幸人の鐘

創也 慎介

プロローグ

 窓を開けると、夜の暗闇の中にぽつぽつと光が浮かび上がり、各々のリズムで揺れているのが見えた。まるで鬼火のように揺れるそれらが、人々が片手に掲げた松明のものだとすぐに分かる。


 街灯もない闇一色のあぜ道を、村の一団がわずかな灯りを頼りに練り歩いていく。ゆらり、ゆらりと緩慢な動きで、先頭を行く僧侶の念仏を追うように、ただ淡々と。


 自然に焼き付いた夏の熱気も、田んぼでけたたましく騒ぐウシガエルたちの声も、黒い海のなかでうごめく集団の異様な気配を前に、霞んでしまう。念仏の波長は不規則に強弱を変え、嫌に大気を鳴動させていた。


 それはまるで、夢遊病患者の群れのようだった。あるいは、意志持たぬ亡者の集団か。いずれにしても列に加わった村人たちの目は虚ろで、一刻も早くこの〝儀式〟が終わることを望んでいるようだ。


 灯りの群れはやがて道を折り返し、こちらへぐんぐんと近付いてくる。唱えられる念仏の一言一句が徐々に大きさを増し、夜の闇を嫌に震わしていった。


 僧侶のすぐ背後を、数人の男たちが引く荷車が進んでいく。木製の箱の上には毛布が掛けられており、その下にある大きな塊が振動を受ける度、わずかに跳ねた。


 車輪が地面の石を踏みつけ、ことさら大きく揺れる。途端、毛布の隙間からだらりと長いものが垂れ下がり、すぐそばの松明に照らし出された。


 青白く、血色を失ったか細い腕――わずかにくすんだ赤に汚れているそれが、荷車が進むたびにぶらり、ぶらりと不規則に揺れる。


 進んでいく一団を眺め、〝彼〟は深々とため息をついた。夜の闇を練り歩く一団を前に、忘れかけていたかつての光景が輪郭を取り戻し、脳裏に浮き上がってくる。


 〝あの時〟はこうして2階からではなく、自身も行列に加わり歩いていたことを覚えていた。

 荷台の脇を歩くのは必ず、そこに積まれた誰かに近しい者である。そんなルールを当然、この村に長く住む〝彼〟も十分知り得ていた。


 まるで百鬼夜行の如く闇を進み続ける一団を、村人たちは皆、家屋にこもったままじいっと見つめている。しかし、その異様な光景に恐怖する者は一人としていない。


 誰も彼もが、荷車の上に横たわる骸の理由を知っている。この土地に生きる誰しもが、失われた命の意味を知り得ている。


 年老いた〝男〟は開け放たれた窓の側に座り込み、目を閉じた。まぶたの裏の暗闇に、昼過ぎに聞いたあの重々しい音色が蘇る。


 今日、確かに一度、〝鐘〟が鳴った――幾度となく聞いてきたその音色が、男の肉体を内側から奮い立たせた。


 念仏はなおも闇夜の中を進んでいく。


 運ばれていく屍に続く人々の群れは、呪言に誘われる幽鬼のようにふらふらと、力なく目的地を目指して歩み続けた。

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