実習
講習は終わり、部屋の中にはさまざまな人のため息だけが響いていた。私たちの仕事は想像していたような過酷な物だった。簡潔に言うと、私たちの仕事は「部屋」と呼ばれる研究過程で生まれる化け物を処理することだ。おそらく、このsurveillanceドームの遺物によって生まれた化け物だろう。
やはり、都合の良すぎるチャンスなど存在しなかったのだ。すでに失敗した者に対し、選択肢を用意することなどどこのドームでもあり得ない。ここにいる誰しもがそれをわかっているようで、すでに諦めたような顔をしていた。
「それではこれからは実習に移ります!これから一緒に仕事を行う同僚達と一緒に作業の見学をしましょう!」
順に名前がアナウンスされていく、研究所にはいくつものサイトがあり、一つのサイトにつき3人の新人が配属されるらしい。すぐに名前が呼ばれた。
「エメリヒ、マーガレットの2人はサイト112担当です。モノレールを使ってサイト112まで移動してください。」
早速部屋から出てマーガレットと一緒にサイト112行きのモノレールに乗った。
中でこれから同僚になる者の顔を確認する。マーガレットは活発で身長の低い華奢な美少女だった。顔の整った女性だで、かなり幼そうだ。16歳あたりだろうか。彼女からフレンドリーにこちらに話しかけてきた。
「あなたはエメリヒよね!これからよろしく!」
できるだけ朗らかに、感じの良さそうな返事をする。
「はい、エメリヒです。これからよろしくお願いします。」
彼女は私の形式的な返事が少し不満なようだった。
「うーん、これから一緒に働くんだし、敬語なんて使わなくていいのよ!」
彼女はウインクをしながらそういった。私はそこまでコミュニケーションが上手な方だとは言えないので、こういった気遣いはありがたい。少し恥ずかしかったが、敬語をやめて挨拶し直す。
「そうだね、これからよろしく」
彼女は満足したようで少し自慢げな表情をして言った。
「私はマーガレットよ!」
彼女は内緒話をする時のようにこちらに近づいて言った。
「ねえ、エメリヒはこれからやる仕事についてどう思う?私は案外簡単じゃないかと思うんだけど」
「えっいや、そうは思わないませ…思わないけど」
「あっあなたドームの中に住んでたでしょ!スラムではたまにだけど化け物と出会うことがあるのよ!最後に見たのは…3年前だったかしら、私それと戦ったのよ!」
驚いた、彼女にはそんな力があるようには思えなかったが、彼女はスラムで傭兵のようなことをしていたらしい。身体改造でもしているのだろうか?いずれにせよ彼女はスラムでさまざまな経験をしているに違いない。こんな状況では私よりよほど頼りになる。
私のそんな反応を見て嬉しかったのだろう。自慢げな表情がさらに深まり、胸を逸らして自身の武勇伝を話し始めた。本当に表情が豊かだ。
しばらくして、モノレールが目的地についたようだ。モノレールの速度がだんだんと落ちていくのを感じる。完全にモノレールが止まり、ドアが開いた。とりあえず2人で外へ出る。彼女の方は自分の武勇伝が遮られて不服そうだった。正直、彼女の武勇伝は本当にそうだったのか疑わしいようなものばかりだったが。
すると作業服を着た15人ほどの人だかりがやってきた。
「サイト112へようこそ、私は2級作業員のセシルです。これから実習を行う『部屋』の元へ向かいます。ついてきてください。」
1人だけ作業服の色が違う作業員が言った。セシルは歳の近い20歳ぐらいの青年だった。人の良さそうな顔をしていて、声は朗らかだった。
彼が連れていった先の部屋は、私が今まで見たことのあった部屋とは全く違っていて常軌を逸していた。
ドアを開けて部屋の中に入ると、中にさらにドアがあったのだ。それも二重扉どころではなく、ドアの数は10個以上あり、非常に厳重に管理されているようだった。
そんなドアがある鉄の箱のような無機質な部屋の前で、セシルがこちらに向けて説明を始めた。
