奇跡の人

 テレビの取材か……

 私はベッドに寝転びながら、持ち込まれた企画書を無造作にテーブルに置いた。


「ちゃんと見なくていいの?」


 隣で身を起こしたとおるが眉をひそめた。

 3回目の宝くじ当選後に手に入れた彼氏。

 芸能プロダクションの子だったが、気に入ったので買った。

 私を心から好きになり、どんな事でも尽くす。

 そう書いた。


 事務所期待の子だったらしく交渉が思いのほかこじれたので、面倒になって事務所の社長に消えてもらった。

 ノートって素晴らしすぎる。


「自分の意思で山に入って自殺する」


 そう書けば罪の意識も無く消えてもらえる。

 

 これに気付いたのは、私を嗅ぎまわるフリージャーナリストに消えてもらったときだ。


 あの女がノートの存在に気付いた。

 気付かれたところでどうという訳じゃないけど、万が一。

 最初は手が震えたし吐いた。

 でも、ノートに「罪の意識無く躊躇ちゅうちょせずに願い事を書けるようになる」と書くと、気持ちが楽になった。


 そう。私がやったんじゃない。

 自分の意思でいなくなっただけ。

 しかもノートの……あの少年のせい。

 私は被害者なんだ。


 私は被害者。


 その言葉の悲劇性にうっとりして思わずニンマリと微笑んだ。

 特別な私は突然巻き込まれて、騒動の渦中に。

 でもそのさなかに富と愛する人を手に入れる。


 物語なんてばかばかしい。

 私が物語なんだ。


「取材はもういい。疲れちゃった」


 そう言うと私は彼に抱きついた。

 この甘美な温もりの方がずっといい。

 

 隣で寝ている彼の顔を私は満たされた気分で見ていた。

 この人が私の運命の人……


 そんな時、ふと衝動的に私はノートを広げた。

 そしてこう書いた。


 佐伯亨は何があっても私から離れない。何があっても愛し続ける。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 また、ライン……


 私は舌打ちをしながら亨からのラインを見た。

 いつ帰るの? って……気が向いたらに決まっている。


「どうしたんだよ? めちゃ怖い顔してるけど」


 私を背中からハグしてくれている和也。

 時代遅れのロン毛は不満だが、彫刻みたいな堀の深い容姿に亨にない野生的な魅力の人だ。


「ずっとライン来てキツいんだよね」


「別れちゃえば? 俺が話そうか?」


 私は顔をしかめて首を横に振った。

 今まで何度もそうしようとした。

 でも無理だった。

 何かに操られてるの? と思うくらいに彼は離れようとしない。


 ノートにあんな事書かなきゃ良かった。

 あの内容を消そうとしたが、一度書いた物は消せないらしい。

 あの子供。

 こんな不便なノート、渡すんじゃないって。

 頭の悪い……


 仕方ない。

 あれしかないか。

 ノートの残りももう3ページになった。


 もう死ぬまで遊んで暮らせるお金もある。

 詮索する奴も肉親含めみんな消した。

 今更叶えてもらいたい事もないけど、もしもの事もあるので無駄遣いはしたくなかった……まあでも仕方ない。


「大丈夫。明日には片付くから。……ねえ、良かったら明日お祝いしない? 私たち付き合って1年だっけ」


「マジで? じゃあ一緒に準備する? 特製の料理作ってやるよ」


「ありがと。でも、ちょっと用事があるから1人で準備してて。夕方頃に行くから」


「オッケー。じゃあ……続きする?」


 そう言って彼は私の体をまさぐる。

 その手つきの滑らかさに身体の奥から妖しい疼きを感じ、それに身を任せようとしたとき……


 またライン。

 しかも電話のほうだ。


 見るとまた亨。


 私は頭に血が上るのを感じ、ベッドを出ると隣の部屋の金庫のダイヤルを合わせると、ノートを取り出した。

 そして、乱暴に書き込んだ。


 トラックに轢かれてその際の火災で焼け焦げる。


 ざまあみろ。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 翌日。

 私は神社にいた。


 あの日。

 あの美しい少年に出会ったことで全てが始まった。

 私は選ばれたと思った。

 でも違う。

 気付いてもらえたんだ。


 私はそんな気持ちと共に、神社を見回す。

 ここに来るのは最後だ。

 でも、最後に刺激的なことをしたくなった。


 私はゴクリと喉がなるのを感じながらノートを取り出した。

 書き込む事はもう決めてあった。


 神社で出会った少年は私を好きになり、この神社で身も心も全て捧げる。

 

 あれから思い返すと、ガキではあるけど美しかった。

 散々男は抱いてきたけど、あれほどの美しさには巡りあえていない。

 そんな少年と、初めて出会った神社で事に及ぶ。

 それはたまらなく刺激的だった。


 あの少年は何者なんだろう? 

