第2話 男同士の秘密


 未だにうだうだ言っているアンを部屋に置いて、俺は長い廊下を早足で歩いていた。あいつ最近輪にかけて絡んでくるというか、面倒くさくなっている気がする。


 さっきみたいに部屋に無断で入ることはまだ序の口。風呂に入ってこようとしたり、枕を持って一緒に寝ようと部屋を訪ねてきたりと、際どいスキンシップも増えうんざりする。


 それに加え、口を開けば許嫁や結婚がどうとか言ってくるのだから始末におえない。精神的に疲弊するし、本当にどうにかならないだろうか。


「……やぁ、婿殿ではないか。ご機嫌如何かな?」


 声をかけられて振り向くと、壮年の男性が立っていた。外見はまさに偉丈夫だ。筋骨隆々の長身。赤毛の硬い短髪と澄んだ青い瞳は、豪胆且おおらかな印象を与え、どこか不思議な愛嬌すら感じさせる。


「ジクムンド様……ぼちぼちと言ったところですかね」


「はっはっは! そうか、それは何よりだ」


 ジクムンド様は大声で快活に笑うと、こちらに歩み寄ってくる。思わず背筋を伸ばした。


「ああ、楽にされよ。……ふむ、近くで見るとちと顔色が悪いな。我が愚女が何かやらかしたかな?」

「ええ、まぁ……」


 俺は言葉を濁し、ばつが悪そうに視線を反らした。


 ジクムンド様は、アンの父親でこのラリッサを治める辺境伯である。武勇に優れ、義理堅く誠実なお人柄だ。高いカリスマ性を持ち、領民に慕われている。


「それはご迷惑をお掛けした。だが、許されよ。父親の私が言うのも何だが、あれは婿殿を心底慕っておる。なんせ婿殿を振り向かせたいが故に、騎士道を学び自らを鍛え上げ、今では精鋭の騎士団を率いる一端の騎士となった程だからな。いじらしいところもあるだろう?」


(……つまるところ、脳筋ということですね分かります)


 俺は頷きながら、心の中でため息を漏らした。


 そもそもアンが俺を振り向かせたくて、強さを求めたというのはこの地の歴史が深く関わっている。


 城塞都市ラリッサは、王国の防衛拠点として建築された。数百年もの間、敵の侵攻を阻み続けたその堅牢さから、難攻不落の城塞と称された。たがそれは隣国と休戦協定が結ばれ、長期の戦闘停止が継続されるまでの話だ。


 戦に明け暮れ、誇り高き死を誉れとした時代が過ぎ去り、春の微睡みのような平和の時代が訪れた。今となっては分厚い城壁からのみ、その名残を感じることができる。


 ラリッサが、王国の防衛拠点としてではなく、行商人たちが日夜行き交う物流の要所として名を馳せることとなった今でも、それは変わらない。この城塞都市が前線に立たち、常に外敵に晒されていた戦いの歴史は余りにも長すぎたのだ。


 ラリッサにおいて今も「強くあること」が美徳とされるのにはそういう背景があってこそと言える。


「今はあの通りじゃじゃ馬だが。中々どうして、あれは尽くす女だ。家庭に入り落ち着きを覚えると、間違いなく婿殿を満足させる妻となろう」


「それは、そうなんでしょうが……」


「婿殿よ。ご不安があるようにお見かけする。未来の父であるこの私に、何でも話してみなさい」


「いや、そんな」


 どんと、胸を叩くジクムンド様に気圧されて、俺は口ごもる。それを見て優しげに目尻を緩めると、ジクムンド様は深く頷いた。


「遠慮なさるな。ここでの話は、男同士の秘密だ。なんなら誓約ギャサを結んでも良い」


「いえ、そこまでは。……その、不躾なことを言いますが、俺はまだ結婚を……したくない、というか。躊躇いがあるというか。アンフィーサ嬢のことは、好ましく思います。しかし、恐れながら私は妹のように思っているのです。それに―――」


「―――まだまだ遊んでいたい、と言うわけだな」


 ジクムンド様の言葉に、心臓を鷲掴みされたような気分になる。緊張で汗が頬を伝う。


「ああ、誤解されぬように。責めている訳ではないのだ。むしろ、その気持ちは同じ男として痛く分かる。婿殿はまだお若い。そういう気持ちになるのは当然だ」


「……すいません」


「あっはっはっは。うむ、うむ。むしろ欲がないと言われるよりも健康的で良いぞ良いぞっ!」


 ジクムンド様は豪快に腹の底から呵呵大笑すると、俺の肩に手を回した。がっちりとした腕に、底抜けぬ頼もしさを感じる。


「婿殿さえ良ければ、私の行きつけの娼館を紹介しようではないか。一度すっきりすれば、考えが纏まるというものだ。ん、どうだ?」


「本当ですか! 是非お願い『何をお願いするのか、私にも教えてほしいものだな』……あー、えっと、お前いつから聞いてた?」


 恐る恐る振り向いた先にアンが仁王立ちしていた。

 俺を追いかけて来たのだろう。


「まだ遊んでいたいという下りからだが?」


(……最悪かよ)


 アンは俺とジクムンド様を睨み付ける。目が鋭く吊り上がり、声音は地を這うように低い。

 

「アンフィーサよ、そう邪険に扱うな。婿殿もお悩みなのだ。ここはひとつ、この父に任せておけ」


「いいえ、父上。それだけは許容しかねます。彼は私の夫になる殿方だ。私以外の女性に手を出すのは到底耐えられませぬ。……さあ、シェロこちらに来るのだ。貴公には色々と話したいことがある」


「……まぁ、待て。良いか、アンフィーサ。そのような態度が婿殿を遠ざけているのだぞ。女なら少しは男を立てることを覚えるがいい」


「―――っ! 嫌なものは嫌なのです! シェロいいか! 娼館などに行ってみろ。貴公の相手を私は絶対に許さぬぞ。目の前で叩き切って、骸を晒してやる。それに、それにっ…私は泣くぞ、泣くからな! っひぅ、ふっぐ……」


「……はぁ、もう泣いてるじゃん」

 

 地団駄を踏んで、泣きべそをかくアンにため息をつく。怖いことを平然と言うなよ。

 

 拗ねると長いし、面倒くさいので俺は渋々手を広げた。

 それから、すぐに身体に衝撃を受ける。アンが勢い良く抱きついてきたのだ。ポンポンと背中を優しく叩き、慰める。


 その様子をジクムンド様は、頭を掻きながら困ったように見つめていた。


 

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