「ではこれから作業を行います。事前に調べておいた情報によると、『部屋』の中に入った瞬間に人の形をした化け物が出てきて私たちを攻撃します。1キロ先の丸くて浮いている肉の塊が本体です。見つけ次第破壊してください。新入りのお二人は真ん中にいてもらっても結構ですよ、私たちが守るので。」
「5級作業員の皆さんも準備はいいですか?扉を開けますよ!」
どうやら彼と一緒にいた14人の人だかりは5級作業員のようだった。セシルを先頭に、私とマーガレットを囲むようにして陣形を組む。
セシルが手元で何か操作するとゆっくりと扉が開いていく、扉が開き切ると同時に中の空間に全員で走り込む。
中に足を踏み入れた瞬間、膜をくぐるような不愉快な感触とともに周囲の雰囲気が変わり急にひどい匂いと薄暗さ、景色の悍ましさが増した。『部屋』の壁は肉でできていた。
全員が中に入ったあたりであたりからセシルが言ったような人もどきが襲いかかってきた。辺りに何十体もいて、全員裸だ。何も言わずにこちらに向かってくる。それらは現れてすぐ5級職員の持っている銃によって撃ち抜かれていった。
彼らの体は細部に至るまで人間と同じようにできていて、撃たれた箇所から血が噴き出て水溜まりを作っていた。彼らの表情は常に笑顔だった。それも狂った笑いではなく、母親が息子に向けるような慈愛、もしくは親愛のこもった穏やかな微笑を顔に讃えていた。
セシルたちは、セシルが道を切り開き、5級職員は近づいてくるものを撃ち、と言ったふうに役割を分担しているようだった。セシルの持っている武器は銃ではなく一本の長い剣だった。
剣の周りには何やら青いオーラが立ち上っていて、剣は人もどきの肉と骨を何の抵抗なく切り裂くことができるようだったし、オーラは形を変え、周りの人もどきを噛み殺していた。講習によると、この剣は『遺物』の技術によるものではなく『部屋』を加工したものだ。magic社の製品はすべて『部屋』を加工したものであり、どれも本物の魔法のようで言葉で言い表せない神秘的な雰囲気がある。
そんな武器に突っ込んで切られるのを繰り返している彼らは、救いを与えられているように見えた。彼らは全員死を望んでいて、その機会がやってきたことに対して安心し、感謝しているかのように。
しかし、穏やかな表情をした彼らをその武器で切り裂いていく様子は言いようのないほどに残酷だった。何の抵抗もなく紙のように切り裂かれ、上半身と下半身が両断された人間もどきが山のように積み重なっていった。今まで見たことのなかった人の断面は血によって真っ赤に染まっており、その赤い円の中にポツンと白い背骨が通っているのが見えた。
その光景の残酷さは私の受け止められる上限を遥かに超えていた。私は私たちが平和を脅かす野蛮な侵入者であるように思えた。
この虐殺更新は何分も続き、その光景は目から私の胸に入り込み、私の心を酷く痛めつけた。
そうやって死体の山を作りながら500mほど進んだところだろうか、だんだんと人もどきの数が少なくなっていった。同時に襲ってくる人もどきの数が20体ほどになるまで減ってきた頃に、陣形の真ん中の地面から急に巨大な人もどきが現れ、周りにいた5級職員2人を叩き潰した。
私は一瞬それを見て少し苦痛が和らいだ。すでにこの戦いが一方的なものでなくなったからだ。しかし、その先にあったのはより残酷な地獄絵図だった。
陣形は内側からも巨人が出てくるようになったことで崩壊した。セシルは大丈夫だったが5級職員のほとんど人もどきに押しつぶされ、巨大な肉の塊となり圧死した。彼らは孤立し、人もどきに囲まれていた。彼らは奮闘していた。人もどきを寄せ付けないように必死で銃を扱っていたが、人もどきの波は徐々に彼らに距離を詰め、最終的には彼らに飛びつくことに成功する。そうやって大勢の崩れた彼らを何人もの人もどきがのしかかり、潰して殺していた。
あたりから恐怖に満ちた叫び声銃声が鳴り響いたが、それらは人もどきに埋もれて一つずつ消えていく。
出来上がったのはただ沼だった。どこまでも深く、長い沼。私はしばらく動けなかった。ただ沼を眺めていた。
