でっけぇ竜に憧れて

あいえる

第1話 近づくための一歩


 あれは三歳が終わる頃のこと。私はでっけぇ竜に出会った。

 ふむ、出会ったというとお互いに認識し合った関係のように聞こえるか。


 竜を知った、という表現が正しい。


 最初は山が飛んでいるのかと思った。それほどにデカく、遠く見えなくなるまで目が離せない魅力が空を飛んでいたのだ。

 掻き分けていく雲よりも大きな翼を持っていた。どれだけ離れているのかも予想できない私とあの竜の距離をものともしない羽ばたきの風が髪を激しく揺らしたのは昨日のことのように思い出せる。

 竜の姿を見ていなければただの突風だとただの日常の一頁にすら描かれない出来事で終わっていた。


 あれがこの世界に生きる生物の仕業であることを理解した瞬間、私の心はずっと眠っていたのだと気付かされた。

 次の日も、またその次の日もあの姿を見逃さないようにと毎日のように空を見上げるようになったのはあの日からだった。


 あの日から、私は竜の虜になったのだ。

 どれだけ歳を重ねようとそれはいつまでも変わらなかった――。


「うん? そっちの子供も一緒か?」


「あぁ。問題はないはずだが」


「それはそうだが……まぁ他人の事情に首を突っ込む理由もないか」


 今日は13歳で過ごす最後の日。

 私はお兄ちゃんに連れられて大きな街へと来ていた。


 何度か来たことはあった。いつもはお買い物をするために来ていただけだったんだけど、今日は別の理由。


「さぁリリィ。行こうか」


「うんっ」


 私みたいな子供の女の子は誰一人としていなかったけど、お兄ちゃんがいたから怖くなんてなかった。

 沢山の人に見られてたけどそれはきっとお兄ちゃんが有名人だから。お兄ちゃんはとっても強いから、色んな人が知ってても変じゃないもんね。


 私達が来ていたのは魔物討伐のお仕事が受けられるところ。

 いつもは『テイルぴ』っていうお店を使ってるらしいんだけど今日はお休みなんだって。


 だから一番大きくて有名な『ミナゴロシヨーホー』に来ていたんだけど、お酒の匂いが強くて私は嫌いかも。

 ご飯が食べられる場所も一緒の建物にあるって言ったって、真昼間からお酒を飲んでいるのはどうかと思う。


 人が多いってことはそれだけ信頼されてて繁盛してるってことだから、悪い事ではないんだろうどね。


「……リリィ、約束は覚えてるか?」


 ふと気が付けば後ろからお兄ちゃんの声がする。

 約束、約束……あれのことかな?


「絶対にお兄ちゃんから離れない事!」


「覚えてて偉いな。でも、だったらどうしてそこでガラスにへばり付いているのか聞いてもいいか?」


「だってだって、美味しそうなんだもん! お兄ちゃんも好きでしょ?」


 ミナゴロシヨーホーから出て三分後の出来事。

 私はお兄ちゃんの言いつけよりもガラスの向こうにあるパンを優先してしまっていた。


 扉の隙間から漏れて出てくる焼きたてのパンの匂いに勝てる人なんていないって。

 そんな風にいつも力説するんだけど、お兄ちゃんにはいつまで経っても伝わらない。


「抱っこされるのと、手を繋ぐのとどっちがいい?」


「えー? どっちも嫌なんだけど。恥ずかしいよ」


「だったらもう離れないって約束できる?」


「分かった!」


 お兄ちゃんのことは大好きだけど、それとこれとは別のお話。

 知らない人達の前で抱っこされるのは嫌。手を繋ぐのも嫌。恥ずかしいから絶対に嫌。


 十年前だったら喜んで飛びついていただろうけど、私はそんなに子供じゃないのだ。


「外の世界はリリィが思ってるよりも危ないんだけどな」


「お兄ちゃんが守ってくれるから怖くないもん」


「……いつもお兄ちゃんが傍にいられるわけないだろ? 少しづつでいいからリリィも一人で生きられるだけの力をつけないと」


「ふーん。だったらお兄ちゃんみたいに強い男の人と結婚する。それだったら私が強くならなくても大丈夫でしょ?」


「残念だがそれは無理だな」


「どうして?」


「お兄ちゃんより強い男じゃないとリリィと結婚できないからだ。お兄ちゃんは世界で一番強い。つまり、リリィは一生結婚ができないということになる。お兄ちゃん以外からは誰にも守ってもらえないとなると、やっぱりリリィ自身が強くならなくちゃいけないってわけだ」


