね、リズっていうの。リズと、明日の礼拝を受けたくて。それには間に合わない? リズ、教会のステンドグラスが大好きだったの」

 どうだろう、とレオは自信なさげに呟く。


 しかし、次の瞬間。弱音を振り切るようにして、レオはノアの手を強く握った。いつの間にか、もう雪は降り止んでいる。


「わかった、行ってみよう!」


「夜は長いよ、着く頃には明日になっているかもしれない。寝てた方がいいんじゃないかな」

 うん、とノアは首を縦に振った。彼女はこくりと頷きつつも、きらきらと目を輝かせていた。

「ノア、その子はどのくらい遠くにいるの?」

「わかんない」

「リズはね、前わたしたちと同じ施設にいたの。でも去年の冬、誰かの家に引っ越していった。どこの家かは、わからないけど」

 ノアはリズの記憶を思い出しながら、詳細を早口で伝えた。レオは分厚い本を取り出し、地図のページをめくって何かを調べ始める。

「さがすから、ちょっとまってて」

 レオの簡単な調べにより、その子の家はこの街よりも、彼の家よりも北にあることがわかった。ミルが全速力で夜空を駆ければ、明日の夜までに戻ってくることもできそうだ。レオの心に、再び美しい火が灯った。



 ミルはくぅんと鳴き、くわえていた手袋をノアのもとに投げた。ノアはぱっとそれを掴み、ふかふかの手袋をゆっくりとはめる。



 それから数秒後、ミルの引くソリは二人を乗せ、聖なる夜を駆けていった。見習いサンタクロースと一人の少女の、一夜限りの旅が始まったのだ。


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