第三話 現場検証で這いつくばる巨漢
高輝度ライトの明かりや監視カメラが世の未知を排してなお、現代には怪異神秘が息づいている。
少なくとも、
例えば、彼の眼前に広がる峠道。
人通りのない山奥に敷設された道路は、静まりかえっている。
唯一の光源である星明かりを受けても、ぬらついた照り返ししかしないアスファルトは、清十郎の目には
即ち、人知の及ばない場所であると。
周囲は完全に森だ。
外灯もなく、風が凪いでしまえば
『山は元々、人間にとって異界だったわ。普段の生活圏、常識が通じる場所とは違うところだったわけ』
彼の手の中で、タブレット端末が静かに呟いた。
画面の中では、やはり砂浜の椅子に座った美少女――
ただ、いまの笑みはいささか懐古の念が強いように、清十郎には読み取れた。
『やめて。見透かしたみたいな眼差し、大っ嫌い』
「……吉田氏の証言をまとめよう」
珠々の言葉へ返答することなく、清十郎はこの場を訪れた理由を再確認していく。
「我々の問い掛けに対して、吉田典文氏はこう答えた。運転は自分がしていたと。絵梨氏の傷は、今回の事故によるものだと」
『そして
「――誰だよ、そいつ?」
『って、困惑していたわね』
「十分だ。その反応を見れば、この案件は七割方終わったようなもの」
『でも、残りの三割が不明なままでしょ?』
「だから、これから検証するのだ」
アスファルトに手を当て、寝そべるようにしてその表面を検分しはじめる清十郎。
珠々が可笑しそうに眼を細める。
『うふふ、地べたを這いずって回るなんて、いつから自分の分を弁えるようになったの?』
「おまえに出会い、失ったときからだ」
『……やぶ蛇。最悪すぎる』
途端に苦々しい表情になる珠々を無視して、清十郎は前もって入手した情報を開示していく。
「事件当時、彼らはこの道を走っていた。他に車はなく、ハイビームはしっかりと
『……あくまで彼らの言い分ではね』
「そうだ。法定速度を逸脱していたことを、吉田氏は意図的に報告していない」
ならば、どうやって情報を獲得したか。
清十郎は語らない。必要がないからだ。
財団保険は、確かに警察機構、司法機関に対して一定の発言力と調査協力を求めることが出来る。
だが、それは法律が許す限り、三権分立の範囲内でのことだ。
また、人間が絡む以上、派閥争いなどもあり、調書や個人情報の類いを勝手に覗き見ることは許されず、正確なデータが手に入るとも言い難い。
しかしながら、一般的な、常識的な範囲であれば協力関係自体はあるので、速度違反をしていたかどうかは、
つまるところ、典文たちはその程度の事実だからこそ伏せていることになる。
もっと尋常ではない突飛な出来事こそを、財団保険、警察の両者へ語っているからだ。
即ち、妖怪の介在である。
「べとべとさんから煽り運転を受け、ハンドル操作を仕損じて、ガードレールへ突っ込んだ。これが彼らの言い分だ」
清十郎が見据える先に、闇がぽっかりと口を開けている。
壊れたガードレール、崖下まで続く事故の
間に合わせのように並べられた三角コーンが、逆に危うさを強調している。
「吉田氏の愛車は確かに破損をしていた」
そして二人の怪我もまた、本物であると診断が下されている。
「だが、絵梨さんの怪我は、頬にまつわるものではない。足首の捻挫や、胸郭の圧迫に伴うものだ」
『頬、傷自体はあったわよ。古傷みたいだったけど』
「ならば切っ掛けは――む」
アスファルトを這っていた清十郎の太い指が止まる。
そこには色濃いブレーキ痕が残されていた。
「ここで事故が起きた。それは事実だろう。問題は」
『怪異が実在したか、でしょう?』
これが、財団保険調査員たる案山子清十郎にとっての、最大の懸案ごとであることは間違いない。
通常、保険調査員による調査は、主に三段階を
現場における状況確認。
目撃者などへの聞き取り調査。
そして、警察の調書や病院が作成する診断書などから、被害の妥当性を判断。
