第三話 安アパートは愛の巣
その気配を察したとき、清十郎は微動だにしなかった。
だから骨伝導イヤホンのみを通じて伝えられた珠々の言葉も、彼の不動を理解してのものであり。
『南南西の方向に人影、恐らく成人したばかりの男性。こちらの様子を隠れて伺っている』
思考時間は一秒に満たず。
次の刹那、清十郎は地を蹴る。
巨体が
プロレスラーのような体格をした男が、短距離走の選手のような速度で。
人影が、ぎょっとしたときにはもう遅い。
清十郎は、百メートル以上もの山道を、瞬時に詰め寄っていたからだ。
「お話を、聞かせていただけますか?」
「ひっ」
息一つ切らすことなく。
目の前に突如現れた偉丈夫を前にして、人影――様子を窺ってい青年は、喉の奥で悲鳴を上げ、その場に尻餅をつく。
『あなた、だいぶ妖怪染みてきたわね』
「……鍛錬の成果だ」
珠々の軽口へ応じつつ、再び清十郎はアプローチを試みる。
「自分は、このようなものでして」
名刺を懐から取り出せば、怯えきっていた青年の瞳に知性が宿った。
「財団保険、オカルト特約保険調査員……」
たっぷりとした時間、名刺を受け取ることもなく黙考していたその人物は、僅かに一つ、問いかけを放つ。
「おじさん、死人が甦るって信じるか? 信じて、くれるか?」
清十郎は。
「はい。道理をねじ曲げる怪異、その災害の調査を行うのが、自分の仕事です」
どこまでも厳粛な面持ちで、そう答えた。
§§
それが青年の名前だという。
彼は清十郎達が怪異にまつわる調査をしていると知るなり、協力出来ることがあると言い出した。
清十郎達は言われるがまま、彼の自宅である安アパートへと連れて行かれ。
そこで、思わぬ対面を果たすことになる。
「お帰りなさいなのです、アキタロー!」
入り口を開けると、開けたすぐの位置に少女が立っており、秋太郎へと飛びつき、頬ずりをした。
清十郎は生唾を飲む。
尾長秋太郎は、一度も外部へ連絡を取っていない。そんなそぶりをみせてはいない。
にもかかわらずこの少女は、今来ることが解っていたかのように、事前に扉の前へと立っていたのだ。
その特性は、彼が知る一人の人物とあまりに合致していた。
「……
「案山子お兄さん、パパからの依頼を受けてくれて、うれしいなのです」
やはり、この少女は知っている。
皆木依己乃は、答えを得ている。
少女の瞳の中、
部屋に上がってからも、依己乃は秋太郎にべったりだった。
一秒たりとも離れるのが惜しいといった有様で、密着を続けている。
清十郎の記憶の中よりも、よほど女性的な体付きになった少女の開けっぴろげな振る舞いに、彼としては思うところがあったが、それよりも秋太郎の反応のほうが気になった。
なにせ青年は、酷く困惑した表情を浮かべているのである。
パーソナルスペースを侵されることも、少女にとろけたような表情を向けられることも、まったく想定外であると彼の顔には書いてあった。
まるで昨日まで仇敵だと思っていた相手が、いまは恋人になってしまったように。
不倶戴天の敵が、一転して好意を向けてきたときのように。
清十郎には、そう感じられて仕方がなく。
「依己乃さん、皆木准教授から伺ったのですが、雷に打たれたと」
「こちらがその時受診した病院なのです。診断結果は、調査員としての職務の範疇でのみ利用出来るよう取り計らっているのでご心配なくです」
「…………」
ここでも、徹底した根回しと共に、受診券を差しだされる。
端末でスキャンすれば、本物であると珠々が返答、そのまま照会を任せる。
そうして、こんなやりとりをしている間も、依己乃は秋太郎へと絡みついており、時折その頬へ、ついばむような軽く柔らかな口づけを行っていた。
『
世迷い言を口にし始めた相棒からの通信を意識の外へ置きながら、彼は冷静に分析を重ねていく。
ことここに至って、依己乃が尾長秋太郎へたいしてなんらかの執着を持っていることは間違いないだろう。
それが幾層にも固められた嘘や偽りであるのか、純真な恋愛感情なのかまでは、数年も顔を合わせていなかった清十郎には解らない。
だが――
「それで、清十郎お兄さん」
何かの取っかかりに清十郎の思考が指をかけたとき。
表情を人形のような無機質なものへ変えて、依己乃は問うた。
「保険金、全額下りると思っているのですが、どうでしょうか」
「どう、と言われましても、現在あなたは健康であるように見受けられますが?」
「雷に打たれたと聞いてきたはずなのです。そして、雷獣の死体も確認されたのではありませんか?」
「……オカルト特約の規約には、幾つかの条件があります。ところであなたは、
「存じないのであります」
にべもなく。
一切の間を置かず。
皆木依己乃は否定した。
その上で。
「ですが、わたしが怪異に巻き込まれたことは、簡単に説明出来ます。なぜならあの日、わたしは」
少女は、にっこりと微笑んで、告げた。
「雷に打たれて原子分解し、隣の沼から、甦ったのですから」
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