私がまだ生きているのはマーガレットが守っていてくれているからだった。マーガレットは作業服のポケットから小さな拳銃を取り出し、それで向かってくる敵を倒していた。彼女の射撃は正確であり、一発で人もどきの脳を撃ち抜いていた。モノレールの中で聞いた彼女の武勇伝は事実なようだ。しかし、それも長くは持たなかった。
巨人がゆっくりと彼女に近づいてくる。ただの銃ではどこに撃ってもその巨体に致命傷を与えられない。巨人は目の前までやってきて、腕を薙ぎ払うようにして使って彼女を攻撃する。彼女は身を捻って躱そうとしたが間に合わなかった。骨の砕ける音とともに彼女の体が5メートルほど吹き飛ぶ。
セシルがそれを見て急いで駆けつけてくる。彼のもつ剣は巨人の胴体も簡単に両断した。周囲に血の雨が降る。彼の剣はどうやら伸びるようだった。その後彼は一帯の人もどきを片付けて言った。
「マーガレットを持って再生機に入れろ!あと横にある武器も取ってこい!予想より強い『部屋』だ、1人で球まで辿り着くのは流石に厳しい!」
血を浴びて呆けていた私は、彼の声を聞いて我に帰った。返事もせずにマーガレットを抱き抱える。体のあらゆるところの骨が飛び出、関節があらぬ方向に捻じ曲がっている彼女を持ち上げるのは至難の技だった。
持ち上げると私の腹の部分に彼女の飛び出た骨の硬い感触と生きていた名残の生温かさが伝わってくる。身長の低い彼女の体は驚くほど軽い。人もどきはセシルを相手するだけで手一杯なのだろうか、マーガレットを抱えて走る私を襲ってくる人もどきはほとんどいなかった。何人かの人もどきの間をすり抜けて『部屋』の外側にたどり着いた。
彼女の死体をマークの書かれている床の前に置くとき、目があった。彼女の目は焦点が定まっておらず、血だらけの口からはだらしなく舌が飛び出ている。
すると壁のスピーカーから声が聞こえてきた。「3級職員23-gを再生します。床から離れてください。」床が開いて彼女の死体が吸い込まれる。ぼちゃん、と水音がして、しばらく自分の荒い呼吸音だけが聞こえた。
数十秒後にチーンという音と共に再び床が開き、出てきたのは完全に元に戻ったマーガレットだった。
「おえー、最悪の気分ね、生き帰るのって」
この施設にはさまざまなドームと協力して『遺物』を活用した設備がいくつも置いてあった。この復活装置もその一つだ。会社によるとこれが社員のための福利厚生だという。
彼女が元通りになったことと、変わらない彼女の調子に、私はいくらか余裕を取り戻して言った。
「横にある武器を拾って早くセシル2級作業員を手伝わないと」
「なるほどね!OK!早速適当なのを持っていきましょ!」
彼女は復活装置の横に置いてある武器の山を数秒眺めて、ダガーのような小さな武器をありったけと冗談のように大きなハンマー、瞬足ブーツをご機嫌に持っていった。
私には刃物は扱える気がしなかったのでボルトアクション式のライフルとジャケットを身につける。私は銃の種類にあまり詳しくなかったので名前はわからなかったが細長く、持ち手に木が使われていた。銃自体はmagic社製品特有の雰囲気はしなかったが、弾からはその雰囲気がした。
マーガレットと一緒に説明の書いてある紙を急いで確認し、『部屋』のなかにいるセシルの元へ急いで向かう。
セシルは大分疲れていたようだったが目立った傷はなかった。合流したところで、また前への歩みを再開する。
マーガレットは巨大なハンマーを軽々と振り回していた。何か特別な効果があるのだろう。彼女の一振りで何人もの人もどきが潰れた。
私の弾丸にも不思議な力があり、六発ずつ火炎弾や貫通弾、電撃弾などさまざまな弾があった。
虐殺行進が再び始まった。私は以前のように残酷なことへの抵抗がなくなっていった。安全に人もどきを処理できていることに安堵感まで覚えた。
あとの作業はすぐに終わった。
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