自由な戒め
@TanakaSatouSzuki
第1話
マーガトロイド公爵領山中の隠れ里に、1人の男が佇んでいる。
良い天気だ。残暑も和らいで穏やかな秋風に、木々が青々とした葉を湛えて揺らめいている。空を見上げるとオレンジ色の太陽が柔らかく輝いており、この風景だけを切り取るならば平和そのものだ。それにしても、この美しい風景はまったく皮肉で、我々を嘲笑っているかのようだ。ここが敵地の真っ只中である事を、あらゆる感覚が思い出させてくれる。そう、今回、そしてこれからも私の采配一つで多くの命が失われるのだから。現実を見なければ。
「ヴォルフ!連中の装備が整ったぜ!」
「馬鹿者。口調に気をつけろと言っておろう」
男2人が近づいてくる。声をかけてきたのはワイルドな容貌の若い男で、孤児院出身の男、歩兵大隊指揮官を務めるロジャーだ。そして、彼を嗜める歴戦の男は私の傅役で、もう60歳を超えている老将カーティス・メイヤー。今回は弓兵中隊を率いてもらっている。
「構わんぞ、カーティス。口調は直さなくて良いと私が言ったのだから」
カーティスがその老練な目を細めて私を見つめる。
「いいえ、何度でも提言します。ヴォルフガング様は甘すぎますぞ。規律の必要性は何度も申し上げています」
うん、藪蛇だったな。
「まぁまぁ父上、今は作戦行動に注力しましょう」
「そうだぜ師匠。それこそ規律を大事にな」
「やかましい、話を聞け馬鹿者めが!」
んげ⁉︎と悲鳴を上げてゲンコツを浴びるロジャー。カーティスの息子のシリウスと共に、フォローが身に染みる。相変わらずいい奴らだ。
「よし、シュタイナー伯爵家のお嬢さん方も呼んできてくれ。作戦開始前の軍議を開く」
***
隠れ里村長宅にて、作戦前の軍議が行われている。青年は静かに語りかけ、少女は静かに聞く。
「改めて作戦目標を述べる。我々の目的はリヒター領境要塞が陥落する前に帝国軍の連絡補給線を破壊し、帝国軍の戦闘能力を喪失させる事だ。彼我の戦力差は極めて大きいが、兵站拠点を壊滅させる事は可能だ」
ヴォルフが作戦を説明している。しかし不思議な男だ。まるで掴みどころがない。彼の未来を知っているかのような采配は目の前で見てなお信じられない。公爵家の隠れ里を買収して装備と食料を事前に用意させ、公爵家が陥落するや否や敵地と化した場所へ迷いなく侵入するとは。
「皆が承知している通り、我々に退路は存在しない。山中の崖を転げ落ちながらここまで来たが、崖登りして敗走は出来ないからな」
「そりゃあそうだ」
「おまけに食い物もほとんど無いしな」
「もう高いところは嫌だ……」
数人がうんざりした様子で応じる。私も崖降りはもう嫌だが、ここで緊張感を緩めるのはどうなんだ?彼も疲れているのだろうか……などと思いながら見ていると、ヴォルフが苦笑しながら口を開く。彼の笑顔は不思議と穏やかだな。
「すまなかった。たが帝国軍に見つかるよりは安全だっただろう?」
「うむ、儂などヴォルフガング様に付き合わされて崖降りしたのは2度目だぞ?あの時は崖登りして帰って来たのだから、退却も可能と言えば可能だ。やりたくはないが……」
カーティス殿が遠い目をしながらおっしゃられている。ヴォルフの傅役を務めてきたのだから、その苦労は計り知れないな。駄目だ、思わず笑ってしまった。どうして彼らはこんなに自然体なのだろうか。
「ハハハ!随分苦労してきたのだな、カーティス殿」
「お互い様ですぞ。まさかシュタイナー伯爵家のご令嬢まで巻き込んでしまうとは思いませんでした」
「まったくだ。私も大概かもしれんが、ヴォルフ殿はトチ狂っているな」
ヴォルフが不敵に笑い、口を開く。よく笑う男だよ。
「そう褒めるな。ところで、現実的な退路もあるぞ?」
「そんなもの何処にあるんだ?」
「敵軍を粉砕して帰るぞ。前に向かって退却するんだ」
笑いながら冗談を言ってくれる……いや、これは冗談ではなく、本気で言っているな……。良く見れば、射抜くような眼差しだ。
「帝国軍補給戦の破壊に失敗すれば、我々は飢えるか、敵の刃に斃れるかのいずれかだ。前に進む以外に道はない」
室内の空気が張り詰めた。何人かが静かに頷き、覚悟を固めるように手を握りしめる。自然体なようで意気軒昂、不思議な連中だ。
それにしても、何なんだこの男は。一見すると傲慢な詐欺師のようだが、実績はあるからな……。
***
その1ヶ月前、リヒター子爵家前線要塞作戦司令部は騒然としていた。少女の父はちょうど到着したところだった。
「シュタイナー伯爵、援軍に感謝致します」
「そう畏まらないで頂きたい。我らの仲ではありませんか」
クリストフ・リヒター子爵が恐縮している。長い付き合いの友人だが、初めて見るほど疲れているな。もっとも、私の顔色も良くないだろう。
「公爵領はもう陥落したのだろうか」
「間違いないでしょう。避難民はすでに万を超えています」
「……よく受け入れられたな。どんなマジックだ?」
「また息子がやらかしましてね……民もいないのに、随分前から水田稲作を基盤とした農村を整備していまして、そちらに送り出しています」
またヴォルフ君か。神童などと呼ばれていたが、ただの化け物じゃないか。我が子たちも優秀だが、相変わらずとんでもないな。
「あっはっは!その様子だと食料供給も問題無いのだろうな」
「まさしく。ヴォルフがやけに米を備蓄していまして」
ヴォルフ君が眉を寄せて反論する。
「早く売り払えと散々批判されましたが、全力で言い訳を並べて備蓄を強行しました……」
さすがに辟易していたようだな。それにしても……。
「ヴォルフ君はこの事態を想定していたのかね?」
「はい。外れてほしい想定でしたが、世の中ままならないものです」
いつもは朗らかなヴォルフ君だが、苦々しい表情だ。難民たちを思い心を痛めているのだろう。相変わらず心優しい子だな。
「ヴォルフ殿、想定していながら公爵領が滅ぶのを防がなかったのは、どうして……」
「セレナ、やめなさい。ヴォルフ君が防げなかったのだから、事情があるのだろう」
どうしても私に帯同したいと言って聞かずに着いて来た我が娘、セレナはヴォルフ君を非難しているかのようだ。まぁその理由は私も気になってはいるが……気難しい年頃だな。セレナはヴォルフ君を慕っているが、彼の怠慢を認めたくないのだろう。彼女はヴォルフ君と同じ19歳だが、彼に匹敵する才を持つと言えども彼に張り合うのは無謀だろう……ついに戦地まで出向いて来てしまうセレナの向上心は嬉しく思うが、親としてはもう少しのんびり育って欲しいものだ。そして、ヴォルフ君がますます苦々しい表情を浮かべながら口を開く。
「はい、私の力不足です。帝国軍の侵攻速度は予想の中で最も速いものでした。帝国による調略がかなり進んでいたようです」
「公爵は気位が高い方ですからな……。援軍を打診しましたが、断られてしまいました」
「子爵、ヴォルフ殿、差し出がましい事を申しました。どうかお許しを」
親子揃って苦々しく返答する。セレナも気まずそうだ。何だか申し訳ないな……。
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