「急に早口で喋られても聞き取れないから」


 お兄ちゃんってば、いっつも私が男の人の話題を出すと様子がおかしくなるんだよね。別に私はお兄ちゃんだけのものじゃないのに。

 もしボーイフレンドを紹介したらどうなっちゃうのかな。急に剣で斬りかからないか心配になっちゃう。


 まぁ、紹介する人なんてゼロ。今は候補の一人もいないんだけどね。


「うん? 騒がしくなってきたな」


「ついに超絶美少女である私の存在がバレちゃったのかな?」


「確かにリリィは超絶美少女でとっても可愛らしくていつまでも眺めていたい絶世の妹ではあるが……」


 どうやら早とちり。私を目掛けて走ってきている人は今のところいないらしい。

 様子を見るに街の外側から逃げてきているみたいであった。


「火事、ってわけでもなさそうだし。喧嘩があったにしては騒ぎが大きい気がするな」


「どうするの? 私達も逃げた方がいいのかな」


「いつもならわざわざリリィを危険なところへ連れていかないんだけど……。何かしら経験になるかもしれないし覗いてくるか」


「お兄ちゃんがいれば危険な場所なんて無いんじゃなかったの?」


「なんたってお兄ちゃんは世界で一番の男だからな。でもそれを言っちゃうとリリィは気を緩めたままになっちゃうから言わなかったんだよ」


 どこまで本気で言っているのかいつまで経っても分からない。

 見栄を張っているだけなのか、文字通り世界で一番強い男ってことなのか。


 確かにお兄ちゃんが強いってことは知ってるけど、比較対象がその辺にいるような低級の魔物しかいないのだ。

 良く大人が言う井の中の蛙大海を知らず、ってやつの可能性もある。というより、その可能性の方が大きい気がする。


 もしかしたらお兄ちゃんの言葉がどこまで本当なのか、見ることができるかもしれない。

 そう考えると少しワクワクしてきちゃうな。


「いこうか」


「え、結局抱っこしちゃうの……?」


「早く行かないとだからな」


 さり気ない誘導に騙された。悪意の無い動きだったからこそ、されるがままにお兄ちゃんの腕の中に収まってしまうことになった。

 お姫様抱っこ。お兄ちゃんじゃなくって白馬の王子様であればどんなに良かったことだろうか。


 ……いや。別に白馬の王子様は好きくないや。お兄ちゃんの方が冷静に考えてマシな気がする。


 向かってくる人の流れに逆らって進んでいるはずなのに走る速度が落ちない不思議。

 人が避けてくれているのか、お兄ちゃんの進路設計が最適であるからなのか。


 さっきのお兄ちゃんの話じゃないけど、私にはこれくらいできるようになって欲しいってことだよね。

 決して逃げる人の邪魔をすることなく素早く目的地まで移動できるのか。


 とても今の私にはできそうにない。


「りゅ、竜だーっ!! 急いでお゛兄゛ち゛ゃ゛ん゛っ゛!!」


 前言撤回。今なら何でもできそうな気がする。

 竜が関係しているのならば私にできないことなんてない。


 できないことがあってはならないのだ。


「興奮しているところ悪いが、竜は竜でもあれは駆竜くりゅう……」


「関係な゛い゛っ!」


「だよね~」


 翼を持たない竜は竜に非ず。

 そんなことを言い出した人がいただなんて信じたくもない。


 空ではなく地を駆ける竜。

 カッコイイに決まっているだろうに。

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