 どうでもいい。私は神だ。


 そう思いながらノートに書き込もうとした時。

 

 あれ……ノートが無い。

 私はため息をついた。


 金庫の中か。

 忘れてきちゃった。


 仕方ない。

 少年との逢瀬はちょっとだけお預け。

 すぐに来るからね。

 

 そしたら、今のアイツともお別れで、当分あの子一本にするか。

 共犯関係の少年を抱く。

 そんな蜜もきっと甘いに違いない。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 マンションに着いてみると、部屋の中は真っ暗だった。


 なに、アイツ。

 準備する、って偉そうに言ってて。

 使えない。


「亨! どこに居るの。私が帰ったら明かりつけてって言ったでしょ」


 だけど、返事はない。

 キッチンからグツグツとスープだろうか? 煮える音がするだけ。

 何なのアイツ。火を掛けっぱなしで出て言ったわけ?

 ああ、ムカつく。


 乱暴な足音を立てながら室内に入ろうとした私は、足が止まった。

 

 なに……これ。


 上手くいえない。

 でも何かおかしい。

 物音はしない。

 でも……


 私は鳥肌が立った。

 

「ねえ……和也! 居るの!」


 私は自分の声が震えているのが分かった。

 ノートを取ったら一旦ここを出よう。

 そして和也を殺す。

 こんな思いをさせた奴は生かしておかない。

 そして、最後の1ページでこの恐怖を消し去るくらいに、あの少年とセックスしてやる。


 ガチガチ鳴る自分の歯に苛立ちを感じながら、中に上がる。

 大丈夫。

 自分の部屋まで数メートル。

 金庫の番号も知ってる。

 すぐに取り出す。


 室内の電気を点ける。


 その直後。

 私はヒッ、と声を上げた。

 キッチンから目が離れない。


 大鍋の端に何かが垂れていた。

 ……それはハッキリと分かった。

 沢山の黒い糸……違う。

 髪の毛。


 違う……違う……


「違う……」

 

 もうヤダ……ノートはもう……いい。

 そう思いながら振り向こうとした私は、その場に固まった。


 後ろに……いる。

 振り向いちゃいけない。

 そんな予感に足が震える。


 何でって?

 だって、背中からポタ……ポタって何かが垂れる音が聞こえる。

 時々、べちゃ、って何かが落ちる音が……

 でも……なんで息遣いまで?

 おかしいよね?

 それにとても生臭くて焦げ臭いの。

 吐いちゃいそう。


 そうか……後ろの人……水遊びを。


「はな……れ……ない」


 水に口をつけているかのような声……聞き覚えのある声が聞こえた途端、私の中何かが切れた。

 私は大声を上げて走った。


 もう思考なんて無かった。

 ただ、動物のように。

 部屋に……自分の……ノート。


 見覚えのある部屋のドア。

 それは少しだけ開いて、そこから出ている手が見えた。

 倒れているのだろうか。

 和也!


 散々見慣れた恋人の手。

 ああ……良かった。


 私はその手を取った。


 軽い……


 次の瞬間、その手はフワッと浮いた。

 手首から先の無い恋人……だった物が。


 私は金切り声を上げながらトイレに入った。


 この狭さが守ってくれるように感じ、泣きながら笑いながら震える。


 なんで……こんな……


 私の脳裏にノートのことが浮かんでくる。

 自分の書いた内容。

 少年の言葉。


(佐伯亨は何があっても私から離れない。何があっても愛し続ける)


(何らかの形で叶う)


 まさか……


 そう思ったとき。

 ドアを叩く……いや、何かの液体を塗りつけるような音が……聞こえた。

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