雪山の『声』
川崎燈
前編
ある冬の1日を、私は今でも思い出す時がある。いや、正確に言えば頭にこびりついて離れてくれない、といった方が正しいのかもしれない。あの日のことを考えると、胸の奥が冷たくなる。それは、雪のせいなのか、あの『声』のせいなのか、もうわからない。
私は当時関東にあるS大の大学生で、大学の登山サークルに入っていた。とはいっても、熱心に活動へ参加していたわけではなく、基本的には登山サークルでは軽い登山だけ参加していた。
そんなある日だった。大学の卒業論文も終わり、残すところは卒業のみという時期になる。
「最後に、どこか大きな山に登りたいよな。」
サークル内でそんな話題が出始めた頃、サークル長である『須永』という男が静かに口を開いた。
「じゃあ、俺の地元の山はどうだ? いい山だぞ。」
須永は登山サークルの長であり、幼少期から色んな山を登ってきた男だ。その豊富な経験と知識は、サークル内でも頼りにされている。
そんな須永が提案をした山は世間的にはあまり有名ではないが、地元では人気のある山で、天候さえ安定していれば危険度もそれほど高くないらしい。曰く、登っていても地元の人ぐらいなもので、何より自分が登った経験のある山なので安全に先導が出来るという話であった。
「リーダーが提案する山か、面白そうじゃんか。」
サークルの副長である『加藤』が興味津々そうにそう話す。加藤はこのサークルの副長であり、リーダーの須永ほどではないがよく山については詳しい男で、冷静な判断が特徴だ。
「リーダーが先導してくれるなら結構安心かな。正直雪山って怖いし。」
そう話すのは4年生メンバーでは唯一の女性メンバーである深山だった。こう見えて高校時代は陸上部の国体にも出ていたほどの体力を持っており、女性ながら前述の須永や加藤に登山でついていけるだけの実力がある。
彼女が話す通り、実際先導してくれる人間がいるのは心強いし、サークル長須永の地元にもみんな興味があった、ということで満場一致でその山に登ることになった。
それから計画を立て、1,2か月後。S大サークル一同で新幹線やバスを使い、目的の山がある須永の地元N県の某所へと私たちは訪れる。メンバーは私と須永を含めて8人。目的地に着いた後、私たちは須永が予約した民宿へと移動、翌日の登山に備え早めに就寝した。そして早朝、私たちは登山用の装備を確認、天候も良好であると判断し民宿を後にした。
登山のスケジュールとしては、朝5時ごろに民宿を出発しバスで山のふもとまで向かう。その後入山届を出し、ふもとの小屋で朝食などを取って7時ごろを目安に登山を開始し、遅くとも夕方までには下山が可能なスケジュールとなっている。
私たちはスケジュール通り、朝食も食べ終え7時ごろに小屋を出発しようとした。しかし、そこで少し問題が起きた。深山が少し困った顔で私に話しかけてきたのだ。
「リーダー、外で届の管理をしてくれるって人と話すって言ってからなかなか戻ってこないの。もうそろそろ出発しようってときなのに……」
話し込んでいて戻ってこないだけなんじゃないか、と私は考えていた。しかし、彼女がこう話してくれてから十数分経っても、須永は小屋に戻ってくる様子がなかった。仕方がないので私は深山と共に須永の様子を見に行くと、何やら須永はだれかと揉めている様子だった。
揉めていた内容については、彼らが離れた場所で話していたこともあり「この時期は……から」「そんなこと言ったって……」といった具合で、肝心な部分は聞き取ることが出来なかった。私が須永に声を掛けると、「すまん、出発する時間だったな。」と一言謝ってくる。そして彼が話していた相手もこちらへ顔を向ける。髪はすっかり後退しほうれい線も目立ついかにも60代といった具合の男性だった。男性は無言でこちらを見つめると、「……ふん、警告はしたからな。」と、吐き捨てるように呟くと、その場を立ち去って行った。
「あいつは入山届の管理をやっているじいさんでさ、大丈夫だって言ってんのに今登山をするのはやめろって言ってきたんだ。まあ、結局無理やり届押し付けたんだけどさ。」
須永は苦笑いしながらそう話す。深山は少し不安そうになりながらそれを聞く。
「リーダー、本当に大丈夫なの?」
「ああ、心配性なじいさんでさ。雪山を若者に歩かせたくないのさ。」
「う~ん、ならいいんだけど……」
実際、私も効いていて少し不安にはなったが、実際天候も良好で雪崩等の危険性も低いことをインターネットや地元のニュースで確認している。問題はないはずだ。……だが、いまいち不安はぬぐい切れなかった。あの60代の男がこちらを見る目は、心配をしている、という目ではなくどこか憐れんでいるような、そんな目をしていた気がしたからだ。ふと、それらの不安から私は須永に「どうして地元の山にしようと思ったんだ?」と尋ねた。
「ま、自分の地元を紹介したかったのもあるし……この”時期”でしか見られない景色があってさ。それは後で楽しみにしててくれ、きっと驚くさ。」
と少し言葉を濁しながら彼はそう答えた。濁したことは気になりつつも、信頼しているサークルリーダーだ、あまり疑うようなことはしたくなかった。そんな心境の中私たちはメンバーの待つ小屋へと戻っていった。
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