その後、支払額を算出し、親会社へ報告書を提出する。
だが、案山子清十郎と磯姫珠々が所属するオカルト特約専門の部署では、ここに怪異の特定という手順が挟まれる。
妖怪、怪異、神秘、都市伝説。
こういった異常を、法律と常識は否定する。
怪異を取り締まる法令など存在しないし、立証することなど不可能だ。
それは清十郎にもよく解っている。
解った上で、彼は知っているのだ。
この世には、ヒトならざるものが実在するのだと。
なればこそ、偽りか真実か、問わねばならないと。
よって、その残滓を、形跡を求め、清十郎はかそけき証拠の糸を
「今一度紐解こう。彼らは車を走らせていた。夜遅くに、スピード違反をしてまでだ」
『その理由はわからない。というよりも、黙秘しているわね』
「ああ、これについては既に罰則を終えている。重要なのは、なぜそうなったか。珠々、べとべとさんの関連文献を」
『この辺り一帯のでしょ? そうね、典型的なものよ。足音の怪。背後からついてくるけれど見えないもの。そしてこれを解除する方法は、一休みして、べとべとさんお先にどうぞと告げる。すると足音は先に行ってしまう』
「他には?」
『他?』
清十郎の要求に、少女がゆっくりと首を傾ぐ。
彼女の周りにいくつもの泡が浮き上がり、そのなかに画像や文字媒体――ネットに漂う情報が表示されては消えていく。
やがて、そのうちの一つを、彼女が口元に運んだ。
数秒の咀嚼後、珠々は顔をしかめる。
『一件ヒット。
どうやってと睨めつけられて。
清十郎は目を閉じ、顔を背け、ぼそりと。
「……融通してもらった」
と呟く。
途端に、珠々が不機嫌そうに叫ぶ。
『また私の知らない人脈! 今度はどの女が噛んでるわけっ?』
「……なぜ女性と決めつける」
『あんたがだらしのないスケコマシだから! 愛多きことは
「…………」
曖昧な表情で浮かべ、明後日の方向へ視線を向ける清十郎。
唸り、牙を剥く珠々。
画面の中では、彼女の身体に絡みついた着物の裾が解け、バタバタと怒りに揺れていた。
『……でも、これは間違いなく、怪異の現代に対する適応よ』
随分と間があってから、矛先を納めた珠々は告げる。
再び端末上に浮上する泡、泡沫的な情報、データの海。
少女はそのうちの幾つかをピックアップする。
『類例は過去にいくつもある。
「妖怪にも同じことが起きる。俺たちはそれを見てきた。意図的に、これを発生させる
『今回の一件でいえば、べとべとさんという比較的知名度のある妖怪と、走り屋というアウトローが好む与太話、
「さしずめ、べとべとさんの煽り運転事件とでも名付けるべきか」
『……なんで名付けるのよ』
問われて清十郎はしばし考え。
「俺の恩師が言っていた。名付けとは、原理を最大化する儀式であり、在り方を縛る呪術であり、なによりも最も根本的な……理解の方法だと」
『そうじゃなくて』
「解っている。あの名を軽率に呼ぶことはない。磯姫珠々、それがおまえだろう?」
『……ふん、
電脳の美少女はそっぽを向き。
またすぐに、真剣な表情へと戻った。
『話を戻すわ。結果として、ただ夜道をついて回るだけだった妖怪が、ヒトに怪我を負わせる存在にまで成長した。なぜなら、その方が、都合のいいと思うものがいたからよ』
「都合、か。誰にとっての都合なのだろうな」
『解ってて、ガーゼの下の傷を私に調べさせたんでしょう?』
「…………」
ゆるゆると息を吐き出す巨漢へ。
画面の中の少女は訊ねる。
既に議論は尽くされ、必要な情報は与えたと言わんばかりに。
『それで、あなたの結論は?』
清十郎は、ただでさえ陰気な顔をさらに暗くし。
先ほどまで事故現場の道路を撫でていた指先にライトを当てながら、答えた。
「べとべとさんは実在する。ただし、その語り部が誰かということが、問題なのだ」
巨漢の指先には、真っ黒な塗料の粉が、付着していた。
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