零下草

高本 顕杜

零下草

 リューベリカには二つの道があった。


 一つは、逃避の道。吹雪が吹きすさぶ山奥へ続く道だ。

 そちらへ行けば、地の利はリューベリカにある。追っ手の軍人からは逃げ切れるはずだ。後は吹雪を耐える事さえ出来れば、助かる可能性は十分にある。

 しかし、危険なこの地からは離れなければならない。そうなれば、彼女にはもう二度と会えないかもしれない。


 もう一方は、その彼女へ続く道だ。

 その道の先には、約束の場所、零下草の群生地があった。少しすればいつも落ち合う時刻にもなる。彼女は今日もそこに来てくれるはずだ。

 しかし、その道からも軍人が迫っていた。雪を踏む軍靴の音の重なりからして五人はかたい。まともに相手出来る人数ではない。

 彼女の元へ行くには、その軍人達を越えていかなければならなかった。


 リューベリカは逡巡する。


 ――どうすれば。




 リューベリカは、氷雪地帯を定住地としている少数民族の少女だ。少女といっても、もうすぐ民族内での成人を迎える歳で、狩り、格闘技術、家での務めは既に一人前だった。


 そんな、リューベリカが、彼女に出会ったのは、雪山で遭難している彼女を助けた時だった。

 年格好が同じくらいの彼女は、零花といった。零花は学者らしく、民族独自の言語を理解できた。おぼつかないながらも、民族の言語でリューベリカに言葉を返してきたのだ。

 リューベリカは、外からの人間を見るのがほぼ初めてだったため、最初は警戒したものの、最終的には言葉が通じる零花への興味が勝った。

 

 その後も度々会うようになったのは、零花からの誘いだった。

 雪山には、零花が現在研究している零下草という草花の群生地があり、そこを約束の場所として、二人は幾度も同じ時を過ごした。


 リューベリカは、学者たる零花からの知識に何度もカルチャーショックを受け、彼女の話に夢中になった。

 だがそれ以上に、民族内に同世代がいないリューベリカにとって、歳の近い零花自身が一番の興味の対象でもあった。

 彼女との時間が増えるにつれ、リューベリカの中での零花の存在はどんどん大きくなっていったのだった。


 しかし、リューベリカは知らなかった。


 いま氷雪地帯は、次世代バイオエネルギーの原材料生産に適した地として、零花の様な学者も含めた、世界中の国々、企業がこぞって開発に入ってきている事を。


 零花から、その内容を聞かされ、逃げた方がいいと助言されるも、リューベリカにはいまいち事の重大さが理解出来なかった。


 そして、それが実感できた時には、もう遅かった。

 リューベリカの民族はどこかの軍の襲撃を受けた。あっけなく蹂躙され、集落は壊滅した。現代兵器を使う軍人との戦闘は、民族間での戦闘とは訳が違った。

 リューベリカも左腕に深い傷を負い、逃げるしかなかった。



 

 そうして、リューベリカは、二つの道の分岐路で足を止めたのだった。

 と、後方からも軍靴の音が近づいて来る。追っ手の軍人だ。追いつかれれば殺される。選択が迫られていた。


 リューベリカは、ズタズタにされた左腕に目を向けた。力なく垂れ下がり、血が止めどなく滴っていた。


 そこから目を離すと、瞼を閉じ、一呼吸置いた。顔を上げると、その眼差しには、決意が灯っていた。

 リューベリカは駆け出し、その道へと進んでいったのだった。



◇◇◇



 リューベリカは、零下草の群生地にたどり着いていた。

 その身体は血まみれだった。軍人達との戦闘で、左腕はちぎり落とされ、片目は潰され、右足は引きずるしか出来なくなっていた。




 リューベリカは、道を選択する時、負傷した左腕を見やって、予想を超えて重症な事に気が付いた。それは、手当が出来たとしても助かるのは難しいと思えるほどだった。

 殺されるか、このまま死ぬのだ。仲間たちや家族の様に。

 膝を折りかけたが、それでも脳裏には零花の姿があった。


 どうせ死ぬなら、彼女の側がいい――。




 リューベリカは薄れゆく意識の中、零花を探して零下草の海へと足を踏み入れた。一歩踏み出すたび、白い花が赤く染まっていく。

 しかし、程なくして、歩くにも限界が来た身体が落ち、零下草へと沈んだ。靄がまとわりついた様に全ての感覚が鈍かった。


 だが、聞こえてきたその声は鮮明だった。


「リュ、リューベリカ!!」


 視界もほとんどない中で、零花の姿だけははっきりと分かった。

 リューベリカは駆け寄ってきた零花にかき抱かれる。

 零花は、驚愕と後悔の表情で必死に何かを喚いてきたが、リューベリカに零花の言語は理解できなかった。

 それでも、リューベリカは、零花を見つめ、かすれ声で告げた。


「零花、これでいいの……」


 そのリューベリカの表情は安らかだった。


 リューベリカは、死に物狂いで、死に場所を勝ち取った。

 その選択に、後悔など、微塵もなかった。

 零花の腕の中という最良の場所にたどり着けたのだから。


 リューベリカの瞼に、零花の涙が落ちる。

 リューベリカは、それにつられるようにして、ゆっくりと、ゆっくりと瞳を閉じていくのだった。

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零下草 高本 顕杜 @KanKento

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